2010年11月23日火曜日

掌の小説 ― 蕎麦(そば) ―




私は今、アメリカに住んでいる。日本の蕎麦屋に勝るとも劣らない蕎麦屋が、私の陋居(ろうきょ)の近隣にある。


私は昼時に、よく蕎麦を食べに出掛けることがある。蕎麦の声を聴くために、蕎麦の香りを楽しむために、滋味な手打ちそばを食べるために、今日も、蕎麦屋に赴く。


店の中へ入ったとたん、つと、倭國(わこく)の風情を察する。蕎麦には数多くの品種があるらしいが、通常は夏蕎麦と秋蕎麦に大別されているようだ。


歳時記によると「蕎麦の花」は、季語が秋となっている。出盛りの蕎麦粉をこねて作る旬の蕎麦は、アメリカに住みながらにして、日本の爽秋を味わえる一品なのである。


箸でつまみあげた新蕎麦を、つけ汁に浸した瞬間から、めくるめく秋の声がほのめきだして、秋うららな故郷の錦絵が脳裏にたなびく。やがて三つ葉の青い香りが鼻孔へと漂い、瑞々しい香気が脳内に吹聴される度に、茹であがった盛りの蕎麦が、つけ汁の中で綯い交ぜになっている葱(ねぎ)と山葵と(わさび)と三つ葉のオラトリオが、最高潮に達する。


いよいよ芳しくもまったりとした舞踊の様な食感が、口の中に広がり始めると、喉越しの良い新蕎麦の風味に充足を覚えるのだ。


そして最後に、ほっと一息ついて蕎麦湯をすすれば、私の心持は藹々(あいあい)として来るのである。





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