2010年11月29日月曜日

俳句 2010 秋 3




1. 闘病者昔のロックに涙する


2. お弁当とりどりの笑顔あり


3. 目をつむり見えるのは真実の愛


4. 生家には思い出ずくし万華鏡


5. 食いしん坊グルメ三昧秋の夢


6. 閉じこもり神が与えた休みなり


7. 椿の実手かせ足かせ主の恵み


8. 絶望もイエスの恵み秋晴れに


9. 御言葉を読んでみたいなすらすらと





2010年11月28日日曜日

イエスを信じホトトギス




いよいよ、ホリデーシーズンに突入した。僕はのんびりと静観の構えだ。ジョイと江美子は、毎日忙しくしている。


病気になる以前は、雑事に追われて忙しかった。この季節になると、プレゼントを何個も買わなくてはならない。プレゼントを買う人の、名前を羅列したリストを持って、ああでもない、こうでもないと独りごとを言って、師走の街を奔走しなければならない。それも、また楽しい。


イエス様の誕生日の日に、プレゼントを交換しなければいけない道理が分かりませんが、子供たちの喜ぶ姿が、つい、見たくて、毎年親戚の子供たちにプレゼントを配る。


僕の友達に15歳の男の子いますが、未だにサンタクロースがいると信じて疑いません。今時、この様に純粋な少年は滅多にいません。


最近、つと、正岡子規の事を考えることが多くなりました。NHKのドラマ「坂の上の雲」の影響かも分かりません。子規は死を迎えるまでの約七年間は、結核を患っていました。もう一度『病床六尺』を読み返してみました。子規は病床六尺の世界を、私には広すぎると言いました。


僕が大病をしてみて、子規の胸中を察することができました。僕は強がりばかりを言う。子規は思いのままを伝えている。実に尊敬に値する文学者である。僕は若い頃から正岡子規先生に私淑していたのだ。


結核は喀血することから、ホトトギスは血を吐いて死ぬので、俳号を子規(ホトトギスの別名)と名乗った。


僕も喀血したことがある。救急車で病院に運ばれて、直ちに手術。口から溢れ出る血液は、もう、これで最期かと思いました。


 


「喀血しイエスを信じホトトギス」





許し




友人と、ある問題で意見が対立した。私はその友と、膝を突き合わせて、じっくりと意見交換をするつもりでいた。けれども残念なことに、その友は弁護士を通して、高飛車な手紙を私に送りつけてきたのだ。


止むを得ないので、私も弁護士を立てて対応すると、今度は私の悪口を世間に吹聴し始めた。挙句の果ては、悪徳弁護士と結託するや、友は事実を捏造して、私の自宅に警察官を二度に亘って急行させるという、実に卑劣な手段に出た。


最初から私の方が正しいと確信していたので、その証拠となる書類と写真を、自宅に乗り込んできた警察官に見せると、彼らは呆れ返って退散した。やがて友の弁護士も、私が所持しているエビデンスを閲覧すると、恥ずかしくなってしまったのか、友の弁護人を辞退した。


法廷では、友は敗訴した。最初に話し合いをしておけば、このような結末には至らなかった。友は傲慢で、やくざとの係わりがあり、麻薬常習者で、檻の中に収監されたことがある。そして現在でも、世間には公表できない、ビジネスのオーナーでもある。


私が友と接触してきたのは、伝道のためであった。何はともあれ、友に立ち直ってもらいたかったからだ。結局、後ろ足で砂をかけられて、無駄な時間と、弁護士、裁判のための諸経費など、約一年の間に合計六万ドルを支払った。まったく、頭に来る。


それでも、私は友を許そうと思っている。自分も神様から許されて、恵みを受けているからだ。





2010年11月27日土曜日

夫たる者よ




パトリック・マケリゴット著(いのちのことば社)の『夫婦の愛が築く、子どもの未来』を読んだ。本の扉を捲った表紙には、著者の直筆のサインがあるので、家人が講演会の折に買い求めた本であろうかと思う。


マケリゴット牧師は、正しい親子関係の築き方について、日本全国から講演の依頼が絶えない。けれども、マケリゴット牧師が声を大にして語られることは、家庭を祝福させるのは親子関係ではなく、むしろ夫婦関係であるという。


マケリゴット牧師は「エペソ人への手紙」を引用しながら、聖書に書かれている順序を見ても、先ず、夫婦関係を正してから、親子についての記述に触れていると説明している。


「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。」(エペソ5:22)


「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ5:25~27)


「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。」(エペソ6:1)


マケリゴット牧師は、聖書の順序は偶然ではないと説く。即ち、順序さえも教えであると覚えるべきなのだ。


マケリゴット牧師曰く、「まず、夫婦を正してから親子について語る。実際には夫婦も親子も同一と考えるべきです。本当に良い夫婦関係を見ながら育っていく子供は祝福されて、親の誇りとなる可能性が多いのです。」


「キリストが教会を愛したように、夫は妻を愛しなさい」(エペソ5:25)という御言葉は、目で見、耳で聞くような表現が伴ってくる愛であるべきだ。とマケリゴット牧師は力説している。従ってマケリゴット牧師は年に数回、一輪の赤いバラを夫人にプレゼントするらしい。プレゼントをするタイミングは、夫人の誕生日やクリスマスといった特別な日よりも、むしろ普通の日を選んで、一輪のバラの花を夫人に手渡すそうである。


この話を聞いて反論するのは、中年以上の日本人男性である。「あの赤いバラの話だけは水臭いと思いました。日本人はあのようなことがなくとも、仲良くできます。夫婦関係が充実しています」。


この意見に対してマケリゴット牧師は、「女性の心を全く知らない鈍感な人」だと思ったらしい。何故ならば「しなくてもいい。しかし、しなくていいからこそ、してくれるときには嬉しさが倍増する」。これが世界共通の女心であると、マケリゴット牧師は弁明している。


私は、愛とは表現が伴う行為であると強調しているマケリゴット牧師の言葉が好きだ。何故ならば、神が罪人たる人間に対して、一方的に恩寵を与える自己犠牲的な行為は、磔刑と復活という感極まる表現行為を抜きにしては語れないからである。アガペー(神の愛)は、このような大胆な表現を通して、真実の愛を伝えようとしたのではないか。


私の好きな慣用句に「愛に愛持つ」というのがある。即ち、愛敬(あいきょう)たっぷりに振舞う行為のことであるが、女性や子供たちが、全身でかわいらしくにこやかに表現すると、愛に愛持つほど愛くるしいという意味である。


一昔前に、私は或る活字媒体に、「父親の一言によって日本は変わる」といった内容のエッセイを発表したことがある。厳密には一家の大黒柱である父親の一変によって、夫婦関係が、はたまた親子関係が向上すると説いた。そのためには父親の勇気と忍耐が不可欠である。家庭の事情は千差万別であるから、一概にそうとも言いきれない。だが、その勇気と忍耐を継続させたならば、必ずや家庭の環境が好転するに違いないと信じたい。


 父親の一言とは、照れやプライド、そして強情な思いをかなぐりすてて、細君や子供たちに「おはよう」から「おやすみ」まで積極的に挨拶の声をかける。何かしてもらったら相手の目を見つめながら「ありがとう」の一言を発することである。


日本の男性は愛情表現が苦手である。夫が妻に面と向かって、「愛しているよ」と、平然として囁ける者は少ない。「いまさら。キザだ。口に出さずとも解り合っている」。などの意見が聞こえてきそうだ。


けれども知って頂きたい。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。(ヨハネ3:16)


この、神の慈愛は、一人子を手放してまでもこの世を愛されて、永遠の命というこの上ないプレゼントを持って、罪びとたちを救恤するためであった。この至上の愛に始まり、キリスト再臨の天啓まで、目で見、耳で聞くような、豪胆な表現が伴ってくる究極の愛なのである。


従って夫たる者よ。主にみならって、雄々しく豪胆であれ! 妻や子供たちに、そして隣人に対しても、目に見えて耳に聞こえるような愛の表示を、大胆に振舞おうではないか。


愛の伝達を十分に活用させるためには、他者に対して、愛を伝えるべく表現が伴う行為でなければならない。 


 





2010年11月26日金曜日

グッドジョブ




本日、病院のスピーチ・セラピストの所に行って来た。第一部は、食べづらい、飲み込みにくさを矯正する口と舌のエクササイズ。


第二部は文字通り、声が滑らかに喋れるように訓練する。日本人の先生であれば、上手にやっても中々褒めてくれない。ここはアメリカ、グッドジョブの連発。


毎日二回以上、口と舌を動かすエクササイズをやってくださいと、最後にドクターに言われました。


 





2010年11月25日木曜日

困ったものだ





心理学の本を読むと、人間は周囲の環境から影響を受けて行動に出る。と要約されてあった。


例えば若い時分に結婚をして、子育てに四苦八苦するよりも、晩婚である方が、生まれてくる子供にとって、より良い生活環境が望めるという。


その理由は、経済的にもゆとりが出てきた、人生経験を積んだ両親の方が思惟的であるからだ。


このように人格は、DNAから受け継がれて形成されるものではなく、四囲の外界によって確立されていくらしい。「三つ子の魂百まで」というが、乳幼児期に体得した習慣は、終生忘れることはないのだろう。


幼いうちに習わしておきたいことの一つに、読書の習慣がある。読み聞かせと、詩や物語などの銘記は極めて肝要であると思う。ストーリーや活字を追うことだけに専念せずに、文脈の間隙をじっくりと読ませるように心がけることだ。これこそが情操教育なのである。


先ごろ、トルストイの童話集を買い求めたが、解説のところを読んでみて、些かがっかりとさせられた。児童文学を研究している大学教授が、トルストイの文学は人間愛に基づく人道主義に貫かれている。と語っていたからである。


人間愛に基づく文学作品をひと言で表現する場合に、人道主義が貫かれているというのは、あまりにも概念的で表象的ではない。この場合は少なくとも平等な相愛、もしくは博愛主義が望ましい。


少なくともと前置きをしているのは、例えば汎愛主義であると解説書に明記されていたとしても、完璧な解説には至らないからである。


『人は何によって生きるか』、『イワンのばか』、『パンのかけらと小悪魔』など、トルストイの一連の文芸作品には、キリストの愛が色濃く貫かれているのだ。と断言しなければ、的確な評釈として認めるわけにはいかない。


毎月、第四土曜日は『こどもの本の日』。昨今の絵本や童話を閲覧していると、不完全な文意に度々遭遇する。困ったものだ。





2010年11月24日水曜日

格別な計らい




昔から「氏より育ち」と言われているのは、人間は氏素性(うじすじょう)よりも教育が大切であり、血統よりも境遇が人格を形成するからである。従って八歳ぐらいまでの情操教育は枢要な位置を占めている。


幼い頃に身につけた習慣は、「雀百まで踊り忘れず」、「三つ子の魂百までも」、「源清ければ流れ清し」、などの諺でも表現されているように、老年になっても退歩することがない。乳幼児期に規則正しい習慣を体得していると子供と、そうでない子供とでは、小学校に入学する頃から、その違いが歴然として表れてくる。


幼児期に机の前に座る習慣を怠り、絵本の読み聞かせや読書(音読)、簡単な算数、そして創造力の開発と自主性、更には自己表現の能力を培わない懶惰(らんだ)な生活を続けていると、取り返しのつかないことになってしまう。


