2010年11月1日月曜日

祈り




ノースキャロライナのEPA(環境保護局)へ新しい乳化剤の詳説をするために、クライアントと訪れることになった。アポイントメントのある前日がまる一日あいているので、デューク大学へ足を伸ばしてみることになっていたが、当日の朝になって、クライアントの一人が突然ゴルフをしたいと言い出した。ぼくはゴルフを全くやらないが、このような訳で年に何度かはゴルフに付き合わされる羽目になる。


3人だったので、一人で来ていた現地のアメリカ人と一緒にプレイをすることになった。物静かでどことなく気難しそうな40代半ばの白人である。ぼくはそのブライアンと一緒にカートに乗ってコースを周った。第3ホールを過ぎたあたりからブライアンはジョークを飛ばすようになり、お互いの心が打ち解けていった。


暫くしてから、彼は自分の仕事のことや家族のことについて話し始めた。ブライアンはIBMのシンクタンクに籍を置くコンピューター・サイエンスの専門家で、著述家でもあった。色白で時折見せる深く刻み込まれた神経質な眉間の皺と物静かな口調は聡明であるが、はにかんだ時に見せるうつむいた目には、傷心を抱く暗い影が滲んでいた。


彼はポツリと身の上話をし始めた。タイランドの女性と結婚をして4年後に離婚。暫くたってから再婚をしたのだが、離婚をしたことが今ごろになって悔やまれてならないと言う。祭壇の前で「富む時も病む時も妻を愛し続ける」と神に誓ったはずなのに、前妻に対しても神に対しても、ブライアンはただ都合よく自己主張をしていたことに気がついたのだ。どうやら2回目の結婚も、うまくいっていないようだ。


コースを周りながら、カートを木陰に停めては二人で話し込んでしまうので、あとの二人から早く打つように度々催促される。ブライアンは今、自分の仕事に対しても大きな行き詰まりを感じている。そして複雑な人間関係に苦悩するこの頃であることをぼくに吐露した。


「人間なんて順風満帆の時は何も考えないさ。だけど、自分の能力ではどうすることもできない大きな試練にぶつかった時に、不思議とハンブルダウンして素直な気持ちになれる」


そう言ってブライアンは蒼空を仰いだ。その時、ジョン・ニュートンのことがぼくの脳裏をかすめた。奴隷船の船長であったジョンは冷酷で、いつも革の鞭を持って奴隷たちに恐れられていた。今から250年前、アフリカからイギリスに向かうジョンの奴隷船が大嵐と遭遇して、もう助かるまいと観念するほどの命の危険にさらされた時に、ジョンは「神様、助けて下さい」と叫んだのだ。やがて嵐も治まって、なぜか母が残してくれた形見の聖書を取り出して読んでいる時、ジョンは今まで思いもしなかった恐ろしい罪にまみれている自分の姿をはっきりと認識した。「神様、こんな私でも救われますか」と思わずひざまずいて真剣に祈り続けた。


このジョン・ニュートンが作詞した『アメイジング・グレース』(驚くばかりの恵み)は、かつて日本でも大ヒットしたが、米国では第二の国歌といわれるほど多くの国民に愛されている賛美歌である。ジョンは82歳で死を直前にして語っている。「私の人生には二つのことがはっきりとしている。一つは、私は以前には途方もなく大きな罪人であったこと。もう一つはその私に対してキリストは途方もなく大きな救い主であったこと」


「ぼくには難しいことは分かりませんが、必ず神はあなたを顧みて下さり、前妻に対しても、ご家族にも、そしてあなたの仕事にも祝福を与えて下さるでしょう。確信して祈りましょう」


涼風(すずかぜ)が時折頬を撫でる17番ホールの木陰で、ぼくとブライアンはカートに乗ったまま、こうべを垂れて短く祈った。


EPAでの仕事も無事に終わってあくる日の朝、ホテルをチェックアウトする時にブライアンからのメッセージがフロントデスクに届いていた。


「初対面のあなたにくどくどと身の上話をしてしまって申し訳なく思っています。休日のゴルフを台無しにしてしまいました。しかし、あなたが一緒に祈ってくれる友であったことで、私は新たな勇気を得ました。有難う。近いうちにまたお会いできますように。     ブライアン」


 


新井雅之





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