2011年6月22日水曜日

酒と執筆と読書の日々




僕が日本にいた頃、収集癖があった。電車の切符、駅弁の包装紙と容器、時刻表、古銭、メダル、骨董品、ぐい呑み、書籍、パイプ、喫茶店のマッチ、鉄道グッズ、Gパン、レコード。

そのなかで、最も多く収集したのが書籍であった。往時の僕の部屋は二階にあった。あんまり本が大量にあるので、床が抜けると父から苦情がでた。

一階の部屋を書庫として使わせてもらったので、一件落着。殆どの本が文学に関する書籍である。その数8000冊。専門書であるから分厚くて重い。

食事の際と、歩く時以外は本を読み続けた。食事の時も本を読む者がいるが、僕は食事を楽しみたいから、本を読むことを中断する。

僕の特技は速読術、雑誌、新聞も含めて月に400冊あまりの本を読む。今、最盛期の本を読むスピードと比較して、20分の1にスピードが落ちた。

往時は古本屋と、図書館に入り浸りの日々が続いた。僕の当時の職業は、文芸雑誌の編集者。ジャズを聴きながら、酒をあおり執筆したものだ。

古き良き時代であった。





2011年6月20日月曜日

Pizza




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場所は、ロサンジェルスのベバリー・ブルバード。ピザの美味しいレストラン『Terroni』(テローニ)。


僕は、かつてピザは食べなかった。江美子とジョイが好きなものだから、ピザ・ハットによく通った。


どこかに美味しいピザは、ないものだろうかと僕は探し始めた。ピザ好きの朋友が教えてくれたのがテローニ。


土曜日の午後テローニへ、家族3人で赴きました。 


テローニのバーテンダーが口走った。ピザ・ハット、ドミノ・ピザはアメリカンスタイル。ここテローニは本場(イタリア)の味。薄生地のクリスピーピザが美味しい。


写真は生ハムとモッツァレアチーズのピザ。Santo Stefano Pizza 15.95ドル。


Terroni
7605 Beverly Blvd. Los Angeles, CA 90036          
tel. 323-954-0300





2011年6月19日日曜日

父の日




今日は父の日だ。みんなでミルクを飲みましょう。


母の日は、みんなで何をすればよいのですか?


みんなで笑いましょう。母ハハハハ……





2011年6月18日土曜日

コーヒー




アメリカでは訪問客に飲み物をサーブする前に、コーヒーにするか、それともソフトドリンクか、相手の嗜好を確かめてくれるので有り難い。


日本では、相手の好みなどお構いなしに、コーヒーや日本茶が運ばれてくる。僕はコーヒーが飲めないので、コーヒーを勧められると苦痛である。いつまでも飲まないでいると、「冷めないうちにどうぞ」、「さあ、ご遠慮なさらないで」、会話の合間にコーヒーを勧められる。 


以前、相手に悪いと思って、おもいきってコーヒーを流し込んだことがある。すると、てきめんに気分が悪くなって嘔吐してしまった。


コーヒーアレルギーの僕でも、美味しくいただけるコーヒーがビバーリーヒルズにあった。それは、かつてロデオドライブで一世を風靡したフレッド・ヘイマンというブティック内で、顧客を待遇する為にサーブされていたオレンジ・カプチーノである。その風味ときたら、目から鱗が落ちる味わいであった。


コーヒーは酒や煙草と同様に、健康を害う嗜好品であるとみなされているが、コーヒーを多く飲むフィンランド、スウェーデン、ノルウェー、スイスなどの長寿国では、日本と殆んど同じ濃さのコーヒーを、一日に一人当たり三杯飲んでいる計算になる。これは日本人の約3倍にあたる量である。


巷では、様々な生活習慣病にコーヒーが良いとされる研究報告が次々に発表されている。糖尿病、胆石、高血圧、動脈硬化、さらには癌予防にも、コーヒーの効能があるらしい。


晩酌を欠かさない高血圧症の男性28人を対象に、毎日コーヒーを3杯以上飲んでもらった結果、4週間後には上の血圧が10から15下がり、コーヒーを飲むのをやめると、血圧は徐々に元の数値に戻ったというデータもある。