よく耳にする話しだが、小学校高学年や中学生になってから、「うちの子供は全く勉強してくれません。どうすればよいでしょうか」と、悩みを打ち明ける父兄を見受けることがある。これらの子弟は、幼児期に机の前に座るという習慣を学ばされないまま育って来たに違いない。


今、教育問題について、熱心に取り組んでいる研究者の殆どが、同一問題で警鐘を乱打している。それは小学生から学ぶ英語の学習だ。文部科学省では国語の授業を削って、英語の授業を増やすことを容認している。


米国には数多くの日本人の子弟が、英語学校を始めとして専門学校や大学に留学している。また、日本国内に於いては、学力の低下が叫ばれて久しい。留学生は英語力を培うことを第一の目標に掲げているのだが、それ以前に、彼らの日本語(国語)能力は惨憺たる物である。


母国語である国語を疎かにしておいて、外国語(英語)を修得しようとする心構えは、実に愚かな話しである。その点に於いて、中国人やフランス人は母国語を誇りに思っている。その美しい言語と語勢で、母親が子供に読み聞かせをしている。何と素晴らしいことだろう。


幼児教育に於いて最も肝要なことは、読み聞かせと音読、そして簡単な計算である。特に音読と計算は、老齢にいたるまで継続することによって、脳の前頭葉を活性化してくれるという。近年、痴呆症を予防するために、或は緩和させるための治療方法としても脚光を浴びている。


読み聞かせと音読、そして簡単な算数を毎日欠かさずに行うことによって、幼児の能力開発に寄与することは、世界的に著名な研究者や教育関係者の間でも、今や常識となっている。従って、小学校や中学校で実践している現代の学習方法は、明らかに誤謬を極めていることになる。


公文(トーレンス)の西尾誠一郎先生の講演で知り得たことだが、音読に最適な言語は漢字であり、漢字にひらがな混じった文(日本語)は、脳を刺激する上で世界最上といわれている。これらのことを証明する一つとして、脳障害児の治療と幼児の才能開発で世界的に権威のある、グレン・ドーマン博士が、世界中から集まってくる脳障害児に対して、漢字を用いた治療方法をいち早く取り入れている。


私は、音読の大切さを常々理解していたが、絵本にしろ童話にしろ、闇雲に子供に本を与えるのではなく、先ず親が十分に書籍の内容を吟味してから、良書のみを子供に与えるように心掛けてほしい。この図書の選択は非常に重要なことであるので、怠らないで慎重に取り組んでいただきたい。


一例を挙げると、同じタイトルの絵本でも、表現が軽率であるものや、て・に・お・はなど、文章が不適切な場合がある。更に翻訳された童話になると、これらの不備は数多であるからだ。


音読をするにあたって、絵本も童話も小説も、散文が中心となっている。私が声を大にして述べたいことは、韻文の音読である。日本には短歌や俳句という素晴らしい定型詩が存在する。韻文は子供の感性と創造力を育み、集中力を高めてくれるのである。


私には、五歳の娘が一人いる。二歳から始めた英才教室では、聖愛幼稚園の藤村俊次園長のご指導により、ひらがなからではなく、漢字を銘記することから学習が始まった。更に諺、俳句、百人一首を記銘すると、保持して再生する訓練を怠らない。


当初は、大人ですら難解な百人一首を、幼児が暗誦できるものかと不安であった。けれども、英才教室に参加して四年経過したのであるが、娘は諺と小林一茶や松尾芭蕉などの俳句を、二百十句丸暗記してしまった。そして百人一首は、ようやく半分(五十)まで暗誦を終了させるにいたった。これらの学習は英才教室の一部であり、定型詩の音読は銘記することが目的ではない。あくまでも記憶の回路を幼児の脳に構築するための研鑽である。


ところで老若男女が音読するにあたって、世界最高の図書をご存知だろうか、それは言うまでもなく、漢字とかなのまじった日本語の『聖書』である。聖書には詩と散文が織り成されている。しかも法律の書、歴史の書、預言書、手紙の数々、そして福音書の集大成だ。


神様は日本語という格別な計らいを持って、私たちを愛して、愛して、愛して…… これでもかと愛してくださっている。


 


 


 





キングス・フィッシュ・ハウス




僕の家から車で20分の所に、『オーシャン・アベニュー・シーフード』よりも安価なレストランがある。味は全く同じだ。元々シーフードは高いのであるが、家の近くにあるのと、やや価格が安いのに心が引かれて年に数回は赴く。


レストランの名前は『キングス・フィッシュ・ハウス』。僕は何時もオーダーをする物が決まっている。先ずは、アペタイザーにオイスター、クラム、シュリンプ、クラブが入いている、コールド・シーフード・コンボ。サイドにカラマリ、メインにチョピノウ。


ブランチは至る所にあるので、レストランのホームページを参考にされるとよい。





おせちで学生時代を思いだす




Jalshoppingam.comを見ていたら、母へ年末におせち料理を送りたくなった。それと言うのも、ウェブを見ていたら、僕が学生時代に年に一、二回大学規模で宴会を催した料亭が、ウェブに掲載されていたからだ。


懐かしくなって、京都『涌泉閣』のおせち料理を、母に送って見てはどうだろうかと考えた。掲載されてある中で『涌泉閣』のおせち料理は一番安い。それでも、三段重箱で185ドルもする。


僕が学生の頃に、文芸部を創部して同人雑誌発行した。先生に原稿を貰いに行く段階になって、先生が原稿を書くのを忘れたと言い出した。締め切りはすでに過ぎている。僕は困り果てた。


僕の困り果てた様子を見かねて、先生は学校の傍にある喫茶店に僕を呼びつけて、原稿をすらすらと書くのである。一時間位、絶え間なく執筆している先生の姿に、僕は感動を覚えた。


当時は、鷲田清一先生は講師であったように思う。たまたま、文芸春秋を読んでいた折に、鷲田先生が書いておられたコラムの記事の傍に、大阪大学教授と肩書があった。


僕は鷲田先生から哲学を学んだ。授業中に何度も見識の相違から、論議を幾度もやったこともある。僕は、おせちで学生時代を思い出した。





愛餐会




教会の愛餐会(昼食)の時に、日本から来た若者と話をした。


「ユニバーサル・スタジオに行きたいのですが、道順を教えてください」


僕は若者にユニバーサル・スタジオの行き方を教えた。


 


「ユニバーサル・スタジオに、キューバ料理のレストランあると聞いたのですが、ご存知ですか?」


「それだったら、ユニバーサル・シィテーウオークにあるよ、ヴェルサイユって言うレストランでしょ」


「日本にいる時、たまたまロサンジェルス在住の人のブログで見まして」


「それって、ひょっとして帰って来たひつじゃない」


「それがどうかせれましたか」


「僕のブログや!」


 





ミミズ




フラスコの中には、俺が生きていける分だけの酸素と水、


それから塩と缶詰があればよい。


 


俺はまず、起きたら食べる。


そして考えて、考えて眠ってしまう。


俺は再び起きる。食べる。


 


考えて、考えて疲れて眠ってしまう。


来る日も、来る日も、俺は目が覚めたら、考えて、考えて煩悶する。


そして眠る。


 


俺は、きょうも起きなくてはならない。


俺は、きょうも食べなくてはならない。


俺は、きょうも考えなくてはならない。


俺は、きょうも眠りにつかなければならない。


 


限られた資源と食料を与えられて、この小さな空間に


どうして、俺は生きなくてはならないのだろうか。


 


俺は生きる。


その代り食べたくない。考えたくない。目覚めたくない。


俺は死なない。眠りつづけるのだ。


 


俺はガラス張りの向こう側を拒絶した。


 


俺は眠り続けるのだ。


フラスコの口の穴から恵まれた、僅かな土のなかで、


俺はひたすら眠り続けるのだ。


 


ある日、ふと思った。


俺はミミズになってしまったのか、それともミミズだったのか。


 


時折、細長い肢体をニューバネビビロバーン、波打ちながら


俺は、もう何も考えない。


 


ガラス張りの向こう側からは、もう一人の俺がニューバネビビロバーン


「こいつ まだ生きていやがるぜ」


冷笑している。


 





詩のコンテスト




北カリフォルニアに、若林道枝さんが主宰する同人誌『短調』がある。若林さんが語るにはサンフランシスコで、去年末に日系新聞二紙が廃刊になったという。


毎年恒例の懸賞文芸も無くなり、文芸の発表の場を失った日系人達に、若林さんは憂慮して『短調』で、文芸懸賞を企画した。


新年『短調』ポエム・コンテストと題した、詩の懸賞コンテストは2011年1月の発表である。僕は審査委員に選ばれた。


十一月三十日締め切りで、選考は十二月中旬に行われる。僕は今から楽しみにしている。





ジャンケン




最近の子供たちのジャンケンのやり方を見ていると、まず、「最初はグー」で呼吸を斉えておいてから、ジャンケンポンが始まる。


関西では「ジャンケン」のことを、「インジャン」といったりする。このインジャンなるものは言うまでもなく、勝ち負けを決めることにあるのだが、本来は結果よりも、その過程を愉しむことにあったのだ。


牽制(けんせい)、後出し、待ったをかける、両腕をねじって両手の穴の隙間を覗くこと等、これらの駆引きを通して、互いの心の触れ合いが深まっていくのである。


今は亡き上方漫才界の大御所、中田ダイマル、ラケットの漫才のネタに、ジャンケンを取り扱っているのがある。相手がチョキを出して自分がパーの場合でも、「ぼくの勝ちや!」と、開き直る。理由を聞けば「ぼくのパーは鉄板だ」という。


ジャンケンは遊びを始める前の鬼決めや、先攻か後攻かを決めるための一種の籤(くじ)であると同時に、ジャンケンそのものが既に遊びの一部となっている。


私は「最初はグー」で始まる、この官僚主義的ジャンケンの習慣に嫌悪を催すのだ。ジャンケンを始める間際に、「最初はグー」でタイミングを斉えておくと、確かに後出しがなくなる。けれども、そこには人間臭さも、人生の醍醐味も、そして何よりも遊び心が消滅してしまっている。


「最初はグー」以前から流行り出していたジャンケンで、「あっち向いてホイ!」というのがある。あるテレビ局のディレクターの話しによると、これを最初にやりだしたのが萩本欣一さんだそうである。


じつは、この「ジャンケンホイ、あっちゃ向いてホイ!」なるネタは、33年ほど前に大阪のテレビ局で始まった『脱線スカタン選手権』(吉本興業)という番組の中でのゲームが発端である。


いずれにしても、たかがジャンケンではないか、と思いきや、されどジャンケンである。「最初はグー」だなんて拍子抜けしてしまうが、つい思い余って、「グンカングンカン、はーれつ!」と叫んでしまいそうである。





黒いdeny




大陸の匂いのない国は、黒い太陽が平等を否定する。


百足(むかで)は悩む、赤い海も煩悶する。


コルクの部屋に閉じこもった原住民は、オレンジに値する。


地面から雨は降りだした、インカのなごり雪。


転落、苦悶、氷河期にハワイ島で遇う。


\線は光、黒い光は宇宙を闇に誘う(いざなう)。


 


