2011年2月27日日曜日

ありがとう




今日は気分がふさぎ気味。僕が病気で働けないから、江美子に負担をかける。申し訳ない。江美子は毎晩午後8時から午前8時まで、介護の仕事をしている。江美子は眠る暇がない。


昼間も2日間だけ仕事をしいる。おまけに雑用に追われる毎日。ジョイの面倒を見なければならない。炊事、洗濯、掃除、買い物、通院etc。


 


江美子に感謝する日々が続く。ありがとう。





ハワイ料理




ロサンジェルスのガーデナは、ハワイ出身者が多い。ガーデナのオールド・タウンに、ハワイ料理の食堂『Bruddah’s Hawaiian Foods』がある。


店の名前の「ブラターズ」は、ハワイの方言で兄弟。フィリピン、ポルトガル、韓国料理もある。


 


1033 W. Gardena Blvd. Gardena, CA. 90247       310-323-9112       定休日・月曜


 





2011年2月26日土曜日

バナナ




二月


強風が吹き荒れる


南カルフォルニアのフリーウェイ


 


カローラを運転する男は


来る日も


来る日も


バナナを頬張っている


 


喰っても


喰っても


喰っても


Delmonteのバナナの味しかしない


生きていくってことは


大変なこった


 


喰っても


喰っても


バナナの味しかしない


まったく


バナナの味しか しやしないんだ





一番人気のテリヤキ・ボール




一番人気のテリヤキ・ボールが美味しい、ファースト・フード『Teriyaki Grill ♡ Rascals』


チキン、ビーフ、コンボがある。「Teri Plates」もある。「カレーライス」もいける。


僕はチキン・テリヤキ・ボール、江美子はビーフ・ステーキ・テリヤキ・バーガー、ジョイはチキン・テリヤキ・バーガー。


 





100点




本日、ジョイのクラスで算数のテストがあった。100点取ったのはジョイ一人。つねに100点ばかり取るジョイ。


僕の闘病生活も嬉しくなる。ジョイのお陰、イエス様の愛の素晴らしさに感謝したい。





食べてみなはれ




病気なる以前、週に一度は足を運んだ、和風中華のレストラン『えぼし』。僕のお薦めは、チャンポン、チャーハン、黒豚サイド。


江美子のお薦めは、五目焼きそば。ジョイの好物はマーボー豆腐。


10年前に雑誌のエッセイで、「美しいラーメン」と題した文章を書いた。当時、僕は店のオーナーは誰なのか知らなかった。


『えぼし』でチャンポンを食べている時、たまたま雑誌の編集者が食べに来ていた。編集者に僕が書いたことを、『えぼし』のオーナーにばらされてしまった。


以来、食後にデザートがオンザハウスで出てくる。「美しいラーメン」とはチャンポンのことである。


 


美味しいから、一度食べてみなはれ。


 


2383 Lomita Blvd #116 Lomita CA 90717      310-325-6674   定休日・水曜





2011年2月25日金曜日

主に感謝




暖かな日差しにいざなわれて、久し振りに江美子とコーヒー・ショプで、ブレーク・ファーストを食べた。


話が弾んだ、楽しい、嬉しい、主に感謝!


 





思い出の『オーシャン・クラブ』




僕が二十代半ばから後半かけて、足繁く通っていた高級ジャズ・クラブ、南(大阪)の『オーシャン・クラブ』。


往時、日本のジャズ・プレーヤーと交流があった。さしずめ古谷充(たかし・アルトサックス)とは意気投合した。古谷さんはジャキー・マクリーンが最初で、その次にチャリー・パーカーにはまったと語っていた。僕と同じである。


笈田敏夫さんは、いつもブランデーを飲んで、遊びながら歌っている感じがした。藤家虹二さん(クラリネット)は、僕のリクエストをよく聞いてくださる。谷けいこさん(ヴォーカル)は、僕とよくデュエットをしてくださった。僕の十八番(おはこ)は、「酒とバラの日々」。


僕がオーシャン・クラブへよく通った理由は、もう一つあった。当時、僕のガール・フレンドが、オーシャン・クラブでホステスをやっていたからだ。


オーシャン・クラブのステージが跳ねてから、午後11時半頃、サパー・クラブ、鮨屋、居酒屋、スナックなどに、ガール・フレンドと一緒に遊びに、飲みに出掛けた。


 


 





2011年2月23日水曜日

冷麺とタンタンメン




僕と江美子が、和風中華の店に入って、メニューを見ている時。


「冷麺にしょうかなっ」と、僕は呟いた。


「それ何」と、江美子が問うた。


「冷えたラーメンの上にハム、タマゴ、キュウリ、トマトが上に載っているやつ」


「それ、冷やし中華」


「関西では冷麺と呼ぶの」


 


アメリカへ来て、タンタンメンなるラーメンを、初めて知った。おそらく西日本では見当たらないであろう。


 





大病




クリスチャンの信仰がありながら、大病をするのが解らないと、或る知人から言われた。僕も信仰を持ちながら、大病をするまでは解らなかった。


判ったのは最近のことである。それは主なる神様、イエス・キリストに近づくためにある。感謝の思いがあふれるために、長く生きながなえることは問題じゃない。信仰を持ってさえすれば、何も恐れることは無い。永遠の命を神様が保障してくださる。


「このよに、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。わたしたちは、さ らに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。それだけではなく、患難をも喜ん でいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終わることは ない。なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」(ローマ5:1~5)


 





