2010年12月30日木曜日

水前寺清子




僕が若い頃、水前寺清子の歌がダサく思えた。今日たまたま、水前寺清子の歌をテレビで聴いた。突然、懐かしさがこみ上げてきた。


僕も年なのかなぁ、水前寺清子の歌の歌詞が、僕の心に響いた。今度、CDを購入しようかなと思った。闘病生活をしていると、元気の出る演歌が良い。





死ねない男




男は落ち込んだ。そして自殺を考えた。夜中に酒を呷って線路に寝た。始発までには死んでいるだろう。目が覚めたらまだ生きている。鉄道会社はストに突入していたのだ。


男は心機一転、猛烈に働いた。暫くして、また落ち込んだ。そして自殺を考えた。ウイスキーを飲んで、ガスの元栓を開いた。直後に大地震があった。ガス会社がガスの供給をストップした。また、死ねなかった。


男は田舎へ帰った。また落ち込んだ。今度こそは失敗せずに自殺をしょう。睡眠薬を飲んで、太い木の枝にロープを縛り、首吊り自殺を図った。5分後に木の枝が折れて、またもや死ねなかった。





Prelude in E Minor




昨晩、FMでアスペクト・イン・ジャズを聴いている夢を見た。ジェリー・マリガンの『Prelude in E Minor』が流れて、「皆さん今晩は、油井正一です」


懐かしい夢を見たものだ。昔、FMでよく聞いていた番組だ。僕はジャズが好きだ。ジャズ好きが高じて、アメリカへ来たと言っても過言ではない。


昔、ダウンタウンの南外れに、うす汚いジャズ・クラブがあつた。治安の悪い場所だ。午前2時まで営業していた。


往時、僕はまれに足を運んだ。黒人の客が大半を占める。ドラッグをやっている奴もいる。ある晩、珍しく白人のサックス・プレーヤーが出演していた。


彼は、バリトンに持ち替えると、『Prelude in E Minor』を演奏し始めた。午前1時45分、ラストの曲であった。


僕はガラスの箱に、チップを入れてこの店を後にした。


 





Tボーン・ステーキ


Denny’s U.S.A.のTボーン・ステーキが以外と美味しい。日本ではTボーン・ステーキなる言葉は、あまりポピュラーじゃない。

TボーンとはT字型骨の片側にフィレ、もう一方がサーロイン、二つの味が楽しめる。メニューに載っているTボーン・ステーキ(約350グラム)に、付け合わせが二つ付いて16ドル。

僕はメニューに載っていない、Tボーン・ステーキ・オンリーをオーダーする。しかも二枚も、

一枚が8ドル59セント、二枚で17ドル18セント。

ステーキ専門店でTボーン・ステーキ食べたら、少なくとも25ドル以上はするであろう。





2010年 冬  俳句 2




 1. 年の瀬に信仰のお洒落で歩む


2. 短日に早い夕餉ぞハンバーガー


3. 鮨カレー食べられるのは如月に


4. 黄昏に不安が募る主に委ね


5. まだ遠い凍てつく心光あれ


6. 田楽を食べたし冬尽くすまでに


7. 侘び住まい春爛漫に茶懐石


8. 一人ぼっちで過ごす聖しこの夜


9. ジャズを聴きカクテルを飲む夜長かな


 





年の瀬に




もういくつ寝たらお正月。


クリスマスも、年の瀬も、お正月もあったものではない。平常どおり過ごすだけ。


イエス様に祈り続けるだけだ。


 


「主に祈る癒してくれと年の瀬に」





2010年12月29日水曜日

良いお歳をお迎えください




ひろちゃん、たーちゃん、きよちゃん、れいちゃん、ゆりちゃん、読者の皆様有り難うございました。来年も『帰って来たひつじ』を宜しくお願いします。


僕は病気に負けることなく、来年も一生懸命に頑張ります。それでは、良いお歳をお迎えください。





2010年12月28日火曜日

ジャズとカクテル




僕の家でよく作るカクテルに、ウオッカとトマト・ジュースをベースにしたブラディー・マリーがある。日本語に訳すと、血だらけのマリーさんと言うことになる。従って、トマト・ジュースだけならば、バージン・マリーとなる。


僕はかつて、ウオッカとジンジャエールをミックスしたカクテル、モスコミュールをナイトキャプにしていたことがある。バラードのジャズを聴きながら、やがて眠りに就く。


僕はジャズが好きだ。サックスの入ったカルテットが最も好きである。僕の詩に『赤いブルー』と言うのがある。ジャズ・ピアニストのアーク佐野さんに見せたら、この詩を読んで、イメージを膨らませて作曲してくださった。


曲名は『レッドブルー』。燻銀のバラードに仕上がった。アーク佐野さんのファースト・アルバムに収録されている。風呂上がりに、ジャズを聴きながらカクテルを飲む、これが僕のリラックス術だ。


 


「ジャズを聴きカクテルを飲む夜長かな」


 





2010年12月27日月曜日

光あれ




以前、スピーチセラピーの効果が突然表れ、僕は、もはや言語障害などではないと書きました。


あれは、僕の錯覚でした。まだまだ訓練は必要だ。舞い上がっていたことを、深く反省している。


 


「まだ遠い凍てつく心光あれ」





指切りをして思ったこと




「ウソついたら針千本のーます」。最近、娘と約束をする度に、指切りをさせられる。


論語のなかに、こんな話が出てくる。ある時、葉公(しょうこう)という人が孔子さまに自慢げに語った。「父親が羊を盗んだ時、子がその事実を証言しました」


孔子さまは透かさずおっしゃった。「わたしの村の正直者は、子に悪い行いがあれば親が隠してやり、父に悪い行いがあれば子が隠してやります。それが自然の性質に従った正直な行為です」


自然の性質に従った正直な行為とは、お互いに思い遣る気持ちを大切にしなさい。孔子さまはそのように語っておられるのだろう。


愚直な者のことを、馬鹿正直なやつと言って揶揄することがある。融通の利かない四角四面な人間は、とかく敬遠されやすい。孔子の教えをもう少し気高く精解するならば、自己よりも真理を優先させるべきだが、時には真理よりも隣人を愛さなければならない。概して、キリストの教えに通じるものがある。


子が育ち、一人前になると、やがて「嘘も方便」という処世術を知るようになるのだろう。だが、「方便」とは、日常語としての「便宜的な手段」という意味ではない。仏教語である「方便」の真意は、「たくみになされた手段」を示している。従って「方便」には、相手を救済してやろうとする、釈尊の慈悲の精神が根差していなければならない。


人間は正直であるべきである。けれども、それと同等の真理が対極にあるとするならば、人の心は迷妄するばかりだ。


娘には、取分け凛々しく育ってもらいたい。





2010年12月26日日曜日

『旬粋』




帰国したら、美味しい和食が食べたい。名の通った一流店で、味が良く清潔で、しかも値段が安い。そんな和食のレストランがあったかなぁ?


内外の著名人が訪れた、料亭『京都つるや』の直営店、その名も『旬粋』。大阪梅田の阪神百貨店10階にある。


ホームページを添付しましたので、この料理に、この値段は驚き。店は清潔感にあふれている。


阪神百貨店 旬粋
www.kyoto-tsuruya.co.jp/hanshin.html








ある日、竹馬(ちくば)の友はつぶやいた。「千利休はクリスチャンだった」


その理由(わけ)は、お茶室に入る時、引き戸が狭く頭をかがめて入る。千利休は聖書の「狭き門より入れ」と言う御言葉に影響を受けたと言う。


僕は異論を唱えた。「天神祭の屋形船は入口が狭い。千利休はその影響を受けていた」確かに友の意見にはロマンがある。僕の意見は現実的だ。


表千家、裏千家の由来について、お茶の先生から教えてもらった。長男は表の井戸を使い、二男は裏の井戸を使った。


 


「侘び住まい春爛漫に茶懐石」





絶品のチャーハン




ロサンジェルスのチャイナタウンに、レストラン『チャイニーズ・フレンド』がある。間口の狭い入口を開けると、矩形の小さなダイニングが、目の中に飛び込んでくる。


僕が毎回オーダーする物は決まっている。先ず、ミックス・チャーハン、鶏肉とジンジャーのスープ、それからエビのソテー塩味である。


特筆に値するのが、この店のチャーハン、華僑の食通が喉を唸らせて食べることだ。美味い、安い、早い、三拍子そろっている。ブロードウェーの北の果てに、小さな『チャイニーズ・フレンド』が、ポツネンと佇む。





2010年12月25日土曜日

主に委ね




最近、にわかに僕の心の中に不安感が芽生える。不安が生ずる時、イエス様に委ねる。そうすると、たちまち僕の心にあった不安感が消え去る。


主は今、生きておられる。なんら杞憂することは無い。平安な心に、喜びを持って歩もうではないか。


 


「黄昏に不安が募る主に委ね」





しゃくにさわる君




「しゃくにさわる君、こんにちは。また、太りましたね」


「しゃくにさわる」


「君の顔は、相変わらず黒いですね」


「しゃくにさわる」


「その服、メチヤ趣味が悪い」


「しゃくにさわる」


「君は一日に五度、ご飯食べるのだって」


「しゃくにさわる」


「君の姉さんブスだね」


「しゃくにさわる、もう我慢ができない」


「君の性格、優しくて素敵だねぇ」


「しゃくにさわりましぇーん」





忘れた




このエリアは、金持ちばかりが住んでいる高級住宅街。おばあさんは、隣に引っ越してきた成金一家が気に食わなかった。おばあさんは、隣の家でパーティーを行うと小耳にはさんだ。おばあさんは、こぼした「生意気な、あの成金がパーティーだと」。


「我が家でも隣に負けない盛大なパーティーをやろう」。おばあさん早速準備に取り掛かった。邸宅に居るメイドたちでは間に合わないから、給仕とバーテンダーを数十名雇うことにした。


豪華な料理、季節の花々、一流の楽団、バレーパーキング係り、お土産、どれもこれも最高級の物ばかり用意をした。おばあさんは、パーティーの日に着るドレスを新調した。数日間、おばあさんは忙しかった。ようやく準備万端整った。後は来客が訪れるのを待つだけだ。


約束の時刻が来ても、来客は一人も来ない。待てど暮らせど、来客は一人として来ない。おばあさんは怒り心頭に発した。「あの野郎ども、わしに恥をかかせよって!!!」


おばあさんは、アルコールをガブ飲みして怒り狂いながら、息を引き取った。実は、おばあさんは、招待状を出すのを忘れていたのである。


 


 


 


 


 





2010年12月23日木曜日

笑い治療




スピーチ・セラピストのバレリー先生の所へ行って来た。バレリー先生が適当にセンテンスを作って、喋りなさいと指示をした。


僕は、「男は嫌い。女は好き」と言ったら、バレリー先生がゲラゲラと笑いだした。


イン、アウトの発音をしている時に、僕が突然イン・アンド・アウト・ハンバーガー、ダボダボと言ったら、また、バレリー先生が笑いだした。


舌が良く回るように、なるべく早く「パタカパタカパタカパタカ」の練習をしている時、僕が早く言えないで詰まったら、傍らに座っていたジョイが笑い転げた。





The Nativity ― 降誕 ―





ぼくのこころは


ベツレヘムの里


白銀のぶどうの実が


冬の空から


しーん かーん


 


御使いたちは


ぼくに温かな息を吹きかけて


星の彼方へ


しーん かーん


 


至高のホワイト


ジーザス・クライスト


ぼくらは


ぼくらは


かーん きーん


 


かーん きーん


 


かーん きーん


 


 


 





喜び




時おり出向く仕事先の近くに、たいそう繁盛しているメキシカン・ファーストフードの店がある。昼前から店先に客が並び始めて、正午を過ぎた辺りから目白押しになる。安価でボリュームがあって、旨いとくれば、栄えること受合いである。


ところが、「あの店は、どうもね」。異論を唱える者が多かれ少なかれいる。味覚には、その人の好みというものがある。万人から愛好される味を作り上げるのは容易ではない。と落ちを入れたいところだ。


実は、そうではなかった。少し離れた場所に、同じようなメキシカン・フードの店がある。店舗は件(くだん)の繁盛店よりも二回りほど小さい。ブリトーの味は何ら遜色がない。


仕事先のスタッフは、たとえ繁盛店が空いていたとしても、わざわざ足を伸ばして小さな店の方へ買いに行くという。


そのわけを訊ねてみると、小さな店でオーダーを受け付けているメキシコ系の女性の笑顔が、爽やかで非常に感じが良いからという答えが返ってきた。


なるほど、繁盛店の方は従業員一同、仏頂面をさげて突っ立っている。応対も粗雑で、全体の雰囲気がおろそかである。


小さな店のオーダーを入れるカウンターには、物腰の柔らかい、にこやかな女性が立っていて、親切に接客してくれる。如才のないてきぱきとしている挙措から、彼女のまめやかさが滲み出ているのである。


タコやブリトーを買い求めるだけで、欣快な気持ちになってくる。彼女の胸元に垂れ下がっている黄金色の十字架は、敬虔なカソリック信徒の証しなのだろう。莞爾(かんじ)として笑う彼女の表情をひとたび見たら、誰でもそのように思いたくなる。


きょうは、クリスマスイブ。「いつも喜んでいなさい」。聖書に綴られている一句が、僕の脳裏を星になってかけぬけた。





2010年12月22日水曜日

聖しこの夜




今年のクリスマスは、どうやら一人ぼっちになりそうだ。ジョイと江美子は従妹の家でクリスマス。僕も行きたいけど、ご馳走が並ぶところへは行きたくない。食事制限があるからだ。


来年の二月まで辛抱、辛抱。


 


「一人ぼっちで過ごす聖しこの夜」





如月(きさらぎ)に




僕の食事制限が解けたら、最初に何が食べたいと家人に問われた。彼女が想像していた食べ物は、鮨と刺身であった。


僕は一息入れてから答えた。「それは、ビーフカレー」。本音は、その時になってみなければ分からない。


 


「鮨カレー食べられるのは如月に」





洋酒




僕が子供頃、大人がウイスキーを飲む時、その殆どが、ハイボールで飲んでいたと記憶している。僕が大人になって、周りの人たちがウイスキーを飲む時、全員が水割り飲んでいる。長い期間、水割の時代が続いた。


巷では、ハイボールで飲むのが流行っている。ハイボールで飲むと酔いが早まる。胃が炭酸よって刺激されるからだ。


ウイスキーと言えば、ショット・グラス。ストレート・ノー・チイサーに限る。格好のアペタイザーになる。水割りで飲むのは邪道だ。


僕はかつて、洋酒のコレクターだった。日本に住んでいた時に、僕の部屋にホームバーがあった。お薦めは、バランタインの17年もの、30年ものは値が張りすぎる。


よく飲んだスコッチは、シイバスリーガル。バーボンであれば、アーリータイムス。ウオッカはモスコワヤ。最後にコニャクはナポレオンのビスキーだ。


往時、足しげく通ったバーは、大阪ロイヤルホテルのセラーバー。世良譲さんのジャズピアノを聴きながら、フォアグラのテリーヌを肴にグラスを傾けた。渡米してから、クラウン・ローヤルの美味さと飲みやすさに出会った。


良き時代であった。





飲茶




日本でもお馴染みの、飲茶専門のレストラン『ディン・タイ・フォン』。ロサンジェルス郊外のアーケーディアにある。

日本は新宿の高島屋にある。 名物は小籠包(しょうろんぽう)。その他のお薦めは、エビと豚肉のしゅうまい、タマゴ・チャーハン、そしてデザートにゴマ饅頭。


【住所】1108 S. Baldwin Ave Arcadia CA 91007
【電話】626-574-7068





月と星




* デンバーにお住まいのT・Aさんからのご質問です。


 


産経電子新聞の『俳句と短歌』の欄に掲載されていた、黛まどかさんのエッセイ『待宵の月』を読まれたT・Aさんは、「 ・・・・・・ やや欠けた月を尊ぶ美意識は、日本人独自のもののようだ」という一文に疑念を抱いておられます。


T・Aさんは、月を尊ぶ美意識は、世界の人々に共通するものであるとおっしゃるのです。


日本の絵画や定型詩、あるいは美意識的文化背景には、「花鳥風月」で表現されるわびさびが漂っています。


歳時記を見ますと、「月」に関する季語はたくさんありますが、「星」は流星ぐらいです。また『平家物語』の月の描写は有名ですが、古から日本人は四季折々の「月」を定型詩や絵画の題材として選び、欠けた月やおぼろ月を愛でるのです。


比して泰西では、天文学に優れたカルデア人が星座図を考案して以来、やがて星座図はギリシアへと伝わって、神話や伝説に結びつきました。これらは、西洋占星術の原型でもあります。


ジョセフ・コンラッドというイギリスの作家は、「月」は冷徹で恐ろしいミステリーだと言い。詩人のサンドバーグは、「月」は孤独な人間の唯一の友であると表白するのが精々です。彼らには、どうも「月」を尊ぶ習慣はなかったようです。


 





俳句 2010 冬 1




1. 喀血しイエスを信じホトトギス


2. 試練なり病気失敗主の恵み


3. クリスマスJoyJoyの花が咲く


4. クリスマスJoyの花咲くおめでとう


5. 年明けに再度入院雪しまき


6. 末期癌笑顔を持って対峙する


7. 追憶に寒梅添える師走かな


8. 冬ざれに歓喜の渦と主の癒し


9. 短日に早い夕餉ぞハンバーガー








指揮者の小澤征爾さんがスランプの時、偶然に海外の空港で作家の井上靖さんと遇った。


井上靖さんが「音楽は世界共通ですよね。文学には言葉の壁がある」。それを聞いた小澤征爾さんは、スランプから脱出できたという。


ノーベル文学賞を廃止すると言われて久しいが、各国の言葉で書かれた文章を、英語に翻訳しなければならない。正しく言葉の壁だ。


川端康成の『雪国』はスーノー・カントリー、『伊豆の踊子』はイズ・ダンサー、何だかしっくりとこない。イズノオドリコは伊豆の踊子であって、イズ・ダンサーなどではない。


今日、テレビで放映されていた、松尾芭蕉の俳句の件(くだり)に、「凍てつく」とあった。英語に訳すと「フローズン」。何と味気のないことに、なってしまうのだろう。


文学には翻訳という言葉の壁がある。しかも、アルプスよりも高くそびえる壁である。





2010年12月21日火曜日

信仰のお洒落




ロサンジェルスの天気は雨続き、ホリデーシーズンだと言うのに、やらずの雨。出掛けるのがおっくうになる。


去年の今頃は、半身不随の体を引きずりながら、ショッピングに出掛けた。今年も連れていってくれるかなぁ。


とりわけ、ハンチングとセーターを買いたい。健康な体だったら買いたいものがいっぱいある。


2007年の暮に、衣類をまとめて購入していたのに、2008年に病気で倒れてしまったので、一度も袖を通さない状態で、クロゼットの中でスーツは眠っている。


スーツが目を覚ますのに、どのくらい時間が掛かるのだろうか。僕は、最低でも2年はかかると思う。


 


イエス様の癒しを信じて、歩もうではないか。


 


一句ひらめきました。「年の瀬に信仰のお洒落で歩む」


 


 


 





冷凍人間




西暦3500年代、人類は想像もつかないほど進化を遂げている。3551年に流行したものがある。高度な瞬間冷凍技術よって、人間の心臓を何十年も停止することが可能になった。これによって人間の寿命が、未来へ向けて一休みすることが可能だ。


人間が冷凍状態でいる期間は、人間は年をとらないのである。40歳の人間が冷凍されて、50年間冷凍人間になっていたとする。50年後に40歳のままだ。


夫婦で冷凍人間に参加しないと、夫の方が30歳、妻が70歳と言うこともありうる。冷凍は、どんな生き物でも可能だ。


冷凍人間になっている長い眠りの中で、もうひとつの世界が体感できる。夢の中での体験だ。これを体験したいがために、冷凍人間のブームが3351年に巻き起こった。





2010年12月19日日曜日

宣告




僕の知人に、サンデエゴ在住の女性がいる。60歳の時に医師から、余命半年の末期癌であることを宣告された。彼女曰く「医者の言うことを、まともに聞いていたら駄目よ。私、あれから20年も生きている」


僕も末期がんと宣告されて約2年半が経過した。数々の治療によって、癌細胞は80パーセントまで死滅した。来年の1月21日、六度目の入院をして、更に癌細胞を死滅させる。そのために備えて食事制限をしている。


 


医師から末期癌であると宣告をされた瞬間、生きた心地がしなかった。





2010年12月18日土曜日

早すぎた裁き




ジェニファーは、フロリダに住んでいる両親の許へ行くために、空港へと向かった。搭乗時刻まで少し時間があったので、クッキーを買って、読みかけの本を読んで時間をつぶした。あまり本のストーリーが面白いので、時間の経つのを忘れかけていた。