岩にかじりつき、黒い雪を舐める。


山脈にかじりつき、黒いRefrigeratarをカジル。


Iは誰、積も何、これもオレンジに値する。


流れる川にはBlackに通ずる。


仮面舞踏会のPurpleは、空高く鳥ヨ沼に潜れ。


待ちわびた群れの群青(ぐんじょう)、朝焼け。


 


山葵(わさび)じかけのブイヨンは低い。


鼻から食べる鼻々は甘い。


樹々は芽を吹き、重油工場のタンカーはイエロー。


この否定は、蛇のようだ。


哺乳類の黒い否定、鋼鉄のCO2は生きている。


サウザン・島~ § カラスの死骸。


 





2010年11月23日火曜日

全米一美味しいケーキ




リトル東京のセントラルとセカンドに、美味しいケーキ屋がある。店主のミノルさんは、全米のケーキ・コンテストで優勝したキャリャの持ち主。


従って、アメリカ・ナンバーワンのケーキが味わえる。僕が毎回購入するのが、オレンジのスライスを上に乗せた「バレンシア」。ここのクロワッサンも芳潤な味わい。


店の名前は『フランセス』。僕とフランセスの巡り会いは、もう25年にもなる。一度味わってみる価値が十分ある。


Frances Bakery
404 E 2nd St., Los Angeles CA 90012
tel. 213-680-4899





貴之君の爪の垢でも




本日、感謝祭の合同礼拝があった。貴之君のお証しと、洗礼式がある。貴之君は首から下が不随だ。それでもアメリカに留学をしている。電動車椅子を操縦して、バスに乗って大学に通う。


幾つもの艱難を乗り越えて、絶望を体感した人間は強い。僕も貴之君の爪の垢でも煎じて飲むとよい。


 


「絶望もイエスの恵み秋晴れに」





癒し




ストローク(脳梗塞)、末期癌、おまけに癌は4ヶ所に転移している。


僕は病気のトリプルパンチに、みまわれている。


半身不随と言語障害も入れるときりがない。


 


なのに、なのに、僕は落ち込むことを知らない。元気だ!


イエス様の癒しを信じているから。


 





夜明けのステーキ




1980年代初頭、僕がアメリカへ来た頃に、ダウンタウンの安ホテルに投宿していた。その近隣にあったのが、ロサンジェルスでは老舗のステーキハウス、『パシフィク・ダイニングカー』である。


24時間営業である。70年、いや、80年近くも、一度も休んだことがない。僕はここで、夜明けのステーキをよく食べた。午前2時から6時まで、アルコール類は一切出さない。これは法律で定められてある。


従って、僕がステーキを食べる時間は、午前6時だ。冬季はまだ暗い。『パシフィク・ダイニングカー』のオニオンリンクは、リンクになっていない。切れ長の状態になっている。これがまた、ステーキとマッチして美味いのだ。


僕はその日の気分によって、フィレ、Tボーン、ニューヨーク、タルタル・ステーキ、リブアイの中から選ぶ。肉の焼き加減は、レアーもしくはベリーレアー。食前にブラディーマリーかボッカマティニーを飲む。たまに、バーボンを飲むこともある。


ロケーションは、ダウンタウンの西はずれ、6th(シックスス)にある。老舗だから、誰に聞いても知っている。



パシフィク・ダイニングカー
Welcome To Pacific Dining Car Restaurant





掌の小説 ― 蕎麦(そば) ―




私は今、アメリカに住んでいる。日本の蕎麦屋に勝るとも劣らない蕎麦屋が、私の陋居(ろうきょ)の近隣にある。


私は昼時に、よく蕎麦を食べに出掛けることがある。蕎麦の声を聴くために、蕎麦の香りを楽しむために、滋味な手打ちそばを食べるために、今日も、蕎麦屋に赴く。


店の中へ入ったとたん、つと、倭國(わこく)の風情を察する。蕎麦には数多くの品種があるらしいが、通常は夏蕎麦と秋蕎麦に大別されているようだ。


歳時記によると「蕎麦の花」は、季語が秋となっている。出盛りの蕎麦粉をこねて作る旬の蕎麦は、アメリカに住みながらにして、日本の爽秋を味わえる一品なのである。


箸でつまみあげた新蕎麦を、つけ汁に浸した瞬間から、めくるめく秋の声がほのめきだして、秋うららな故郷の錦絵が脳裏にたなびく。やがて三つ葉の青い香りが鼻孔へと漂い、瑞々しい香気が脳内に吹聴される度に、茹であがった盛りの蕎麦が、つけ汁の中で綯い交ぜになっている葱(ねぎ)と山葵と(わさび)と三つ葉のオラトリオが、最高潮に達する。


いよいよ芳しくもまったりとした舞踊の様な食感が、口の中に広がり始めると、喉越しの良い新蕎麦の風味に充足を覚えるのだ。


そして最後に、ほっと一息ついて蕎麦湯をすすれば、私の心持は藹々(あいあい)として来るのである。





許しについて(下)




つい此間、私はある人物から嘲弄されるという目に遭った。しかもその人物は、私の身辺の知人や友人に対して、根も葉もない事をでっち上げて吹聴するのである。私は、随分と質の悪い人間に係ってしまったことを後悔した。そしてその人物の、あまりにも卑劣な言動に対して、私はついに怒り心頭したのである。


人間、怒髪天を衝くと、人を許すなどという概念は消滅してしまっている。しかし、クリスチャンの末端に名を連ねている私は、神様に祈ることだけは忘れなかった。やがて日時が経過して、この問題について祈っていると、不思議と心が平安になってきたのである。


この人物は尋常ではないのだ。そうこうしているうちに、人格異常者に翻弄されている自分の姿が、恥ずかしく思えてきた。そしてイエス様が十字架上で語られた言葉が、私の脳裏に棚引いたのである。


私はそれ以来、その人物の悪い行いである罪を憎んで、その人物自体は心から許すことに決めたのである。そして何よりも、主が私と共に居られるという確信が、今まで以上に強く感受できたことは、忍耐と祈りによる紛れも無い勝利であった。


他者を許せないという思いは、許すことの出来ない自分自身を許してしまうことになる。私のような凡夫は、余人には厳しくて自己に対しては寛大である。けれども自己を熟知して、人間を知り尽くすということは、自己には厳しく余人には寛大であるべきだ。


「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)。この十字架上のイエスの言葉こそが、愛と寛容に満ちた真理の聖句なのである。


この世の紅蓮地獄に陥ってしまったフランクル(『許しについて・上』参照)は、どのような悲惨な状況に遭遇しようとも、沈着冷静な態度で物事を客観的に捉えている。まさに超人的な精神力の持ち主であるのだが、その体験を通して、数多の人々に大いなる感動と多大な影響を及ぼしている。


果たして、自分の人生を奈落の底へと突き落とした、憎むべき人間を、本当に心の底から許せるものだろうか…… 若干(そこばく)の疑問が湧いてくる。けれども、先にも述べた通り、人生のどん底にこそ神の真理がみなぎり、神の祝福に満ちていることは、先人の体験告白や「証し」を通して、私たちは周知している筈だ。


私がクリスチャンになったばかりの頃に、礼拝の説教でミス青森の話しを聴いて感銘を受けたことがある。多分有名な「お証し」なので、多くの読者がご存知であろうかと思うが、まだ知らない方々のために、記憶の糸をたぐって出来るだけ忠実に粗筋を組み立ててみたい。


さて、女性であれば、誰もが美しくありたいと願うのは人情である。その美しさを競い合う青森のコンテストで、Aさんはみごと優勝の栄冠を獲得した。しかし、この判定に強い不服を唱える準ミスのBさんは、ミス青森の美貌を妬むのであった。


後日BさんはAさんを待ち伏せして、卑怯にもAさんの顔に煮え湯を浴びせたのである。Bさんは警察に身柄を拘束されると、やがて傷害罪で服役することになった。一方、Aさんはというと、華やかなミス青森の栄誉から一転して、焦熱の苦しみに喘いでいた。


自分の一生をめちゃくちゃにされたAさんは、Bさんに対して、筆舌に尽くし難い憎悪の念に満ちていた。Aさんは千辛万苦を味わいながら、煩悶の日々に暮れる毎日を送っている。やがて時は経ち、AさんはBさんに面会するために刑務所へと向かうのであるが……


 遅かれ早かれ、Aさんが怨念をぶちまけに刑務所へやって来ることを、Bさんは覚悟していたのである。AさんはBさんと対面すると、しばらくの間Bさんの目を凝視した。やがて沈黙を破って、AさんはBさんに向かって、開口一番「ごめんなさい」と謝罪したのである。


耳を疑ったのはBさんである。きっとAさんは自分をからかっているに違いない。そのうちに罵声と嘲りが飛び交ってくる。と思うのだが、意外にも火傷を負ったAさんの赤らんだ顔が穏やかであった。


「Bさん、あなたを恨み続けてごめんなさい。私を許してください」。Aさんの目から涙が溢れていた。Bさんは信じることが出来ません。しかし、Aさんの言葉が真実から語られていることを悟ると、大声を出して泣き崩れた。やがてBさんは、心の底からAさんに謝罪したのである。


この事件を通して、二人はクリスチャンへと導かれて、友情を育むことになったという証しである。


二人にとって、このような不幸な事件に見舞われていなければ、おそらく神様と出会うチャンスは無かったのかも知れない。そして「愛」を超越したAさんの「許し」が無ければ、真の救いは得られなかったのだろう。


私はこの時、説教を聴きながら、Aさんこそが真のミス青森だと確信した。もはや容姿などは問題ではない。Aさんの生粋な心意が、限りなく美しいからだ。


「他者を許すこと」は、言うは易く行うは難しである。だが、御子イエスの愛を真剣に考える時に、必ず私の耳元でたおやぐフレーズがある。


「人は許すことを知らなければならない。まず自分自身を許し、つづいて広くみんなを許すことを」(『許しについて・上』参照


 


 


 


 


 


 





2010年11月22日月曜日

命拾い




僕が日本に住んでいたら、今頃は死んでいたかも知れない。末期癌で倒れたこと、日本はアメリカよりも癌治療が十年遅れていること、日本の医療費が高いことなどが挙げられる。


アメリカの医療費方が、べらぼうに高いのではないかと思われがちだ。アメリカには低額所得者向けのメディカル制度がある。従って医療費、入院費、薬が一切無料である。


僕が病気で倒れてから二年半までに使った医療費は、日本円に換算して7000万円は下らないであろう。幸いにも僕はメディカルを持っている。日本でもよく知られている抗癌剤、Nexavarは8000ドルもする。


アメリカで大病をすると、2000万や3000万円の貯金があっても、医療費の高いアメリカでは、一ヶ月も経たないうちに消えるであろう。


財産が無くなれば、メディカルに該当する。僕も微々たる蓄えを全部使ってしまったので、メディカルが適応される。


日本の医療制度で、7000万円ものお金が無償になりますか。アメリカに暮らしていたお陰で、僕は命拾いをしました。





椿の実




今日、教会へ行って来た。右半身不随の体を引き連れて、右腕右脚が、鎖が付けてあるのかと思うほど重苦しい。僕は青息吐息教会に赴いた。


 