来年の春ハワイへ行けるかな




来年の春あたり、ハワイに姉たちを呼んで、父の法要と母の卆寿のお祝いを兼ねて、ホノルルで持てたらと思っている。僕は姉たちに、この定案を伝えてみようかと思っている。


ハワイは父母と僕と3人で、訪れた思い出深い所。思い出も数多だ。往時はサーフライダー・ホテルの、10階に宿泊した。ダイヤモンドヘッドまで一望できる。ベランダに出てみると、階上から海中に海亀が何匹も見える。


宿泊中にアラスカ沖で地震が発生した。ハワイは津波警報。宿泊客全員が15偕以上に4時間余り避難させられた。


ポリネシアン・カルチュラル・センターへもまた行きたい。スタッフの「写真どうぞ」が大爆笑するほど面白い。


僕の病状が、どれだけ回復をしてかによるけど、来年の春、ハワイに行けるように、イエス様に今から祈ってみたい。





究極の極細素麺




素麺と言えば、奈良県桜井市三輪地区が発祥の地。三輪の手延べ素麺が有名。最近太い素麺が出回っている。冷麦と区別がつかない。


僕は究極の極細素麺が好きだ。素麺をより美味しく食べる方法は、先ず、湯がいた素麺のぬめりを取り除いて、氷水で冷やす。


利尻昆布と本枯れ鰹の出しの中に、みりん、酒、醤油で味を調えて冷ます。ネギ、ショウガ、などの薬味を入れる。


素麺を美味しく食べるには、ダシが決め手。奈良に住んでいる姉に頼んで、利尻昆布と本枯れ鰹をセットにして、極細の三輪の手延べ素麺を送ってもらおう。





2011年2月22日火曜日

独断と偏見の餃子




僕が食べた餃子の中で、最も美味かったのは阪急千里山線(大阪)、豊津駅前の『長崎軒』。赤いカウンターのみ。6名も座れば満席になる。ニンニクを多めに入れた餃子が、とにかく超々美味い。筆舌に尽くし難い味だ。


2番目はJR環状線(大阪)、鶴橋駅の近くにある『宝海楼』。ラー油が美味い。勿論、餃子も超美味い。


3番目は地下鉄御堂筋線(大阪)、江坂駅の近くにある『眠宝』。「後味の良い餃子」で紹介済み。ここの餃子は激うまだ。伝説の黒いチャーハンも美味い。


以上、僕の独断と偏見の餃子編でした。


 


『長崎軒』大阪府吹田市垂水町1-1-8 足立ビル1F  06-6385-2744


『宝海楼』大阪市天王寺区下味原町1-16


『眠宝』大阪府吹田市垂水町1-53-3  06-6384-6327





体の調子がよい




最近、体の調子がよい。江美子とドライブがてら、ミツワで買い物をした。銀行へ寄ってから、『えぼし』(和風中華)でランチ、僕はネギラーメンと黒豚の角煮。江美子は五目焼きそば。


『えぼし』はカテゴリー食に、紹介していなかった。今度また、紹介致しましょう。


 


 





2011年2月20日日曜日

クリスチャンの鮨屋




スタッフ一同に「いらっしゃいませ、ハレルヤ」。「有り難うございました、シャローム」と挨拶をする。


鉄火巻きのことを、ジーザス・ロールと呼ぶ。マグロの赤はイエス様の血、わさびの緑は汗。


一番人気は御霊ロール。通称ハレルヤ・ロール。巻物の中に九つの御霊の実が入っている。


愛(まぐろ)、喜び(こんぶ)、平和(グリンピース)、寛容(かんぴょう)、慈愛(あいなめ)、善意(高野豆腐)、忠実(サーモン)、柔和(たまご)、自制(うに)。


二番人気はズケ。ズケのにぎりの上に、十字架の形をした海苔を張り付けてある。通称、復活一丁と呼ぶ。





奇跡のスイーツ




フランスはノルマンディー地方の村里。家族経営の民宿の食堂で食事をした際、オンザハウスにスイーツが出てきた。僕と江美子はお腹が一杯。食べないと悪いので、スプーンに一口だけすくって食べた。


僕の目が点になった。僕の頭の中に七色の雨が降り出した。雨が口の中に入り、七色の虹が奏でる管絃曲に合わせて、僕と江美子はワルツを踊る。まことに感情豊かな馥郁とした風味。僕は気絶しそうになった。


江美子と顔を見合わせた。「何、この味!!!」。二人は計り知れないスイーツの味に、完全にノックアウトされた。


 


*詩のカテゴリー 『ポントルソン』参照。





「パン」について考える




2008年の父の日に、サン・ペドロのポート・オ・コールへ家族三人で赴いた。観光地とあってポート・オ・コール一帯は、かなりの人出で賑わっていた。


雑踏の中で、私たちはハーバーに面した、少しばかりかしこまった瀟洒なレストランを見つけた。店内は天井が高くて品性に満ち、外辺の喧騒を忘れてしまうほど従容としていた。


テーブルに案内されてから、私たちは一通りメニューに目を通した。しばらくしてから、私は料理の質問を若いウエイターにぶつけた。しかし、残念なことに係のウエイターは、あまりにも料理の知識に乏しく、私たちをがっかりとさせてしまった。


次に、リーダー格のウエイターが、私たちのテーブルにやって来て、係のウエイターの代わりに、オーダーを伺おうとするのだが、私たちはウエイターの意に介しない横柄な態度に、辟易としてしまった。