その時、隣に座っていた男性が、さっき買ったばかりのクッキーを食べているではないか。「まぁ、あつかましい」と、ジェニファーは心でつぶやきながら、ジェニファーもクッキーを食べた。


クッキーが最後のひとつになった時、両者の手が伸びた。男性は微笑みながら、ひとつのクッキーをジェニファーに譲った。


ジェニファーは不愉快な思いを、断ち切るように飛行機に搭乗した。シートに座ってバックの中を開けると、さっき買ったクッキーが入っていた。


 


※  リビング・ライフに掲載されていたコラムを潤色しました。


 





ハンバーガー




キッズ・ミールのカロリーが高いとか何とかで、個人か団体か知らないが、マクドナルドに訴訟を起こした。


昔はハンバーガーに、ベーコン、アボカド、マッシュルーム等を挟んだハンバーガーは無かった。僕はオールド・ファションのハンバーガーをこよなく愛している。ハンバーグの上にレタス、玉葱、トマトを乗せて、バンを挟んでたべる。


昼時になれば、超満員なのがIn-N-Outハンバーガー。店のカウンターもドライブ・スルーも長蛇の列。アメリカ人も日本人も美味しいと言っている。僕はCarl’s Jr.のハンバーガーの方に軍配を上げる。


In-N-Outに裏メニューなるものがある。その名も4by4、バーガー4枚、チーズ4枚を交互に重ねてからバンで挟む。それから、Animal Style Friesと言うのがある。フレンチフライの上に、飴色に炒めた玉葱とサウザン・アイランド・ソースがかかっている。


やはり僕はCarl’s Jr.のSix Dollar Burgerが美味いと思う。アンガス・ビーフ100%使用。それに、オールド・ファション・スタイルが気にいっている。 


何時か行った、あの、ハンバーガー・ショプ、名前は忘れたが場所は覚えている。肉の大きさと焼きかげんが、オーダーをする際に聞かれる。野菜はバッフェ形式の取り放題。店は大きく、何時行ってもすいている。


この店のハンバーガーは、肉汁が上手い具合に閉じ込めてあり、噛んだとたんに肉汁が野菜と合いからまって、口の中に広がって行く絶妙なハーモニーをかもし出す。一押しの超美味しいハンバーガー。


 


「短日(たんじつ)に早い夕餉(ゆうげ)ぞハンバーガー」





ゾウの絵




娘のJoyは絵を描くのが好きだ。4歳から7歳まで絵画教室に通っていた。日系のフェスティバルの折に、絵画の展示会があった。Joyはゾウの絵を展示することになった。


Joyのゾウの絵を見て、感動したのか、売ってくださいと言った来場者が4人もいた。Joyが4歳半の時に描いたゾウの絵がこちら。


Messagepart





2010年12月17日金曜日

歓喜




今朝、突然に、スピーチセラピーのエクササイズによって、喋り方が以前よりもすらすらと、喋れるようになった。もはや、僕は言語障害ではない。


歓喜の渦が僕を包む。ブログに載せた詩、『喜び』の世界を地で行くかのようだ。主の癒しを信じ続けた勝利である。


 


「冬ざれに歓喜の渦と主の癒し」








子供の頃に、祖母の手に引かれて縁日によく行った。一休みする所は関東煮(おでん)屋。僕は何時も、コロ(鯨の皮を煎り、脂肪をぬいて乾燥させたもの)を食べたいと思っていた。


 大きくなって念願がかなって、おでんのコロを食べた。ものすごく美味かった。暫くして大阪、道頓堀の『たこ梅』(当時は、おでん専門店)で、さえずり(クジラの舌)を食べた。コロよりも美味しかった。でも、値段が高かった。兄と二人で、おでんを食べて飲んで、37年前に10,000円。


35歳位の頃、大阪の日本橋でハリハリ(くじら)鍋を食べた。鯨肉と水菜と昆布の出し汁のオラトリオが、絶妙にマッチしていて、こたえられない味に仕上がっていた。


尾の身(鯨の背びれから尾の付け根までの肉)は酒の肴としては最高であるが、僕が渡米前に、母が買ってきてくれた尾の身刺身を、ショウガ醤油をつけて賞味した。天にも昇る思いで味わったのを、未だに覚えている。


昔の給食は肉と言えば鯨であった。主に日本とノルウェー以外の国は鯨を食べない。アメリカで鯨を食べさせてくれるレストランは皆無だ。僕は鯨を食べたいと、思いは募るばかり。


 





喜び




喜びをかみしめて 大空を飛んでみたい


野の花は咲きみだれて 小鳥のさえずりが聞こえてくるよ


森には小川が流れていて 喜びの歌のメロディーが ぬけるほど美しい


 


喜びをかみしめて 海原を泳いでみたい


さんごしょうは七色に光り 海鳥たちの唄が聞こえるよ


大なみ小なみうず潮の 喜びの歌のメロディーが ぬけるほど美しい


 


喜びをかみしめて みんなで大地を歩みたい


朝な夕なに感謝して 笑顔で絶えない毎日を過ごそう


いつも喜んでいなさい 歓喜の歌のメロディーが ぬけるほど美しい


 


2009-10-27   新井雅之


(Joyのために)





超ショート




「ダグラスのガール・フレンドの名前、何と言ったかなぁー。コップでもない、茶碗でもない。あっ、思い出した。サラゃー」





主の癒し




 


主の癒しを信じます。


信じ続けます。


 


 


 


 





2010年12月14日火曜日

名作アニメを鑑賞して




ウォルト・ディズニーが社運を懸けて制作した初めての長編アニメ映画、『白雪姫』のビデオを幼い娘と二人で鑑賞した。


継母のお妃が、醜い物売りの老婆に変身して白雪姫に毒りんごを勧める件(くだり)は、狡猾な長虫が、後にエバと名付けられる女を唆す『創世記』第三章の場面を彷彿とさせてくれた。そして物語が最高潮を迎える最後の場面では、死んだ筈の白雪姫が蘇って、皇子に迎えられて幸せになる。正に、イエス・キリストの復活の喜びと感動である。


アナハイムのディズニーランドへ行くと、『白雪姫』のミュージカルが上演されていたので、親子三人で最前列に鎮座して鑑賞した。テーマはお妃の嫉み(罪)と、問題の解決(愛)である。


この物語では、白雪姫の透き通るように美しい白い肌が象徴する「善」と、醜い物売りのお婆さんの姿を描いている黒装束が、「悪」を表現させている。この表現方法は、私たちにはまったく違和感の覚えない減り張りのある演出であった。けれども、広い会場には黒人の少女が数名いたが、彼女たちの心情は晴々としたハッピーエンドを迎えられたであろうかと、少しばかり心配になってきた。


白雪姫の髪の毛はブロンドではなく、艶やかな黒髪であることが強調されている。これはディズニー社が、初の長編アニメを制作するに当たって、メルティンポットの国で成功させるための配慮であったのかも知れない。そして人間の真の美しさとは外観で決定するものではなく、内面から滲み出る美しさ、即ち心の清らかさであることを昼食時に親子三人で話し合った。


丁度その折に、神様は私たちに粋な計らいを施してくださったのである。私たちのテーブルの近くを掃除していた黒人女性の名札を見ると、「SNOW」と書かれてあった。家内が、


「あなたのお名前ですか? 」


と問い掛けると、彼女はゆっくりと頷いた。


「綺麗なお名前ですね!」


再び家内がそう言うと、彼女は優しく破顔一笑させた。その笑顔の何と美麗なことか。


飽く迄も憶測に過ぎないが、彼女は子供の時分に、肌の色に反して名前がスノーであったが為に、随分と揶揄されたに違いない。ところが現在の彼女は、自分の名前が非常に気に入っているようであった。自信に満ちた彼女の表情は、まるで微薫の花びらを撒き散らかすかのように誇らしげであった。私はここに神の愛があると思った。そして家族三人で過ごすことの出来た休日に、心から感謝したのである。


次に『フランダースの犬』のアニメ・ビデオを、やはり自宅で鑑賞した。私は童話集や絵本で、この物語を知っていたが、ビデオで観るのは初めてであった。


この物語は全篇を通して、十歳の少年ネロと八歳のガール・フレンド、アロアの、穢れのない白銀のように美しい心から、人を愛することの大切さと、神様から愛されているという確信が描かれている。


終結はハッピーエンドで幕を閉じる『白雪姫』とは対照的であるが、悲しくとも死は終わりではないことを、『フランダースの犬』のクライマックスでは鑑賞している者の心に強く訴えていた。


ネロは大聖堂で、念願のルーベンスの『キリスト昇架』と『キリスト降架』の二枚の絵を観ることが出来た。やがてネロは熱い歓喜の涙を流すと、


「神様、僕はもう思い残すことはありません」


と呟く。ネロは両腕で犬の体を抱きしめると、


「ぼくたち、もうすぐイエス様に会えるんだよ。 …あそこで」


と言う。このネロの最期の言葉こそが、信仰と希望と愛を伝えている。


『フランダースの犬』は、70年代にテレビで毎週放映されていたが、最終回は30パーセントの高視聴率を記録したそうである。幼い頃から聖書を読むことや、クリスチャンとの交流が希薄な日本人にとって、純真無垢なネロの神に信頼を寄せる心と、愛に忠実なパトラシエ(犬)の願いが、この世で成就されない不条理に、心を痛めるばかりである。けれども、知っていただきたい。神様の壮大な愛の計画を……


小説にしろ、童話にせよ、外国の名作をより一層深く理解する為には、まず聖書を読むことが基本である。そして神のご愛が、同胞の心へと伝わってもらえたならば何よりも幸いである。





幸福




僕は末期癌で、ストロークで、半身不随で、言語障害で、全く役に立ちません。それでも僕は幸せだ。


不幸な病人があると同様に、幸福な病人もあるのである。病気は魂を解放して浄化するからだ。一度も病気をしたことのない者は、自己を十分に知っているとはいえない。


 


「末期癌笑顔を持って対峙する」





2010年12月13日月曜日

師走かな




今日、テレビで観た『坂の上の雲』で、正岡子規が亡くなった。お墓の上の方に、韓紅(からくれない)のもみじが寂しげに風に揺らいでいた。


もみじは水と良く似合う。池に落ちたもみじ、小川を流れるもみじには、動きのある清秋を感じ取ることが出来る。もみじと苔も、また良く似合う。苔に落ちたもみじは、僕を夢心地へと導く。そして、紅葉(こうよう)の大海原へといざなう。


季節はもう師走。北の国では、冬将軍の訪れもまぢかであろう。僕は冬の星が好きだ。冬の大気は澄みきっていて、凍てつく夜空に昴は鋭い光を放つからだ。


冬の植物で、一番気に入っているのが冬の梅だ。別名寒梅ともいう。「千駄木に隠れおほせぬ冬の梅」(正岡子規)


今日、フリーウェイから見たダウンタウンが、こよなく美しかった。雲ひとつない青空が広がり、大気が澄んでいたからだ。その光景を見た瞬間から、僕の心が欣快に栄えた。そして、一句浮かんだ。


 


「追憶に寒梅添える師走かな」





鬱造(うつぞう)




鬱造は16歳時、医師からうつ病と診断された。40年前のことである。往時は誰一人として、うつ病のことは知らなかった。うつ病という言葉は1990年あたりから、ちらほらと世に出始めて、1998年あたりから世間に定着し始めた。


鬱造は、入退院を何度も繰り返した。誰もがうつ病に理解の無い時代を生き抜いた。世間からは怠け者扱いにされ、変人扱いにされて、青春時代を過ごした。


現代では、会社も学校側も理解を示す。昔うつ病になった人は鬱造も含めて、現代のうつ病の人よりも、何倍も苦しみを味わったのだ。


鬱造は、うつ病が原因で離婚をした。離婚後しばらく経って、鬱造は渡米した。翌年クリスチャンとなって、鬱造はイエス様の癒しの御業によって、うつ病が癒された。





2010年12月12日日曜日

『おたふく』




日本の蕎麦(そば)屋に、勝るとも劣らない蕎麦屋がガーデナにある。屋号は『おたふく』。ウエスタンとガーデナ・ブルバードのコーナーに位置する。


僕は何時も決まって、掻き揚げざるそばの大盛りを注文する。せいろと十割蕎麦もある。『おたふく』の蕎麦は、アメリカ・ナンバーワンだと思う。


カテゴリー、ショート・ショートに書いている、掌の小説『蕎麦』を参考にしてください。


『おたふく』をモデルに書きました。





評決




自分でスピーチセラピーのメニューを毎日2回こなしています。それほど効果は出ていませんが、焦らずに気長く続けることが大切だと思いました。


今年に入って、裁判員裁判のニュースが報じられるようになりました。ここで疑念を抱きました。判決と違って、評決じゃないのかと。





雪しまき




昨日、病院へ行って来た。医師から、「食事制限は来年の一月末まで続きます」と言われた。僕の考えが甘かった。


今後の予定は決まっている。1月21日に入院して治療が再開される。抗がん剤は三ヶ月前から中止している。


 


「年明けに再度入院雪しまき」





2010年12月11日土曜日

名 前




先日、来米したばかりの知己から、同行の女性を紹介された。名前はミキミキ。


「愛称ですか」と、尋ねると、山村美樹さんが三木さんと結婚して、フルネームがミキミキになったと説明してくれた。


阪神タイガースの監督は真弓だが、真由美さんが真弓さんと結婚したらマユミマユミ。美和さんが三輪さんと結婚したらミワミワ、真紀さんが牧さんと結婚したらマキマキだ。


アメリカで珍しい性の日本人女性と知り合ったことがある。


「で、あなたのお名前は」


「材木屋です」


「お父さんの職業ではなく」


「ですから、材木屋です」


なんと、彼女の名字は材木屋だった。


 イタリア人の男性の名前にヨシコというのがある。ビバリー・ヒルズのロデオ・ドライブに、少しばかりくだけた貴金属店がある。ここの店長の名前がイタリア出身のヨシコさん。日本人観光客が店の中へ入っていくと、「わたしの名前はヨシコです」と、日本語で話しかけてくる。


観光客が笑い出したところで、店長は透かさず名刺を差し出して、自分の名前がヨシコであることを証明する。そこでまた観光客は笑い出す。てなぐあいである。


では、ここで大変珍しい日本人の性の一部を紹介する。


一番合戦(いちまかせ)、百目鬼(どめき)、仙人(せんにん)


音琴(ねごと)、目次(めつぎ)、花子(はなこ)


人首(ひとかべ)、宇宙(うちゅう)、九(いちじく)


 


 





2010年12月10日金曜日

揺れている語句




大(だい)と大(おお)の読み方については、原則として「大」のあとに音読みの語句「漢語」がくると(だい)、訓読みの語句「和語」であると(おお)と読むのが一般的。


NHKでは「大地震」を(おおじしん)と読ませているので、各民放も右に倣って「おおじしん」と読んでいる。NHKの『ことばのハンドブック』によると「大地震」の場合は正しくは「おおじしん」であるとの明記がある。


ここで日本放送協会に質問がある。「大震災」はだいしんさいと読み、おおしんさいとは読まないので煩わしい。NHKはよほどじしんがあるかと見えて頑なに「おおじしん」と読みつづけている。


「だいじしん」か「おおじしん」か、この揺れている語句の読み方については、読者の判断にゆだねることにしたい。


 





ペンネーム




高校二年生の時、日頃口数の少ない現代国語の先生が、授業中、黒板に大きな字で石川豚木(ぶたぼく)と書き損じたので大爆笑となった。


文学にあまり関心を示さない当世の若い人たちの中には、島崎藤村や永井荷風のことを「しまざきふじむら」、「ながいにふう」と読む者がいる。


ラジオのアナウンサーが名前を読み間違えて以来、藤本義一(よしかず)が(ぎいち)になり、松本清張(きよはる)が(せいちょう)と呼ばれるようになった。有名になると水上 勉(べん)、川端康成(こうせい)のように、有識読みといって音読みされることがある。


長谷川辰之助は子供の頃に実父から「くたばってしめえ!」とよく叱責されたので、二葉亭四迷(ふたばていしめい)とペンネームをつけたことは有名である。


近所の猫が窓から、ふらっと姿をあらわす度に「おー、ヘンリーじゃないか」。習慣のように口から出る猫の名前が、そのままペンネームになったのが、O・ヘンリー。


社会主義者の雄レーニンはなんと150にも及ぶペンネームを使い分けていた。


 


 





食事制限




食事制限が、予定していたよりも早く終わりそうです。クリスマスとお正月には、ご馳走が食べられるかな。予定は未定。


 


「クリスマスJoyの花咲くおめでとう」





カタリナ・バー・アンド・グリル




ハリウッドにあるジャズ・クラブだが、イタリア風の料理が佳味である。ジャズを聴くのが主流であるので、料理に関しては、あまり力を入れてないかと思いきや、なんの、なんの。


純粋なレストランよりも、味付けと盛りつけの趣向を凝らすのに、気を使っているのが伺える。パスタも魚料理も美味。僕が何時もオーダーするのは、アペタイザーにフライド・カラマリとメインにロック・オブ・ラム。シュリンプ、スカンピリ・リグイニもお薦め。ワイン・リストも充実している。


先ずは、ホームページでカレンダーを調べて、お気に入りのミュージシャンが決まれば、チケットを購入して、いざ、出陣。


Catalina Bar & Grill
www.catalinajazzclub.com/





現代書冊考




休日を利用して家人と一緒に書店へ出向いた。本屋を何軒か回ってから、古本屋にも足を運んで、結局11冊の絵本と童話を購入した。


早速、娘(4歳)に読み聞かせをしたのであるが、その後で、解説のところを読んでみて、児童文学を研究している大学教授が、トルストイの文学は人間愛に基づく人道主義に貫かれている。と語っていたので、些かがっかりとさせられた。


人間愛に基づく文学作品をひと言で表現する場合に、人道主義が貫かれているというのは、あまりにも概念的で表象的ではない。この場合は、少なくとも博愛、もしくは相愛主義に貫かれていると解説文を改めてほしかった。


少なくともと前置きをしているのは、博愛主義や相愛主義、或は汎愛主義であると解説書に明記をしても、完璧な解説には至らないからである。即ち、「人は何によって生きるか」、「イワンのばか」、「パンのかけらと小悪魔」など、トルストイの一連の文芸作品には、キリストの愛が色濃く貫かれているのだ。と断言しなければ、的確な評釈として認めるわけにはいかない。


日本の一流出版社が発行している世界文学全集の解説を読むと、文芸評論家の面々が的外れの論評を縷々と語っていることがある。その最たる要因は、欧米の作家や詩人たちが聖書を通して、神の摂理を如何に把握しているかということに、目もくれないからである。せいぜいキリスト教文化の影響下で過ごしていた。と考察するのが関の山である。


わが国の文芸人は、聖書を一度や二度は読んでいるであろう。また、神学を深く追究している文人も、寡少ながら存在するものと思われる。けれども、文学者特有の懐疑精神があまりにも旺盛なために、トルストイにしろ、ドストエフスキーにしろ、あるいはソルジェニーツィンであれ、これらの文学作品を講評する際に、信仰と文学を隔離してしまう傾向が窺われる。


平たく申し上げると、原作者の信仰とキリストの教えが、文芸評論家には全く理解し得ていないので、荒唐無稽の説に陥ってしまっている。


さて、数年前に、『ダ・ヴィンチ・コード』の話題で盛り上がったことがあるが、物議が大きくなればなるほど作家や出版界の商業主義に、世論は益々翻弄されてしまうことになる。だからと言って、カソリックの諸教会や組織、そして信徒たちが、馬耳東風を決め込めば、世間一般に対して誤解を招きかねない事態となる。


物語はフィクションであると周知していても、熱心な読者諸氏は事実よりもフィクションの方が真実であると思い込むようになるからだ。世の中というものは、歴史の事実を証明する文献よりも、現代の流行作家が仕立て上げたフィクションを、信じようとする傾向があるようだ。


例えば、史学の学術論文が証明している歴史上の人物の生涯よりも、大河ドラマで描かれている家康や秀吉、あるいは信長の生き様が強く印象に残り、事実と混同させながらも、とどのつまりはフィクションのストーリーを信じてしまっている。


生前、司馬遼太郎さんが歴史小説を発表する度に、歴史学者や郷土史家たちから抗議の手紙が殺到した。いわんや、司馬さんが描くストーリーや時代背景に対して、学者たちは事実無根であると訴えるのである。


その度に、司馬さんは判子で捺したように、「私が書いているのは小説です。フィクションなのです」と、弁明された。


『ダ・ヴィンチ・コード』にしても、小説が出版された折よりも、映画が封切られた時の方が事態は深刻である。それほどビジュアルの影響力は大きいのである。しかし、どのようなデマが飛び交おうとも真実はひとつしかあり得ない。それは、聖書に書かれていることだけが唯一正しいのである。