「椿の実手かせ足かせ主の恵み」








四季の温度の感覚を季語でいうと、春は「暖か」だ。


夏の「暑し」、秋の「冷やか」、そして冬の「寒し」と比較すると、春の「暖か」には、ほっと、一息いれたくなるような安らぎを覚える。


「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり」。春秋をこのように歌ったのは道元である。


川端康成はこの歌を、ただ四つ無造作にならべただけの月並み、常套、平凡、歌になっていないと扱き下ろした。


この道元の歌は花鳥風月の究意だ。いや、川端康成の識見が正しい。俗人は双方の言い分に対して、うなずくばかりである。


古来の歌や句には、如実でたやすい内容のものが多い。それだけに奥が深いのだろう。


「春の海 ひねもすのたり のたりかな」。この平易な蕪村の句は、まるで風光るのどかな海が、目の前に広がっているようである。これぞ春の海だ。


「てふてふが一匹韃靼(だっぱん)海峡を渡って行った」。これは安西冬衛の『春』と題した一行詩の傑作。


韃靼とはアジア大陸とサハリン(樺太)島との間にあるタタール海峡のことであるが、日本では間宮海峡と呼んでいる。


てふてふが間宮海峡を渡って行った。これでは詩にならないが、中国名の「韃靼」に置き換えることによって、字面といい、音の響きといい、随分と優れた詩に変貌を遂げる。


「詩は裸身にて理論の至り得ぬ堺を探り来る。そのこと決死のわざなり」。これは宮沢賢治の詩論の一つであるが、美しく感動深い詩歌が閃くには、一筋縄では行かないようだ。


きょう、三月二十日は春分の日。天文学的には、きょうから春が始まる。


「暖かだ あたたかくなれ 懐も」


 


  新井雅之


 





精神力




体がしんどい。


元気が出ない。


外に出て行く気がしない。


教会にも行きたくない。


ただ、精神力だけはすこぶる強い。


イエス様からの恵みを感じている。





2010年11月21日日曜日

ウンチ




ママ見て


パパ見に来て


ジョイがバス・ルームから呼んでいる


 


「大きなウンチが出た!」


 


きのうも


きょうも


 


ジョイの元気な声が、わが家に響く


「大きなウンチが出た!」





2010年11月20日土曜日

中華料理 | エンプレス・パビリオン




ロサンジェルスのチャイナタウンに『エンプレス・パビリオン』という中華料理のレストランがある。ここの飲茶は評判高い。


先ず、お茶を注文するのだが、僕はプーアール茶に、菊の花を乾燥させた物をオーダーする。名前はコッポーという。


僕の定番はシュウマイ、ハウカウ、スペアーリブ、etc。ディナーは、もっと美味しい物が沢山ある。


先ずはアペタイザーにライブシュリプ、ダブルボイルド冬瓜スープ、北京ダック、フカヒレの姿煮、アサリのブラックビーンソース、シーフードチャーハン、ベビーリブ・ペッパーアンドソルト。


まだまだ美味しい料理が沢山あるので、料理の写真付きホームページを参考にしてください。


 





アナウンサーの間違い




合格発表は早春の風物詩である。毎年その時節を迎えると「掲示板の前では、一喜一憂する受験生の姿が見られました」と、各局のアナウンサーはその模様を伝える。


 そもそも「一喜一憂」、「悲喜こもごも」とは、情況の変化につれて、一人の人間の心境を表現するものであり、群集のそれぞれの「喜」や「憂」を表現するものではない。


例えば、「A君は受験に合格したが、祖父の訃報の知らせに一喜一憂(悲喜こもごも)の1日であった」というように用いるのが正しい。


このように言葉が間違えられて用いられていると、やがてその用語が正しくなってしまう場合がある。スポーツ観戦をしていて、実況担当のアナウンサーが「この試合は〇〇選手の独壇場(どくだんじょう)です」と解説することがある。


正しくは独擅場(どくせんじょう)と言うべきである。これは、独擅場の「擅」(せん)を「壇」(だん)と誤読したためにできた語である。現在では、読み間違って誕生した「独壇場」の方を、新聞や各放送局が採用している。


「この山は女人禁制(にょにんきんせい)です」と説明しているテレビのアナウンサーがいた。男子の場合は男子禁制(だんしきんせい)と読むが、女人とくれば禁制(きんぜい)と読むのが正しい。


山巓にある伽藍の中が映されると、「ここで礼拝(れいはい)をします」と、アナウンサーは説明した。


礼拝(れいはい)と読むのは、キリスト教のことであって、仏教では礼拝(らいはい)を用いている。従って仏教では、「明日に礼拝(らいはい)夕べに感謝」と読むのが正しい。





2010年11月19日金曜日

許しについて(上)




ソール・ベローの小説に『この日をつかめ』(Seize the Day)というのがある。私は、この小説の主人公、ウィルヘルムが語ったであろう陰の声を、時おり思い出すことがある。それはトミー・ウィルヘルムが、人生の極限状況の中で語られているフレーズである。


「人は許すことを知らなければならない。まず自分自身を許し、つづいて広くみんなを許すことを」


人を愛することは容易い。けれども、人を許すことは容易ではない。聖書の御言葉を引用すると、以下のように記されている。「すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。互に情け深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互いにゆるし合いなさい。(エペソ4:31~32)


私は、主を賛美しながら、いつまでも心の片隅に憎しみが眠っていることがあった。ふとした瞬間に、その憎しみが鎌首をもたげると、とにかく怒りがこみ上げてきた。「あいつだけは、絶対に許せない!」。私は心の中で、このように叫んでいたのである。


どうして人を許すことができないのか。と考えた末に、いつしか私は、ソール・ベローの小説の中で語られている言葉を思い浮かべるようになった。「はて、私は自分自身を本当に許しているのだろうか?」


神様がキリストにあって、私の罪を赦してくださったというのに、私はなかなか自分自身を許しきれなかったのである。そしてその延長線上に、人を許せないという気持ちが執着していたのだ。


さて、いっさいの悪意を捨て去りなさい。と聖書には綴られているが、この私においては、憤りの度合いに違いはあれ、怒りがよく芽生えてくることがある。これはちょうどパウロが、「わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである」と告白しているローマ人への手紙、第7章と類似している。(旧ラッパ・アゴラ『善と悪』参照)


次に、元来、人間の内面に潜んでいる善と悪の二重性について考える前に、ここでは、まず怒りについて考察してみたいと思う。


三木清は『人生論ノート』の中で、避けるべきであるのは憎しみであって、怒りではないと言い放っている。即ち、突発的怒りは純粋性、単純性を示し、習慣的憎しみは習慣的に永続する憎悪であると考えられるからだ。突発的怒りは、元来人間が抑えられるべき行為ではない。また、絶えず怒っているということは、連続した憎しみであると考えられる。


太宰治が、あの人(イエス・キリスト)を揶揄する短編小説『駆け込み訴え』の中で、私であるイスカリオテのユダに「怒る時に怒らなければ、人間のかいがありません」と語らせている。だが、カーライルの考え方は、怒りが爆発して争いが生じた場合、我々はもはや真理のためではなく、怒りのために争うことになるので、留意せよと促している。そして旧約聖書にも、「怒りをおそくする者は勇士にまさる」と記されている。


ここで再び、人を許すという行為に対して考えてみたい。今から35年以上前に遡るが、往時、15歳であった私は、極度の神経疾患に悩まされていた。私は煩悶の挙句、若気の過ちによって睡眠薬を多量に服用したのである。


幸いにして発見が早かったために、私は一命を取り留めた。その際に入院をした病院の主治医から、読んでみなさいと言って手渡された本が、フランクルの『夜と霧』であった。以来、この本は私の愛読書となり、座右の書となっている。


この本は第二次世界大戦の最中に、ユダヤ人としてアウシュヴィッツ強制収容所に囚われたフランクルが、奇跡的に生還するまでの一精神分析学者の体験が、赤裸々に綴られている。


ナチス・ドイツのオーストリア併合によって、フランクルと彼の両親、妻、そして二人の子供が拿捕された。アウシュヴィッツへ送られてからは、フランクル以外の家族全員が、ガス室行きを命じられて、次々に殺されてしまった。


正にフランクルの体験をして生き地獄とは、このことである。このような奇異な極限状況の中で、フランクルは人間愛について述懐している。「即ち愛とは、つまるところ人間の実存が高くかげり得る最後のものであり、最高のものであるという真理の烙印である」。


そして特筆大書したいことは、「一方(囚人)が天使で、一方(ナチス)が悪魔であると説明することはできないのである」とフランクルが説破していることだ。


私は、アウシュヴィッツにおけるナチス・ドイツの残虐な行為を、この世の地獄絵であると解していたし、囚われて殺戮された善良なユダヤ人に対して、哀悼の意を表さずにはいられなかった。もしも私が、フランクルと同じように、アウシュヴィッツの強制収用所に収監された囚人であったとする。そして自分の目の前で、最愛の妻と子供をガス室で殺害されたならば、きっと私は、狂い死にしていたであろう。


けれども、どん底に突き落とされて暗黒の辛酸を舐めなければ、見えてはこない、聞こえてはこない真実が存在していることも事実である。その真実とは神の栄光であり、神からの祝福なのである。


カソリックの信徒で作家の曾根綾子さんは、『夜と霧』の読書感想を以下のように述べている。たとえ自分をとりまく状況が、人間性からかけはなれたものであっても、フランクルは人間の善意がどのような人にも…… つまり彼らを苦しめる側にもあることを否定しない。「従って一方が天使で、一方が悪魔であると説明するようなことはできないのである」とフランクルは言い切る。この血を吐くようなたった一つの言葉でさえ、まだほとんどの日本人は自分のものとしていないのである。





シャープ アンド フラット




シャープさんは頭がシャープである。シャープさんは、今年百歳になる。


そろそろ老人ホームに入ったら、どうだとよく言われる。


いやいや、まだ私は頭がシャープだ。


 


ある日、シャープさんは、老人ホームにフラット表れた。





2010年11月18日木曜日

三人ともバラバラ




もし僕が言語障害でなかったら、右半身が不随でなかったら、末期癌だけであったなら、ジョイの学校への送迎と、勉強を見てあげることが出来た。休みの日には、公園でジョイと二人で遊ぶことが出来たのに。


 もしも、もしもと、悔やまれる。今日は、家族の心が三人ともバラバラだった。独りで苦しいひと時を過ごしたくない。


救いは、江美子もジョイも明るいこと、根に持たないこと、気分の切り替えが直ぐにできる。僕一人だけが暗い、そして根に持つ、気分の切り替えが出来ない。





2010年11月17日水曜日

サプリメント




新聞のコラムを執筆していた頃に、締め切りの時間が迫っても、何にも頭に浮かんでこないことがあった。そんな時、焦る思いを隠せなくなって、机の端をがりがりと音を立てて掻く思いに駆られた。


僕が病気で倒れるまで、新聞のコラムの執筆は13年間続いた。僕が健康であった時分に、新聞や雑誌に月に15本の連載を抱えていた。


詩、コラム、エッセー、小論文、文芸評論等、毎晩徹夜をして執筆をしていた。僕は健康管理にサプリメントを服用し始めた。


僕の体質は、一日でも徹夜しょうもなら、昼間は眠らずにいられない。サプリメントを飲み始めてから、一ヶ月も経ったであろうか、体調がすこぶる良い。徹夜しても眠くならない。三日間連続で徹夜しても平気だ。これには驚いた。