いうなれば私たちは、レストランの風格に釣られてしまった、まな板の上の鯉である。こうなれば出てくる料理に期待をかけるだけだ。そもそもアメリカのレストランで、旨いものを食べようなどとは毛頭考えていない。料理の味は「アメリカの基準」に応じていれば、それで十分である。


ご多分に洩れず、最初にサーブされたビスクは、イカの塩辛が裸足で逃げ出してしまうほど塩気が強いので返品した。次に出てきたのは、強烈にかたい肉料理、辛うじてシーフードだけは及第点に滑り込んだしだい。


お陰で、父の日の団欒がぎくしゃくとしてしまったが、家族三人で、レストランで過ごせたことは感謝なことであった。


今、私は感謝と書いたが、ウエイターの接客態度やレストランの姿勢については、憤慨に堪えないのだ。おそらくこの私も、ウエイターと同年代の生意気な盛りであったならば、「こんなまずいものが食えるか!」と、まくし立てて、プイっと、レストランを出て行ってしまったことであろう。


美味しい料理は、人と人の潤滑油となる。料理がおいしければ、つい話がはずみ、連帯感が生じて幸せな気分が芽生える。


そのことをいち早く誰よりも周知していたのは、イエス・キリストである。イエス様は事あるごとに民衆や弟子たちと、食事を共にしました。そして、その食卓で語られるイエスのたとえや教えは、社会的、宗教的に分裂した人々の、心のよりどころとなった。


巷では、数年前から「食育」について、議論されるようになってきた。この「食育」という言葉を最初につかった人物は、明治時代の薬剤監、石塚左玄である。石塚は自著の中で、「体育智育才育は、即ち食育なり」と、書き記している。


「食育」とは、食事に関する知識を学び、栄養のバランスを自分で組み立てられるようになるための取り組みだ。


イエスは語っている「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」(マタイ4:4)


もはや解説の必要はないと思うが、逆説的に捉えると、神の言葉も必要であるが、同等にパンも必要なのである。けれども悪魔に試みられたイエスは、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。やがてイエスを試みようと、悪魔がイエスに言った。「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」


その後も、悪魔の試みは続くのであるが、生きていくためには、パンも必要であるが、場合によっては、肉の糧よりも断食する方が得策であると、イエスが説いているようにも解釈できる。


日本国際飢餓対策機構によると、一年間に一千万人の人々が、飢えが原因で命を失っている。しかし、皮肉なことに、アメリカ、日本などの先進国では、飽食に明け暮れている。


悪魔の策略は非常に巧妙である。なぜならば、人間の弱さを熟知しているからだ。まず、悪魔は、「御霊の実」(ガラテヤ5:22)のしんがりに位置している「自制」心を、人間から奪い取ることに懸命である。


多忙な現代人のために考案された、大量生産加工食品やファースト・フード、そして清涼飲料水やスナック類は、自制する力を失った人間にとって、もはや聖霊の宮を汚す産物となってしまっている。


現在、アメリカに於ける成人の7割近くが、過体重もしくは肥満であるそうだ。ジョンズ・ホプキンス大学の研究チームによると、2015年には、成人の7.5割が過体重、4.1割が肥満になると警鐘を鳴らしている。


アメリカ人は日本人と比較して、食に関する知識があまりにも希薄である。即ち「食育」というものに対して無関心なのだ。


神の言葉は、教会へつながり、聖書を通して学ぶことができる。しからば、日々の肉の糧となる「パン」については如何なものか?


アメリカでは、近い将来、死因のトップが「肥満」になるとのデータがある。従って、まずはアメリカの諸教会が、「食育」に真剣に取り組んで、その魁となって、全米に意識改革をもたらしてほしい。





黒いブルー




鉛色の空を台形の クチバシが無い鳥が飛ぶ


銀色の雨が降る日に 鳥はカチキと鳴く


鳥は大きくショートに黒く飛ぶ


 


今日も大きなカラスは


コンクリートの垂れさがる空を飛んでいる


スプリングには ドラムの不協和音


オレンジの重油の海の空を徘徊する


 


僕にはわからない


誰にもわからない


鳥は永久(とこしえ)に


カチキと鳴き叫ぶ


 





2011年2月19日土曜日

駅弁のベスト・スリー




僕が中学一年生の折、鉄道ファンであった。休日になると、友達と蒸気機関車の写真を撮りに出掛けた。されから今日(こんにち)に至るまで続いた。


鉄道に関する色んな物を、コレクションした。国鉄時代に展示即売会で買い集めた、懐中時計、ナンバー・プレート、切符を切るハサミ。


自分で集めた切符、駅弁の容器と包装紙。中でも駅弁の食べ歩きが好きだった。駅弁で忘れられない味がある。


東海道本線、米原駅の『鱒の姿すし』。北陸本線、富山駅の『ますのすし』。函館本線、森駅の『烏賊飯』(いかめし)。僕が食べた駅弁のベスト・スリー。


富山駅の『ますのすし』もどきなら、アメリカでも作れる。鮨飯の上にサーモンを敷き詰めて、押し寿司を作る。


今度、挑戦してみょうかなぁ……  懐かしい味が甦るのを期待して、思いついたら直ちに実行だ。





全てがエレガント




店内も客もエレガントだが、気分も、料理の盛り付けも、味もエレガント。『Providence』はシーフードのレストラン。メルローズ・アベニューとコール・アベニューの近くにある。