 もはや情報化社会は日進月歩である。ネット上で本が購入できる時代である。出版業界は手を替え、品を替えて、ありとあらゆる手段を駆使して営利主義のみに奔走する。その先陣がベストセラーと呼ばれている書物の数々なのである。


「ベストセラーとは、凡庸な才能を鍍金した墓場である」と述べた泰西の偉人がいたが、古典や近代に、ごまんとある名著を差し置いて、現世の低俗なベストセラーばかりに心を奪われる老若男女はおろか、世の中で先生と呼ばれている指導者的立場にある人物が、ベストセラーであると謳われている書物に、うつつを抜かしているのが現状だ。


本にまつわる格言で、好きなのがある。「古木は燃すべく、古酒は飲むべく、旧友は信ずべく、古書は読むべきである」。


その古書とは、現代人に生きた言葉を伝えている永遠のベストセラー、聖書に置き換えることができる。私は、聖書こそが世界文学全集の第一巻に、最も相応しい書物であると信じている。何故ならば、まずは知識として聖書を読み始めることによって、神の言葉の全てが、始まろうとするからだ。





2010年12月9日木曜日

励ますことの大切さ




言葉の乱れが指摘されて久しいが、その起因の一つに、私たちは日頃から、ささやかな心づくしを怠っているのではないだろうか。


「丸い玉子も切りようで四角、ものも言いようで角が立つ」これは都々逸の一節である。ドイツの詩人ハイネは語っている。「言葉が生きていれば小人でも軽々と運べるのだが、言葉が死んでいれば、どんな巨人だってまともに起すこともできない」


言葉ほど人の心を傷つけ、反対に愛情を育むものはない。英国の詩人ロバート・ブラウニング(1812~1889)には病弱の妻がいた。何一つとして妻らしいことを夫にやってあげられない妻のエリザベスは、夫に対して終始申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


ロバートはそんな妻の思いを察して、「君は、まるで天使だ」と言って励ましつづけた。エリザベスは夫の優しい言葉に感謝するものの、所詮、それは慰めの言葉に過ぎないのだと感じていた。


けれども、ロバートは「君は天使だね」と言う囁きを日々忘れなかった。晩年、エリザベスは姉妹に手紙を出している。その一行には「私は、本当に天使になったように思えてきました」と綴られている。


言葉づかいや礼儀の基本は、思い遣りにあると思う。他人に対してだけ礼儀正しくするのではなく、家庭や夫婦の間に於いても、慈しみを怠らないように心掛けていきたいものだ。


担任の先生から落ちこぼれの烙印を押されたA君は、落胆して家路についた。家に帰ってから母親にそのことを話すと、お母さんはA君の話に耳を傾けて、静かに聴き入った。そしてお母さんはA君に向かって言った。「息子よ、おまえはわが家の天才だ!」


あの発明王エジソンも、不登校の落ちこぼれだった。そして、後に天才と称賛されるようになった。以来、母親は、A君のことを「わが家の天才」と呼んで励ましつづけた。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 





神 様




日米のサービス業務を比較すると、サービスを施す側とサービスを受ける者との立場が、ほぼ対等であるのがアメリカであるが、お金を落としてくれる客に対して、まるで奴隷のようにこき使われているのが日本である。


日本の一流ホテルに勤めて二十五年になる知人が、米国での駐在期間を終えて昨年の暮れに帰国したが、歓送会の席で、このようなことを私にこぼしていた。


「お客様は神様です」と言って、一世を風靡したのは歌手の三波春夫さんだが、ファンにとって、これ以上の殺し文句は無い。だが、この流行語は、客の我が儘を益々助長させることになってしまった。


客に向かって一体その態度(口の利き方)は何だ。とはよく耳にする言葉である。言い換えれば、恐れ多くも神様に向かって何たることだ。ということになる。


お金をたくさん使ってくれる神様の機嫌を損なわないように、日本の商人(あきんど)は手揉みをしながら、腰を低くして、接客に従事するのである。


また、その道を究めた雲の上の人を、○○の神様と呼んで尊敬することがある。


 


経営の神様・・・松下幸之助


小説の神様・・・志賀直哉


憲政の神様・・・尾崎行雄


野球の神様・・・川上哲治


金儲けの神様・・・邱 永漢


特撮の神様・・・円谷英二


モダン・ジャズの神様・・・チャーリー・パーカー


フラメンコ・ギターの神様・・・パコ・デ・ルシア


サッカーの神様・・・ペレ








夫の定年退職後、離婚する夫婦が急増している。仕事以外、何に対しても興味を抱かなかった夫は、離婚してから益々時間を持て余すことになる。一人身となった熟年の男は、後に物価の安い東南アジアへ移住した。退職金で高級コンドミニアムを購入すると、メイドまで雇用して、海外で悠々自適の年金生活を送ることになった。


それでもまだ経済的に余裕がある。熟年の日本人男性の目的は、現地の若い女性を侍らせて、何とハーレムを築くことであった。間もなく、団塊の世代が定年退職を迎えようとしている。巷の声によると、海外にハーレムを築くための斡旋業者が、てぐすねをひいて待機しているという。


高度経済成長の真只中にあった頃、日本人はエコノミック・アニマルであると陰口を叩かれた。今度はセックス・アニマルとでも揶揄されるのだろうか。まったく、何という体たらくに陥ってしまったことか、恥ずかしい限りだ。


「旅の恥は掻き捨て」というのは、旅先で、すこしくらいの恥は、お互いに気にかけないことをいう。ところが海外へ出てしまうと、周囲に気遣うことを全く感じなくなってしまうのか、顰蹙(ひんしゅく)を買うようなことでも平気でやってのける。困ったものだ。


不品行が明るみに出てしまった場合に、本人も世論も「恥」として処理しているようでは、真の問題解決には至らない。日本の国は「恥の文化」である。と語ったのはベネディクトだが、あまりにも「罪」の意識が稀薄である。


インターネットに目を向けると、児童ポルノの画像が氾濫している。そのマーケット・シェアの七割が、日本から発信されているというから、今や日本は児童ポルノ大国に成り下がってしまった。


アジア諸国では、日本人旅行者による児童買春が横行している。政府は人権侵害など、厳しい国際批判に対応するために、児童買春禁止法を一九九九年になって、ようやく可決した。お上の過重腰には、羞恥の念が微塵も無い。


恥は掻き捨てることは出来るが、罪は心の底から悔い改めなければ、許されるものではない。


 


 





飛ぶ鳥を落とす勢い




師走に入って、未明から朝にかけて寒い。精神力もいささか弱り果てている。体力も減退。食事制限が大きく起因している。健康な時には、食べることが生きがいだった。食道楽、食通を自負。


90年代前半には、飲み食い(接待費を含む)にひと月平均7500ドルを使った。往時、僕の会社は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。





2010年12月6日月曜日

超美味い、オリジナル・チキンカレー




タイ料理のレストラン『チャンダラ』は、以前はハリウッドの東はずれにあったが、インターネットで調べたら、ウエスト・ロサンジェルスに引っ越しをしていた。


最初は、タイの友人に教えてもらったのが30年前になる。ランチで利用するなら超美味い、オリジナル・チキンカレーがお薦め。往時、日本のレストラン関係者と、チキンカレーを食べたら、原宿でやれば間違いなく繁昌すると言われた。今では渋谷あたりかな。


ハウス・スペシャルとして、ロースト・ダック、シーフード・ラッドナもお薦め。今迄に入ったタイ・レストランの中で、一番、滋味豊かなレストラン。


超美味い、オリジナル・チキンカレーに感動すること間違えなし。太鼓判。





NHK




NHKの番組『あさイチ』を見ていたら、「日本の美、紅葉」と画面に文字が出た。僕は、晩秋の美、紅葉と間違えているのではないかと思った。


北米、欧州あたりでは、日本よりもダイナミックな紅葉が見られる。日本では紅葉で有名なところに、京都の嵐山がある。アメリカのノースイーストに行けば、日本の100倍以上の紅葉が満喫できる。


話は変わって、作詞家、星野哲郎さんが亡くなったと、NHKのニュースで報じられていた。アナウンサーは詩人、星野哲郎と言いましたが、そりゃ、広い意味では詩人かもしれない。僕の個人的な意見として、作詞家と詩人とは全く別だ。作詞家は職業として成り立つが、詩人は成り立たない。





2010年12月5日日曜日

KFCよりも美味しいフライド・チキン




奴隷時代、白人の主人が食べ残した料理を、もう一度焼き直して或いは揚げて、料理をし直した物をソールフードという。その代表としてフライド・チキンがある。


ロサンジェルスで美味しいフライド・チキンと言えば、何といっても『ロスコ’ズ・ハウス・オブ・チキン・アンド・ワッフル』。(Roscoe’s House of Chicken and Waffles)日曜日の午後になると、教会帰りの黒人たちのたまり場となる。LA近辺に5店舗ある。


スパイシーなフライド・チキンが、お好みの方にお薦めなのが、ケイジャン風『ルイジアナ・フェイマス・フライドチキン』。(Louisiana Famous Fried Chicken)僕は30年前に最初に食べた。その感動が未だに忘れられない。外側はカリッとしていて、中身はこの上なく、ジューシー、噛むと肉汁がしたたり落ちる。カリフォルニアを中心に90店舗点在している。





2010年12月4日土曜日

スピーチセラピー




術後、二か月が過ぎた。スピーチセラピーのお陰で、徐々に食べやすく、飲み込みやすくなりました。喋り方もほんの少し、滑らかになったような気がする。何はともあれ、イエス様に感謝。


来年までには、相当改善しているだろう。食事制限も終わって、ご馳走を食べやすくなって頂けることでしょう。





スカッと爽やか




食事制限の一部を伝える。海で獲れるものは一切だめ。即ち、魚介類、海藻。海で獲れた加工食品、カマボコ、ちくわ、たらこ、干物も駄目だ。


調味料は胡椒だけは良い。はちみつも良い。ニンニクも良い。飲み物は乳製品が駄目。以外と思うけれど、コカ・コーラは許可が下りた。


コークを飲めるのは救い。スカッと爽やかコカ・コーラ。





2010年12月3日金曜日

鮨屋のかんぱち




ロサンジェルスで、リイーズナブルかつ美味い鮨屋が『かんぱち』だ。ここ店の板前は、日本より召集されている。銀座の『かんぱち』の姉妹店である。


場所はガーデナ。アーテジアとノーマンディーのコーナー、ゲイトウェイ・プラザにある。ネタの大半は築地から空輸で仕入れられる。ビバリーヒルズの鮨屋で同じものを食べたら、値段が三倍はする。


カウンターに座れば、僕は最初に酒の肴を注文する。特製いかの塩辛、なれそれ(アナゴの稚魚)の空揚げ、生湯葉の刺身。


僕が好きな鮨ネタは、春であれば子持ちの蝦蛄(しゃこ)、鯛、さよりetc。それから、しんこ、かんぱち、ひらまさ、トロ、あなご、赤貝のひも、青柳、貝柱へと続く。赤貝の肝は、後ですましにして飲む。


最後の閉めは鉄砲、かんぴょう巻きに山葵を入れて巻いたもの。僕が腹いっぱい食べて、飲んで150ドル。ネタよし、味よし、値段よし。




鮨屋のかんぱち
1425 W. Artesia Blvd. #27
Gardena, CA 90248
TEL: 310–515–1391





2010年12月2日木曜日

ダックハウス




LAのダウンタウンから、車で東へ15分行った所にモントレーパークの街がある。この街にあるのが、北京ダックの専門店、その名を『ダックハウス』と言う。


LAの殆どの中華料理店が、饅頭の様なBanを使う広東風。『ダックハウス』は、薄い皮で巻く北京スタイル。


僕は小人数で行くので、北京ダックとスープしかオーダーをしない。スープはシーフード蟹肉入り冬瓜スープ。お腹がすいたら、シェフ・スペシャル・チャーハンを注文する。


北京ダックの身は瑞々しく、皮はこの上なくパリっと仕上がっている。病みつきなること受け合い。


珍しい美味なるメニューが沢山あるので、レストランのホームページで、下地をつけて行くとよい。








以前にも書いたが、闘病生活に入って本を読まなくなった。目が疲れるのだ。インターネットであれば、文字が拡大できる。本は、そのような訳にはいかない。虫眼鏡を片手に読むが、限度がある。


大病して更に集中力が無くなった。食事制限も影響しているのか分からない。





白い時




愛する人よ


いとおしい子よ


壊れた愛よ


ぼくは 今


さびしくて


さびしくて


たまらない


 


まだ見たことがない


白の白い世界には


真実だけが存在している


 


この上なく柔らかい


白い白の時空には


愛のさざなみが


ぼくのすべてを白よりも白くする


 


ああ


白き愛を感じる時なのか


祈れる白い世界


白い時よ


 





加川文一の散文を読んで── 文一が標榜している「具躰」をどのように解明すればよいのか ──




加川文一は人生が面白いように、人間が面白いように、また、生活が面白いように詩は面白い。と、随筆集『置時計』のなかで綴っている。そして文一は、面白いとは、ものの具躰にふれて心を動かされた時の、こころの状態である。と釈義している。


文一は詩作に興じる時の心得として、具躰というものを非常に尊重していたようである。詩は一見抽象的であるが、優れた詩の特徴は、美の具躰を追求して止まないと断じている。而して文一は、美の追求には凡そ二つの道があるようだと述べている。即ち、一つは知性によるものであり、もう一つは感性によるものであると道破した。


文一は物事の本質を捉えることによって、具躰の叫びと真実の在り方を突き止めようとしていたのであるが、文一が主張している「具躰」というものについて、私は些か合点が行かないのである。


具躰とは、即ち抽象の対義語となる具象のことであるが、例えば、文一が活躍していた二十世紀半ばのリアリズム(自然主義)は、極美であるとか真実の写実を追求するだけでは、創造性を欠落させていると思われた。


従って本来の「具躰」というものは、対象となるモティーフやテーマを思惟活動によって解体分析しながら、その本質をつかむための抽象行為を行なわなければならない。そしてさらに、抽象化された表現を損壊しながら、もう一度、具象性を注入するのである。端的に言えば、具象→抽象→再具象の手法によって、より深みのある創造が表白されるのである。


次に、知性と感性についての問題であるが、前文に記しているように、文一は美の追求には凡そ二つの道があると述べているが、その二つが知性と感性である。文一は前もって凡そと断りを入れているが、私は美の具躰を追求しながら、詩を吟じる上で不可欠なものの一つに、形而下に属しているかも知れないが、「直観」(インスピレーション)というものをもう一つ付け加えておきたい。


文一はまた、難解な詩のことを独り善がりの安易を示していて、詩とは凡そ縁の遠いものである。と強く非難している。比して表面解りやすい詩こそが、読者を深淵の前に立たせるのであると喝破するのであった。


文一の詩の定義は、畢竟するに具躰を追求することによって、より明解な詩が描けるが、抽象は難解であって、晦渋な詩は本質的にはたわいのないものであり、芸術とは無縁であると言うのである。


どうやら文一には具躰のなかの抽象、あるいは具象から抽象、そして再具象の観念が把握されていなかったようである。


同じく『置時計』(随筆集)のなかの一節で、文一は「知性」の概念を明らかに曲解している箇所がある。文一は「知性」の究極は超現実であると説いている。文一が言わんとしている超現実の意味が、今一つ良く理解できないのであるが、それがシュールレアリズム(超現実主義)であるとすれば、謬見も甚だしい。


文一は師と仰ぐウヰンタースの初期の作品にふれて、詩人とはかくあるべきものであると断言しているが、私はその一句を読んでみて戸惑いを隠せなかったのである。


 


吾は眼をもたず


吾が一撃は狂はず


 


ウヰンタースの詩の一句は、言わば文一の座右の銘である。けれども「吾が眼をもたず」という言辞の意味は、「具躰」を否定することである。また、眼をもたずして一撃に狂いがないということは、「知性」をも打ち消していることになる。


文一はホイットマンやエマーソン、そしてポーやブレイクといった米国及び英語圏の詩人の作品を主に味読していたようであるが、ボードレールやリルケ、そしてヴェルレーヌやランボーなど、欧州のデカダンスの詩人たちによる作品からは、殆どといってよいほど影響は受けなかった。情報の乏しかった往時の時代背景や、翻訳書の寡少な時世において、十四歳でカリフォルニアに渡ってきた文一においては、英語圏の、取り分け米国の詩人たちに深く興味を抱いたに違いない。


また、具躰をしっかりと捉える文一の詩業は、イェイツに私淑していたからこそ継承できた術なのであろう。このように考えると、文一の散文のなかで遭遇する詩論的境遇は、文一の周辺ではかなりヒップであったのかもしれない。


文一の詩を読み、しみじみと味わってみる限り、日常の何でもない具躰をしっかりと捉えていて、淡々と媚びながら読者を惹きつけているのである。この一種のメソッドこそが、一度捉えた具躰を凝縮したり、破壊した後に、観念的な普遍の眼でつかまえておいてから、再び具象の仕事に入って行くのである。この表現方法には、文一自身も気づくことはなかったのであるが、詩人、加川文一は、無意識のうちに自我の前に、人工的に緻密な「霧」(眼力)を投げていたのである。この「霧」こそが、具躰を超越している概念であり、具躰を凝視するための抽象であった。


従って文一が否んだ思弁的洞察は、詩作の段階で瞬時に反芻されてしまい、詩人の魂は鋭く、美の「具躰」の追求へと移行していくのである。





2010年12月1日水曜日




いろはかるたには『江戸かるた』と『上方かるた』の二種類がある。


『江戸かるた』の「い」は、「犬も歩けば棒にあたる」


『上方かるた』の「い」は、「一寸先は暗(やみ)」


『江戸かるた』の「い」の図柄は、棒に当たった犬が痛々しい顔をして、


キャンと鳴いている。


「犬も歩けば棒に当たる」とは、でしゃばるから禍に遭う。または反対の、


出歩いていて意外な幸運に出くわすこともあるの意味。その時の状況に応じて


使い分けていたが、近年では積極的に行動すれば道は開ける。と言った


意味で使われることが多い。


 


 


クイズ


(その1)


馬の耳に念仏、猫に小判、猫に石仏、牛に経文、豚に真珠、


これらの意味は「値打ちの解らないこと」である。


次の四角の中に文字を入れて俚諺を作りなさい。 犬に□□


 


(その2)


柴イヌと読むのか、柴ケンと読むべきか? 犬種によって呼び方が違う。


イヌとケンの区別をしなさい。


 


柴犬、土佐犬、秋田犬、北海道犬、紀州犬、樺太(カラフト)犬


 


 


【答え】


(その1)犬に論語


 


(その2)イヌ・・・柴犬、秋田犬、土佐犬


ケン・・・北海道犬、紀州犬、樺太犬


* 例外もあるが、基準として日本産犬種は「イヌ」、外国産犬種は「ケン」


 


 


 





2010年11月29日月曜日

俳句 2010 秋 3




1. 闘病者昔のロックに涙する


2. お弁当とりどりの笑顔あり


3. 目をつむり見えるのは真実の愛


4. 生家には思い出ずくし万華鏡


5. 食いしん坊グルメ三昧秋の夢


6. 閉じこもり神が与えた休みなり


7. 椿の実手かせ足かせ主の恵み


8. 絶望もイエスの恵み秋晴れに


9. 御言葉を読んでみたいなすらすらと





2010年11月28日日曜日

イエスを信じホトトギス




いよいよ、ホリデーシーズンに突入した。僕はのんびりと静観の構えだ。ジョイと江美子は、毎日忙しくしている。


病気になる以前は、雑事に追われて忙しかった。この季節になると、プレゼントを何個も買わなくてはならない。プレゼントを買う人の、名前を羅列したリストを持って、ああでもない、こうでもないと独りごとを言って、師走の街を奔走しなければならない。それも、また楽しい。


イエス様の誕生日の日に、プレゼントを交換しなければいけない道理が分かりませんが、子供たちの喜ぶ姿が、つい、見たくて、毎年親戚の子供たちにプレゼントを配る。


僕の友達に15歳の男の子いますが、未だにサンタクロースがいると信じて疑いません。今時、この様に純粋な少年は滅多にいません。


最近、つと、正岡子規の事を考えることが多くなりました。NHKのドラマ「坂の上の雲」の影響かも分かりません。子規は死を迎えるまでの約七年間は、結核を患っていました。もう一度『病床六尺』を読み返してみました。子規は病床六尺の世界を、私には広すぎると言いました。


僕が大病をしてみて、子規の胸中を察することができました。僕は強がりばかりを言う。子規は思いのままを伝えている。実に尊敬に値する文学者である。僕は若い頃から正岡子規先生に私淑していたのだ。