サプリメントの名前はUSANA。ネットワークでないと購入できない。僕が体験したUSANAの効果とは、アルコールをどれだけ飲んでも酔わない。二日酔をしない。


二年前から飲んでいるサプリメントは、Mannatech。同じくネットワーク。僕はこの、二つのサプリメントをベストだと信じている。


 


 





『こけこっこ』




リトル東京のセントラルとセカンドのコーナーにある焼鳥屋が、『こけこっこ』。午後5時半の開店前から、客が列を作って並んでいる。


肝、砂ずり、皮、軟骨、はつ、ぽんじり、白肝、何でもある。鳥のガラで取ったスープが、これまた美味。


朝絞めたばかりの地鳥を使用。夜には焼き鳥となって出てくる。僕は最後に鳥のそぼろご飯を頂く。居酒屋にして予約を取る。開店してから数分で満席になる。


ロサンジェルスへ来たら、焼鳥好きには一押しの店。一人平均30ドル。とにかく美味い。『こけこっこ』のホームページはありません。





赤いブルー




 部屋の中に独り閉じこもって


いつものように空想し始めると


ふと


自分の中に


背の高い


二等辺三角形の鳥を見ることがある


 


大観衆の青い空間にいたかと思うと


山脈の森の中で


ズゥンムズ


ズゥンムズ


女になって泣く


 


鳥を見たいのか


鳴き声を聞きたいのか


ぼくには分からない


 


ただ


部屋の中に独り閉じこもって


空想し始めると


背の高い


二等辺三角形の鳥は


女になって


ズゥンムズ


ズゥンムズ


 


赤く濡れる


 


赤いブルー     新井雅之


 


* バークリー音楽院の作曲科を主席で卒業したアーク佐野さんは、現在、西海岸を拠点にして活躍しているジャズ・ピアニスト。彼のファースト・アルバム『Let’s Listen To It』に収録されているオリジナル曲「Red Blue」は、「赤いブルー」の詩がモティーフとなっている。





ダジャレ




王様はダジャレが嫌いである。お付きの者に尋ねられた。


「梨が食べたい」


「梨はなし」


王様は不機嫌になられた。


 


王様は、


「スイカを食べたい」と、申されました。


お付きの者に訊ねました。


「このスイカは甘いのか?」


「甘いかスイカ分かりません」


王様は気分を壊された。


 


王様は、


「ブドウが食べたい」と、おっしゃった。


お付きの者が言いました。


「武道なら道場に行ってください」


王様は、頭にきました。


 


お付きの者が言いました。


「エビが食べたい」


王様は言われた。


「エビは栄養価が高い。ビタミンAB(エビ)」





2010年11月16日火曜日

関東 VS.関西




【東】                     【西】



○マル、×バツ        ○マル、×ペケ


じゃんけん-ぽん      いんじゃん-ほい


かみさん                 よめはん


粋(いき)                 粋(すい)


ものもらい               目ばちこ


目やに                    目くそ


おにぎり                   おむすび


会席                        懐石


三笠饅頭                  どら焼き


鰻の蒲焼                  まむし


肉まん                      豚まん


アイスコーヒー            コールコーヒー(レイコー)


駐車場                      モータープール


捨てる                       ほかす


パーマをかける           パーマをあてる


だるまさんが、ころんだ   坊(ぼん)さんが、へをこいた


ごきぶり                      油虫


ハジキ                        チャカ





2010年11月15日月曜日

青天の霹靂(へきれき)




今日、病院から連絡が入った。食事制限は来年の一月まで続けてください。ショク! 僕は遅くとも、あと一週間で終わる物と考えていた。


 調味料が一切だめ、味気ない食事が後二ヶ月以上も続かと思うと、やり切れない。食べることが楽しみな僕にとって、由々しきことである。


食事制限を始めてから、半月で3キロ痩せたというのに、後二ヶ月以上続けたら、10キロは痩せてしまうかも分からない。


 


正しく、青天の霹靂。


 


 





オイスター




1980年代から90年代初頭にかけて、僕は『オーシャン・アベニュー・シーフード』へ、足しげく通っている。アメリカのレストランの割には、比較的味がよろしい。


一人でふらっと入って、オイスターバーに座る。最初はオイスター・サンプラーをオーダーする。次にコンウェイカップ、熊本、ワインはシャドネー、仕上げにクラムチャウダー。


ランチで訪れたら、僕はクラシィク・ミックス・シーフード・パスタを頼む。家族で訪れたら、真っ先に、前菜にコルードル・シーフード・プレター、ザ・キングを貰う。


サンタモニカの観光を終えて、日本のお客さんを案内するには、持って来い。味よし、ロケーションよし、但し、やや値段は割高。


Ocean Avenue Seafood





2010年11月14日日曜日

ジャズ




私がジャズに夢中になりだしたのは、十七歳の頃からである。最初に購入したLPは『マイルス・デヴィス・アット・ブラック・ホーク』。以来、梅田(大阪)のジャズ喫茶『ファンキー』や、戎橋にあった『ファイブ・スポット』へ足繁く通った。


その後、ジャズを聴くだけでは飽き足らずに、自動車教習所の授業料をキャンセルして、中古のクラリネットを購入した。独学で何とか吹けるようになるまで上達したので、やがてテナー・サックスに持ち替えた。その折に、ヤマハの顧問でアルト・サックス奏者の後藤高行氏と出会った。


私は神戸の『ニューポート・ホテル』と八幡筋(大阪)の『オーシャン・クラブ』でサックスの腕を磨いた。アメリカに渡ってプロのバリトン・サックス奏者になりと思った時期があったが、プロになれるような才覚がないことを承知していたので、すんなりと諦めた。


さて、ニューオーリンズで始まったJAZZには、元々からジャズという呼び名がなかった。1920年頃、シカゴのナイト・クラブでウイスキーに酔った客が、「Jass it up」とステージのバンドに向けて声援を送ったのがきっかけとされている。


ジャズ界には独自の隠語があるので、少しばかり紹介する。


楽器・・・ ax、axe(アクス)、サックスのみをアクスともいう。ピアノ・・・ box、もしくは鍵が88あるのでエイティ・エイト、またはエボニーズ・アンド・アイボリーズ(黒炭と象牙)、


ヴィブラフォーン・・・ bells(ベルズ)、サックス・・・ pipe(パイプ)、フルート・・・ whifler(ウィッファー)、ドラムス・・・ hides(ハイズ)・skin(スキン)・booms(ブームス)


私にはジャズ・プレイヤーへの夢は果たせなかったが、西海岸で活躍している一流のジャズ・ミュージシャンたちと一緒に、詩の朗読会を催すことがある。





キリスト者の文人たち




神の有無は、二十年考えても二千年考えても、信じることはできるが説明することはできない。このようなことを語っているのはカーライルである。


パスカルは神の存在に賭けるほうが、神の非存在に賭けるより遥かに合理的な選択であるという論理を『パンセ』のなかで展開している。


即ち、全ての賭けは確率と利益の積で示される。従って「神は存在している」側の確率を最小限に1としても、それから得られる幸福は無限大∞となるので、その積は1×∞=∞となる。一方、「神は存在しない」側の確率をn (かりに大きくとも有限数)としても、これによる幸福は有限(a)なので、その積はn×a=naで有限となる。8>であるから、「神は存在している」側に賭ける方が賢明だということになる。(パスカル『パンセ』より)


聖書には「ただ信じなさい」と記されているが、世のインテリゲンチアたちは、自分の能力を過信しているせいか、徹底的に解明して問い質さなければ気が済まないようである。


懐疑精神においては、文学者もすこぶる旺盛である。まず、近代の日本文学における作家にだけ的を絞ってみることにする。しかしながら、手元の資料が些少なので、記憶を頼りに戦前に活躍していたキリスト者であった作家の名前を羅列すると、北村透谷、徳富蘆花、木下尚江、国木田独歩、島崎藤村、正宗白鳥、有島武郎、志賀直哉らの名前が順番に思い浮かんできた。


それでは、彼らの福音信仰とはいかなるものであったのかと、興味津々であるのだが、残念なことに、文学者であるが故に、ことごとく正統的なキリスト信仰に疑問をいだいて、キリスト者としての立場を放棄してしまったのである。


そもそも彼らが、キリスト教を享受した大きな手蔓となっていたのは、西欧浪漫主義に対する憧憬であって、天地創造に始まり、罪の購いや復活、或は永遠の命というものに対峙するや、文学的懐疑精神から福音信仰を妄評し始めた。


この信仰を疑い、苦悶した挙句に信仰を捨て去るという傾向は、西欧では、文学を宗教から切り離して考えるようになったセキュラリズムが、四百年ほど前から顕著になってきた。やがて日本における近代の文学者たちが、キリスト教に対して懐疑精神旺盛な時世に、既に西欧では、キリスト教の信仰を、ただの時代錯誤としてしか理解していない者の時代に突入していた。


一説によると、キリスト教倫理と近代文学に蔓延している悪魔主義的傾向との矛盾に煩悶して、文学者であるが故にキリスト信仰を捨てざるを得なかった。と、解釈する考え方もある。けれどもこの定見には、あくまでも西欧の文学者たちの理念を介しており、間接的、二次的要因であって、直接的にはセキュラリズムの末端に由来していると考えるべきである。


即ち、キリスト信仰の時代錯誤の時世に影響を受けて、日本における近代の文学者たちも、福音信仰を「時代錯誤」の産物であると首肯したのである。そしてこの思想に、更に水を向けたのが、1945年(昭和20年)8月15日の敗戦の日であった。


次に、日本の文壇が輩出した戦後のキリスト者を思慮する前に、まず、椎名麟三(本紙第29号参照)の名前を挙げておきたい。今から50年程前に、椎名麟三は『私の聖書物語』という信仰告白を『婦人公論』に連載している。


内容はやや主観的であるが、一切の衒いを感じさせない筆運びから、人の世に行なわれる節道や人倫の秩序といったものが、キリスト・イエスの御名によって吐露されており、虚無的な概念が打ち消されている。


後に上梓した『私の聖書物語』のあとがきに、麟三は次のように記している。「私のキリキリ舞いの姿に、人間の事実的な存在の姿を感じとっていただければ、筆者の私としては十分である。そして私にその十分さを認めることができるのは、おかしなことだが、私が聖書におけるキリストを信じている者であるからだ」。


また、私たちプロテスタントのクリスチャンにとって、一等馴染み深い作家といえば、近年に昇天された三浦綾子である。


それでは、そろそろ紙面が尽きてしまうので、なるべく年代順を心がけながら、戦後におけるキリスト者の文人の名前を、浮かんできた順番に連ねていくことにする。


田中千禾夫、田中澄江、森 有正、椎名麟三、阿部光子、島尾敏雄、遠藤周作、佐古純一郎、三浦朱門、三浦綾子、矢代静一、小川国夫、曽野綾子、有吉佐和子、森 礼子、武田友寿、高堂 要、饗庭孝男、上総英郎、森内俊雄、他。


幸いなことに、椎名麟三や三浦綾子を始めとする戦後活躍した文学者のほとんどが、神こそがこの世の創造者であると認めており、イエス・キリストの磔刑によって吾が罪は購われて、その後の復活と永遠の命を信じる正統的な信仰者であった


現代文学に、もはや信仰は存在していないと喝破されている昨今であるが、私たち(キリスト者の文人)はイエス・キリストの名の下に、何事でもすることが可能であることを知っているのである。