コーヒーがそんなに身体に良いのであれば、きっとダイエットにも効果があるのではないかと思い調べてみると、コーヒーに含まれているカフェインには、脂肪抑制効果があることを世界中の研究者がこぞって証明していた。


それでは、まず、味の薄いコーヒーから飲み始めてみることにするか。いつか、憧れのブルーマウンテンも飲んでみたい。





野ばら




 


野ばら


ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ/小塩 節 訳


 


 


野辺に咲く


あかいばら


朝日のような美しさ


少年は見るなり駈けよって


うっとり眺めておりました


あかい野ばら


野辺に咲くばら


 


「さあ 折るよ


あかい野ばら」


「刺してあげるわ


わたしのことを忘れぬように


ただ折られたりはしませんわ」


あかい野ばら


野辺に咲くばら


 


でも少年は むごくも折ってしまった


あかい野ばらを


ばらはふせいで 刺したけれども


嘆きも叫びもむだでした


やっぱり折られてしまった


あかい野ばら


野辺に咲く ああ あかいばら


 


 


 世界中の人々に愛されて、親しまれてきた『野ばら』は、わが国では近藤朔風の訳詞(♪ 童は見たり 野中のばら・・・ )とシューベルトの作曲で有名である。


二十一歳のゲーテ(少年)は、牧師の娘フリーデリーケ(野ばら)に一目惚れする。貴族の出身で金持の少年は、自分が欲しいものは何でも手に入れなければ気がすまなかった。泣き叫び抵抗する純真無垢な乙女は、少年の一方的な熱情に翻弄されながら、とうとう少年の愛を受け入れてしまったのである。


後にゲーテは、フリーデリーケとの出会いの印象を、自伝『詩と真実』の中で、「片田舎の天空に、たまらなく愛らしい星が立ち昇った」と、述懐している。


詩の鑑賞はこれで終わりであるが、当然、往時の二人の関係には続きがあった。片田舎で会っていた時分のフリーデリーケは、この上なく清純で愛らしかった。けれども、都会の社交界においては、フリーデリーケの姿が、ゲーテの目には不粋に映っていた。


恋多き詩人は、非情にもフリーデリーケを捨ててしまった。心に深く傷を負ったフリーデリーケは、リボン作りで生計を立てながら生涯を独身で貫いた。


しばらくしてゲーテは、今度は婚約者のいるシャルロッテ・ブッフを熱愛し始めた。この片恋の顛末を描いた『若きウェルテルの悩み』は、世界中で大反響を巻き起すことになる。また、晩年のゲーテは、七十代半ばになって十七歳の少女に求婚している。


ゲーテは幾多の恋に明け暮れながらも、生涯にわたってフリーデリーケとの経緯について、良心の呵責を抱いていた。その懺悔の念は『ファウスト』を始め、主要作品の貴重なモティーフとなって表現されている。


 


 


 


 





2011年6月17日金曜日

タワー・オブ・パワー




高校生の時分、僕はブラス・ロックにのめり込んでいた。最もはまったのはシカゴ。実力ではBSTとタワー・オブ・パワーの方が上だが、一番人気があったのは、日本でもアメリカでもシカゴ。


アメリカに移住してからも、シカゴのヒット曲が絶えなかった。シカゴの曲をシィーナ(新ラッパを吹くひつじ、セーブ・マネー参照)と一緒に口ずさんだ。


アダルト・スクールの先生ジェーンとは、タワー・オブ・パワーの曲を一緒に聴きながら、ダンスを踊った。


或る夏の日こと、サンタモニカでジェーンと邂逅(かいこう)した。ジェーンの方から呼びかけてきたのだ。僕はその時、正しくジェーンのことを考えていたから、僕はこの偶然に仰天してしまった。


しばらくジェーンと一緒に過ごした。サンタモニカ・ピアーの前のマクドナルドで、一緒にビック・マックを食べた時、ジェーンのウオークマンから、タワー・オブ・パワーの曲が♪~♪♪はじき出ていた。