結核は喀血することから、ホトトギスは血を吐いて死ぬので、俳号を子規(ホトトギスの別名)と名乗った。


僕も喀血したことがある。救急車で病院に運ばれて、直ちに手術。口から溢れ出る血液は、もう、これで最期かと思いました。


 


「喀血しイエスを信じホトトギス」





許し




友人と、ある問題で意見が対立した。私はその友と、膝を突き合わせて、じっくりと意見交換をするつもりでいた。けれども残念なことに、その友は弁護士を通して、高飛車な手紙を私に送りつけてきたのだ。


止むを得ないので、私も弁護士を立てて対応すると、今度は私の悪口を世間に吹聴し始めた。挙句の果ては、悪徳弁護士と結託するや、友は事実を捏造して、私の自宅に警察官を二度に亘って急行させるという、実に卑劣な手段に出た。


最初から私の方が正しいと確信していたので、その証拠となる書類と写真を、自宅に乗り込んできた警察官に見せると、彼らは呆れ返って退散した。やがて友の弁護士も、私が所持しているエビデンスを閲覧すると、恥ずかしくなってしまったのか、友の弁護人を辞退した。


法廷では、友は敗訴した。最初に話し合いをしておけば、このような結末には至らなかった。友は傲慢で、やくざとの係わりがあり、麻薬常習者で、檻の中に収監されたことがある。そして現在でも、世間には公表できない、ビジネスのオーナーでもある。


私が友と接触してきたのは、伝道のためであった。何はともあれ、友に立ち直ってもらいたかったからだ。結局、後ろ足で砂をかけられて、無駄な時間と、弁護士、裁判のための諸経費など、約一年の間に合計六万ドルを支払った。まったく、頭に来る。


それでも、私は友を許そうと思っている。自分も神様から許されて、恵みを受けているからだ。





2010年11月27日土曜日

夫たる者よ




パトリック・マケリゴット著(いのちのことば社)の『夫婦の愛が築く、子どもの未来』を読んだ。本の扉を捲った表紙には、著者の直筆のサインがあるので、家人が講演会の折に買い求めた本であろうかと思う。


マケリゴット牧師は、正しい親子関係の築き方について、日本全国から講演の依頼が絶えない。けれども、マケリゴット牧師が声を大にして語られることは、家庭を祝福させるのは親子関係ではなく、むしろ夫婦関係であるという。


マケリゴット牧師は「エペソ人への手紙」を引用しながら、聖書に書かれている順序を見ても、先ず、夫婦関係を正してから、親子についての記述に触れていると説明している。


「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。」(エペソ5:22)


「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ5:25~27)


「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。」(エペソ6:1)


マケリゴット牧師は、聖書の順序は偶然ではないと説く。即ち、順序さえも教えであると覚えるべきなのだ。


マケリゴット牧師曰く、「まず、夫婦を正してから親子について語る。実際には夫婦も親子も同一と考えるべきです。本当に良い夫婦関係を見ながら育っていく子供は祝福されて、親の誇りとなる可能性が多いのです。」


「キリストが教会を愛したように、夫は妻を愛しなさい」(エペソ5:25)という御言葉は、目で見、耳で聞くような表現が伴ってくる愛であるべきだ。とマケリゴット牧師は力説している。従ってマケリゴット牧師は年に数回、一輪の赤いバラを夫人にプレゼントするらしい。プレゼントをするタイミングは、夫人の誕生日やクリスマスといった特別な日よりも、むしろ普通の日を選んで、一輪のバラの花を夫人に手渡すそうである。


この話を聞いて反論するのは、中年以上の日本人男性である。「あの赤いバラの話だけは水臭いと思いました。日本人はあのようなことがなくとも、仲良くできます。夫婦関係が充実しています」。


この意見に対してマケリゴット牧師は、「女性の心を全く知らない鈍感な人」だと思ったらしい。何故ならば「しなくてもいい。しかし、しなくていいからこそ、してくれるときには嬉しさが倍増する」。これが世界共通の女心であると、マケリゴット牧師は弁明している。


私は、愛とは表現が伴う行為であると強調しているマケリゴット牧師の言葉が好きだ。何故ならば、神が罪人たる人間に対して、一方的に恩寵を与える自己犠牲的な行為は、磔刑と復活という感極まる表現行為を抜きにしては語れないからである。アガペー(神の愛)は、このような大胆な表現を通して、真実の愛を伝えようとしたのではないか。


私の好きな慣用句に「愛に愛持つ」というのがある。即ち、愛敬(あいきょう)たっぷりに振舞う行為のことであるが、女性や子供たちが、全身でかわいらしくにこやかに表現すると、愛に愛持つほど愛くるしいという意味である。


一昔前に、私は或る活字媒体に、「父親の一言によって日本は変わる」といった内容のエッセイを発表したことがある。厳密には一家の大黒柱である父親の一変によって、夫婦関係が、はたまた親子関係が向上すると説いた。そのためには父親の勇気と忍耐が不可欠である。家庭の事情は千差万別であるから、一概にそうとも言いきれない。だが、その勇気と忍耐を継続させたならば、必ずや家庭の環境が好転するに違いないと信じたい。


 父親の一言とは、照れやプライド、そして強情な思いをかなぐりすてて、細君や子供たちに「おはよう」から「おやすみ」まで積極的に挨拶の声をかける。何かしてもらったら相手の目を見つめながら「ありがとう」の一言を発することである。


日本の男性は愛情表現が苦手である。夫が妻に面と向かって、「愛しているよ」と、平然として囁ける者は少ない。「いまさら。キザだ。口に出さずとも解り合っている」。などの意見が聞こえてきそうだ。


けれども知って頂きたい。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。(ヨハネ3:16)


この、神の慈愛は、一人子を手放してまでもこの世を愛されて、永遠の命というこの上ないプレゼントを持って、罪びとたちを救恤するためであった。この至上の愛に始まり、キリスト再臨の天啓まで、目で見、耳で聞くような、豪胆な表現が伴ってくる究極の愛なのである。


従って夫たる者よ。主にみならって、雄々しく豪胆であれ! 妻や子供たちに、そして隣人に対しても、目に見えて耳に聞こえるような愛の表示を、大胆に振舞おうではないか。


愛の伝達を十分に活用させるためには、他者に対して、愛を伝えるべく表現が伴う行為でなければならない。 


 





2010年11月26日金曜日

グッドジョブ




本日、病院のスピーチ・セラピストの所に行って来た。第一部は、食べづらい、飲み込みにくさを矯正する口と舌のエクササイズ。


第二部は文字通り、声が滑らかに喋れるように訓練する。日本人の先生であれば、上手にやっても中々褒めてくれない。ここはアメリカ、グッドジョブの連発。


毎日二回以上、口と舌を動かすエクササイズをやってくださいと、最後にドクターに言われました。


 





2010年11月25日木曜日

困ったものだ





心理学の本を読むと、人間は周囲の環境から影響を受けて行動に出る。と要約されてあった。


例えば若い時分に結婚をして、子育てに四苦八苦するよりも、晩婚である方が、生まれてくる子供にとって、より良い生活環境が望めるという。


その理由は、経済的にもゆとりが出てきた、人生経験を積んだ両親の方が思惟的であるからだ。


このように人格は、DNAから受け継がれて形成されるものではなく、四囲の外界によって確立されていくらしい。「三つ子の魂百まで」というが、乳幼児期に体得した習慣は、終生忘れることはないのだろう。


幼いうちに習わしておきたいことの一つに、読書の習慣がある。読み聞かせと、詩や物語などの銘記は極めて肝要であると思う。ストーリーや活字を追うことだけに専念せずに、文脈の間隙をじっくりと読ませるように心がけることだ。これこそが情操教育なのである。


先ごろ、トルストイの童話集を買い求めたが、解説のところを読んでみて、些かがっかりとさせられた。児童文学を研究している大学教授が、トルストイの文学は人間愛に基づく人道主義に貫かれている。と語っていたからである。


人間愛に基づく文学作品をひと言で表現する場合に、人道主義が貫かれているというのは、あまりにも概念的で表象的ではない。この場合は少なくとも平等な相愛、もしくは博愛主義が望ましい。


少なくともと前置きをしているのは、例えば汎愛主義であると解説書に明記されていたとしても、完璧な解説には至らないからである。


『人は何によって生きるか』、『イワンのばか』、『パンのかけらと小悪魔』など、トルストイの一連の文芸作品には、キリストの愛が色濃く貫かれているのだ。と断言しなければ、的確な評釈として認めるわけにはいかない。


毎月、第四土曜日は『こどもの本の日』。昨今の絵本や童話を閲覧していると、不完全な文意に度々遭遇する。困ったものだ。





2010年11月24日水曜日

格別な計らい




昔から「氏より育ち」と言われているのは、人間は氏素性(うじすじょう)よりも教育が大切であり、血統よりも境遇が人格を形成するからである。従って八歳ぐらいまでの情操教育は枢要な位置を占めている。


幼い頃に身につけた習慣は、「雀百まで踊り忘れず」、「三つ子の魂百までも」、「源清ければ流れ清し」、などの諺でも表現されているように、老年になっても退歩することがない。乳幼児期に規則正しい習慣を体得していると子供と、そうでない子供とでは、小学校に入学する頃から、その違いが歴然として表れてくる。


幼児期に机の前に座る習慣を怠り、絵本の読み聞かせや読書(音読)、簡単な算数、そして創造力の開発と自主性、更には自己表現の能力を培わない懶惰(らんだ)な生活を続けていると、取り返しのつかないことになってしまう。


よく耳にする話しだが、小学校高学年や中学生になってから、「うちの子供は全く勉強してくれません。どうすればよいでしょうか」と、悩みを打ち明ける父兄を見受けることがある。これらの子弟は、幼児期に机の前に座るという習慣を学ばされないまま育って来たに違いない。


今、教育問題について、熱心に取り組んでいる研究者の殆どが、同一問題で警鐘を乱打している。それは小学生から学ぶ英語の学習だ。文部科学省では国語の授業を削って、英語の授業を増やすことを容認している。


米国には数多くの日本人の子弟が、英語学校を始めとして専門学校や大学に留学している。また、日本国内に於いては、学力の低下が叫ばれて久しい。留学生は英語力を培うことを第一の目標に掲げているのだが、それ以前に、彼らの日本語(国語)能力は惨憺たる物である。


母国語である国語を疎かにしておいて、外国語(英語)を修得しようとする心構えは、実に愚かな話しである。その点に於いて、中国人やフランス人は母国語を誇りに思っている。その美しい言語と語勢で、母親が子供に読み聞かせをしている。何と素晴らしいことだろう。


幼児教育に於いて最も肝要なことは、読み聞かせと音読、そして簡単な計算である。特に音読と計算は、老齢にいたるまで継続することによって、脳の前頭葉を活性化してくれるという。近年、痴呆症を予防するために、或は緩和させるための治療方法としても脚光を浴びている。


読み聞かせと音読、そして簡単な算数を毎日欠かさずに行うことによって、幼児の能力開発に寄与することは、世界的に著名な研究者や教育関係者の間でも、今や常識となっている。従って、小学校や中学校で実践している現代の学習方法は、明らかに誤謬を極めていることになる。


公文(トーレンス)の西尾誠一郎先生の講演で知り得たことだが、音読に最適な言語は漢字であり、漢字にひらがな混じった文(日本語)は、脳を刺激する上で世界最上といわれている。これらのことを証明する一つとして、脳障害児の治療と幼児の才能開発で世界的に権威のある、グレン・ドーマン博士が、世界中から集まってくる脳障害児に対して、漢字を用いた治療方法をいち早く取り入れている。


私は、音読の大切さを常々理解していたが、絵本にしろ童話にしろ、闇雲に子供に本を与えるのではなく、先ず親が十分に書籍の内容を吟味してから、良書のみを子供に与えるように心掛けてほしい。この図書の選択は非常に重要なことであるので、怠らないで慎重に取り組んでいただきたい。


一例を挙げると、同じタイトルの絵本でも、表現が軽率であるものや、て・に・お・はなど、文章が不適切な場合がある。更に翻訳された童話になると、これらの不備は数多であるからだ。


音読をするにあたって、絵本も童話も小説も、散文が中心となっている。私が声を大にして述べたいことは、韻文の音読である。日本には短歌や俳句という素晴らしい定型詩が存在する。韻文は子供の感性と創造力を育み、集中力を高めてくれるのである。


私には、五歳の娘が一人いる。二歳から始めた英才教室では、聖愛幼稚園の藤村俊次園長のご指導により、ひらがなからではなく、漢字を銘記することから学習が始まった。更に諺、俳句、百人一首を記銘すると、保持して再生する訓練を怠らない。


当初は、大人ですら難解な百人一首を、幼児が暗誦できるものかと不安であった。けれども、英才教室に参加して四年経過したのであるが、娘は諺と小林一茶や松尾芭蕉などの俳句を、二百十句丸暗記してしまった。そして百人一首は、ようやく半分(五十)まで暗誦を終了させるにいたった。これらの学習は英才教室の一部であり、定型詩の音読は銘記することが目的ではない。あくまでも記憶の回路を幼児の脳に構築するための研鑽である。


ところで老若男女が音読するにあたって、世界最高の図書をご存知だろうか、それは言うまでもなく、漢字とかなのまじった日本語の『聖書』である。聖書には詩と散文が織り成されている。しかも法律の書、歴史の書、預言書、手紙の数々、そして福音書の集大成だ。


神様は日本語という格別な計らいを持って、私たちを愛して、愛して、愛して…… これでもかと愛してくださっている。


 


 


 





キングス・フィッシュ・ハウス




僕の家から車で20分の所に、『オーシャン・アベニュー・シーフード』よりも安価なレストランがある。味は全く同じだ。元々シーフードは高いのであるが、家の近くにあるのと、やや価格が安いのに心が引かれて年に数回は赴く。


レストランの名前は『キングス・フィッシュ・ハウス』。僕は何時もオーダーをする物が決まっている。先ずは、アペタイザーにオイスター、クラム、シュリンプ、クラブが入いている、コールド・シーフード・コンボ。サイドにカラマリ、メインにチョピノウ。


ブランチは至る所にあるので、レストランのホームページを参考にされるとよい。





おせちで学生時代を思いだす




Jalshoppingam.comを見ていたら、母へ年末におせち料理を送りたくなった。それと言うのも、ウェブを見ていたら、僕が学生時代に年に一、二回大学規模で宴会を催した料亭が、ウェブに掲載されていたからだ。


懐かしくなって、京都『涌泉閣』のおせち料理を、母に送って見てはどうだろうかと考えた。掲載されてある中で『涌泉閣』のおせち料理は一番安い。それでも、三段重箱で185ドルもする。


僕が学生の頃に、文芸部を創部して同人雑誌発行した。先生に原稿を貰いに行く段階になって、先生が原稿を書くのを忘れたと言い出した。締め切りはすでに過ぎている。僕は困り果てた。


僕の困り果てた様子を見かねて、先生は学校の傍にある喫茶店に僕を呼びつけて、原稿をすらすらと書くのである。一時間位、絶え間なく執筆している先生の姿に、僕は感動を覚えた。


当時は、鷲田清一先生は講師であったように思う。たまたま、文芸春秋を読んでいた折に、鷲田先生が書いておられたコラムの記事の傍に、大阪大学教授と肩書があった。


僕は鷲田先生から哲学を学んだ。授業中に何度も見識の相違から、論議を幾度もやったこともある。僕は、おせちで学生時代を思い出した。





愛餐会




教会の愛餐会(昼食)の時に、日本から来た若者と話をした。


「ユニバーサル・スタジオに行きたいのですが、道順を教えてください」


僕は若者にユニバーサル・スタジオの行き方を教えた。


 


「ユニバーサル・スタジオに、キューバ料理のレストランあると聞いたのですが、ご存知ですか?」


「それだったら、ユニバーサル・シィテーウオークにあるよ、ヴェルサイユって言うレストランでしょ」


「日本にいる時、たまたまロサンジェルス在住の人のブログで見まして」


「それって、ひょっとして帰って来たひつじゃない」


「それがどうかせれましたか」


「僕のブログや!」


 





ミミズ




フラスコの中には、俺が生きていける分だけの酸素と水、


それから塩と缶詰があればよい。


 


俺はまず、起きたら食べる。


そして考えて、考えて眠ってしまう。


俺は再び起きる。食べる。


 


考えて、考えて疲れて眠ってしまう。


来る日も、来る日も、俺は目が覚めたら、考えて、考えて煩悶する。


そして眠る。


 


俺は、きょうも起きなくてはならない。


俺は、きょうも食べなくてはならない。


俺は、きょうも考えなくてはならない。


俺は、きょうも眠りにつかなければならない。


 


限られた資源と食料を与えられて、この小さな空間に


どうして、俺は生きなくてはならないのだろうか。


 


俺は生きる。


その代り食べたくない。考えたくない。目覚めたくない。


俺は死なない。眠りつづけるのだ。


 


俺はガラス張りの向こう側を拒絶した。


 


俺は眠り続けるのだ。


フラスコの口の穴から恵まれた、僅かな土のなかで、


俺はひたすら眠り続けるのだ。


 


ある日、ふと思った。


俺はミミズになってしまったのか、それともミミズだったのか。


 


時折、細長い肢体をニューバネビビロバーン、波打ちながら


俺は、もう何も考えない。


 


ガラス張りの向こう側からは、もう一人の俺がニューバネビビロバーン


「こいつ まだ生きていやがるぜ」


冷笑している。


 





詩のコンテスト




北カリフォルニアに、若林道枝さんが主宰する同人誌『短調』がある。若林さんが語るにはサンフランシスコで、去年末に日系新聞二紙が廃刊になったという。


毎年恒例の懸賞文芸も無くなり、文芸の発表の場を失った日系人達に、若林さんは憂慮して『短調』で、文芸懸賞を企画した。


新年『短調』ポエム・コンテストと題した、詩の懸賞コンテストは2011年1月の発表である。僕は審査委員に選ばれた。


十一月三十日締め切りで、選考は十二月中旬に行われる。僕は今から楽しみにしている。





ジャンケン




最近の子供たちのジャンケンのやり方を見ていると、まず、「最初はグー」で呼吸を斉えておいてから、ジャンケンポンが始まる。


関西では「ジャンケン」のことを、「インジャン」といったりする。このインジャンなるものは言うまでもなく、勝ち負けを決めることにあるのだが、本来は結果よりも、その過程を愉しむことにあったのだ。


牽制(けんせい)、後出し、待ったをかける、両腕をねじって両手の穴の隙間を覗くこと等、これらの駆引きを通して、互いの心の触れ合いが深まっていくのである。


今は亡き上方漫才界の大御所、中田ダイマル、ラケットの漫才のネタに、ジャンケンを取り扱っているのがある。相手がチョキを出して自分がパーの場合でも、「ぼくの勝ちや!」と、開き直る。理由を聞けば「ぼくのパーは鉄板だ」という。


ジャンケンは遊びを始める前の鬼決めや、先攻か後攻かを決めるための一種の籤(くじ)であると同時に、ジャンケンそのものが既に遊びの一部となっている。


私は「最初はグー」で始まる、この官僚主義的ジャンケンの習慣に嫌悪を催すのだ。ジャンケンを始める間際に、「最初はグー」でタイミングを斉えておくと、確かに後出しがなくなる。けれども、そこには人間臭さも、人生の醍醐味も、そして何よりも遊び心が消滅してしまっている。


「最初はグー」以前から流行り出していたジャンケンで、「あっち向いてホイ!」というのがある。あるテレビ局のディレクターの話しによると、これを最初にやりだしたのが萩本欣一さんだそうである。


じつは、この「ジャンケンホイ、あっちゃ向いてホイ!」なるネタは、33年ほど前に大阪のテレビ局で始まった『脱線スカタン選手権』(吉本興業)という番組の中でのゲームが発端である。


いずれにしても、たかがジャンケンではないか、と思いきや、されどジャンケンである。「最初はグー」だなんて拍子抜けしてしまうが、つい思い余って、「グンカングンカン、はーれつ!」と叫んでしまいそうである。





黒いdeny




大陸の匂いのない国は、黒い太陽が平等を否定する。


百足(むかで)は悩む、赤い海も煩悶する。


コルクの部屋に閉じこもった原住民は、オレンジに値する。


地面から雨は降りだした、インカのなごり雪。


転落、苦悶、氷河期にハワイ島で遇う。


\線は光、黒い光は宇宙を闇に誘う(いざなう)。


 


岩にかじりつき、黒い雪を舐める。


山脈にかじりつき、黒いRefrigeratarをカジル。


Iは誰、積も何、これもオレンジに値する。


流れる川にはBlackに通ずる。


仮面舞踏会のPurpleは、空高く鳥ヨ沼に潜れ。


待ちわびた群れの群青(ぐんじょう)、朝焼け。


 


山葵(わさび)じかけのブイヨンは低い。


鼻から食べる鼻々は甘い。


樹々は芽を吹き、重油工場のタンカーはイエロー。


この否定は、蛇のようだ。


哺乳類の黒い否定、鋼鉄のCO2は生きている。


サウザン・島~ § カラスの死骸。


 





2010年11月23日火曜日

全米一美味しいケーキ




リトル東京のセントラルとセカンドに、美味しいケーキ屋がある。店主のミノルさんは、全米のケーキ・コンテストで優勝したキャリャの持ち主。


従って、アメリカ・ナンバーワンのケーキが味わえる。僕が毎回購入するのが、オレンジのスライスを上に乗せた「バレンシア」。ここのクロワッサンも芳潤な味わい。


店の名前は『フランセス』。僕とフランセスの巡り会いは、もう25年にもなる。一度味わってみる価値が十分ある。


Frances Bakery
404 E 2nd St., Los Angeles CA 90012
tel. 213-680-4899





貴之君の爪の垢でも




本日、感謝祭の合同礼拝があった。貴之君のお証しと、洗礼式がある。貴之君は首から下が不随だ。それでもアメリカに留学をしている。電動車椅子を操縦して、バスに乗って大学に通う。


幾つもの艱難を乗り越えて、絶望を体感した人間は強い。僕も貴之君の爪の垢でも煎じて飲むとよい。


 


「絶望もイエスの恵み秋晴れに」





癒し




ストローク(脳梗塞)、末期癌、おまけに癌は4ヶ所に転移している。


僕は病気のトリプルパンチに、みまわれている。


半身不随と言語障害も入れるときりがない。


 


なのに、なのに、僕は落ち込むことを知らない。元気だ!