 新井雅之


 


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そう




ブログ、『帰って来たひつじ』を立ち上げましたが、三週間で辞めさせていただきたい。Yoshioさんにはお世話になりました。短い間ではありましたが、有り難うございました。


題名を逆さから読んでみてください。うそ、うそだよー





休みなり




二週間も家の中に閉じこもっている。家族の者は忙しい。協力しているつもりだ。僕が外に出ると、家族の者に何かと手をわずらわす。


家の中では、音楽を聴いたり、テレビを観たりして過ごす。たまにコンピュターを相手に将棋を指す。それからブログの原稿を書く。後は、食事をするだけ。


何時も、イエス様が癒してくださることを信じている。


 


「閉じこもり神が与えた休みなり」


 





俳句 2010年 秋 1 




1.名月や食事制限へのかっぱ


2.大空を飛んでみたいな渡り鳥


3.祝帰って来たひつじ秋真っ盛り


4.主に委ね家族三人秋の虹


5.秋の暮飛んで行きたい主のもとへ


6.闘病にご馳走並ぶ秋の夢


7.恵みなり首絞められて秋高し


8.秋の虹御心のまま生かされる


9.鈴虫やチャイナのおやつ水餃子


 





俳句 2010 秋 2




1.ラスベガスネバダの大地そぞろ寒


2.菊薫る松茸香り秋の膳


3.懐かしむ思いでキラリ秋の海


4.リハビリンに励みし姿秋燃ゆる


5.鮨つまみ秋の夕焼け連歌巻き


6.ビューティフル乗せた片足風薫る


7.夢で見たフランス料理秋時雨


8.食欲の秋ジューシーなプライムリブ


9.お弁当色とりどりの笑顔あり





2010年11月12日金曜日

秋の夢




食事制限が終われば、次の治療へと進みます。今、ドクターからの連絡待ち。健康な時分には、体重が最高で103キロあったのに、今は79キロ。24キロ減。


 


もうすぐ食事が何でも食べられる。嬉しい。


 


「食いしん坊グルメ三昧秋の夢」





生家




今から凡そ55年前にもなるが、僕が生まれた家には、一階とニ階に水洗トイレが二つあった。現在でも珍しいのではないのかと思う。


僕が5歳の頃に台所のリモデルをした。これがモダンで評判を呼んで、インテリア専門の雑誌に、写真を掲載された。


庭には大きな池があり、燈篭が何個も配してある。座敷から眺める景観は、花鳥風月を愛でるのには、申し分のない所だ。


また、応接間からの窓外の眺めは、洋花を巧みに植え込んで、何処か泰西の国にでも居る様な気持にさせてくれる。


僕の家は、夕刻になれば日本舞踊のけいこ場として、沢山のお弟子さんが訪れる。月に一度、東京から志賀山流の日舞の先生が来られる。そして、三日続けてお稽古に励む。


三人いた姉たちも、それから東映の女優さんも二人いた。そんなわけで、若い女性が昼から夕方にかけて、15人ばかりいた。従って、小学生の僕は黒一点であった。


 夜には父が清元のけいこをする。やはり東京から梅寿太夫先生が来られる。けいこが終われば、酒を酌み交わす。そんなこんなんで、随分とにぎやかであった。


「生家には思い出ずくし万華鏡」





思い違い




日頃、私たちは間違いだと気づかずに、多くの言葉を使っている。では、次に挙げた慣用句を正しく直してみましょう。


 


1.娘も十八、番茶も出花


2.鼻にもかけない


3.口先三寸


4.口をにごす


5.二の舞を踏む


6.耳ざはりのよい


7.身を惜しまず


8.腹が煮えくり返る


9.歯にころもをきせない


10.舌の先が乾かぬうち


11.的を得た質問


12.貧すれば通ず


 


【回答】 さて、あなたは何問正解しましたか。


 


1. 鬼も十八、番茶も出花


2. 歯牙(しが)にもかけない


3. 舌先三寸


4. お茶をにごす(言葉をにごす)


5. 二の舞を演ずる(二の足を踏む)


6. 肌ざわりがよい


7. 骨身を惜しまず


8. 腸(はらわた)が煮えくり返る


9. 歯に衣(きぬ)を着せない


10.舌の根の乾かぬうち


11.的を射た質問


12.窮すれば通ず





2010年11月11日木曜日

キューバ料理




ヴェサイユと聞いたら何を想像されますか。そう、フランス。キューバなんて誰も想像しませんよね。ロサンジェルスに『ヴェルサイユ』という、キューバ料理のレストランがある。


チキン、ビーフ、ポーク、シーフード、何でもある。僕が何時もオーダーするのは、キューバ風ロースト・ポーク。黒豆、ライス、揚げたバナナがサイドに付いてくる。飲み物はサングリアがおすすめ。


オリジナル・ガーリックソースに漬け込んだ、とても柔らかいジーュシーなチキン料理も最高。


ユニバーサル・シティウオークにもあるので、ユニバーサル・スタジオに行った帰りに利用できる。一人平均15ドル。


Versailles





ピカソ




この人 絵がへたくそ


画集をめくりながら ジョイが言う


 


こんな絵しか描けないのかなぁ


わたしの方が上手だよ


 


ねぇ、おとうさん








暗闇を生きる



光の中を歩む



命を懸ける



 


 


8-10-2010  新井雅之





2010年11月10日水曜日

『フレンチ・ビストロ』




ロングビーチに、安価で美味しいフランス料理のレストランがある。今年の僕の誕生日は、『フレンチ・ビストロ』で娘と家人で祝ってもらった。


この日、僕がオーダーしたのは、ビスク、テリーヌ、そしてメインはベビーロックラム。赤ワインを飲んで、ケーキは持参。


フランス料理は高い。『フレンチ・ビストロ』であれば、懐ぐあいを気にせずにいられる。この日のウェターは、フランス訛りの英語を話す青年だった。



Frenchy's Bistro
4137 E Anaheim St

Long Beach, CA 90804

(562) 494-8787

www.frenchysbistro.com






2010年11月9日火曜日

真実の愛




大切な物は目に見えない。


父と子と聖霊。


 


「目をつむり見えるのは真実の愛」





涙する




ユーチュウブで、久し振りに『タワー・オブ・パワー』を聴きました。僕が十七歳の頃からのファンである。思わず涙があふれ出ました。


僕は三つのロックグールプが好きだった。シカゴブラッド・スエット・アンド・ティヤーズ、そしてタワー・オブ・パワーだ。どこのグループにもブラスセクションが入っているのが特徴。


エレキ・ギターだけの、ロックグールプはあまり好きじゃない。つまり、クリーム、レッドツェペリン、ディープパープル。


個人的には、ギター奏者で好きな人がいる。エリック・クラプトン、ロリー・ギャラガー、ジミー・ヘンドリックス、テリー・キャス。


 


「闘病者昔のロックに涙する」





W.C.




元横綱の輪島が、アメリカ巡業の折、トイレの場所を尋ねるのに一苦労したそうだ。「W.C.」と言っても、まったく通じなかったので、横綱は発音が悪いせいだと思い込み、紙に「W.C.」と書いて見せたが、みんな首を傾げるばかりだった。


W.C.(Water Closet)は英語だが、アメリカやイギリスのトイレの標示はlavatoryもしくはrest roomが一般的である。


因みに日本の学生たちの間で使われている 「W.C.」の隠語は、ワセダ・カレッジとホワイト・クリスマス。


かつてパリのチュイルリー庭園を散策していた際に、公衆トイレの壁に大きな字で「W.C.」と標示がされてあった。 本来は英語である 「W.C.」 が、フランスではトイレの標示に使われている。果たして近隣国のベルギー、スイス、スペイン等でも、トイレの標示は「W.C.」なのだろうか?


その昔、フランスにはトイレが無かった。ベルサイユ宮殿も論外ではない。宮殿で、夜毎に催される華麗な舞踏会では、正装した紳士淑女たちが、携帯電話ならぬ携帯便器を持参していた。


携帯便器に行儀よく用を足した後は、随行の者が排泄物を宮殿の中庭に捨てたので、「ベルサイユのバラ」は肥料に事欠くことなく、すくすくと育った。だが、回廊から中庭の花壇を観賞する際に、そよ風が運んでくるのは、高貴なローズの香りではなく、強烈な田舎の香水の香りが漂って来た。


余談をもう一つ、パリには『ロダン美術館』がある。あの有名な「考える人」の格好は、どう見ても便座に腰をかけて用を足している姿に見える。それでは、人間はどうして狭いトイレの中で、よく考え事をするのだろうか。その答えは、トイレは「思考」(しっこ)する所であり「空想」(くそ)する場所であるからだ!?

新井雅之





2010年11月8日月曜日

秋燃ゆる




昨日、スピーチ・セラピーとフィジカル・セラピーに行って来ました。長いこと時間をかけて、懇切丁寧に指導をしてくれました。感謝したい。患者の気持ちを察してくださるので有難い。病院のスタッフの皆さんも親切だ。


 


「リハビリに励みし姿秋燃ゆる」





宇宙




2000年後には旅行社では、4次元旅行を売り出しいるかもしれない。それまでに旅行社が存在しているであろうか。


東京からニューヨークまで4分で移動できる。土星までは3時間、太陽の近くまで36時間。2000年後には、宇宙旅行がたけなわとなる。


ミスタースミスは、火星ジャイアンツの野球の選手。この日は木星タイガースとの試合に臨む。スミスは1番バッター、20年連続で500本安打の記録を持つ。また、土星ヤンキースのオニールは、ホームラン423本の宇宙記録を持つ。


宇宙では野球のボールが、よく跳ねる。飛ぶ、ピッチャーが不利。それで、開発されたのがこの液体。ボールに液体をしみこませて投げると、バットに当たらない。即ち、ありとあらゆる木製は、よけて通るのだ。


一試合の内に、3回はボールに液体につける事はゆるされている。


宇宙シリーズを3勝3敗で迎えた。あと1勝すれば、土星ヤンキースか木星タイガースが優勝する。土星ヤンキースのピッチャー、大輔は、あの液体を忘れてしまった。9回の裏1対1の同点。2アウト、満塁。


大輔は渾身の一球を投げた。打たれた。満塁ホームラン。大輔は来期の年棒は、1セントに減額されてしまった。


 


新井雅之


 





お弁当




本日、教会の婦人会の皆様が、作ってくださったお弁当を二つ届けてくださいました。僕には食事制限がありますから、お弁当が食べられません。


江美子とジョイが食べてください。


主に感謝せよ。主は恵みふかく そのいつくしみは とこしえに 絶えることがない。


(詩篇136篇1節)


 


「お弁当色とりどりの笑顔あり」





秋の夕焼け




僕がゴルフ場にデビューしたのは、一歳の時であった。父とゴルフ場の芝生の上で、相撲を取っている写真がある。


僕が5、6歳の時分に、宝塚のゴルフ場でイベントがあった。大きな白いテントを張り巡らせて、特設ステージも作られた。当時、十代の木の実ナナさんが出演していた。母はステージ観ながら、生ビールが美味しいと言った。


