四季の温度の感覚を季語でいうと、春は「暖か」だ。
夏の「暑し」、秋の「冷やか」、そして冬の「寒し」と比較すると、春の「暖か」には、ほっと、一息いれたくなるような安らぎを覚える。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり」。春秋をこのように歌ったのは道元である。
川端康成はこの歌を、ただ四つ無造作にならべただけの月並み、常套、平凡、歌になっていないと扱き下ろした。
この道元の歌は花鳥風月の究意だ。いや、川端康成の識見が正しい。俗人は双方の言い分に対して、うなずくばかりである。
古来の歌や句には、如実でたやすい内容のものが多い。それだけに奥が深いのだろう。
「春の海 ひねもすのたり のたりかな」。この平易な蕪村の句は、まるで風光るのどかな海が、目の前に広がっているようである。これぞ春の海だ。
「てふてふが一匹韃靼(だっぱん)海峡を渡って行った」。これは安西冬衛の『春』と題した一行詩の傑作。
韃靼とはアジア大陸とサハリン(樺太)島との間にあるタタール海峡のことであるが、日本では間宮海峡と呼んでいる。
てふてふが間宮海峡を渡って行った。これでは詩にならないが、中国名の「韃靼」に置き換えることによって、字面といい、音の響きといい、随分と優れた詩に変貌を遂げる。
「詩は裸身にて理論の至り得ぬ堺を探り来る。そのこと決死のわざなり」。これは宮沢賢治の詩論の一つであるが、美しく感動深い詩歌が閃くには、一筋縄では行かないようだ。
きょう、三月二十日は春分の日。天文学的には、きょうから春が始まる。
「暖かだ あたたかくなれ 懐も」
春 新井雅之
0 件のコメント:
コメントを投稿