イエス様の癒しを信じているから。


 





夜明けのステーキ




1980年代初頭、僕がアメリカへ来た頃に、ダウンタウンの安ホテルに投宿していた。その近隣にあったのが、ロサンジェルスでは老舗のステーキハウス、『パシフィク・ダイニングカー』である。


24時間営業である。70年、いや、80年近くも、一度も休んだことがない。僕はここで、夜明けのステーキをよく食べた。午前2時から6時まで、アルコール類は一切出さない。これは法律で定められてある。


従って、僕がステーキを食べる時間は、午前6時だ。冬季はまだ暗い。『パシフィク・ダイニングカー』のオニオンリンクは、リンクになっていない。切れ長の状態になっている。これがまた、ステーキとマッチして美味いのだ。


僕はその日の気分によって、フィレ、Tボーン、ニューヨーク、タルタル・ステーキ、リブアイの中から選ぶ。肉の焼き加減は、レアーもしくはベリーレアー。食前にブラディーマリーかボッカマティニーを飲む。たまに、バーボンを飲むこともある。


ロケーションは、ダウンタウンの西はずれ、6th(シックスス)にある。老舗だから、誰に聞いても知っている。



パシフィク・ダイニングカー
Welcome To Pacific Dining Car Restaurant





掌の小説 ― 蕎麦(そば) ―




私は今、アメリカに住んでいる。日本の蕎麦屋に勝るとも劣らない蕎麦屋が、私の陋居(ろうきょ)の近隣にある。


私は昼時に、よく蕎麦を食べに出掛けることがある。蕎麦の声を聴くために、蕎麦の香りを楽しむために、滋味な手打ちそばを食べるために、今日も、蕎麦屋に赴く。


店の中へ入ったとたん、つと、倭國(わこく)の風情を察する。蕎麦には数多くの品種があるらしいが、通常は夏蕎麦と秋蕎麦に大別されているようだ。


歳時記によると「蕎麦の花」は、季語が秋となっている。出盛りの蕎麦粉をこねて作る旬の蕎麦は、アメリカに住みながらにして、日本の爽秋を味わえる一品なのである。


箸でつまみあげた新蕎麦を、つけ汁に浸した瞬間から、めくるめく秋の声がほのめきだして、秋うららな故郷の錦絵が脳裏にたなびく。やがて三つ葉の青い香りが鼻孔へと漂い、瑞々しい香気が脳内に吹聴される度に、茹であがった盛りの蕎麦が、つけ汁の中で綯い交ぜになっている葱(ねぎ)と山葵と(わさび)と三つ葉のオラトリオが、最高潮に達する。


いよいよ芳しくもまったりとした舞踊の様な食感が、口の中に広がり始めると、喉越しの良い新蕎麦の風味に充足を覚えるのだ。


そして最後に、ほっと一息ついて蕎麦湯をすすれば、私の心持は藹々(あいあい)として来るのである。





許しについて(下)




つい此間、私はある人物から嘲弄されるという目に遭った。しかもその人物は、私の身辺の知人や友人に対して、根も葉もない事をでっち上げて吹聴するのである。私は、随分と質の悪い人間に係ってしまったことを後悔した。そしてその人物の、あまりにも卑劣な言動に対して、私はついに怒り心頭したのである。


人間、怒髪天を衝くと、人を許すなどという概念は消滅してしまっている。しかし、クリスチャンの末端に名を連ねている私は、神様に祈ることだけは忘れなかった。やがて日時が経過して、この問題について祈っていると、不思議と心が平安になってきたのである。


この人物は尋常ではないのだ。そうこうしているうちに、人格異常者に翻弄されている自分の姿が、恥ずかしく思えてきた。そしてイエス様が十字架上で語られた言葉が、私の脳裏に棚引いたのである。


私はそれ以来、その人物の悪い行いである罪を憎んで、その人物自体は心から許すことに決めたのである。そして何よりも、主が私と共に居られるという確信が、今まで以上に強く感受できたことは、忍耐と祈りによる紛れも無い勝利であった。


他者を許せないという思いは、許すことの出来ない自分自身を許してしまうことになる。私のような凡夫は、余人には厳しくて自己に対しては寛大である。けれども自己を熟知して、人間を知り尽くすということは、自己には厳しく余人には寛大であるべきだ。


「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)。この十字架上のイエスの言葉こそが、愛と寛容に満ちた真理の聖句なのである。


この世の紅蓮地獄に陥ってしまったフランクル(『許しについて・上』参照)は、どのような悲惨な状況に遭遇しようとも、沈着冷静な態度で物事を客観的に捉えている。まさに超人的な精神力の持ち主であるのだが、その体験を通して、数多の人々に大いなる感動と多大な影響を及ぼしている。


果たして、自分の人生を奈落の底へと突き落とした、憎むべき人間を、本当に心の底から許せるものだろうか…… 若干(そこばく)の疑問が湧いてくる。けれども、先にも述べた通り、人生のどん底にこそ神の真理がみなぎり、神の祝福に満ちていることは、先人の体験告白や「証し」を通して、私たちは周知している筈だ。


私がクリスチャンになったばかりの頃に、礼拝の説教でミス青森の話しを聴いて感銘を受けたことがある。多分有名な「お証し」なので、多くの読者がご存知であろうかと思うが、まだ知らない方々のために、記憶の糸をたぐって出来るだけ忠実に粗筋を組み立ててみたい。


さて、女性であれば、誰もが美しくありたいと願うのは人情である。その美しさを競い合う青森のコンテストで、Aさんはみごと優勝の栄冠を獲得した。しかし、この判定に強い不服を唱える準ミスのBさんは、ミス青森の美貌を妬むのであった。


後日BさんはAさんを待ち伏せして、卑怯にもAさんの顔に煮え湯を浴びせたのである。Bさんは警察に身柄を拘束されると、やがて傷害罪で服役することになった。一方、Aさんはというと、華やかなミス青森の栄誉から一転して、焦熱の苦しみに喘いでいた。


自分の一生をめちゃくちゃにされたAさんは、Bさんに対して、筆舌に尽くし難い憎悪の念に満ちていた。Aさんは千辛万苦を味わいながら、煩悶の日々に暮れる毎日を送っている。やがて時は経ち、AさんはBさんに面会するために刑務所へと向かうのであるが……


 遅かれ早かれ、Aさんが怨念をぶちまけに刑務所へやって来ることを、Bさんは覚悟していたのである。AさんはBさんと対面すると、しばらくの間Bさんの目を凝視した。やがて沈黙を破って、AさんはBさんに向かって、開口一番「ごめんなさい」と謝罪したのである。


耳を疑ったのはBさんである。きっとAさんは自分をからかっているに違いない。そのうちに罵声と嘲りが飛び交ってくる。と思うのだが、意外にも火傷を負ったAさんの赤らんだ顔が穏やかであった。


「Bさん、あなたを恨み続けてごめんなさい。私を許してください」。Aさんの目から涙が溢れていた。Bさんは信じることが出来ません。しかし、Aさんの言葉が真実から語られていることを悟ると、大声を出して泣き崩れた。やがてBさんは、心の底からAさんに謝罪したのである。


この事件を通して、二人はクリスチャンへと導かれて、友情を育むことになったという証しである。


二人にとって、このような不幸な事件に見舞われていなければ、おそらく神様と出会うチャンスは無かったのかも知れない。そして「愛」を超越したAさんの「許し」が無ければ、真の救いは得られなかったのだろう。


私はこの時、説教を聴きながら、Aさんこそが真のミス青森だと確信した。もはや容姿などは問題ではない。Aさんの生粋な心意が、限りなく美しいからだ。


「他者を許すこと」は、言うは易く行うは難しである。だが、御子イエスの愛を真剣に考える時に、必ず私の耳元でたおやぐフレーズがある。


「人は許すことを知らなければならない。まず自分自身を許し、つづいて広くみんなを許すことを」(『許しについて・上』参照


 


 


 


 


 


 





2010年11月22日月曜日

命拾い




僕が日本に住んでいたら、今頃は死んでいたかも知れない。末期癌で倒れたこと、日本はアメリカよりも癌治療が十年遅れていること、日本の医療費が高いことなどが挙げられる。


アメリカの医療費方が、べらぼうに高いのではないかと思われがちだ。アメリカには低額所得者向けのメディカル制度がある。従って医療費、入院費、薬が一切無料である。


僕が病気で倒れてから二年半までに使った医療費は、日本円に換算して7000万円は下らないであろう。幸いにも僕はメディカルを持っている。日本でもよく知られている抗癌剤、Nexavarは8000ドルもする。


アメリカで大病をすると、2000万や3000万円の貯金があっても、医療費の高いアメリカでは、一ヶ月も経たないうちに消えるであろう。


財産が無くなれば、メディカルに該当する。僕も微々たる蓄えを全部使ってしまったので、メディカルが適応される。


日本の医療制度で、7000万円ものお金が無償になりますか。アメリカに暮らしていたお陰で、僕は命拾いをしました。





椿の実




今日、教会へ行って来た。右半身不随の体を引き連れて、右腕右脚が、鎖が付けてあるのかと思うほど重苦しい。僕は青息吐息教会に赴いた。


 


「椿の実手かせ足かせ主の恵み」








四季の温度の感覚を季語でいうと、春は「暖か」だ。


夏の「暑し」、秋の「冷やか」、そして冬の「寒し」と比較すると、春の「暖か」には、ほっと、一息いれたくなるような安らぎを覚える。


「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり」。春秋をこのように歌ったのは道元である。


川端康成はこの歌を、ただ四つ無造作にならべただけの月並み、常套、平凡、歌になっていないと扱き下ろした。


この道元の歌は花鳥風月の究意だ。いや、川端康成の識見が正しい。俗人は双方の言い分に対して、うなずくばかりである。


古来の歌や句には、如実でたやすい内容のものが多い。それだけに奥が深いのだろう。


「春の海 ひねもすのたり のたりかな」。この平易な蕪村の句は、まるで風光るのどかな海が、目の前に広がっているようである。これぞ春の海だ。


「てふてふが一匹韃靼(だっぱん)海峡を渡って行った」。これは安西冬衛の『春』と題した一行詩の傑作。


韃靼とはアジア大陸とサハリン(樺太)島との間にあるタタール海峡のことであるが、日本では間宮海峡と呼んでいる。


てふてふが間宮海峡を渡って行った。これでは詩にならないが、中国名の「韃靼」に置き換えることによって、字面といい、音の響きといい、随分と優れた詩に変貌を遂げる。


「詩は裸身にて理論の至り得ぬ堺を探り来る。そのこと決死のわざなり」。これは宮沢賢治の詩論の一つであるが、美しく感動深い詩歌が閃くには、一筋縄では行かないようだ。


きょう、三月二十日は春分の日。天文学的には、きょうから春が始まる。


「暖かだ あたたかくなれ 懐も」


 


  新井雅之


 





精神力




体がしんどい。


元気が出ない。


外に出て行く気がしない。


教会にも行きたくない。


ただ、精神力だけはすこぶる強い。


イエス様からの恵みを感じている。





2010年11月21日日曜日

ウンチ




ママ見て


パパ見に来て


ジョイがバス・ルームから呼んでいる


 


「大きなウンチが出た!」


 


きのうも


きょうも


 


ジョイの元気な声が、わが家に響く


「大きなウンチが出た!」





2010年11月20日土曜日

中華料理 | エンプレス・パビリオン




ロサンジェルスのチャイナタウンに『エンプレス・パビリオン』という中華料理のレストランがある。ここの飲茶は評判高い。


先ず、お茶を注文するのだが、僕はプーアール茶に、菊の花を乾燥させた物をオーダーする。名前はコッポーという。


僕の定番はシュウマイ、ハウカウ、スペアーリブ、etc。ディナーは、もっと美味しい物が沢山ある。


先ずはアペタイザーにライブシュリプ、ダブルボイルド冬瓜スープ、北京ダック、フカヒレの姿煮、アサリのブラックビーンソース、シーフードチャーハン、ベビーリブ・ペッパーアンドソルト。


まだまだ美味しい料理が沢山あるので、料理の写真付きホームページを参考にしてください。


 





アナウンサーの間違い




合格発表は早春の風物詩である。毎年その時節を迎えると「掲示板の前では、一喜一憂する受験生の姿が見られました」と、各局のアナウンサーはその模様を伝える。


 そもそも「一喜一憂」、「悲喜こもごも」とは、情況の変化につれて、一人の人間の心境を表現するものであり、群集のそれぞれの「喜」や「憂」を表現するものではない。


例えば、「A君は受験に合格したが、祖父の訃報の知らせに一喜一憂(悲喜こもごも)の1日であった」というように用いるのが正しい。


このように言葉が間違えられて用いられていると、やがてその用語が正しくなってしまう場合がある。スポーツ観戦をしていて、実況担当のアナウンサーが「この試合は〇〇選手の独壇場(どくだんじょう)です」と解説することがある。


正しくは独擅場(どくせんじょう)と言うべきである。これは、独擅場の「擅」(せん)を「壇」(だん)と誤読したためにできた語である。現在では、読み間違って誕生した「独壇場」の方を、新聞や各放送局が採用している。


「この山は女人禁制(にょにんきんせい)です」と説明しているテレビのアナウンサーがいた。男子の場合は男子禁制(だんしきんせい)と読むが、女人とくれば禁制(きんぜい)と読むのが正しい。


山巓にある伽藍の中が映されると、「ここで礼拝(れいはい)をします」と、アナウンサーは説明した。


礼拝(れいはい)と読むのは、キリスト教のことであって、仏教では礼拝(らいはい)を用いている。従って仏教では、「明日に礼拝(らいはい)夕べに感謝」と読むのが正しい。





2010年11月19日金曜日

許しについて(上)




ソール・ベローの小説に『この日をつかめ』(Seize the Day)というのがある。私は、この小説の主人公、ウィルヘルムが語ったであろう陰の声を、時おり思い出すことがある。それはトミー・ウィルヘルムが、人生の極限状況の中で語られているフレーズである。


「人は許すことを知らなければならない。まず自分自身を許し、つづいて広くみんなを許すことを」


人を愛することは容易い。けれども、人を許すことは容易ではない。聖書の御言葉を引用すると、以下のように記されている。「すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。互に情け深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互いにゆるし合いなさい。(エペソ4:31~32)


私は、主を賛美しながら、いつまでも心の片隅に憎しみが眠っていることがあった。ふとした瞬間に、その憎しみが鎌首をもたげると、とにかく怒りがこみ上げてきた。「あいつだけは、絶対に許せない!」。私は心の中で、このように叫んでいたのである。


どうして人を許すことができないのか。と考えた末に、いつしか私は、ソール・ベローの小説の中で語られている言葉を思い浮かべるようになった。「はて、私は自分自身を本当に許しているのだろうか?」


神様がキリストにあって、私の罪を赦してくださったというのに、私はなかなか自分自身を許しきれなかったのである。そしてその延長線上に、人を許せないという気持ちが執着していたのだ。


さて、いっさいの悪意を捨て去りなさい。と聖書には綴られているが、この私においては、憤りの度合いに違いはあれ、怒りがよく芽生えてくることがある。これはちょうどパウロが、「わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである」と告白しているローマ人への手紙、第7章と類似している。(旧ラッパ・アゴラ『善と悪』参照)


次に、元来、人間の内面に潜んでいる善と悪の二重性について考える前に、ここでは、まず怒りについて考察してみたいと思う。


三木清は『人生論ノート』の中で、避けるべきであるのは憎しみであって、怒りではないと言い放っている。即ち、突発的怒りは純粋性、単純性を示し、習慣的憎しみは習慣的に永続する憎悪であると考えられるからだ。突発的怒りは、元来人間が抑えられるべき行為ではない。また、絶えず怒っているということは、連続した憎しみであると考えられる。


太宰治が、あの人(イエス・キリスト)を揶揄する短編小説『駆け込み訴え』の中で、私であるイスカリオテのユダに「怒る時に怒らなければ、人間のかいがありません」と語らせている。だが、カーライルの考え方は、怒りが爆発して争いが生じた場合、我々はもはや真理のためではなく、怒りのために争うことになるので、留意せよと促している。そして旧約聖書にも、「怒りをおそくする者は勇士にまさる」と記されている。


ここで再び、人を許すという行為に対して考えてみたい。今から35年以上前に遡るが、往時、15歳であった私は、極度の神経疾患に悩まされていた。私は煩悶の挙句、若気の過ちによって睡眠薬を多量に服用したのである。


幸いにして発見が早かったために、私は一命を取り留めた。その際に入院をした病院の主治医から、読んでみなさいと言って手渡された本が、フランクルの『夜と霧』であった。以来、この本は私の愛読書となり、座右の書となっている。


この本は第二次世界大戦の最中に、ユダヤ人としてアウシュヴィッツ強制収容所に囚われたフランクルが、奇跡的に生還するまでの一精神分析学者の体験が、赤裸々に綴られている。


ナチス・ドイツのオーストリア併合によって、フランクルと彼の両親、妻、そして二人の子供が拿捕された。アウシュヴィッツへ送られてからは、フランクル以外の家族全員が、ガス室行きを命じられて、次々に殺されてしまった。


正にフランクルの体験をして生き地獄とは、このことである。このような奇異な極限状況の中で、フランクルは人間愛について述懐している。「即ち愛とは、つまるところ人間の実存が高くかげり得る最後のものであり、最高のものであるという真理の烙印である」。


そして特筆大書したいことは、「一方(囚人)が天使で、一方(ナチス)が悪魔であると説明することはできないのである」とフランクルが説破していることだ。


私は、アウシュヴィッツにおけるナチス・ドイツの残虐な行為を、この世の地獄絵であると解していたし、囚われて殺戮された善良なユダヤ人に対して、哀悼の意を表さずにはいられなかった。もしも私が、フランクルと同じように、アウシュヴィッツの強制収用所に収監された囚人であったとする。そして自分の目の前で、最愛の妻と子供をガス室で殺害されたならば、きっと私は、狂い死にしていたであろう。


けれども、どん底に突き落とされて暗黒の辛酸を舐めなければ、見えてはこない、聞こえてはこない真実が存在していることも事実である。その真実とは神の栄光であり、神からの祝福なのである。


カソリックの信徒で作家の曾根綾子さんは、『夜と霧』の読書感想を以下のように述べている。たとえ自分をとりまく状況が、人間性からかけはなれたものであっても、フランクルは人間の善意がどのような人にも…… つまり彼らを苦しめる側にもあることを否定しない。「従って一方が天使で、一方が悪魔であると説明するようなことはできないのである」とフランクルは言い切る。この血を吐くようなたった一つの言葉でさえ、まだほとんどの日本人は自分のものとしていないのである。





シャープ アンド フラット




シャープさんは頭がシャープである。シャープさんは、今年百歳になる。


そろそろ老人ホームに入ったら、どうだとよく言われる。


いやいや、まだ私は頭がシャープだ。


 