本格的にゴルフを始めたのは、14歳の頃であった。だが、一向にゴルフに興味が湧かない。つまんない。


僕は乗馬を始めた。兄は京都の乗馬場。僕は奈良の乗馬場。兄は落馬をして、トラウマから乗馬を辞めた。


中学生の頃、僕は登校拒否をした。自室にひきこもった。夜、家族が寝静まってから、台所に降りて行って食料をあさった。16歳の時に、医師からうつ病と診断された。40年前、誰一人としてうつ病のことは知らなかった。


僕は病院に入院した。そして、看護婦さんに片思いの恋をした。僕の青春時代は入退院の繰り返し、お陰で1年留年をした。高校に進学したが、1歳年下のクラスメイトとは馴染めず、定時制に移った。高校を卒業するまでに、5年を要した。その間、専門学校に通った。そして、大学に進学をした。


専門学校とは、『大阪文学学校』のことである。在学中、多くの詩人や作家たちと交流を持った。僕の俳句は、俳人の近松寿子さんに手ほどきを受けた。近松さんの師匠は、林 富士馬先生。往時、鮨屋の二階で、よく連句を巻いた。三十六歌仙。林 富士馬先生が提案されていた俳偕は二十四。これを名付けて胡蝶俳偕という。


僕は、大阪文学学校で、本科の時は小説を学び、研究科で詩を学んだ。僕が習った先生は、小野十三郎、井上俊夫、灰谷健次郎、川崎彰彦。


学校が跳ねると、居酒屋へと直行した。文学学校よりも、居酒屋の方が勉強になった。


 


一句できました。「鮨つまみ秋の夕焼け連歌巻き」


 


 


 





2010年11月7日日曜日

処世術




美容師のNaomiも


板前のMakotoも


そして空手家のKenjiも


ハリウッドの有名人を魅了して、アメリカの地で大成した


 


巧みな話術とパフォーマンスで、金持ちのハートをつかみとった


人生は処世術 これが大事


本業よりも これが大事


 


いったい 詩人には何ができるのか


俺は 家族の寄生虫となって


半世紀以上も アメリカで生きながらえている


なに人にも


いっさい媚びることなく


 


処世術   新井雅之





フランス料理




冷麺が急に食べたくなった。関東では冷やし中華。近頃、暑いからだ。こんなに暑いと、うかうかと闘病生活もやっていられない。


僕は一日中、食べる事ばかりを考えている。根っからの食いしん坊である。食事療法が終わったら、先ず、鮨を腹いっぱい食べたい。次に、焼き肉だ。それから、ロングビーチに美味くて廉価なフランス料理店がある。


もう、予約済み。その理由は特別な料理をオーダーするからだ。フォアグラのテリーヌ海の幸入り、オマールエビのビスク、それとラムチョプ。ボルドーのワインでも飲みながら、今宵はちびちびと行こうぜ。デザートはロックホールとコニャク。


僕は本当に闘病者なのだろうか。と、思ったところで目が覚めた。正夢になるだろうか。


「夢で見たフランス料理秋時雨」





2010年11月6日土曜日

俳句 2010 春 4




1. 春の海美味なる珍味羅府のうに


2. ジョイ歓喜いつもニコニコ春色に


3. 葉月くる父の命日冷麦忌


4. 無関心食育肥満アメリカン


5. むかし鯛健康志向いま鰯


6. 江美子さん星をいただく頑張り屋


7. 肉忘れ野菜を焼いてバーベキュー


8. アメリカに美味いものなし量多し


9. アメリカにジャンクフード数知れぬ





父と私




闘病生活の真っただ中いる時、ジョイが僕のために書いてくれた詩がある。聖日礼拝の際に、みんなの前で朗読してくれた。


 


父と私         新井(歓喜)ジョイ


 


お父さんは やさしい


お父さんは きびしいところもある


お父さんは詩人


夜になると おもしろい物語をつくってくれる


お父さんは ゆかい


お父さんは おすしが大すき


 


お父さんは 病気とたたかっている


そのような強い父が 私は大すきだ


お父さんは イエス様が大すきだ


 


そのような父に 私は にている



2010・6・13 ジョイ作
2010・6・20 父の日に礼拝堂でジョイ朗読





プライムリブ




日本人向けの観光ガイド見ていると、ロサンジェルスのレストランに順位が付けられていた。第一位に輝いたのは、ビバリーヒルズにある『ローリーズ』。


 プライムリブの専門店だ。僕が初めて『ロウリーズ』に行ったのは1987年、家人に勧められて二人で行った。それ以来、一年に一度は『ローリーズ』に必ず赴く。


プライムリブのカットの仕方には三種類ある。カリフォルニア・カット、ローリー・カット、ダイヤモンド・カット。僕は1キログラムもあるダイヤモンド・カットをオーダーする。


フットボールの選手は、ダイヤモンド・カットを二枚ぺろりと食べると、ウェイトレスが教えてくれた。


今年の六月に、チャーチメイトが結婚式を挙げた。その後、披露宴に『ローリーズ』を借り切った。随分と高くついたことでしょう。二人とも高給とり。


僕のこだわりは、食前にボッカマティニーに飲む、肉の焼き方はレアーであること、プレイン・ホースラーディシュをつけて食べる。


日本のお客さんが来られたら、一度は連れて行く価値がある。


一句、「食欲の秋ジューシーなプライムリブ」


 


新井雅之





文章




書いて 書いて 書きまくり


考えて


書き直して


風をいれて


寝かせて


眠らせて


再び考えて


とどめの推敲


 


それでも何だか、気にくわねぇ


 


文章  新井雅之





コールドストーンの女




仏頂面をさげた 風情の無い女


客が来ると 早口でまくしたてる


一人で店番をするヤンキー娘


やけにパイオッが大きい


 


フェイスレスで 石のように冷たい女


ボーイフレンドに抱かれると、甘くとろけてしまう


白けたパフォーマンスをする若い娘


やけにおっぱいがデカイ


 


苦虫を噛みつぶしたような表情で 突っ立っている女


アイスクリームを舐める時だけ


まるい大きなお尻を キュキュと振り上げる


なんだか楽しそう 嬉しそう


赤いほっぺも 嬉しそう 楽しそう


 


コールドストーンの女  新井雅之


 





2010年11月5日金曜日

サヨナラダケガ人生ダ




勧 酒


勧君金届巵


満酌不須辞


花発多風雨


人生足別離


 


于 武陵(う・ぶりょう)/ 井伏鱒二訳


 


さらハあけましょ此盃て


てふとお請よ御辞儀ハ無用


花か咲ても雨風にちる


人の別れも此こゝろ


 


コノサカズキヲ受ケテクレ


ドウゾナミナミツガシテオクレ


ハナニアラシノタトヘモアルゾ


サヨナラダケガ人生ダ


 


井伏鱒二が林芙美子にすすめられて尾道へ行った折、やはり林芙美子にすすめられて、一緒に三ノ庄まで足を伸ばした。


島を離れる時、彼らを見送る人たちが十人ほど岸壁に来て、船の出発の汽笛が鳴ると「さようなら、さようなら」と手を振った。


林も頻りに手を振っていたが、いきなり船室に駆け込んで、井伏に「人生はさよならだけね」と言うと泣き伏した。


後に井伏は「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」と和訳した。林芙美子の言葉(せりふ)を意識していたのである。


 
新井雅之





2010年11月4日木曜日

チャイナタウン




アメリカで最もおいしい料理は何か、中華料理である。ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンジェルス、それぞれのチャイナタウンで味わう中華料理は最高である。


本場の香港は2位。日本は3位。日本は値段が高すぎる。アメリカではフカヒレの姿煮は、せいぜい70ドルぐらいだろう。


ロサンジェルスのチャイナタウンの場末に、『チャイニーズ・フレンド』と言う小さな矩形のレストランがある。僕が毎回オーダーするのは、チャーハン、鳥とジンジャーのスープ、それからエビのソテー塩味である。


ここのチャーハンは、華僑の食通が喉を唸らせる。他にもチャーハンの美味い有名店があるが、『チャイニーズ・フレンド』は、有名店の半額の料金である。


以前、『チャイニーズ・フレンド』を新聞で紹介したことがある。客は僕と同じものばかりを注文するので、店の人に僕が書いていることがばれた。店の主が大層喜んでくれて、オンザハウスにと、焼きそばを作ってくださった。場所は、ブロードウェーの北の果て。


今から25年前に、華僑の友人と来る日も来る日も、チャイナタウンで食べ歩きをした。さすが華僑とあって、珍しい食べ物をよく知っている。中でも、毛をむしれば、身が黒い鳥を食べた事がある。漢方薬と煮込んでから、壺に入れてサーブされる。鳥の名前はショクチーカイ。


ニューヨークのチャイナタウンに行った折、腰を抜かすほどに、小籠包の美味い店があった。ニューヨーク発行の雑誌に紹介文を書いたが、反響の程は分からずじまい。


最後に、俳句で閉める事にする。「鈴虫やチャイナのおやつ水餃子」


 


新井雅之


 


 





へのかっぱ




新たな治療をするために、今、食事療法をしている。調味料は一切だめだ。調味料抜きで食べる食事は味気ない。これを三週間続けるという。


病気を治すためには、仕方がないのだろう。こんなのへのかっぱ。これが終わったら、お鮨が食べたい。


ここで一句、「名月や食事制限へのかっぱ」





秋真っ盛り




 旧ラッパでは、二週間に一度の割合で更新をした。『帰って来たひつじ』では、一日に2、3回更新をしている。これは早すぎる。一日1回、もしくは二日で1回程度よろしい。


僕があんまり早く原稿を送るので、Yoshioさんも困っているのではなかろうか。4年振りのブログに、僕は興奮しているのだ。


闘病生活に見切りをつけて、書きもの一筋に生きていたい。


「祝帰って来たひつじ秋真っ盛り」





俳句




俳人の太郎は、一日一句、俳句を作ろうと心に決めた。ある日のこと、俳句が中々浮かんでこない。午前零時になれば、明日になる。時刻は間もなく午後8時。


「後、4時間か」太郎はそう呟くと、焦る気持ちを抑えようとシャーワーを浴びた。


無念無想になれ、自分に言い聞かせた。心を整えてから、お茶を飲んで、気持ちを落ち着かせた。後、2時間。どうしても句が浮かんでこない。


鼻血が出た。腹が痛い。目が痛い。歯が痛い。俳句が浮かんでこないから、頭が痛い。後、1時間。焦る気持ちを抑えた。だが、どうしても句が浮かんでこない。


後、30分。太郎は、ウンチをもよおした。トイレに行けば、良い句が浮かんでくると思った。トイレは思考(しっこ)するところであり空想(くそ)する所である。


後、10分。太郎は一週間前から便秘であった。出そう出ない。太郎はきばる。もう少しで出る。太郎は、ひたすらきばる。出る出ない。出る出ないは、芸者の時に言う言葉。


後、3分。俳句を作っているのか、きばっているのか分からない。後、1分。後、30秒。後、10秒。9、8、7、6、5、4、3、2、1、


ついに出来た!!!


