2010年11月8日月曜日

秋の夕焼け




僕がゴルフ場にデビューしたのは、一歳の時であった。父とゴルフ場の芝生の上で、相撲を取っている写真がある。


僕が5、6歳の時分に、宝塚のゴルフ場でイベントがあった。大きな白いテントを張り巡らせて、特設ステージも作られた。当時、十代の木の実ナナさんが出演していた。母はステージ観ながら、生ビールが美味しいと言った。


本格的にゴルフを始めたのは、14歳の頃であった。だが、一向にゴルフに興味が湧かない。つまんない。


僕は乗馬を始めた。兄は京都の乗馬場。僕は奈良の乗馬場。兄は落馬をして、トラウマから乗馬を辞めた。


中学生の頃、僕は登校拒否をした。自室にひきこもった。夜、家族が寝静まってから、台所に降りて行って食料をあさった。16歳の時に、医師からうつ病と診断された。40年前、誰一人としてうつ病のことは知らなかった。


僕は病院に入院した。そして、看護婦さんに片思いの恋をした。僕の青春時代は入退院の繰り返し、お陰で1年留年をした。高校に進学したが、1歳年下のクラスメイトとは馴染めず、定時制に移った。高校を卒業するまでに、5年を要した。その間、専門学校に通った。そして、大学に進学をした。


専門学校とは、『大阪文学学校』のことである。在学中、多くの詩人や作家たちと交流を持った。僕の俳句は、俳人の近松寿子さんに手ほどきを受けた。近松さんの師匠は、林 富士馬先生。往時、鮨屋の二階で、よく連句を巻いた。三十六歌仙。林 富士馬先生が提案されていた俳偕は二十四。これを名付けて胡蝶俳偕という。


僕は、大阪文学学校で、本科の時は小説を学び、研究科で詩を学んだ。僕が習った先生は、小野十三郎、井上俊夫、灰谷健次郎、川崎彰彦。


学校が跳ねると、居酒屋へと直行した。文学学校よりも、居酒屋の方が勉強になった。


 


一句できました。「鮨つまみ秋の夕焼け連歌巻き」


 


 


 





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