僕のお薦めは、ダンジネス・クラブ、スパゲッティー・アラー・チタラ、タスマン・シー・トゥラウト。


『Providence』は、全てがエレガント。





2011年2月18日金曜日

プール・サイド




青とギンギロとミルク ストロベリー・ペーストの波のドット


それは それは 蒼い忘却のかなたへ 九等辺七角形の天窓


善玉と悪玉が さんしんと漂う空間


そこには もはやエロスは存在しない


僕は今 オーブンの中から女の子と一緒に飛び出してきたのだ


そして群像のサイドで詩を読んだ 核心は肥満の海だ


見ろ アメリカの海を 永遠なれ


 


見たか ジャンクのキャピタルを


俺はサイドだ サイドでしかない サイド サイドなのだ


ジャンクの帝王 ウイリアムJ.クリントン元大統領閣下殿


俺は 液体の森の中で ひとり静かに遊泳にまどろんだ


真っ黒こげの少女を見守りながら


 


 


新井雅之 2008・8月





持つべきものは僚友だ




アメリカへ渡って4年後に、華僑の御曹司(以下K)と知り合った。Kは僕に毛皮の卸販売をやらないかと、話を持ちかけた。


僕にはお金がない。Kは既にダウンタウンのカリフォルニア・マートに、ショー・ルームを借りていた。僕は成り行きで、毛皮の仕事を手伝った。


毛皮の仕入れ先は香港で、ミンク、チンチラ、ラビットが、ショー・ルームに展示されていた。


ある日、Kに僕の提案を述べた。卸売りだけでは面白くない。ホテルのバンケット・ルームを借り切って、展示即売会をやろうと申し出た。


Kは僕の意見に賛同してくれた。早速、新聞に広告を掲載した。テレビにもコマーシャルを流した。当日のアルバイトも何人か雇用した。


売り上げのKは7、僕は3でKと合意をした。僕は元金なしリスクなしでビジネスが出来た。


大盛況であった。売り上げは2日間で41,000ドル。僕の取り分は12,300ドル。当時、円は1ドル250円。300万円相当。


これを元手に僕は、自分の貿易会社兼旅行社を設立した。今でもKとは連絡を取り合っている。持つべきものは僚友だ。





2011年2月17日木曜日

坊やとこいはん




僕は小学校6年まで、坊やと呼ばれていた。幼稚園と小学校と中学は同じ同級生の、船場のこいはんが僕の初恋の人であった。


家が近所であったために、こいはんの家によく遊びに行った。周りの大人たちからは、「坊や、こいはんが好きなのと違うか」と、冷やかされた。


夜遅くまで遊んでいるので、心配してねいやが、こいはんの家まで迎えに来てくれた。


高校2年生の時に、僕は花束を持って、こいはんに愛を告白した。あっさりと振られてしまった。僕はショクのあまり寝込んでしまった。


淡い初恋の思い出が、僕の脳裏を虹色に染めて駆け抜けた。





至極のランチ




6333 W. 3rd  St.とFairfax Ave のコーナーが、LAのファーマーズ・マーケット。市内観光バス乗ると、ランチはファーマーズ・マーケットで済ませる。


 僕はツアーの仕事を40代前半まで、長きに亘ってやって来た。ファーマーズ・マーケットの、お薦めレストランを紹介する。


『Pampas Grill』ブラジル料理。大きな肉の塊を太い金串に刺して、グリルをして削いで食べる。バフェイ形式、ポテト、温野菜、サラダ、パン、ご飯もある。肉の種類も付け合わせも豊富。取った分だけ、秤に載せて重さで料金を支払う。ワインを飲めば至極のランチとなる。


『Phil’s Deli & Grill』この店の、パストラミ・サンドイッチはパンとパンの間に、パストラミが7センチ近くも入っている。もちろん、激うまだ。


詳しくはファーマーズ・マーケットのホームページで。





2011年2月16日水曜日

懲りない重複表現




以前、NHKでは「太古の昔」の表現を使っていた。これは重複表現である。太古と言えば大昔、最近NHKでは「太古の昔」は使っていないようだ。


ごく最近見た『Begin Japanology』で、「古の昔」なる表現が使われていた。古(いにしえ)と言えば昔、NHKはまたもや重複表現を使っていた。





思い出深い『ポンドシエル』




僕が19から23歳の頃に、よく赴いたフランス料理のレストラン『ポンドシエル』。今は名前が変わって『ルポンドシエル』。


大林ビル(大阪)の30階にあるフレンチ・レストラン。往時(70年半ば)は超高層ビル。僕の成人式のお祝いの帰りに、家族みんなで『ポンドシエル』で食事をした。シャンパンで乾杯をした。今でもシャンパンのコルクの栓は残っている。


ガール・フレンドとデートの際に、利用した思いで深い『ポンドシエル』。





2011年2月15日火曜日

愛があふれるお弁当




僕がカイザー(病院)に入院している際に、教会の婦人会の皆様が、お弁当を作って病院まで届けてくださいました。僕は副作用によって食欲が出てきたので、有難かった。


お弁当の蓋を開けてみて、僕は驚いた。盆と正月が一同に来たかと思えるほど、豪華なお弁当であった。


さしずめ、森 礼子さんお弁当には舌を巻いた。礼子さんは度々お弁当を作って、持って来てくださる。僕のリクエストも聞いてくださる。近じか礼子さんのご自宅に、ご馳走を食べに行くことになっている


たまげたのは伊藤弘子さんのお弁当だ。ご主人の嘉一さん、こんなに美味いものを毎日食べているの?!!!