ある日、シャープさんは、老人ホームにフラット表れた。





2010年11月18日木曜日

三人ともバラバラ




もし僕が言語障害でなかったら、右半身が不随でなかったら、末期癌だけであったなら、ジョイの学校への送迎と、勉強を見てあげることが出来た。休みの日には、公園でジョイと二人で遊ぶことが出来たのに。


 もしも、もしもと、悔やまれる。今日は、家族の心が三人ともバラバラだった。独りで苦しいひと時を過ごしたくない。


救いは、江美子もジョイも明るいこと、根に持たないこと、気分の切り替えが直ぐにできる。僕一人だけが暗い、そして根に持つ、気分の切り替えが出来ない。





2010年11月17日水曜日

サプリメント




新聞のコラムを執筆していた頃に、締め切りの時間が迫っても、何にも頭に浮かんでこないことがあった。そんな時、焦る思いを隠せなくなって、机の端をがりがりと音を立てて掻く思いに駆られた。


僕が病気で倒れるまで、新聞のコラムの執筆は13年間続いた。僕が健康であった時分に、新聞や雑誌に月に15本の連載を抱えていた。


詩、コラム、エッセー、小論文、文芸評論等、毎晩徹夜をして執筆をしていた。僕は健康管理にサプリメントを服用し始めた。


僕の体質は、一日でも徹夜しょうもなら、昼間は眠らずにいられない。サプリメントを飲み始めてから、一ヶ月も経ったであろうか、体調がすこぶる良い。徹夜しても眠くならない。三日間連続で徹夜しても平気だ。これには驚いた。


サプリメントの名前はUSANA。ネットワークでないと購入できない。僕が体験したUSANAの効果とは、アルコールをどれだけ飲んでも酔わない。二日酔をしない。


二年前から飲んでいるサプリメントは、Mannatech。同じくネットワーク。僕はこの、二つのサプリメントをベストだと信じている。


 


 





『こけこっこ』




リトル東京のセントラルとセカンドのコーナーにある焼鳥屋が、『こけこっこ』。午後5時半の開店前から、客が列を作って並んでいる。


肝、砂ずり、皮、軟骨、はつ、ぽんじり、白肝、何でもある。鳥のガラで取ったスープが、これまた美味。


朝絞めたばかりの地鳥を使用。夜には焼き鳥となって出てくる。僕は最後に鳥のそぼろご飯を頂く。居酒屋にして予約を取る。開店してから数分で満席になる。


ロサンジェルスへ来たら、焼鳥好きには一押しの店。一人平均30ドル。とにかく美味い。『こけこっこ』のホームページはありません。





赤いブルー




 部屋の中に独り閉じこもって


いつものように空想し始めると


ふと


自分の中に


背の高い


二等辺三角形の鳥を見ることがある


 


大観衆の青い空間にいたかと思うと


山脈の森の中で


ズゥンムズ


ズゥンムズ


女になって泣く


 


鳥を見たいのか


鳴き声を聞きたいのか


ぼくには分からない


 


ただ


部屋の中に独り閉じこもって


空想し始めると


背の高い


二等辺三角形の鳥は


女になって


ズゥンムズ


ズゥンムズ


 


赤く濡れる


 


赤いブルー     新井雅之


 


* バークリー音楽院の作曲科を主席で卒業したアーク佐野さんは、現在、西海岸を拠点にして活躍しているジャズ・ピアニスト。彼のファースト・アルバム『Let’s Listen To It』に収録されているオリジナル曲「Red Blue」は、「赤いブルー」の詩がモティーフとなっている。





ダジャレ




王様はダジャレが嫌いである。お付きの者に尋ねられた。


「梨が食べたい」


「梨はなし」


王様は不機嫌になられた。


 


王様は、


「スイカを食べたい」と、申されました。


お付きの者に訊ねました。


「このスイカは甘いのか?」


「甘いかスイカ分かりません」


王様は気分を壊された。


 


王様は、


「ブドウが食べたい」と、おっしゃった。


お付きの者が言いました。


「武道なら道場に行ってください」


王様は、頭にきました。


 


お付きの者が言いました。


「エビが食べたい」


王様は言われた。


「エビは栄養価が高い。ビタミンAB(エビ)」





2010年11月16日火曜日

関東 VS.関西




【東】                     【西】



○マル、×バツ        ○マル、×ペケ


じゃんけん-ぽん      いんじゃん-ほい


かみさん                 よめはん


粋(いき)                 粋(すい)


ものもらい               目ばちこ


目やに                    目くそ


おにぎり                   おむすび


会席                        懐石


三笠饅頭                  どら焼き


鰻の蒲焼                  まむし


肉まん                      豚まん


アイスコーヒー            コールコーヒー(レイコー)


駐車場                      モータープール


捨てる                       ほかす


パーマをかける           パーマをあてる


だるまさんが、ころんだ   坊(ぼん)さんが、へをこいた


ごきぶり                      油虫


ハジキ                        チャカ





2010年11月15日月曜日

青天の霹靂(へきれき)




今日、病院から連絡が入った。食事制限は来年の一月まで続けてください。ショク! 僕は遅くとも、あと一週間で終わる物と考えていた。


 調味料が一切だめ、味気ない食事が後二ヶ月以上も続かと思うと、やり切れない。食べることが楽しみな僕にとって、由々しきことである。


食事制限を始めてから、半月で3キロ痩せたというのに、後二ヶ月以上続けたら、10キロは痩せてしまうかも分からない。


 


正しく、青天の霹靂。


 


 





オイスター




1980年代から90年代初頭にかけて、僕は『オーシャン・アベニュー・シーフード』へ、足しげく通っている。アメリカのレストランの割には、比較的味がよろしい。


一人でふらっと入って、オイスターバーに座る。最初はオイスター・サンプラーをオーダーする。次にコンウェイカップ、熊本、ワインはシャドネー、仕上げにクラムチャウダー。


ランチで訪れたら、僕はクラシィク・ミックス・シーフード・パスタを頼む。家族で訪れたら、真っ先に、前菜にコルードル・シーフード・プレター、ザ・キングを貰う。


サンタモニカの観光を終えて、日本のお客さんを案内するには、持って来い。味よし、ロケーションよし、但し、やや値段は割高。


Ocean Avenue Seafood





2010年11月14日日曜日

ジャズ




私がジャズに夢中になりだしたのは、十七歳の頃からである。最初に購入したLPは『マイルス・デヴィス・アット・ブラック・ホーク』。以来、梅田(大阪)のジャズ喫茶『ファンキー』や、戎橋にあった『ファイブ・スポット』へ足繁く通った。


その後、ジャズを聴くだけでは飽き足らずに、自動車教習所の授業料をキャンセルして、中古のクラリネットを購入した。独学で何とか吹けるようになるまで上達したので、やがてテナー・サックスに持ち替えた。その折に、ヤマハの顧問でアルト・サックス奏者の後藤高行氏と出会った。


私は神戸の『ニューポート・ホテル』と八幡筋(大阪)の『オーシャン・クラブ』でサックスの腕を磨いた。アメリカに渡ってプロのバリトン・サックス奏者になりと思った時期があったが、プロになれるような才覚がないことを承知していたので、すんなりと諦めた。


さて、ニューオーリンズで始まったJAZZには、元々からジャズという呼び名がなかった。1920年頃、シカゴのナイト・クラブでウイスキーに酔った客が、「Jass it up」とステージのバンドに向けて声援を送ったのがきっかけとされている。


ジャズ界には独自の隠語があるので、少しばかり紹介する。


楽器・・・ ax、axe(アクス)、サックスのみをアクスともいう。ピアノ・・・ box、もしくは鍵が88あるのでエイティ・エイト、またはエボニーズ・アンド・アイボリーズ(黒炭と象牙)、


ヴィブラフォーン・・・ bells(ベルズ)、サックス・・・ pipe(パイプ)、フルート・・・ whifler(ウィッファー)、ドラムス・・・ hides(ハイズ)・skin(スキン)・booms(ブームス)


私にはジャズ・プレイヤーへの夢は果たせなかったが、西海岸で活躍している一流のジャズ・ミュージシャンたちと一緒に、詩の朗読会を催すことがある。





キリスト者の文人たち




神の有無は、二十年考えても二千年考えても、信じることはできるが説明することはできない。このようなことを語っているのはカーライルである。


パスカルは神の存在に賭けるほうが、神の非存在に賭けるより遥かに合理的な選択であるという論理を『パンセ』のなかで展開している。


即ち、全ての賭けは確率と利益の積で示される。従って「神は存在している」側の確率を最小限に1としても、それから得られる幸福は無限大∞となるので、その積は1×∞=∞となる。一方、「神は存在しない」側の確率をn (かりに大きくとも有限数)としても、これによる幸福は有限(a)なので、その積はn×a=naで有限となる。8>であるから、「神は存在している」側に賭ける方が賢明だということになる。(パスカル『パンセ』より)


聖書には「ただ信じなさい」と記されているが、世のインテリゲンチアたちは、自分の能力を過信しているせいか、徹底的に解明して問い質さなければ気が済まないようである。


懐疑精神においては、文学者もすこぶる旺盛である。まず、近代の日本文学における作家にだけ的を絞ってみることにする。しかしながら、手元の資料が些少なので、記憶を頼りに戦前に活躍していたキリスト者であった作家の名前を羅列すると、北村透谷、徳富蘆花、木下尚江、国木田独歩、島崎藤村、正宗白鳥、有島武郎、志賀直哉らの名前が順番に思い浮かんできた。


それでは、彼らの福音信仰とはいかなるものであったのかと、興味津々であるのだが、残念なことに、文学者であるが故に、ことごとく正統的なキリスト信仰に疑問をいだいて、キリスト者としての立場を放棄してしまったのである。


そもそも彼らが、キリスト教を享受した大きな手蔓となっていたのは、西欧浪漫主義に対する憧憬であって、天地創造に始まり、罪の購いや復活、或は永遠の命というものに対峙するや、文学的懐疑精神から福音信仰を妄評し始めた。


この信仰を疑い、苦悶した挙句に信仰を捨て去るという傾向は、西欧では、文学を宗教から切り離して考えるようになったセキュラリズムが、四百年ほど前から顕著になってきた。やがて日本における近代の文学者たちが、キリスト教に対して懐疑精神旺盛な時世に、既に西欧では、キリスト教の信仰を、ただの時代錯誤としてしか理解していない者の時代に突入していた。


一説によると、キリスト教倫理と近代文学に蔓延している悪魔主義的傾向との矛盾に煩悶して、文学者であるが故にキリスト信仰を捨てざるを得なかった。と、解釈する考え方もある。けれどもこの定見には、あくまでも西欧の文学者たちの理念を介しており、間接的、二次的要因であって、直接的にはセキュラリズムの末端に由来していると考えるべきである。


即ち、キリスト信仰の時代錯誤の時世に影響を受けて、日本における近代の文学者たちも、福音信仰を「時代錯誤」の産物であると首肯したのである。そしてこの思想に、更に水を向けたのが、1945年(昭和20年)8月15日の敗戦の日であった。


次に、日本の文壇が輩出した戦後のキリスト者を思慮する前に、まず、椎名麟三(本紙第29号参照)の名前を挙げておきたい。今から50年程前に、椎名麟三は『私の聖書物語』という信仰告白を『婦人公論』に連載している。


内容はやや主観的であるが、一切の衒いを感じさせない筆運びから、人の世に行なわれる節道や人倫の秩序といったものが、キリスト・イエスの御名によって吐露されており、虚無的な概念が打ち消されている。


後に上梓した『私の聖書物語』のあとがきに、麟三は次のように記している。「私のキリキリ舞いの姿に、人間の事実的な存在の姿を感じとっていただければ、筆者の私としては十分である。そして私にその十分さを認めることができるのは、おかしなことだが、私が聖書におけるキリストを信じている者であるからだ」。


また、私たちプロテスタントのクリスチャンにとって、一等馴染み深い作家といえば、近年に昇天された三浦綾子である。


それでは、そろそろ紙面が尽きてしまうので、なるべく年代順を心がけながら、戦後におけるキリスト者の文人の名前を、浮かんできた順番に連ねていくことにする。


田中千禾夫、田中澄江、森 有正、椎名麟三、阿部光子、島尾敏雄、遠藤周作、佐古純一郎、三浦朱門、三浦綾子、矢代静一、小川国夫、曽野綾子、有吉佐和子、森 礼子、武田友寿、高堂 要、饗庭孝男、上総英郎、森内俊雄、他。


幸いなことに、椎名麟三や三浦綾子を始めとする戦後活躍した文学者のほとんどが、神こそがこの世の創造者であると認めており、イエス・キリストの磔刑によって吾が罪は購われて、その後の復活と永遠の命を信じる正統的な信仰者であった


現代文学に、もはや信仰は存在していないと喝破されている昨今であるが、私たち(キリスト者の文人)はイエス・キリストの名の下に、何事でもすることが可能であることを知っているのである。


 新井雅之


 


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そう




ブログ、『帰って来たひつじ』を立ち上げましたが、三週間で辞めさせていただきたい。Yoshioさんにはお世話になりました。短い間ではありましたが、有り難うございました。


題名を逆さから読んでみてください。うそ、うそだよー





休みなり




二週間も家の中に閉じこもっている。家族の者は忙しい。協力しているつもりだ。僕が外に出ると、家族の者に何かと手をわずらわす。


家の中では、音楽を聴いたり、テレビを観たりして過ごす。たまにコンピュターを相手に将棋を指す。それからブログの原稿を書く。後は、食事をするだけ。


何時も、イエス様が癒してくださることを信じている。


 


「閉じこもり神が与えた休みなり」


 





俳句 2010年 秋 1 




1.名月や食事制限へのかっぱ


2.大空を飛んでみたいな渡り鳥


3.祝帰って来たひつじ秋真っ盛り


4.主に委ね家族三人秋の虹


5.秋の暮飛んで行きたい主のもとへ


6.闘病にご馳走並ぶ秋の夢


7.恵みなり首絞められて秋高し


8.秋の虹御心のまま生かされる


9.鈴虫やチャイナのおやつ水餃子


 





俳句 2010 秋 2




1.ラスベガスネバダの大地そぞろ寒


2.菊薫る松茸香り秋の膳


3.懐かしむ思いでキラリ秋の海


4.リハビリンに励みし姿秋燃ゆる


5.鮨つまみ秋の夕焼け連歌巻き


6.ビューティフル乗せた片足風薫る


7.夢で見たフランス料理秋時雨


8.食欲の秋ジューシーなプライムリブ


9.お弁当色とりどりの笑顔あり





2010年11月12日金曜日

秋の夢




食事制限が終われば、次の治療へと進みます。今、ドクターからの連絡待ち。健康な時分には、体重が最高で103キロあったのに、今は79キロ。24キロ減。


 


もうすぐ食事が何でも食べられる。嬉しい。


 


「食いしん坊グルメ三昧秋の夢」





生家




今から凡そ55年前にもなるが、僕が生まれた家には、一階とニ階に水洗トイレが二つあった。現在でも珍しいのではないのかと思う。


僕が5歳の頃に台所のリモデルをした。これがモダンで評判を呼んで、インテリア専門の雑誌に、写真を掲載された。


庭には大きな池があり、燈篭が何個も配してある。座敷から眺める景観は、花鳥風月を愛でるのには、申し分のない所だ。


また、応接間からの窓外の眺めは、洋花を巧みに植え込んで、何処か泰西の国にでも居る様な気持にさせてくれる。


僕の家は、夕刻になれば日本舞踊のけいこ場として、沢山のお弟子さんが訪れる。月に一度、東京から志賀山流の日舞の先生が来られる。そして、三日続けてお稽古に励む。


三人いた姉たちも、それから東映の女優さんも二人いた。そんなわけで、若い女性が昼から夕方にかけて、15人ばかりいた。従って、小学生の僕は黒一点であった。


 夜には父が清元のけいこをする。やはり東京から梅寿太夫先生が来られる。けいこが終われば、酒を酌み交わす。そんなこんなんで、随分とにぎやかであった。


「生家には思い出ずくし万華鏡」





思い違い




日頃、私たちは間違いだと気づかずに、多くの言葉を使っている。では、次に挙げた慣用句を正しく直してみましょう。


 


1.娘も十八、番茶も出花


2.鼻にもかけない


3.口先三寸


4.口をにごす


5.二の舞を踏む


6.耳ざはりのよい


7.身を惜しまず


8.腹が煮えくり返る


9.歯にころもをきせない


10.舌の先が乾かぬうち


11.的を得た質問


12.貧すれば通ず


 


【回答】 さて、あなたは何問正解しましたか。


 


1. 鬼も十八、番茶も出花


2. 歯牙(しが)にもかけない


3. 舌先三寸


4. お茶をにごす(言葉をにごす)


5. 二の舞を演ずる(二の足を踏む)


6. 肌ざわりがよい


7. 骨身を惜しまず


8. 腸(はらわた)が煮えくり返る


9. 歯に衣(きぬ)を着せない


10.舌の根の乾かぬうち


11.的を射た質問


12.窮すれば通ず





2010年11月11日木曜日

キューバ料理




ヴェサイユと聞いたら何を想像されますか。そう、フランス。キューバなんて誰も想像しませんよね。ロサンジェルスに『ヴェルサイユ』という、キューバ料理のレストランがある。


チキン、ビーフ、ポーク、シーフード、何でもある。僕が何時もオーダーするのは、キューバ風ロースト・ポーク。黒豆、ライス、揚げたバナナがサイドに付いてくる。飲み物はサングリアがおすすめ。


オリジナル・ガーリックソースに漬け込んだ、とても柔らかいジーュシーなチキン料理も最高。


ユニバーサル・シティウオークにもあるので、ユニバーサル・スタジオに行った帰りに利用できる。一人平均15ドル。


Versailles





ピカソ




この人 絵がへたくそ


画集をめくりながら ジョイが言う


 


こんな絵しか描けないのかなぁ


わたしの方が上手だよ


 


ねぇ、おとうさん








暗闇を生きる



光の中を歩む



命を懸ける



 


 


8-10-2010  新井雅之





2010年11月10日水曜日

『フレンチ・ビストロ』




ロングビーチに、安価で美味しいフランス料理のレストランがある。今年の僕の誕生日は、『フレンチ・ビストロ』で娘と家人で祝ってもらった。


この日、僕がオーダーしたのは、ビスク、テリーヌ、そしてメインはベビーロックラム。赤ワインを飲んで、ケーキは持参。


フランス料理は高い。『フレンチ・ビストロ』であれば、懐ぐあいを気にせずにいられる。この日のウェターは、フランス訛りの英語を話す青年だった。



Frenchy's Bistro
4137 E Anaheim St

Long Beach, CA 90804

(562) 494-8787

www.frenchysbistro.com






2010年11月9日火曜日

真実の愛




大切な物は目に見えない。


父と子と聖霊。


 


「目をつむり見えるのは真実の愛」





涙する




ユーチュウブで、久し振りに『タワー・オブ・パワー』を聴きました。僕が十七歳の頃からのファンである。思わず涙があふれ出ました。


僕は三つのロックグールプが好きだった。シカゴブラッド・スエット・アンド・ティヤーズ、そしてタワー・オブ・パワーだ。どこのグループにもブラスセクションが入っているのが特徴。


エレキ・ギターだけの、ロックグールプはあまり好きじゃない。つまり、クリーム、レッドツェペリン、ディープパープル。


個人的には、ギター奏者で好きな人がいる。エリック・クラプトン、ロリー・ギャラガー、ジミー・ヘンドリックス、テリー・キャス。


 


「闘病者昔のロックに涙する」





W.C.




元横綱の輪島が、アメリカ巡業の折、トイレの場所を尋ねるのに一苦労したそうだ。「W.C.」と言っても、まったく通じなかったので、横綱は発音が悪いせいだと思い込み、紙に「W.C.」と書いて見せたが、みんな首を傾げるばかりだった。


W.C.(Water Closet)は英語だが、アメリカやイギリスのトイレの標示はlavatoryもしくはrest roomが一般的である。


因みに日本の学生たちの間で使われている 「W.C.」の隠語は、ワセダ・カレッジとホワイト・クリスマス。


かつてパリのチュイルリー庭園を散策していた際に、公衆トイレの壁に大きな字で「W.C.」と標示がされてあった。 本来は英語である 「W.C.」 が、フランスではトイレの標示に使われている。果たして近隣国のベルギー、スイス、スペイン等でも、トイレの標示は「W.C.」なのだろうか?