 






2011年6月16日木曜日

病気前




僕は病気になる以前は、育メンだった。江美子が夜の仕事なので、ジョイの世話をしなければならかった。


ジョイの首が据わった頃に、机の脇のブランコに乗せて、PCの前に座り連日執筆をしたものである。


ジョイは大人しくしていてくれるので、仕事がはかどった。往時は1ヶ月に15本の連載を抱えていたので、締め切りに追われる日々が続いた。 


それにしても、便利な世の中になったものである。日本でもニューヨークでも、Eメールで原稿が送れる。毎日新聞に連載していた『ジョイの子育て奮闘記』は、好評を博した。


エッセイ、詩、コラム、文芸評論、児童文学まで執筆をした。また、詩の投稿欄、文芸賞の選考委員まで担当していた。助勢となったのはサプリメント。3日間、連続で徹夜しても平気だった。


時には締め切りぎりぎりまで、筆が進まないこともある。自分を追い詰めることによって、一瞬にして書けるこがある。


最近、昔の文学仲間と連絡を取り合っている。そろそろ文芸誌に、執筆しようかなと思っている。





2011年6月14日火曜日

タパス料理




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江美子の従妹の夫トニーが、推奨してくれたレストラン、スペイン料理『La Paella』。タパスとは、スペイン語でおつまみという意味。


先ずは、スペインのシャパンGavaで乾杯。


この日、タパス(アペタイザー)をオーダーした物は、シュリンプのガーリック・ソテー7.5ドル。茹でたイイダコ6.5ドル。ガーリック・スープ6ドル。チキン・コロッケ4.5ドル。タパス料理は平均7ドル。


メインはパエリア21.95ドル(写真)。デザートはフラン(プリン)4.95ドル。


さすがスペイン系アメリカ人、トニーのお奨めのレストランとあって、趣のある味わいに脱帽。


ホームページ La Paella


 





2011年6月13日月曜日

俳句デビュー




 


きょう、(6-11-11)日本語学校で俳句を習った。


ジョイが初めて作った俳句。


 


さくらの木ピンクのドレスひらひらと


花火だよ「たまや~」と言って楽しむよ







2011年6月12日日曜日

毛虫




毛虫


ギィヨーム・アポリネール/堀口大学訳


 


働くことは金持ちをつくる


貧乏な詩人よ、働かう!


毛虫は休なく苦労して


豊麗な蝶(てふ)になる。


 


 


 


堀口大学の訳詩の集大成とも言える『月下の一群』(大正14年刊)の中から、『毛虫』を鑑賞する。


 


僕は陋居の仕事場の壁に、この詩を拡大したコピーを、5年ほど前から貼り付けている。何故ならば、往時のアポリネールの情況と自分自身が、だぶって見えて来たからだ。


 


さて、『毛虫』は僅か四行の短詩であるが、二つの構成に分かれて成り立っている。即ち一行目と二行目が第1部であり、三行目と四行目が第2部となる。


 


第1部は貧困に陥った時の、自問自答である。それは詩を書く努力が、衆生世間に理解されないからである。けれども、生活していく為にはお金が必要なのである。


 


第2部は、詩人の魂はイマジネーションの美であって、決して物欲に溺れるものではないと謳っている。従って『毛虫』は、相克の哲理に煩悶するアポリネールの絶叫であるのだ。


 


巷では、『詩』など創らないで『田』を作れ。「あいつは詩人か、どうせ金がないのだろう。ジャニターの仕事でも世話してやれ」等と言われて来た。浮世では、詩人は肩身が狭いのである。