古山牧師夫人、チロリンさん、ようこさん、あかねさん、悦子さん、千田さん、節子さん、池原さん、啓介さん、ヤングさん、ボイドさん、ミキちゃん、明子さん、四方牧師、鈴木牧師、稲野牧師、中村龍一さん。その節は、愛があふれるお弁当を有り難うございました。


今でも月に一度、婦人会の皆様が愛のこもった手作りのお弁当を、僕の自宅まで届けてくださる。季節感あふれるお弁当の傑作である。感謝!


 


「主の愛がぎっしり詰まったお弁当」





豊津の『栄すし』




阪急千里山線(大阪)、豊津駅前の『栄すし』は、父とよく通った鮨屋である。ネタは新鮮で、ネタに仕込む仕事も鮮やかにこなす。鮨飯が美味いことが特筆に値する。


僕も鮨屋は数多く知っているけれど、『栄すし』の鮨飯は光り輝き、ほんのりとした食味(しょくみ)感じる。板前(大将)は無口で、女将さんと二人で店を切り盛りしている。


大阪へ来たら、一度立ち寄ってみる価値がある。明朗会計である。


 


大阪府吹田市垂水町1-2-18  06-6384-6385  定休日-水曜





2011年2月14日月曜日

なーん…ちゃて




ダイアナ・クラールの歌と、ピアノ演奏を聴きながら記事を書いている。ダイアナはバークリー音楽院卒、同級生に日本のジャズ・ピアニスト小曽根真(おぞねまこと)がいた。


僕はジャズ・ボーカルで最も好きなのが、ベティー・カーターである。ベティーのインプロヴァイズ・スキャトが素晴らしい。


さて、ジョイは近所の子供たちに、人気がある。子供たちの親からも人気がある。その理由を訊ねてみた。性格が優しい、礼儀正しい、いつも明るい。


学校でも、日本語学校でも同じことが言える。人気があるからプレイ・デートに引っ張りだこ。


ジョイは週に一度、空手を習い始めた。礼儀正しいから、空手の先生に褒められた。


これも親の躾(しつけ)が良いからだ。なーん…ちゃて。


 


 





ジョイのスケジュール




今日、久し振りにジョイの学校へ江美子と迎えに行ってきた。いつもは家庭教師に頼んでいる。月曜から金曜まで、家庭教師と一緒に図書館で1時間半勉強する。帰宅後、1時間予習をする。夕食を済ませて、シャワーを浴びて、寝るまで読書の時間。


土曜日の朝は、日本語学校。帰って来たら直ぐに宿題。近所の子供たちと外で遊ぶ、門限は6時。テレビは土曜日だけ。家族でゲームをするetc。


日曜日は教会、午後はフリー・タイム。


ジョイは素直に言うことを聞く、僕が闘病生活を続けていても、ジョイの笑顔を見たら癒される。





2011年2月13日日曜日

掌の小説 2  陰翳(いんえい)




黄昏に金閣寺の庭の池を眺めていると、夕映えに茜色に染まる金閣寺が水面に映っていた。拓也はふと、シャドネール夫人を、モデルにして小説を書きたいと思いに駆られた。


拓也は谷崎潤一郎に深く私淑していた。と同時に劣等感を懐いていた。「谷崎みたいな陰翳に富む文章が描ければ… 」


いつもの悪癖が出たので、拓也は自分の心を省みた。にわかに、こどもが池に小石を投げた。小石は水面を三回はねて沈むと、水面には幾重にも水の輪が広がり、鯉が飛び跳ねた。


拓也の意のある所の片隅が、韓紅に染まっている。額には脂汗が滲んでいた。拓也は見た。池の中に蠢動(しゅんどう)する気色立(けしきだ)つ陰翳を… 。





Jの傷




ある日、江美子が語った。僕の手術の首の傷がJの形になっている。ジーザスのJだ。僕は鏡を見た。


傷跡にも、イエス様は粋な計らいを施される。ジーザスに愛されている刻印を、僕は嬉しい思いで、いつまでも見つめていた。


 


 


 





2011年2月12日土曜日

広がる詩の世界




ぼくの夢は、世界中の日本人にブログを通して、詩を書く喜びを伝えて行くことである。年に一度、詩の公募をして、優秀な作品に懸賞を与える。


スポンサーの目星は付けてある。ロサンジェルス総領事賞も可能である。知り合いの国会議員に相談をしたら、打診してみないと分からないが、内閣総理大臣賞、文部科学大臣賞も可能と言われた。


18歳以下、青年の部。19歳以上、成人の部。僕の中に広がる詩の世界。


『帰って来たひつじ』が駄目なら、詩専門のブログを作ろうと思う。





青いブルー 




暗闇の中で佇んでいる花畑


花はみな枯れて


鳥はくちばしでトランペットをミュートする


 


漆黒の青い夜空


青い潮の夜明け前


鳥は女になってミュートに鳴く


 


メリーゴーランドは要らない


観覧車もいらない


夜の海に映った鳥たちが欲しい


 


青いブルーの鳥


夜が果てるまで


鬱(ふさ)ぐ鳥は男になって蒼く凍てつく


 


新井雅之





2011年2月11日金曜日

リトル大阪




ウエストLAに、通称リトル大阪と呼ばれる地域がある。ソーテル通りの両側に広がる商店街、北はサンタモニカ通り、南はオリンピック通りまでの区域。


本家のリトル東京よりも、日本を体感できる。リトル大阪の周辺には数多くの日系人、駐在員、留学生が住んでいる。


リトル大阪を定着させるためには、シンボルを作ることだ。例えばリトル東京の櫓(やぐら)、二宮金次郎の銅像。


美味しい和食は、今やリトル東京よりもリトル大阪の方が一枚上手。リトル大阪から車で5分以内の所に、美味しい和食のレストランが数多くある。


リトル大阪の外れに、ウエストLA老舗の和食レストランがある。その名は『安芸レストラン』チキンの照り焼きが美味い。詳しくはYoshio Journalを見てください。





