2010年12月27日月曜日

指切りをして思ったこと




「ウソついたら針千本のーます」。最近、娘と約束をする度に、指切りをさせられる。


論語のなかに、こんな話が出てくる。ある時、葉公(しょうこう)という人が孔子さまに自慢げに語った。「父親が羊を盗んだ時、子がその事実を証言しました」


孔子さまは透かさずおっしゃった。「わたしの村の正直者は、子に悪い行いがあれば親が隠してやり、父に悪い行いがあれば子が隠してやります。それが自然の性質に従った正直な行為です」


自然の性質に従った正直な行為とは、お互いに思い遣る気持ちを大切にしなさい。孔子さまはそのように語っておられるのだろう。


愚直な者のことを、馬鹿正直なやつと言って揶揄することがある。融通の利かない四角四面な人間は、とかく敬遠されやすい。孔子の教えをもう少し気高く精解するならば、自己よりも真理を優先させるべきだが、時には真理よりも隣人を愛さなければならない。概して、キリストの教えに通じるものがある。


子が育ち、一人前になると、やがて「嘘も方便」という処世術を知るようになるのだろう。だが、「方便」とは、日常語としての「便宜的な手段」という意味ではない。仏教語である「方便」の真意は、「たくみになされた手段」を示している。従って「方便」には、相手を救済してやろうとする、釈尊の慈悲の精神が根差していなければならない。


人間は正直であるべきである。けれども、それと同等の真理が対極にあるとするならば、人の心は迷妄するばかりだ。


娘には、取分け凛々しく育ってもらいたい。





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