2011年6月11日土曜日




♪ 雨、雨、降れ、降れ、母さんが、蛇の目でお迎えうれしいな……


「蛇の目って何? 」


一緒に歌った後で、ジョイから問われた。無理もない。僕が子供の時分でさえ、蛇の目は一般的ではなかった。それでも、地方へ赴くと番傘を見掛けることがあった


きょう、6月11日は入梅。当地、南カリフォルニアでは、10月の末頃まで雨は一滴も降らない。日本列島はこれから約1ヶ月間、黒南風(くろはえ)の雨期を迎える。


山陰地方など、年間を通して降雨量の多い地域では、「弁当忘れても、傘忘れるな」と言われる程、雨傘は日常生活に欠かせない。


英国紳士のシンボルは雨傘であるが、カリフォルニアの人々は雨傘には無頓着である。多少の雨が降っても、めったに傘をさして歩いたりはしない。


雨の多い国で育った日本人は、雨が降ってくると条件反射的に、雨に濡れないようにしようとする。井上陽水さんの『傘がない』という曲の歌詞を読むと、急いで知人に会いに行かなければならないというのに、「♪ 問題は今日の雨、傘がない…… 」。よっぽど雨に濡れるのが難儀だと見える。


ジーン・ケリーは傘を投げ出して、土砂降りの雨の中で愉快に歌って踊った。ハリウッド映画『雨に唄えば』は、憂鬱な雨を愉しく表現させる為の手段として用いた。


傘のルーツをひもといてみると、雨傘よりも、日傘の方が最初に考案されていた。古代オリエントが発祥の地で、ローマ時代になってから雨傘が普及した。その後、18世紀の中ごろになると、鋼鉄製のこうもり傘の原型が出来上がった。


ロサンゼルスで生活を続けていると、多少の雨如きでは、傘の世話にはならなくなった。雨期になると、月形半平太張りに「濡れて参ろう」ということになる。しかしながら、傘の必要性を感じる場合も稀にある。


思い立ったが吉日。きょうから、自動車のトランクに折りたたみの傘を忍ばせておこう。本日(6月11日)は『傘の日』なり。


 





2011年6月10日金曜日




あっという間に1日が終わる。1週間が過ぎる。季節が変わる。そして1年が経過している。


年齢をつみ重ねるごとに、時の経つのが速いと感じるのは、人生というものが分かってきたからだと、泰西の或る偉人が語っていた。


分かったという意味は、人生を悟ったということではない。生きていくことに慣れきってしまって、感性がにぶっているだけだ。いや、そのような考え方は適正ではない。今朝、時の流れについて自問自答している自分がいた。


ロサンゼルスの街角で、時計を探すのは容易ではない。レストランへ入っても、ショッピングセンターを歩いていても、時刻を知らせる公共の時計が目に入らない。時折、ビルの塔などに大きな時計が掲げられてあるが、そのほとんどの時計が故障している。たとえ動いていても正確な時刻は期待できない。


超過密ダイヤにもかかわらず、JRの発着時刻は実に正確である。この正確さには、訪日した外国人が舌を巻くらしい。日本の標準時間を刻んでいるのは、セジウム原子時計だ。3000年から30万年の間に、わずか1秒の誤差しか生じない超高性能。1888(明治21)年、世界の標準時間に合わせて、日本標準時が設定された。


元来、人間の本能には、時を予測する能力が備わっている。翌朝6時に起きるつもりで目覚まし時計を合わせて眠ると、目覚ましが鳴る寸前に目を覚ますことがある。摩訶不思議だ。


先日、読書中に、「間もなく正午だな」と感じて書斎の時計に目を向けると、五分前であった。腹時計が時刻を告げてくれたのである。


きょう、6月10日は『時の記念日』。ジャネーの法則によると、50歳の人間の1年は、10歳の少年と比較すると、5分の1の速さに感じると言う。





2011年6月5日日曜日

調子




調子が悪くて、ブログの記事が書けません。


調子が悪いのはPCのこと、修理に出そうかと思っている。従って4、5日は記事が書けません。


僕はいたって体の調子が良い。





全米




アメリカだけが全米と言うのは何故か。中国も全中国、ロシアも全ロシアとは言わない。


リトル東京の日系人博物館で資料を見つけた。


今から90年前、日系人の吉田善兵衛という人が、全米は豊かな国と語ったことに由来する。


本当の様なうその話。





下降




 