大黒家




リトル東京に、行列のできるラーメン屋があると聞く。僕は4、5年前に数回通ったことがある。美味しかった。病み付きになるほどではない。


豚こつ醤油ラーメンが美味かった。ニンニクの効いた、アメリカ風の餃子が美味い。





2011年2月10日木曜日

カーメンの風




エリック・ドルフィーのバスクラリネットを聴きながら、この記事を書いている。クラシックではありません。ジャズである。


“When you hear music, after it’s over, it’s gone in the air. You can never capture it again”


音楽を聴き終わった後、それは虚空に消えてしまい。二度と捕まえることは出来ない。


アルバム『ラスト・デイト』に収められた、ドルフィーの言葉だ。


オーネット・コールマンとエリック・ドルフィーのフリージャズを、僕は若い頃によく聴いている。現代詩を作るのに、モチベーションを高めてくれるからだ。


いつだったか、雨が降るエアポート・ヒルトン・ホテルの駐車場で、友達と待ち合わせをしている時、車の中でジャズを聴いている折に、突然、アナウンサーがカーメン・マクレエの追悼番組に切り替えましょうと言った。


僕はカーメン・マクレエの訃報に驚いた。彼女は親日家であった。少し遅れるフレージングや、ハスキーボイスを生かしたバラードが得意であった。


僕は、そぼ降る雨の中、カーメンの歌声を聴きながら、黙とうをささげた。そしてカーメンの風を感じた。


この稿を書き終えた後で、カーメン・マクレエのCDを聴いた。僕は一言発した。しびれ~る!


 





太鼓判を捺すレストラン『Osteria Mozza』




メルローズに、予約が取れないレストランがあると聞く。Mario Batali(マリオ・バテイ)がオーナー・シェフ。アメリカ版「料理の鉄人」に出演、イタリヤ料理の鉄人。


僕のお薦めは、Pasta Tasting MenuとPizza。自家製生パスタと特製ピザが、爆発するほど佳味。数ヶ月前から予約をして、一度行ってみる価値がある。


僕が太鼓判を捺すレストラン『Osteria Mozza』





2011年2月9日水曜日

愛餐会




僕はかつて教会の愛餐会(昼食)の、当番をやっていたことがある。久し振りにやろうかと、江美子に話を持ちかけたら、鶴の一声で反対された。


僕としては教会の信徒の皆様に、お世話になり、いつも祈っていてくださるので、感謝の思いを込めて、何かをしたいからだ。


いつ頃に、愛餐会の料理を作るのであれば良い? 僕は江美子に問うた。夏ごろと返事が返ってきた。


僕の頭の中にはアイデアがあった。あらかじめ料理の下ごしらえは、自宅で作る。教会ではご飯を炊くだけだ。いとも簡単。


当日まで、特別料理の名前は秘密。楽しみにしといてください。今迄に食べとこがない和食の味を、堪能してください。こうご期待!





外出禁止令




2月3日(木)病院へ赴いた。放射線治療が終わった後で、免疫力が低下しているにで、外出を控えてくださいと言われた。余儀なく外出をしたとしても、人混みは避けなさい。


従って、当分は教会にいけない。





2011年2月8日火曜日

リトル東京は人種のるつぼ




リトル東京が変貌しつつある。レストランのオーナーは韓国の人が増えた。引退者が入居できるリトル東京・ターワーでも、韓国系が6割、日本人は3割、後は中国人、白人、ヒスパニック。


フランセス橋本氏よれば、ストリートの看板は、英語もしくは日本語で表記しなければいけない。後8年でこの規定は撤廃される。


そうなれば、リトル東京にハングル文字が満艦飾。コリアン・タウン化が進む。


そもそも、リトル東京にあったロサンジェルス総領事館が90年代初当に、ダウンタウンはバンカーヒルの、高層ビルに鞍替えしたことに始まる。以来、リトル東京は斜陽化の道をたどる。一時はゴースト・タウン化したこともある。


2005になって、コンドミニアムが立ち並ぶ、多くの白人たちが住み始める。これを機にリトル東京に活気が甦る。


昔はリトル東京に、美味しい日本食レストランがあった。東京会館、堀川、すし今井、菜の花、華亀、伽羅。今では一軒も残っていない。


アメリカンナイズされた和食、韓国式和食。ユニオン教会も存続は難しいと聞く。今やリトル東京は人種のるつぼ。寂しいが、アメリカだから仕方がない。


 





またの名




フランスのシラク大統領が来日した。


「わが国のTGV(超特急)の技術と性能は、走行中の揺れを除いては世界一だ」


「これがJRのぞみ号か、スピードに関しては互角だな」


「おまけに走行中の揺れをまったく感じさせない。先を超されたぞ!」


お付きの者が大統領の耳元で囁いた。


「またの名を震撼せんと申します」





郷に入っては




日本では父と娘が、あるいは母と息子が、小学校の低学年ぐらいまで一緒にお風呂に入ります。


『となりのトトロ』でも、父親と二人の娘が入浴している場面がありました。


アメリカで同じようなことをすると、何と児童虐待になるそうです。例え同性同士であったとしても、狭い浴槽の中で、肌と肌を接触させることは、児童保護法によって禁じられています。


