2010年11月24日水曜日

ジャンケン




最近の子供たちのジャンケンのやり方を見ていると、まず、「最初はグー」で呼吸を斉えておいてから、ジャンケンポンが始まる。


関西では「ジャンケン」のことを、「インジャン」といったりする。このインジャンなるものは言うまでもなく、勝ち負けを決めることにあるのだが、本来は結果よりも、その過程を愉しむことにあったのだ。


牽制(けんせい)、後出し、待ったをかける、両腕をねじって両手の穴の隙間を覗くこと等、これらの駆引きを通して、互いの心の触れ合いが深まっていくのである。


今は亡き上方漫才界の大御所、中田ダイマル、ラケットの漫才のネタに、ジャンケンを取り扱っているのがある。相手がチョキを出して自分がパーの場合でも、「ぼくの勝ちや!」と、開き直る。理由を聞けば「ぼくのパーは鉄板だ」という。


ジャンケンは遊びを始める前の鬼決めや、先攻か後攻かを決めるための一種の籤(くじ)であると同時に、ジャンケンそのものが既に遊びの一部となっている。


私は「最初はグー」で始まる、この官僚主義的ジャンケンの習慣に嫌悪を催すのだ。ジャンケンを始める間際に、「最初はグー」でタイミングを斉えておくと、確かに後出しがなくなる。けれども、そこには人間臭さも、人生の醍醐味も、そして何よりも遊び心が消滅してしまっている。


「最初はグー」以前から流行り出していたジャンケンで、「あっち向いてホイ!」というのがある。あるテレビ局のディレクターの話しによると、これを最初にやりだしたのが萩本欣一さんだそうである。


じつは、この「ジャンケンホイ、あっちゃ向いてホイ!」なるネタは、33年ほど前に大阪のテレビ局で始まった『脱線スカタン選手権』(吉本興業)という番組の中でのゲームが発端である。


いずれにしても、たかがジャンケンではないか、と思いきや、されどジャンケンである。「最初はグー」だなんて拍子抜けしてしまうが、つい思い余って、「グンカングンカン、はーれつ!」と叫んでしまいそうである。





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