 


下降


杉山平一


 


仲好しと、いま別れたらしい


娘さんが笑みを頬にのこしたまま


六階からエレベーターに入ってきた


四階で頬笑んだ口がしまり


三階で頬がかたくなり


二階で目がつめたくなり


一階で、すべては消えた


エレベーターの扉があくと


死んだ顔は


黒い雑踏のなかに入って行った


 


 


現在、杉山平一は『関西詩人協会』の代表を務めている。彼の代表作品といえば、この『下降』と、『写真師』、『生』、『不在』などがそうである。


詩を味わった後で、押し付けがましい解説を読んでしまった故に、掻き立てられていたイマジネーションが興醒めてしまうことがある。


 


伊藤信吉は、娘さん(女の子)が一階についたとき、彼女は「無」になっていた。と解説している。作者は「すべては消えた」と詩の中に綴っている。女の子が「無」になるのと、客観的に詩人の眼が捉えた状況であるところの「すべてが消えた」とでは、本義が全く異なってしまう。


何かメタフィジックなことでも意図しているのかと考えたが、伊藤信吉は女の子の表情の変貌をカメレオン物語であると結んでいる。そして変貌は無意識のうちに行われるので、戦慄するのだ。というのである。


非常に抽象的な釈義だが、ここは別段、難しく考える必要はないと思う。今まで仲好しと遊んでいて、生き生きとしていた女の子の顔が、一階について実在となったのである。そこで終結すれば詩にはならないので、対照的な「死んだ顔」という表現を用いたのである。そうすることによって「黒い雑踏の中に消えていった」最終行が深い広がりを見せている。


 


 





2011年6月4日土曜日

チェリーの味




僕が14歳の頃、大阪警察病院の神経科に入院していた時のこと。同じく患者で3歳年上の女性と、意気投合して行動を共にした。


夜、病院の屋上へ二人で足を運んだ翌朝、婦長さんに注意を促された。夜、男女が二人だけで屋上に赴くと、何か如何わしいことでもやっているのではないかと誤解されかねない。


14歳の僕は、大人って厭らしいことを考えるものだと憤慨した。二人は外出も自由にできる。病院の向かいにある喫茶店にも時々出向いた。看護婦さんに、二人が行動を共にしていないか悟られない様に、どちらかが時間をずらせて病棟に戻る。


ある晩、二人で屋上へと向かった。夜景を眺めているうちに、どちらからともなく寄り添った。彼女の愁いを含んだ瞳が僕を見つめている。彼女の瘦躯が僕の胸に収まった時、彼女は優しく瞼を閉じた。ああ、長いまつ毛が麗しい。


ファースト・キスは、レモンの味がすると聞いていたけれど、僕は甘くて酸っぱい、チェリーの味がした。





リトル東京七不思議




1. 日米文化会館、北側のアズサ通で、深夜に黒人霊歌が聞こえて来る。


2. サンペドロとセカンドのコーナーに、二宮金次郎の銅像がある。午前3時にウインクをするとの噂。


3. ジャパニーズ・ビレッジ・プラザで、ホームレスが毎晩櫓(やぐら)の上で眠る。


4. 夕刻に瘦身の白人が、頭にバックミラーを付けてジョギングをしている。


5. ホンダ・プラザの近くで、日本人と黒人のコンビが、日本語でストリート漫才やっている。


6. 50歳半ばの男性が、通りすがりの人を呼びとめて、「寿司を握らせておくなさい」と言う。


7. 泳ぐ格好をして歩く女性が、時々出没する。





2011年6月3日金曜日

道楽




アメリカのフランス料理レストランは、僕の舌を満足させてくれない。趣向を凝らした盛り付けだけが豪奢(ごうしゃ)である。味の方は少しばかり不味だ。


日本ではフランス料理の超高級店に行けば、それなりに美味しい。だが、目の玉が飛び出るほど高い。


フランス料理は本場に限る。名の通った三ツ星レストランではなくとも、ブラッスリーでも僕の舌を満足させてくれる。


かつて僕がフランスへ頻繁に行っていた頃、モンパルナス駅の近くに男性が二人きりで、切り盛りしている食堂を見つけた。路地を入ったところで分かりにくい。そんな場末の食堂でさえ、舌鼓を連打した。