ゆえにアメリカでは、浴槽のことをバスタブーと呼んでいるのです。





青は藍より出でて藍より青し




フランス現代アートの巨匠、エミール・ゴーンの息子は、絵を描く際に、父親と同じことをするので、周囲の者を驚かせた。


その手法とは、絵筆に絵具をつけるときに、必ずブルーの色を少し混合するのである。


そのことを知ったエミールは、自分と同じように必ず青い色の絵具を付け足しながら、カンバスに向かって絵を描いている息子の姿を見て、思わず叫んでしまった。


「ブルー足す。おまえもか!」





平安




『帰って来たひつじ』のブログを始めて、3ヶ月半が経過しました。ブログを書き続けている状態は、異常なしと思ってください。


5日連続で書かないでいたら、調子が悪いと思ってください。みなさま、主に与えられた平安が、限りなくありますように、お祈り致します。





2011年2月6日日曜日

リュウさん




僕の友人で、鮨屋のリュウさんから、江美子の携帯に度々電話がかかって来る。僕の病状と、たまには鮨を食べに来いという電話だ。今月中に伺おうかと思っている。


中村龍一こと、通称リュウさん。30年来の友人で、僕が病気で倒れた時「お金が必要な時があれば、いつでも言ってくれ」。


朴訥(ぼくとつ)で飾り気ないリュウさん。夜中の1時半に病院のICUに、夫婦そろって来てくれた。





野球と鮨




野茂の決断がなかったら、イチローも大リーグの挑戦は果たせなかったであろう。野茂の功績は大きい。日本のプロ野球界に、新しい未来を切り開いたのだから。以来、日本のみならず、韓国、台湾人の大リガーが増えつつある。


野茂がドジャースに入団決定後しばらくして、僕は新聞のコラムに鮨屋メニューに、「トルネード・ロール」を加えたら話題性があって良い。ロサンジェルスの鮨屋呼びかけた。


反響は直ちにあった。新聞のコラムを読んだ鮨屋が、「トルネード・ロール」始めた。イチローがマリナーズの入団決定後。僕は直ちにニューヨーク発行の雑誌のエッセイで、「イチロール」を提案した。


2週間後、NHKのニュースを見ていたら、「出ました、イチロール」。シアトルの鮨屋が画面に映った。


日本では毎年11月1日を『全国すしの日』に定めている。今やアメリカにも、すしの日があってもいいのではないか。「リトル東京すしの日」、「マンハッタンすしの日」、「全米すしの日」。


 





大衆すし屋の『亀すし』




僕が最も利用した鮨屋は、曽根崎お初天神(大阪)の『亀すし』。新鮮なネタに、美味しい、安い、早いがモットー。


当時は、2000円もあれば、たらふく食うことが出来た。大衆すし屋の『亀すし』へ、よろしく。





2011年2月5日土曜日




2週間前から夢をよく見る。たわいのない夢だ。夕べは怖い夢を見た。うなされて夜中に目が覚めた。


潜在意識の中に、何かがあるのだろか。眠られないからテレビのニュースを見た。そしてFMでジャズを聴いた。





嗜好品と原稿




僕は全く、コーヒーは飲まない。飲むことは出来ないと言った方が正確だ。若い頃はコーヒーをよく飲んだ。コーヒーの豆を買ってきて、サイホンで沸かしてコーヒーを飲んだ。コーヒーの豆はガテマラ一筋だ。


二十歳前後に体質が変わって以来、コーヒーが全く飲めなくなってしまった。不思議な事に、カプチーノだけは飲める。オレンジ・カプチーノならなお良い。


体質が変わって、アルコール類が一切飲めなくなるように願うのであるが、歳を重ねるごとに益々酒が好きになる。


病気になる以前、週末の夜になると、食後にコニャックを一杯飲む習慣があった。肴はフランス最古のチーズ、アオカビで熟成されるチーズの代表格、ロックフォール。


ジャズを聴きながら、ブランディー・グラスを傾けて、ロックフォールをつまむのが、僕の週末の夜の過ごし方であった。


一時間ほど仮眠すると、往時は新聞と雑誌の連載に追われていたので、ひたすら机に向かって原稿を書いた。96年まで原稿用紙に向かってペンを走らせた。以降はPCのキーボードを叩いた。


当時はまだ、僕は小さな旅行社を営んでいた。朝から夜までツアーの仕事が入る中、夜を徹して、原稿を書かなければならなかった。一番つらい時期、いや、やりがいのある時期だ。


今では、紅茶を啜りながら、『帰って来たひつじ』の記事を書く日々が続く。もちろん、ジャズを聴きながら…… 。





豚まんの肉汁




日本人に馴染む豚まんを考案したのが、元祖豚まんの店、神戸南京町の『老祥記』(ろうしょうき)だ。この店は行列が出来るほどの繁盛店。一日に、豚まん13000個を売りさばく。


僕は三宮の『一貫樓』(いっかんろう)方に軍配を上げる。ここの豚まんの肉汁は半端じゃない。先ず、具の多さに驚く、具材の自然な甘さが、旨味へと変わる。


『老祥記』と『一貫樓』個々の好みによる。


 





2011年2月4日金曜日

闘病気を記す




5月にジョイの学校(ミッション系)で、全校生徒の演劇が行われる。ジョイが総合司会に抜擢された。ジョイも歌と踊で出演する。


ジョイは2歳の時に日米劇場に初舞台。4歳、日舞でアームストログ・シアター。5~7歳、ピアノ発表会でステージに立つ。学校で演劇の舞台に立つ、6~8歳。教会の舞台数回、演劇、詩の朗読。