「ウンチ出て俳句も出来てさわやかに」


 


新井雅之





2010年11月3日水曜日

渡り鳥




今日は、やけに静かだ。11月だと言うのに、90度をこえる。僕はベランダに出てみた。小さな庭を眺める。一面芝生だが、所どころに花が咲いている。


庭の塀の向こうに、大きな池がある。公園の池とつながっているのだ。公園の池にはワニがいる。誰かがペットで飼っていて、池に捨てたのだろう。ワニが成長して大きくなった。僕はテレビのニュースで知った。危ないのでワニを捕獲した。


澄み切った青空を眺めていましたら、一句浮かびました。「大空を飛んでみたいな渡り鳥」


 





保険




江美子が保険屋から話を聞きました。私が亡くなれば、ジョイとお父さんが困る。それで、私に生命保険をかけようかなーあっと思っている。


毎月500ドル積み立てて、7年間積みたてれば10万ドルが貰える。僕は疑った。単純に計算をしても、毎月500ドル×7年=42000ドル。しかも、IRSには報告する義務が無い。


うまい話に惑わされられないように、気をつけましょう。江美子に苦労をかけてゴメンね!


「主に委ね家族三人秋の虹」



闘病記  新井雅之


 





快感   




この恐るべき不安から


逃れる手立てはないものだろうか


 


一刻も早くこの不安感から


解放されて自由になりたい


 


俺は生き地獄の不安に魅入られてしまったので


不安感がなくなれば


なおさら不安になる


 


俺は死ぬまで不安


死んでからも不安


 


俺は神に祈りを捧げた


パラダイスで


安心して不安に過ごしたいと


不安に‥‥‥


 


快感   新井雅之





2010年11月2日火曜日




日本にいた頃、秋の季節が一番好きだった。高校生のとき「秋の日のビヨロンのため息に、身にしみてひたぶるに……」を、よく口ずさんだものだ。


どうして秋が好きかと言うと、街全体が色濃く哀調を帯びるのが好きであった。自然も哀愁を漂わせている。金木犀の香りをかぐ度に、僕は、たちまち燃える秋へと誘われる。


今、マイルス・デービスとキャノンボール・アダレイの『枯葉』を聴いている。ここLAでは秋の気配すら全く感じない。東部に行くとダイナミックな紅葉が迫って来る。


秋の句を詠ませたら、天才的な俳人がいる。「秋深き隣は何をする人ぞ」(芭蕉)。春の句を詠ませたら、名人なのが与謝蕪村。秋の句は俳聖、松尾芭蕉だ。


僕は日本の詩人(文人)で尊敬している人が三人いる。松尾芭蕉、正岡子規、それから樋口一葉である。海外では、シャルル・ボードレール、エドガー・アラン・ポー、オスカー・ワイルドだ。


パリに赴く事があれば、真っ先にモンパルナス墓地に埋葬されてある、ボードレール墓に詣でる。パリと言えば美食の都。晩秋のパリの、シテ島あたりを散策してみたい。


晩秋から冬にかけて、牡蠣のシーズンである。ブロン産の牡蠣にレモンを絞って、チューと食べてみたい。「牡蠣食えば鐘が鳴るなりノートルダム」


病気をしてからは、フランスへは御無沙汰致している。ブイャーベースにプレサレにスモークサーモンを食べたいよーォ。


旧ラッパに書いたが、僕はフランスに、文学修業エスカルゴの細道を行脚する計画を立てた。


結局、家人からお許しをもらえなかったので没になった。


家人が言うのには、遊び、道楽、食べ歩きだという。当たっているだけに、にくい。カリフォルリニアもようやく秋らしくなってきた。


今晩の夕食は、松茸ご飯と松茸のお吸い物、ここで一句。


「菊薫る松茸香り秋の膳」


新井雅之





俳句 2010 春 3




1. 麗らかに一人静かにジャズを聴き


2. グルメ三昧大阪へ帰ったら


3. 美味なるタコ焼き食べたし春の海


4. うず潮にもまれし鯛の風味豊か


5. 懐石も木の芽時おしょうばん


6. 京料理お庭も味もはんなりと


7. 春深しひなびた宿に茶懐石


8. 賛美して心たおやぐ黄昏に


9. 鍋料理あつかん呑めぬ病にて


俳句 2010 春 3  新井雅之





2010年11月1日月曜日

本当の話




アメリカへ留学中の娘と連絡が取れない。もう、かれこれ一年にもなる。両親は心配のあまり、米国行きを決断した。アメリカに行ったところで頼れるあてがいない。インターネットを見ていたら、日系の元警察官が経営している探偵事務所があった。「これだ!」早速、両親はメールをしたためた。


捜査の結果、娘の居所が分かった。サンタモニカのホテルのロビーで、娘と会う約束をした。母は娘の変わり果てた姿に狼狽した。体中ピアスだらけ、鼻も、舌も、瞼も。そして昼間から酔っぱらっている。


日系の探偵も立ち会った。探偵は即座に気がついた。酒に酔っているのではない。麻薬中毒である。母は狂乱寸前。おもむろに娘の腕を引っ張った。母と娘は腕と洋服と互いに引っ張り合った。


娘のボーイフレンドが止めに入った。ボーイフレンドも顔中ピアスだらけ、ボーイフレンドは麻薬のディーラーだ。


一部始終を見ていたホテルのスタッフは、警察に通報した。母が逮捕された。探偵は警察官に抗議をした。


「娘が悪の道に入ろうとしているのに、母親が止めに入って当然じゃないか」


探偵は日本とアメリカの違いについて、説明をした。


本人の意思を尊重するアメリカでは、娘が自分の意思で帰ってこなければ、どうすることも出来ないと言われた。


両親は落胆した。二、三日経ってから探偵から連絡が入った。娘のボーイフレンドが交通事故で亡くなったという。


「娘を保護してください!」


娘は麻薬中毒専門の施設に隔離された。二年が過ぎた。両親は娘が社会復帰できるであろうかと心配であった。


日本へ帰る日が来た。空港のチェックイン・カウターの前で、娘はトイレに行くと言い出した。待てど暮らせど娘は帰ってこない。搭乗時刻が過ぎても帰ってこない。


四、五日経って娘から電話が掛って来た。娘は、


「今、ニューヨークにいるの、アメリカでもう一度やり直してみたいの」そう言って電話を切った。


十年の歳月が流れた。娘から電話があった。


「私、ファースト・レディーになったの」


本当なのか、再び麻薬に手を出して、幻覚を見ているのか誰にもわからない。

新井雅之





祈り




ノースキャロライナのEPA(環境保護局)へ新しい乳化剤の詳説をするために、クライアントと訪れることになった。アポイントメントのある前日がまる一日あいているので、デューク大学へ足を伸ばしてみることになっていたが、当日の朝になって、クライアントの一人が突然ゴルフをしたいと言い出した。ぼくはゴルフを全くやらないが、このような訳で年に何度かはゴルフに付き合わされる羽目になる。


3人だったので、一人で来ていた現地のアメリカ人と一緒にプレイをすることになった。物静かでどことなく気難しそうな40代半ばの白人である。ぼくはそのブライアンと一緒にカートに乗ってコースを周った。第3ホールを過ぎたあたりからブライアンはジョークを飛ばすようになり、お互いの心が打ち解けていった。


暫くしてから、彼は自分の仕事のことや家族のことについて話し始めた。ブライアンはIBMのシンクタンクに籍を置くコンピューター・サイエンスの専門家で、著述家でもあった。色白で時折見せる深く刻み込まれた神経質な眉間の皺と物静かな口調は聡明であるが、はにかんだ時に見せるうつむいた目には、傷心を抱く暗い影が滲んでいた。


彼はポツリと身の上話をし始めた。タイランドの女性と結婚をして4年後に離婚。暫くたってから再婚をしたのだが、離婚をしたことが今ごろになって悔やまれてならないと言う。祭壇の前で「富む時も病む時も妻を愛し続ける」と神に誓ったはずなのに、前妻に対しても神に対しても、ブライアンはただ都合よく自己主張をしていたことに気がついたのだ。どうやら2回目の結婚も、うまくいっていないようだ。


コースを周りながら、カートを木陰に停めては二人で話し込んでしまうので、あとの二人から早く打つように度々催促される。ブライアンは今、自分の仕事に対しても大きな行き詰まりを感じている。そして複雑な人間関係に苦悩するこの頃であることをぼくに吐露した。


「人間なんて順風満帆の時は何も考えないさ。だけど、自分の能力ではどうすることもできない大きな試練にぶつかった時に、不思議とハンブルダウンして素直な気持ちになれる」


そう言ってブライアンは蒼空を仰いだ。その時、ジョン・ニュートンのことがぼくの脳裏をかすめた。奴隷船の船長であったジョンは冷酷で、いつも革の鞭を持って奴隷たちに恐れられていた。今から250年前、アフリカからイギリスに向かうジョンの奴隷船が大嵐と遭遇して、もう助かるまいと観念するほどの命の危険にさらされた時に、ジョンは「神様、助けて下さい」と叫んだのだ。やがて嵐も治まって、なぜか母が残してくれた形見の聖書を取り出して読んでいる時、ジョンは今まで思いもしなかった恐ろしい罪にまみれている自分の姿をはっきりと認識した。「神様、こんな私でも救われますか」と思わずひざまずいて真剣に祈り続けた。


このジョン・ニュートンが作詞した『アメイジング・グレース』(驚くばかりの恵み)は、かつて日本でも大ヒットしたが、米国では第二の国歌といわれるほど多くの国民に愛されている賛美歌である。ジョンは82歳で死を直前にして語っている。「私の人生には二つのことがはっきりとしている。一つは、私は以前には途方もなく大きな罪人であったこと。もう一つはその私に対してキリストは途方もなく大きな救い主であったこと」


「ぼくには難しいことは分かりませんが、必ず神はあなたを顧みて下さり、前妻に対しても、ご家族にも、そしてあなたの仕事にも祝福を与えて下さるでしょう。確信して祈りましょう」


涼風(すずかぜ)が時折頬を撫でる17番ホールの木陰で、ぼくとブライアンはカートに乗ったまま、こうべを垂れて短く祈った。


EPAでの仕事も無事に終わってあくる日の朝、ホテルをチェックアウトする時にブライアンからのメッセージがフロントデスクに届いていた。


「初対面のあなたにくどくどと身の上話をしてしまって申し訳なく思っています。休日のゴルフを台無しにしてしまいました。しかし、あなたが一緒に祈ってくれる友であったことで、私は新たな勇気を得ました。有難う。近いうちにまたお会いできますように。     ブライアン」


 


新井雅之








アメリカ人宣教師であった医師のヘボン(正しくはヘプバーン)は、安政6年(1859)に来日して、神奈川で診療所を開設した。92年に日本の地を去るまで、数多くの病人を救いながら、日本で最初の和英辞典『和英語林集成』を結実、ヘボン式ローマ字を普及させた。


フランシス・ザビエルが日本で布教活動していた時分は、キリスト教の絶対者であるゴッドを、大日(だいにち)、天主(デウス)、天翁(てんとうさま)などと訳していた。その後約三百年を経て、ヘボンが神と和訳したと言われている。


以来、キリスト教に「神」が定着したが、日本の固有信仰である神道の神と混同してしまうので紛らわしい。


では、キリスト教の神と神道の神とでは、一体どのような違いがあるのだろうか。日本宗教学会評議員の小池長之さんの研究文献に、面白い記述を見つけたので紹介したい。


「人間が学生だとしたら、神道の神様は大学の教授程度であるという」。(『日本宗教ものしり100』日本文芸社)言うまでもなく、キリスト教の神様は、天と地を創造した全知全能者である。