安価で美味いから、僕がパリ滞在中は、食堂『マリア』を贔屓(ひいき)にした。パリは至る所に、安価で美味しい食堂がある。


パリには美味しい惣菜店も充実している。帆立て貝のテリーヌとフォアグラのテリーヌを買って、パンとチーズとワインがあれば、安ホテルでディナーを楽しむことができる。


また、パリの総菜店のスモークサーモンは、度肝を抜かれるほど最高に美味しい。毎回LAに持ち帰ることにしている。


僕がフランスに出向くのは、敬愛するシャルル・ボードレール先生の研究が目的。ホテル・ソルボヌに投宿して、ソルボヌ大学の図書館に通う。モンパルナス墓地には、幾度も通った。ボードレール先生の墓の前で、何枚も写真を撮った。ボードレーヌの研究をしても、お金にはならない。早い話が道楽である。


僕が日本にいた頃は、文学極道であった。極道から道楽へ出世をしたものだ。同じようなものか?





2011年6月2日木曜日

民主党




民主党はマニフェストを守っていない。天下り問題も野放し状態のままだ。


日本の政治は、公務員の公務員による公務員のための政治だ。


期待していたのに、鳩山政権と管政権にがっかりとした。


ニュースを聴いていて、愕然とすることばかり。


僕の病状をこれ以上悪化させないでくれ。





リーダーシップ




このところ数日、テレビばかりを観ている。5月は通院の日は1日だけだったので、朝から晩まで、テレビにかじりついていた。


テレビで観ている限りでは、管直人総理大臣の姿勢が悪い。はきはきと発言することが出来ない。背筋を伸ばして、大きな声で力強く意見を述べることによって、国民に信頼と安心を与える。 


アメリカのオバマ大統領は、姿勢が良くて演説も上手い。おまけに行動も早いし実行力もある。リーダーシップが、あるかないかの違いによって、政治に大きな差が出る。





2011年6月1日水曜日

夢を食べるイタリアン




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サンタモニカのイタリアンレストラン『Drago』に、3年振りに赴いた。


訪れたのは2度目である。いずれもランチ・タイム。2回とも僕がオーダーした料理は、カラスミのスパゲティ(Bottarga)14ドル。(写真)


あっさりとしたコクがあり、正しく調和のとれた風味と旨味。サンタモニカのそよ風が心地よい。夢を食べるイタリアンに、僕は舞い上がる。


詳しくはホームページを見てネ!





『花亀』




90年代初頭、リトル東京のホンダ・プラザに、天ぷら屋『花亀』があった。主人の職人は無口で計算高くない、商売が不得手な人物であった。女将さんは奇人である。


そんな二人が、店を切り盛りしているのだから、ご多分にもれず不協和音が轟く。店には何時も5歳の娘がいて、客から客へと戯れる。客は笑顔で対応するも、本心は迷惑だ。メニューには娘の写真が貼り付けてある。


天ぷらの味は、日本の天ぷら屋以上に美味しい。聞くところによると、東京の有名天ぷら店、一見さんお断りの店で修業したとか。


天ぷら油は、サラダ・オイルにゴマ油を少し入れて使う。関西では綿実油だけで揚げる。その方が美味しいと大将に告げると、2週間ぐらい経ってから、日本から綿実油を取り寄せたと、『花亀』の大将は僕に報告をした。


刺身定食もある。これがまた鮨屋の刺身よりも美味い。リーズナブルで佳味とくれば、繁昌しても、よさそうなものだが、店の雰囲気が悪くて何時行っても閑古鳥。


最後の常連は僕一人になった。2年余りで店をたたんだが、負債を抱えるも家族3人で、2週間イギリスで夢のバカンス。


それにしても、『花亀』の天ぷらは、超美味かった。今でも江美子と語り草になっている。