ブロードウエーの舞台に立つのは、いつ頃かなと考える今日この頃である。闘病記を記す。





ボブ・フローレンス




『新ラッパを吹くひつじ』になってから、2日に一度のペースで書いている。『旧ラッパを吹くひつじ』は、1ヶ月2回で四百字詰め原稿用紙一作6枚。新ラッパは3枚。このペースを維持すれば、5ヶ月後に一冊の本になる。出版する気持ちは全くないけれど。


御多分にもれず、ジャズを聴きながら書いている。ボブ・フローレンス・ビック・バンドだ。かつて、僕とボブ・フローレンスはサウザンド・オークスに住んでいた。近くにあったタワー・レコードでボブ・フローレンスのサイン会があった。この日、僕は初めてボブ・フローレンスと出会った。


 原信夫とシャープ・アンド・フラツと親交があると、ボブが語っていた。ボブの偉い所は「パパ・ファンデーション」を設立して、若手ミュージシャンを育成すことにある。


二週間後に、僕の講演会が教会で行われた。前座にプロのジャズの演奏。この日はカルテット、ピアニストは何処かで見た顔、まさか、自分の目を疑った。ボブ・フローレンスがピアノの前に座っているではないか!


ふらっと表れて、演奏が終わればどこかへ消えてしまう。これがアメリカだ。有名なジャズ・ピアニストが僕の前座を務めた。信じられない。


僕は一日中、愉快でならかった。


 


 





幻の牛肉




日本に於ける牛肉の産地には、1. 三重県の松阪牛2. 兵庫県の神戸牛3. 滋賀県の近江牛4. 兵庫県の但馬牛。

そもそも松阪牛、神戸牛、近江牛これらの全ては、但馬牛がルーツだ。ここで世界一美味しい牛肉を紹介する。


あまり出回っていないので、一部の食通しか知らない。それは大阪の幻の牛肉、羽曳野牛だ。





2011年2月3日木曜日

ひろちゃn




ひろちゃn、果物の詰め合わせ、有り難うございました。みんな美味しかったですけど、長寿郎が最もおいしかったです。


お陰様で、退院後の体の調子は良好。皆様のお祈りに感謝致します。








四郎は花子に恋をした。


初めてのデートの日、手をつないで丘に上(のぼ)った。


丘の上には、花が咲いていた。


来る日も来る日も、手をつないで丘に上った。


 


やがて二人は結婚をした。


週末には、手をつないで丘に上った。


年老いてからも、手をつないで丘に上った。


やがて二人は、亡くなった。


 


丘の入り口で一枚の看板。


誰が立てたのか分からない。


看板には「手つなぎの丘」


 


 


*  『丘』のモチーフ。僕と江美子の最初のデート日、サンタモニカの横断歩道を手をつないで渡った。それ以来、手つなぎの横断歩道と呼んでいる。





M




僕の心は醜い


心代わりするから醜い


神に誓っていても


心代わりするから醜い


僕の心はウジ虫よりも


汚くて醜い





2011年2月2日水曜日

ごもっとも




食事制限が終わった。ようやく美味いものが食べられる。嬉しことこの上ない。最初に食べたのが、鮨のファースト・フード店で買った握り鮨とバッテラ。あまり感動がない。


二、三日して、江美子が作ってくれた、純和風料理に感奮した。ヒラメの縁側、大根おろしとしらす、キュウリの糠漬け、白みそのみそ汁、冷ややっこ、ご飯。


今度は、江美子に煮魚をリクエストしたら、あなたが作る方が上手いと言われた。僕は心の中で、ごもっともと囁いた。





2011年2月1日火曜日

ジャズ




今、バッド・シャンクとフランク・モーガンのアルトサックスを聴きながら、この稿を書いている。ジャズを聴きながら書くと、テンションが上がる。


車の中でも、家の中でも一日中ジャズが流れている。たまにはボリュウームを上げて聴く。四、五年前に、日系引退者ホームで、ジャズの夕べと題した夕食会があった。


プロのジャズ・ミュージシャンをライブで聴いた。ゲストは僕とミスター世界こと、関根正和夫妻。司会者は、僕のことをジャズ評論家と紹介した。


後で司会者の方に、僕がどうしてジャズ評論家なのかを訊ねた。たまたま、ジャズ・ピアニストのアーク佐野さんのアルバムに、僕がライナーノーツを書いているのを見て、ジャズ評論家と紹介したそうである。


クリスチャンのジャズ愛好家に、ロン長谷川氏がいる。ジャズのLP一万枚も所有しているという。


僕のジャズ歴は17歳の時に、マイルス・デイビスを聴いてジャズにはまった。良いジャズとは、ブルースを感じさせて、スイングするジャズだ。正にマイルスはこの典型である。





『Mccormick & Schmick’s』




カリフォルニアを中心に、全米をチェーン展開するシーフード・レストラン、『Mccormick & Schmick’s』。『Ocean Avenue Seafood』、『King’s Fish House』(両方とも紹介済み)と比較すると、味が同じで価格が安い。


何といっても『Mccormick & Schmick’s』の目玉は「Seafood Platter」だろう。氷のしかれたシルバーの皿の上に、新鮮な魚介類が盛りつけてある。


生ガキ4個、ムール貝5個、エビのカクテル4尾、小皿にベイ・シュリンプとカニの身、ミニ・ロブスター3匹、刺身4種類16切れ、サラダ、価格45ドル。ラージもある68ドル。