その昔、フランスにはトイレが無かった。ベルサイユ宮殿も論外ではない。宮殿で、夜毎に催される華麗な舞踏会では、正装した紳士淑女たちが、携帯電話ならぬ携帯便器を持参していた。


携帯便器に行儀よく用を足した後は、随行の者が排泄物を宮殿の中庭に捨てたので、「ベルサイユのバラ」は肥料に事欠くことなく、すくすくと育った。だが、回廊から中庭の花壇を観賞する際に、そよ風が運んでくるのは、高貴なローズの香りではなく、強烈な田舎の香水の香りが漂って来た。


余談をもう一つ、パリには『ロダン美術館』がある。あの有名な「考える人」の格好は、どう見ても便座に腰をかけて用を足している姿に見える。それでは、人間はどうして狭いトイレの中で、よく考え事をするのだろうか。その答えは、トイレは「思考」(しっこ)する所であり「空想」(くそ)する場所であるからだ!?

新井雅之





2010年11月8日月曜日

秋燃ゆる




昨日、スピーチ・セラピーとフィジカル・セラピーに行って来ました。長いこと時間をかけて、懇切丁寧に指導をしてくれました。感謝したい。患者の気持ちを察してくださるので有難い。病院のスタッフの皆さんも親切だ。


 


「リハビリに励みし姿秋燃ゆる」





宇宙




2000年後には旅行社では、4次元旅行を売り出しいるかもしれない。それまでに旅行社が存在しているであろうか。


東京からニューヨークまで4分で移動できる。土星までは3時間、太陽の近くまで36時間。2000年後には、宇宙旅行がたけなわとなる。


ミスタースミスは、火星ジャイアンツの野球の選手。この日は木星タイガースとの試合に臨む。スミスは1番バッター、20年連続で500本安打の記録を持つ。また、土星ヤンキースのオニールは、ホームラン423本の宇宙記録を持つ。


宇宙では野球のボールが、よく跳ねる。飛ぶ、ピッチャーが不利。それで、開発されたのがこの液体。ボールに液体をしみこませて投げると、バットに当たらない。即ち、ありとあらゆる木製は、よけて通るのだ。


一試合の内に、3回はボールに液体につける事はゆるされている。


宇宙シリーズを3勝3敗で迎えた。あと1勝すれば、土星ヤンキースか木星タイガースが優勝する。土星ヤンキースのピッチャー、大輔は、あの液体を忘れてしまった。9回の裏1対1の同点。2アウト、満塁。


大輔は渾身の一球を投げた。打たれた。満塁ホームラン。大輔は来期の年棒は、1セントに減額されてしまった。


 


新井雅之


 





お弁当




本日、教会の婦人会の皆様が、作ってくださったお弁当を二つ届けてくださいました。僕には食事制限がありますから、お弁当が食べられません。


江美子とジョイが食べてください。


主に感謝せよ。主は恵みふかく そのいつくしみは とこしえに 絶えることがない。


(詩篇136篇1節)


 


「お弁当色とりどりの笑顔あり」





秋の夕焼け




僕がゴルフ場にデビューしたのは、一歳の時であった。父とゴルフ場の芝生の上で、相撲を取っている写真がある。


僕が5、6歳の時分に、宝塚のゴルフ場でイベントがあった。大きな白いテントを張り巡らせて、特設ステージも作られた。当時、十代の木の実ナナさんが出演していた。母はステージ観ながら、生ビールが美味しいと言った。


本格的にゴルフを始めたのは、14歳の頃であった。だが、一向にゴルフに興味が湧かない。つまんない。


僕は乗馬を始めた。兄は京都の乗馬場。僕は奈良の乗馬場。兄は落馬をして、トラウマから乗馬を辞めた。


中学生の頃、僕は登校拒否をした。自室にひきこもった。夜、家族が寝静まってから、台所に降りて行って食料をあさった。16歳の時に、医師からうつ病と診断された。40年前、誰一人としてうつ病のことは知らなかった。


僕は病院に入院した。そして、看護婦さんに片思いの恋をした。僕の青春時代は入退院の繰り返し、お陰で1年留年をした。高校に進学したが、1歳年下のクラスメイトとは馴染めず、定時制に移った。高校を卒業するまでに、5年を要した。その間、専門学校に通った。そして、大学に進学をした。


専門学校とは、『大阪文学学校』のことである。在学中、多くの詩人や作家たちと交流を持った。僕の俳句は、俳人の近松寿子さんに手ほどきを受けた。近松さんの師匠は、林 富士馬先生。往時、鮨屋の二階で、よく連句を巻いた。三十六歌仙。林 富士馬先生が提案されていた俳偕は二十四。これを名付けて胡蝶俳偕という。


僕は、大阪文学学校で、本科の時は小説を学び、研究科で詩を学んだ。僕が習った先生は、小野十三郎、井上俊夫、灰谷健次郎、川崎彰彦。


学校が跳ねると、居酒屋へと直行した。文学学校よりも、居酒屋の方が勉強になった。


 


一句できました。「鮨つまみ秋の夕焼け連歌巻き」


 


 


 





2010年11月7日日曜日

処世術




美容師のNaomiも


板前のMakotoも


そして空手家のKenjiも


ハリウッドの有名人を魅了して、アメリカの地で大成した


 


巧みな話術とパフォーマンスで、金持ちのハートをつかみとった


人生は処世術 これが大事


本業よりも これが大事


 


いったい 詩人には何ができるのか


俺は 家族の寄生虫となって


半世紀以上も アメリカで生きながらえている


なに人にも


いっさい媚びることなく


 


処世術   新井雅之





フランス料理




冷麺が急に食べたくなった。関東では冷やし中華。近頃、暑いからだ。こんなに暑いと、うかうかと闘病生活もやっていられない。


僕は一日中、食べる事ばかりを考えている。根っからの食いしん坊である。食事療法が終わったら、先ず、鮨を腹いっぱい食べたい。次に、焼き肉だ。それから、ロングビーチに美味くて廉価なフランス料理店がある。


もう、予約済み。その理由は特別な料理をオーダーするからだ。フォアグラのテリーヌ海の幸入り、オマールエビのビスク、それとラムチョプ。ボルドーのワインでも飲みながら、今宵はちびちびと行こうぜ。デザートはロックホールとコニャク。


僕は本当に闘病者なのだろうか。と、思ったところで目が覚めた。正夢になるだろうか。


「夢で見たフランス料理秋時雨」





2010年11月6日土曜日

俳句 2010 春 4




1. 春の海美味なる珍味羅府のうに


2. ジョイ歓喜いつもニコニコ春色に


3. 葉月くる父の命日冷麦忌


4. 無関心食育肥満アメリカン


5. むかし鯛健康志向いま鰯


6. 江美子さん星をいただく頑張り屋


7. 肉忘れ野菜を焼いてバーベキュー


8. アメリカに美味いものなし量多し


9. アメリカにジャンクフード数知れぬ





父と私




闘病生活の真っただ中いる時、ジョイが僕のために書いてくれた詩がある。聖日礼拝の際に、みんなの前で朗読してくれた。


 


父と私         新井(歓喜)ジョイ


 


お父さんは やさしい


お父さんは きびしいところもある


お父さんは詩人


夜になると おもしろい物語をつくってくれる


お父さんは ゆかい


お父さんは おすしが大すき


 


お父さんは 病気とたたかっている


そのような強い父が 私は大すきだ


お父さんは イエス様が大すきだ


 


そのような父に 私は にている



2010・6・13 ジョイ作
2010・6・20 父の日に礼拝堂でジョイ朗読





プライムリブ




日本人向けの観光ガイド見ていると、ロサンジェルスのレストランに順位が付けられていた。第一位に輝いたのは、ビバリーヒルズにある『ローリーズ』。


 プライムリブの専門店だ。僕が初めて『ロウリーズ』に行ったのは1987年、家人に勧められて二人で行った。それ以来、一年に一度は『ローリーズ』に必ず赴く。


プライムリブのカットの仕方には三種類ある。カリフォルニア・カット、ローリー・カット、ダイヤモンド・カット。僕は1キログラムもあるダイヤモンド・カットをオーダーする。


フットボールの選手は、ダイヤモンド・カットを二枚ぺろりと食べると、ウェイトレスが教えてくれた。


今年の六月に、チャーチメイトが結婚式を挙げた。その後、披露宴に『ローリーズ』を借り切った。随分と高くついたことでしょう。二人とも高給とり。


僕のこだわりは、食前にボッカマティニーに飲む、肉の焼き方はレアーであること、プレイン・ホースラーディシュをつけて食べる。


日本のお客さんが来られたら、一度は連れて行く価値がある。


一句、「食欲の秋ジューシーなプライムリブ」


 


新井雅之





文章




書いて 書いて 書きまくり


考えて


書き直して


風をいれて


寝かせて


眠らせて


再び考えて


とどめの推敲


 


それでも何だか、気にくわねぇ


 


文章  新井雅之





コールドストーンの女




仏頂面をさげた 風情の無い女


客が来ると 早口でまくしたてる


一人で店番をするヤンキー娘


やけにパイオッが大きい


 


フェイスレスで 石のように冷たい女


ボーイフレンドに抱かれると、甘くとろけてしまう


白けたパフォーマンスをする若い娘


やけにおっぱいがデカイ


 


苦虫を噛みつぶしたような表情で 突っ立っている女


アイスクリームを舐める時だけ


まるい大きなお尻を キュキュと振り上げる


なんだか楽しそう 嬉しそう


赤いほっぺも 嬉しそう 楽しそう


 


コールドストーンの女  新井雅之


 





2010年11月5日金曜日

サヨナラダケガ人生ダ




勧 酒


勧君金届巵


満酌不須辞


花発多風雨


人生足別離


 


于 武陵(う・ぶりょう)/ 井伏鱒二訳


 


さらハあけましょ此盃て


てふとお請よ御辞儀ハ無用


花か咲ても雨風にちる


人の別れも此こゝろ


 


コノサカズキヲ受ケテクレ


ドウゾナミナミツガシテオクレ


ハナニアラシノタトヘモアルゾ


サヨナラダケガ人生ダ


 


井伏鱒二が林芙美子にすすめられて尾道へ行った折、やはり林芙美子にすすめられて、一緒に三ノ庄まで足を伸ばした。


島を離れる時、彼らを見送る人たちが十人ほど岸壁に来て、船の出発の汽笛が鳴ると「さようなら、さようなら」と手を振った。


林も頻りに手を振っていたが、いきなり船室に駆け込んで、井伏に「人生はさよならだけね」と言うと泣き伏した。


後に井伏は「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」と和訳した。林芙美子の言葉(せりふ)を意識していたのである。


 
新井雅之





2010年11月4日木曜日

チャイナタウン




アメリカで最もおいしい料理は何か、中華料理である。ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンジェルス、それぞれのチャイナタウンで味わう中華料理は最高である。


本場の香港は2位。日本は3位。日本は値段が高すぎる。アメリカではフカヒレの姿煮は、せいぜい70ドルぐらいだろう。


ロサンジェルスのチャイナタウンの場末に、『チャイニーズ・フレンド』と言う小さな矩形のレストランがある。僕が毎回オーダーするのは、チャーハン、鳥とジンジャーのスープ、それからエビのソテー塩味である。


ここのチャーハンは、華僑の食通が喉を唸らせる。他にもチャーハンの美味い有名店があるが、『チャイニーズ・フレンド』は、有名店の半額の料金である。


以前、『チャイニーズ・フレンド』を新聞で紹介したことがある。客は僕と同じものばかりを注文するので、店の人に僕が書いていることがばれた。店の主が大層喜んでくれて、オンザハウスにと、焼きそばを作ってくださった。場所は、ブロードウェーの北の果て。


今から25年前に、華僑の友人と来る日も来る日も、チャイナタウンで食べ歩きをした。さすが華僑とあって、珍しい食べ物をよく知っている。中でも、毛をむしれば、身が黒い鳥を食べた事がある。漢方薬と煮込んでから、壺に入れてサーブされる。鳥の名前はショクチーカイ。


ニューヨークのチャイナタウンに行った折、腰を抜かすほどに、小籠包の美味い店があった。ニューヨーク発行の雑誌に紹介文を書いたが、反響の程は分からずじまい。


最後に、俳句で閉める事にする。「鈴虫やチャイナのおやつ水餃子」


 


新井雅之


 


 





へのかっぱ




新たな治療をするために、今、食事療法をしている。調味料は一切だめだ。調味料抜きで食べる食事は味気ない。これを三週間続けるという。


病気を治すためには、仕方がないのだろう。こんなのへのかっぱ。これが終わったら、お鮨が食べたい。


ここで一句、「名月や食事制限へのかっぱ」





秋真っ盛り




 旧ラッパでは、二週間に一度の割合で更新をした。『帰って来たひつじ』では、一日に2、3回更新をしている。これは早すぎる。一日1回、もしくは二日で1回程度よろしい。


僕があんまり早く原稿を送るので、Yoshioさんも困っているのではなかろうか。4年振りのブログに、僕は興奮しているのだ。


闘病生活に見切りをつけて、書きもの一筋に生きていたい。


「祝帰って来たひつじ秋真っ盛り」





俳句




俳人の太郎は、一日一句、俳句を作ろうと心に決めた。ある日のこと、俳句が中々浮かんでこない。午前零時になれば、明日になる。時刻は間もなく午後8時。


「後、4時間か」太郎はそう呟くと、焦る気持ちを抑えようとシャーワーを浴びた。


無念無想になれ、自分に言い聞かせた。心を整えてから、お茶を飲んで、気持ちを落ち着かせた。後、2時間。どうしても句が浮かんでこない。


鼻血が出た。腹が痛い。目が痛い。歯が痛い。俳句が浮かんでこないから、頭が痛い。後、1時間。焦る気持ちを抑えた。だが、どうしても句が浮かんでこない。


後、30分。太郎は、ウンチをもよおした。トイレに行けば、良い句が浮かんでくると思った。トイレは思考(しっこ)するところであり空想(くそ)する所である。


後、10分。太郎は一週間前から便秘であった。出そう出ない。太郎はきばる。もう少しで出る。太郎は、ひたすらきばる。出る出ない。出る出ないは、芸者の時に言う言葉。


後、3分。俳句を作っているのか、きばっているのか分からない。後、1分。後、30秒。後、10秒。9、8、7、6、5、4、3、2、1、


ついに出来た!!!


「ウンチ出て俳句も出来てさわやかに」


 


新井雅之





2010年11月3日水曜日

渡り鳥




今日は、やけに静かだ。11月だと言うのに、90度をこえる。僕はベランダに出てみた。小さな庭を眺める。一面芝生だが、所どころに花が咲いている。


庭の塀の向こうに、大きな池がある。公園の池とつながっているのだ。公園の池にはワニがいる。誰かがペットで飼っていて、池に捨てたのだろう。ワニが成長して大きくなった。僕はテレビのニュースで知った。危ないのでワニを捕獲した。


澄み切った青空を眺めていましたら、一句浮かびました。「大空を飛んでみたいな渡り鳥」


 





保険




江美子が保険屋から話を聞きました。私が亡くなれば、ジョイとお父さんが困る。それで、私に生命保険をかけようかなーあっと思っている。


毎月500ドル積み立てて、7年間積みたてれば10万ドルが貰える。僕は疑った。単純に計算をしても、毎月500ドル×7年=42000ドル。しかも、IRSには報告する義務が無い。


うまい話に惑わされられないように、気をつけましょう。江美子に苦労をかけてゴメンね!


「主に委ね家族三人秋の虹」



闘病記  新井雅之


 





快感   




この恐るべき不安から


逃れる手立てはないものだろうか


 


一刻も早くこの不安感から


解放されて自由になりたい


 


俺は生き地獄の不安に魅入られてしまったので


不安感がなくなれば


なおさら不安になる


 


俺は死ぬまで不安


死んでからも不安


 


俺は神に祈りを捧げた


パラダイスで


安心して不安に過ごしたいと


不安に‥‥‥


 


快感   新井雅之





2010年11月2日火曜日




日本にいた頃、秋の季節が一番好きだった。高校生のとき「秋の日のビヨロンのため息に、身にしみてひたぶるに……」を、よく口ずさんだものだ。


どうして秋が好きかと言うと、街全体が色濃く哀調を帯びるのが好きであった。自然も哀愁を漂わせている。金木犀の香りをかぐ度に、僕は、たちまち燃える秋へと誘われる。


今、マイルス・デービスとキャノンボール・アダレイの『枯葉』を聴いている。ここLAでは秋の気配すら全く感じない。東部に行くとダイナミックな紅葉が迫って来る。


秋の句を詠ませたら、天才的な俳人がいる。「秋深き隣は何をする人ぞ」(芭蕉)。春の句を詠ませたら、名人なのが与謝蕪村。秋の句は俳聖、松尾芭蕉だ。


僕は日本の詩人(文人)で尊敬している人が三人いる。松尾芭蕉、正岡子規、それから樋口一葉である。海外では、シャルル・ボードレール、エドガー・アラン・ポー、オスカー・ワイルドだ。


パリに赴く事があれば、真っ先にモンパルナス墓地に埋葬されてある、ボードレール墓に詣でる。パリと言えば美食の都。晩秋のパリの、シテ島あたりを散策してみたい。


晩秋から冬にかけて、牡蠣のシーズンである。ブロン産の牡蠣にレモンを絞って、チューと食べてみたい。「牡蠣食えば鐘が鳴るなりノートルダム」


病気をしてからは、フランスへは御無沙汰致している。ブイャーベースにプレサレにスモークサーモンを食べたいよーォ。


旧ラッパに書いたが、僕はフランスに、文学修業エスカルゴの細道を行脚する計画を立てた。


結局、家人からお許しをもらえなかったので没になった。


家人が言うのには、遊び、道楽、食べ歩きだという。当たっているだけに、にくい。カリフォルリニアもようやく秋らしくなってきた。


今晩の夕食は、松茸ご飯と松茸のお吸い物、ここで一句。


「菊薫る松茸香り秋の膳」


新井雅之





俳句 2010 春 3




1. 麗らかに一人静かにジャズを聴き


2. グルメ三昧大阪へ帰ったら


3. 美味なるタコ焼き食べたし春の海


4. うず潮にもまれし鯛の風味豊か


5. 懐石も木の芽時おしょうばん


6. 京料理お庭も味もはんなりと


7. 春深しひなびた宿に茶懐石


8. 賛美して心たおやぐ黄昏に


9. 鍋料理あつかん呑めぬ病にて


俳句 2010 春 3  新井雅之





2010年11月1日月曜日

本当の話




アメリカへ留学中の娘と連絡が取れない。もう、かれこれ一年にもなる。両親は心配のあまり、米国行きを決断した。アメリカに行ったところで頼れるあてがいない。インターネットを見ていたら、日系の元警察官が経営している探偵事務所があった。「これだ!」早速、両親はメールをしたためた。


捜査の結果、娘の居所が分かった。サンタモニカのホテルのロビーで、娘と会う約束をした。母は娘の変わり果てた姿に狼狽した。体中ピアスだらけ、鼻も、舌も、瞼も。そして昼間から酔っぱらっている。


日系の探偵も立ち会った。探偵は即座に気がついた。酒に酔っているのではない。麻薬中毒である。母は狂乱寸前。おもむろに娘の腕を引っ張った。母と娘は腕と洋服と互いに引っ張り合った。


娘のボーイフレンドが止めに入った。ボーイフレンドも顔中ピアスだらけ、ボーイフレンドは麻薬のディーラーだ。


一部始終を見ていたホテルのスタッフは、警察に通報した。母が逮捕された。探偵は警察官に抗議をした。


「娘が悪の道に入ろうとしているのに、母親が止めに入って当然じゃないか」


探偵は日本とアメリカの違いについて、説明をした。


本人の意思を尊重するアメリカでは、娘が自分の意思で帰ってこなければ、どうすることも出来ないと言われた。


両親は落胆した。二、三日経ってから探偵から連絡が入った。娘のボーイフレンドが交通事故で亡くなったという。


「娘を保護してください!」


娘は麻薬中毒専門の施設に隔離された。二年が過ぎた。両親は娘が社会復帰できるであろうかと心配であった。


日本へ帰る日が来た。空港のチェックイン・カウターの前で、娘はトイレに行くと言い出した。待てど暮らせど娘は帰ってこない。搭乗時刻が過ぎても帰ってこない。


四、五日経って娘から電話が掛って来た。娘は、


「今、ニューヨークにいるの、アメリカでもう一度やり直してみたいの」そう言って電話を切った。


十年の歳月が流れた。娘から電話があった。


「私、ファースト・レディーになったの」


本当なのか、再び麻薬に手を出して、幻覚を見ているのか誰にもわからない。

新井雅之





祈り




ノースキャロライナのEPA(環境保護局)へ新しい乳化剤の詳説をするために、クライアントと訪れることになった。アポイントメントのある前日がまる一日あいているので、デューク大学へ足を伸ばしてみることになっていたが、当日の朝になって、クライアントの一人が突然ゴルフをしたいと言い出した。ぼくはゴルフを全くやらないが、このような訳で年に何度かはゴルフに付き合わされる羽目になる。


3人だったので、一人で来ていた現地のアメリカ人と一緒にプレイをすることになった。物静かでどことなく気難しそうな40代半ばの白人である。ぼくはそのブライアンと一緒にカートに乗ってコースを周った。第3ホールを過ぎたあたりからブライアンはジョークを飛ばすようになり、お互いの心が打ち解けていった。


暫くしてから、彼は自分の仕事のことや家族のことについて話し始めた。ブライアンはIBMのシンクタンクに籍を置くコンピューター・サイエンスの専門家で、著述家でもあった。色白で時折見せる深く刻み込まれた神経質な眉間の皺と物静かな口調は聡明であるが、はにかんだ時に見せるうつむいた目には、傷心を抱く暗い影が滲んでいた。


彼はポツリと身の上話をし始めた。タイランドの女性と結婚をして4年後に離婚。暫くたってから再婚をしたのだが、離婚をしたことが今ごろになって悔やまれてならないと言う。祭壇の前で「富む時も病む時も妻を愛し続ける」と神に誓ったはずなのに、前妻に対しても神に対しても、ブライアンはただ都合よく自己主張をしていたことに気がついたのだ。どうやら2回目の結婚も、うまくいっていないようだ。


コースを周りながら、カートを木陰に停めては二人で話し込んでしまうので、あとの二人から早く打つように度々催促される。ブライアンは今、自分の仕事に対しても大きな行き詰まりを感じている。そして複雑な人間関係に苦悩するこの頃であることをぼくに吐露した。


「人間なんて順風満帆の時は何も考えないさ。だけど、自分の能力ではどうすることもできない大きな試練にぶつかった時に、不思議とハンブルダウンして素直な気持ちになれる」


そう言ってブライアンは蒼空を仰いだ。その時、ジョン・ニュートンのことがぼくの脳裏をかすめた。奴隷船の船長であったジョンは冷酷で、いつも革の鞭を持って奴隷たちに恐れられていた。今から250年前、アフリカからイギリスに向かうジョンの奴隷船が大嵐と遭遇して、もう助かるまいと観念するほどの命の危険にさらされた時に、ジョンは「神様、助けて下さい」と叫んだのだ。やがて嵐も治まって、なぜか母が残してくれた形見の聖書を取り出して読んでいる時、ジョンは今まで思いもしなかった恐ろしい罪にまみれている自分の姿をはっきりと認識した。「神様、こんな私でも救われますか」と思わずひざまずいて真剣に祈り続けた。


このジョン・ニュートンが作詞した『アメイジング・グレース』(驚くばかりの恵み)は、かつて日本でも大ヒットしたが、米国では第二の国歌といわれるほど多くの国民に愛されている賛美歌である。ジョンは82歳で死を直前にして語っている。「私の人生には二つのことがはっきりとしている。一つは、私は以前には途方もなく大きな罪人であったこと。もう一つはその私に対してキリストは途方もなく大きな救い主であったこと」


「ぼくには難しいことは分かりませんが、必ず神はあなたを顧みて下さり、前妻に対しても、ご家族にも、そしてあなたの仕事にも祝福を与えて下さるでしょう。確信して祈りましょう」


涼風(すずかぜ)が時折頬を撫でる17番ホールの木陰で、ぼくとブライアンはカートに乗ったまま、こうべを垂れて短く祈った。


EPAでの仕事も無事に終わってあくる日の朝、ホテルをチェックアウトする時にブライアンからのメッセージがフロントデスクに届いていた。


「初対面のあなたにくどくどと身の上話をしてしまって申し訳なく思っています。休日のゴルフを台無しにしてしまいました。しかし、あなたが一緒に祈ってくれる友であったことで、私は新たな勇気を得ました。有難う。近いうちにまたお会いできますように。     ブライアン」


 


新井雅之








アメリカ人宣教師であった医師のヘボン(正しくはヘプバーン)は、安政6年(1859)に来日して、神奈川で診療所を開設した。92年に日本の地を去るまで、数多くの病人を救いながら、日本で最初の和英辞典『和英語林集成』を結実、ヘボン式ローマ字を普及させた。


フランシス・ザビエルが日本で布教活動していた時分は、キリスト教の絶対者であるゴッドを、大日(だいにち)、天主(デウス)、天翁(てんとうさま)などと訳していた。その後約三百年を経て、ヘボンが神と和訳したと言われている。


以来、キリスト教に「神」が定着したが、日本の固有信仰である神道の神と混同してしまうので紛らわしい。


では、キリスト教の神と神道の神とでは、一体どのような違いがあるのだろうか。日本宗教学会評議員の小池長之さんの研究文献に、面白い記述を見つけたので紹介したい。


「人間が学生だとしたら、神道の神様は大学の教授程度であるという」。(『日本宗教ものしり100』日本文芸社)言うまでもなく、キリスト教の神様は、天と地を創造した全知全能者である。





2010年10月31日日曜日

パンク




サンタモニカ大通りをドライブしている時、突然車が傾いた。直ぐにパンクだと分かった。右の道へ入って、住宅街で車を止めた。タイヤを確認していると、


「大丈夫ですか」と、声をかけられた。こんなところに日本人が、後ろを振り返ると黒人の女性が立っていた。


「私の家は直ぐそこよ、トリプルAが来るまでコーヒーでもいかが」


「それにしても、日本語がお上手ですね」


「私、日本に住んでいました」


パンクが直って別れ際に、女は名刺を差し出した。その名刺には女優とだけ書いてある。僕も名刺を渡した。


時が流れて、女から電話が掛って来た。すしバーで会うことにした。


「私の彼、日本にいるの。今度日本に帰る時があったら、彼に渡してほしい物があるわ」


暫くして女とまた会った。


「彼に渡してほしい物は、人形よ」


目の前にビニール製の人形があった。


僕は週末に日本へ帰る用事があった。


「彼は空港で待っているわ、その場で渡してくれれば結構です」


日本に帰る前日の晩、スーツケースの中から人形を取りだした。ビニール製の人形は、硬いが首の所が取れる。気のせいか人形が重く感じる。人形を振ってみた。中でかすかなに音が聞こえる。首の所から開けてみようかと躊躇したが、思いとどまった。


人形は手荷物にした。空港でチェクインを済ませて、出発ロビーで時間をつぶした。人形の事が気になる。思い切って人形の首の所を開けてみる。


ビニールの袋に入った白い粉が出てきた。まさか、コカイン。指の先へ付けて舐めてみた。


間違いなくコカインである。危うく運び屋にされるところであった。僕はコカインをゴミ箱へ捨てた。


女と眼があった。女は空港に来ていたのだ。女は逃げるようにしてその場から立ち去った。


 





Joy




親は無くとも子は育つとは、よく言ったものである。僕が病気をしてから、ジョイのめんどうを見てやれなくなった。


学校の送り迎えから、宿題、遊び、塾。時には学校の帰り道に、公園に寄って遊んだこともしばしばあった。学校が終わってから、デズニーランドへも何度か行った。


夜になれば、近所の鮨屋に食べに行った。ジョイはその鮨屋のアイドルだった。ある時、ジョイに「おとうさん、病気なってごめんね」って言った。すると、ジョイから「おとうさん、謝らなくてもいいよ。おとうさんは、何にも悪いことしていないのだから」


今日も、ジョイは元気だ。ジョイの元気な姿を見ていると、何だか元気が湧いてくる。学校への送りは、近所の牧師がやってくれる。迎は家庭教師がしてくださる。


全てを主に委ねて、何にも心配することはない。





2010年10月30日土曜日

お願いがあります




全世界のクリスチァンの方々に、お願いがあります。


私のために、執り成しの祈りを行ってくだい。


私は右半身不随と言語障害と末期癌です。


イエス様お癒しください。





Joy 2




家庭教師を付けたお陰で、ジョイの成績はクラスで一番だ。来年の春ごろまでには、ピアノのレッスンを再開させるつもりでいる。


土曜日の日本語学校へも通っていますが、今、ジョイは、空手を習い始めました。ジョイの才能は水泳にあると、僕は見ました。家人も同調しました。近い将来、スイミング・スクールに通わしたいと思っている。


教会でも、学校でも、ジョイの評判は高い。礼儀正しい、優しい、聖書を暗唱している。この文章を書いてみて、親ばかチャンリンだと思いました。


ジョイを見ていると、闘病生活を忘れてしまいそうだ。








小川の川辺に白い花が咲いている


その傍らに 白い心のあなたが座っている


何と美しい姿なのだろう


僕が近づくと すべてが仄暗くなる


僕の心の中に 突然垂れ込める否定的な思い


どうして ぼくはパウロのように


弱い時にこそ強くなれないのでしょうか


主よ


主よ どうか僕の灰色の心を


純白の渚で満たしてください


 


2001-7-29        新井雅之





秋の夢




今日は通院の日。それにしても美味い物が食べたいなー。一日中美味い物を食べる事を考えている。病人の風上にも置けない。


食べづらいと、日々ぼやいているのに、まさかこのような状況になるとは、夢にも思わなかった。病院の帰りに何ぞ美味い物でも、食べに行くか。


闘病生活をしていると、美味い物が食べたくなる。ここで一句


「闘病にご馳走並ぶ秋の夢」





ポエトリー




十三年前の春に、初めてパリヘ赴いた。


朝から夜遅くまで仕事に拘束された出張であったが、一日だけの非番を利用して、私はモンパルナス墓地に埋葬されているボードレールの墓に、真っ先に詣でたのである。


昼前になって小雨が降りだしたが、知己がホテルまで車で迎えに来てくれたので、ミラボー橋まで案内してもらった。かねてからパリヘ行くことがあった ら、この橋の上に立って、ギィヨーム・アポリネールの詩『ミラボー橋』を音読しようと決めていたのだ。生憎パリの空は灰色の影を落としていたが、念願が 叶った私はパーッと欣快になった。


以来、私は度々パリの街を訪れるようになった。ボードレールが『悪の花』を執筆したセーヌ河畔のホテルで、『現代フランス詩論』を読み、モンマルト ルの丘のホテルでは、トリスタン・ツァラの詩集を読みあさり、モンパルナスのカフェではジャン・コクトーの詩についてペンを走らせた。


ビクトル・ユーゴやマラメル、ヴァレリーにランボー、そしてアンリ・ミショーらの詩人の偉業が、今でもパリの街中に色濃く漂っている。これほど詩人の匂いに満ちていている繁華な街路は、世界中どこを歩いても辿り着かないだろう。


さて、詩は英語でポエム(poem)とポエトリー(poetry)に分かれる。前者は個々の詩作品である概念(固体概念・単独概念)を指し、後者は詩の本質である概念の内包である。


日本語には「詩」という単一的な言葉しかない。従ってポエムとポエトリーを同義的に捉えてしまう傾向がある。ポエムは「詩」と訳していただいて差し 支えはないが、明治の初めに外山正一らの提言で始まった『新体詩』を、ポエトリーと正式に訳すことによって、自由詩の抽象性を定義付けすることは出来な かったのだろうか、と考える。


明治十五年に出版された『新体詩抄』の序文には、以下のように謳われている。「この書に載する所は詩にあらず、歌にあらず、しかも之を詩というは泰西のポエトリーという語、即ち歌と詩を総称する名にあるのみ。古よりのいわゆる詩にあらざるなり」


私はポエム「詩」に対して、ポエトリーを「新体詩」あるいは「自由詩」と解するように心掛けている。


新井雅之



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© 2010 Masayuki Arai


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2010年10月29日金曜日

スワヒリ語




和夫は海外旅行が趣味である。どうして海外に出掛けるのが好きかと言うと、特殊なマシーンを持っているからである。和夫は外国語が苦手である。そんな和夫が外国人相手に、すらすらと喋るのである。英語、フランス語、スペイン語、中国語、何でもござれである。


和夫は海外へ行くと、口元にマスクの様なものを付ける。マシーンである。その名も自動通訳機、マスクをかけて日本語で喋ると、瞬時にしてその国の言葉に訳される。


ある日、和夫は外国人の女性と恋に落ちた。これも自動通訳機のお陰だ。二人は結婚を誓い合った。正しく幸せの絶頂である。甘い新婚生活もいよいよスタートして、バラ色の人生を和夫は満喫した。


和夫は今晩、出張に出掛ける。和夫は夜遅くまで仕事をこなした。ホテルヘ帰る道すがらバーに立ち寄ることにした。元来、和夫は酒好きだ。この日はすっかり酔っぱらってしまいました。泥酔である。


どうやってホテルにたどり着いたのか、皆目見当がつきません。その夜、ベッドに倒れ込むようにして眠りました。朝起きて、はたと気づきました。自動通訳機が見当たりません。バーへ直行しました。朝早いので店は閉まったままだ。


夜になって自動通訳機を探しました。どこを探しても見当たりません。道を探しても。ホテルの部屋を探しても、もう、絶望だ。


出張先はブラジル。言葉が全く通じません。細君に電話を掛けるにしても、これまた言葉が通じない。和夫は途方にくれました。


兎に角、飛行機のチケットはあるので、国へ帰ろう。フランスへ帰ったら何とかなるさ。機中で、和夫は上着の内ポケットに腕を突っ込んだら、自動通訳機が出てきたではありませんか。和夫は、にんまりとほくそ笑んだ。自動通訳機が正常に作動するか試してみた。


日本語で喋ってポルトガル語になるか試してみた。何処かおかしい。壊れている。日本語で喋ってスワヒリ語になる。もう駄目だ。


細君はフランス語と英語だけだ。夫婦なのにコミュニケ―ションが取れない。どうしょう。和夫は自宅に到着した。和夫は細君にスワヒリ語で話しかけた。


最初は冗談かと思っていた細君。だんだんと険悪な表情へと変わって行った。暫くして細君もスワヒリ語で喋りだした。


細君は学生時代アフリカへ留学していたので、スワヒリ語は得意中の得意であった。ジャンボ!


新井雅之





おなごの春 




 春うらら


眠れるフリューゲル・ホーンの渚に


くんぬりと赤錆びた 若いおなごの匂いがする


おなごの下着のたもとで 山吹色のフリューゲル・ホーンが鎌首をもたげる


光沢のない碧苔(へきたい) 花のいない春


柔らかくて鋭いビオラの窓の外 春の憂鬱が漂う


黄昏にたなびくカンツォーネ おなごの太い肉声


四角い円い部屋に あめ色に輝くビオラの夕べ


真夜中の春


ウエストコースト・ジャズ


限りなくけだるいバリトン・サックス


あなたは遠くへ行ってしまった


ブルーノート おなごの春の風景


おなごの春   新井雅之


 





ガーデナの味処




Interior
California Fish Grill

僕はかつて、ガーデナに7年間住んでいた。美味しくて安いレストランはないものか? と、誰もが考える。


日系(日本)人が多く住むガーデナに、昼時になると長蛇の列が出来るレストランがある。不思議なことに、混み合うレストランの中には、いつ赴いても日系人と思(おぼ)しき人物の姿が見当らない。


はて、このレストランは、アメリカのレストランによく見られる、廉価とボリュームだけが売りもので、味覚の点では日本人から総好かんを食らっているのかと思っていた。


ところが食べてびっくり、「うまい、安い、新鮮」の三拍子。一人で数人分テイクアウトする顧客の姿が絶えない。レストランの名前は『California Fish Grill』。焼き魚にかける特製オリジナル・ソースは、実にファンタスティック!


場所はアーテジア・ブルバードとノーマンディーのコーナーにある『ゲイトウェイ・プラザ』 内。


同じくガーデナに、「うまい、安い、ゴージャス」なレストランがある。メニューを見ると、街のコーヒー・ショップよりも二割ほど安い。味の方は、コーヒー・ショップが束になってかかってきてもかなわない。ダイニング・ルームは高級ホテルを彷彿する。


このレストランは、知る人ぞ知るレドンドビーチ・ブルバードとバーモントのコーナーにある『Hustler Casino』の二階にある。


カジノ内にあるので、来店できるのは二十一歳以上だが、意外と静かで空気も奇麗。そしてサービスも良い。


最後にLAで一番うまいアサダ(ビーフ)ブリトーの店を紹介する。屋号は『Albertitas Mexican Food』、場所はウエスタンとガーデナ・ブルバード。肉汁とワカモレ、自家製ホット・ソースのオラトリオがたまらない。病み付きになることうけあいである。

新井雅之





暗夜(やみよ)




黒い夏天の裂け目から


長虫のような首を覗かせて


真夜中に鳥が鳴く


大都会のど真ん中をめがけて


鳥の鳴き声だけが


びんくるビンビン


夜のしじまに響きわたる


 


鳥はまるで疾風(はやて)のように鳴く


人々が深い眠りの中に死んでいる間


すっかり冷えきってしまった蒼黒の大地に向かって


鳥は


狂ったように鳴き叫ぶ


 


半分開いた窓の外に


墨色をした大きな鳥が一羽


人を食ったような顔をして


びんくるビンビン


俺のされこうべをつついていやがる


 


暗夜(やみよ)   新井雅之


 


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忍耐




昔の僕だったら、苦難が襲いかかって来たら、現実を拒否していただろう。大病をしてから塗炭苦しみに遭遇しても、現実を受け入れることができると思う。


近頃、頓に忍耐という熟語に対して、熱い思い入れを感じている。人間が最も必要な事は、忍耐する心じゃないでしょうか。


真の精神的満足は、忍耐することから始まるのではないでしょうか。





2010年10月28日木曜日

思いで




毎日が暇だ。それでいて時間の経つのが早い。健康な時と比べて、読書量がかなり減った。


読みたくない。集中力がない。飽きっぽい。


情けない。最盛期にはひと月で五六百冊読んだのに。僕が日本にいるとき、出版社に籍を置いていた。本を読むのが仕事であった。出版社では文芸雑誌を発行していた。寄贈されて来る本を片っ端から読んだ。寝る時と食事の時以外は、本を読み続けた。そして文芸雑誌に書評を書くのだ。


往時、資料室を担当していた僕は、投稿されてくる詩や小説に添削を施すのである。あの頃が懐かしい。


年に2、3回、文芸人と交流があった。思い出深いのは、大阪天王寺の飛田遊郭『百番』に於いて、詩人の小野十三郎さんを囲んで、六人で座談会をやったことである。全員が詩人であった。


編集部は環状線寺田町駅、林寺町にあった。編集部へ向かう途中で、腹ごしらえをするのが習わしとなっている。行きつけの小さな中華料理店の暖簾をくぐると、僕に「きょうはどっち」と聞く。長年通っているが、僕はチャーハンと中華丼しか頼まない。


ここのチャーハンと中華丼、美味かったなー、アメリカへ来ても忘れられない味。今度、帰国したら一度訪ねてみたい。


僕は帰国するには自信が持てない。右半身不随であるからだ。周囲の人に迷惑がかかるから。そうなれば、チャーハンと中華丼が食べられない。難波の夢は夢のまた夢。


大阪へ帰ったら、行きたいレストランが沢山ある。心斎橋の『明治軒』、『プランタン』、千日前の『治作』、鶴橋の『宝海楼』、江坂の『民宝』、阪神デパート内の、『つるや』、曽根崎の『ゆかり』、他。


子供の頃によく行った、母の田舎である高知県にも行きたい。叔母と伯母が二人いる。もう、伯(叔)母達は不帰の客となってしまった。


この原稿が脱稿して、夕暮れどきに、僕は俳句を詠んだ。


「なつかしむ思いでキラリ秋の海」


 新井雅之


 





買い忘れる妻




妻は夕食の用意をしている。今晩のおかずはすき焼きだ。食卓に着くと妻は叫んだ。


「お肉、買い忘れた!」


肉の無いすき焼きは寂しくて、惨め。玉ねぎ、しらたき、焼き豆腐だけで食べた。


今日も妻は夕食の用意をしている。今晩のおかずは刺身だ。頂きますと言ってから妻は声を荒げた。


「山葵と醤油、切れているわ!」


山葵と醤油抜きで食べる刺身は、味気ない。二人で塩を振りかけて食べるしかない。


「会社の帰りに、僕がすき焼きの材料を買ってきてあげるから、君はご飯を用意してくれればいいんだ」


すき焼きを作る段階になって、妻があわてた。


「調味料、買い忘れた!」


この日の夕食は、仕方なく水炊きで食べました。勿論、調味料なしで。





アメリカへ来なさい




今日は水曜日、通院する日である。自宅から病院まで自動車で45分かかります。ホテルの様にきれいな病院です。


癌にかかって、死ぬのが嫌でしたらアメリカへ来なさい。City of Hope(病院)で治療したら良いでしょう。癌研究にかけては、アメリカは日本より10年進んでいます。医薬品も日本では認可をされていない薬が、沢山あります。


10月21日の日記に書きましたが、City of Hopeは、癌治療にかけては世界一です。