2011年3月31日木曜日

サマーズ氏の国




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米国家経済会議(NEC)前委員長のローレンス・サマーズ(写真)米ハーバード大学教授が3月23日、ニューヨークで講演中に「誠に残念ですが、日本は貧しい国になるでしょう」と、陳述をした。


サマーズ氏は、日本の現状を生で見ていない。本当の日本の現状を知りつくしていない。今この時期に、日本は貧しい国になる。あまりにも卑劣な発言。サマーズ氏は経済面ばかりを注視しているように思われる。


経済協力開発機構(OECD)の相対的貧困率よると、最も貧しい国はアメリカである。日本は未曾有の震災によって、最も心の豊かな国になるであろう。


これからの時代は、貧しくても心の豊かさが問われる時代。サマーズ氏の国は、そんな芸当が出来るだろうか。





レストランの紹介記事




僕は21歳の頃から、文芸雑誌に美味しいレストランの紹介記事を執筆していた。主に関西中心だが、この頃からレストラン巡り、食べ歩きが好きだった。


千里中央(大阪)にあった。フランス料理のレストラン、『ビストロ・ジョフラン』がリーズナブルで美味しかった。35年の歳月を経て、検索をしてみたが見つからなかった。


同じく千里中央に、『オスカー』という小さなバーがあった。35年前にオスカー・ピーターソンが来日した時、『オスカー』でライブを開催したのを覚えている。


オスカー・ピーターソンは当時50歳、正に脂の乗りきっている時期、名もない小さなバーで、採算がとれるだろうかと心配した。


東梅田の『瓢亭』も雑誌で紹介をした。詳しくはカテゴリー食『夕霧そば』を参照。


 





夕霧そば




東梅田(大阪)の旭屋書店で本を購入する際、必ず立ち寄って行く蕎麦屋があった。夕霧そばで有名な『瓢亭』


夕霧そばとは、そば粉に柚子の表皮を練り込んだ香り高いそば。人気のそばは、カレーそば、鴨なんば。


大阪名物お初そば、別名梅切りそばも好評。





2011年3月30日水曜日

明治時代の力士の四股名




三毛猫泣太郎(みけねこなくたろう)


一二三山四五六(ひふみやましごろく)


陸蒸気ツバメ(おかじょうきつばめ)


自動車早太郎(じどうしゃはやたろう)


凸凹太吉(でこぼこたきち)


ヒーロー市松(ひーろーいちまつ)


黒猫白吉(くろねこしろきち)


 


※  この中に実際には存在しない四股名が一つある。どれでしょう。


 


 


答え……陸蒸気ツバメ





『勤労意欲あり』




32歳になる息子には、全く働こうとする意思が無い。ニートの状態が続いている。そんな訳で、間もなく定年退職を迎えようとしている父親が、ついに業を煮やした。


 


「いい加減にしろよ。みっともないから、さっさと働け」


「ったく、うるせえなぁ、ミートなんだから、ほっといてくれよ」


「なにっ、それも言うならニートだろ」


 


父親は肩を落とした。


息子は外へ出て行ってしまった。


「おい、どこへ行くんだ」


「だからミートだって言ったでしょ。昨日から肉屋でバイト始めたんだ」





2011年3月29日火曜日

江美子のお許し




きょう、マサヨさんとアミさんが、教会のみなさんのカードを添えて、愛餐会の食事を届けてくださいました。


ヨウコさん、ターちゃん、ブログを読んで頂いてありがとう。シチュー、ご馳走になります。


感謝!


教会に行けないのは、江美子のお許しが出ないからです。(僕の免疫力が低下している)





絵画




写実主義



おでこ


眉毛







 


ピカソ







おでこ



眉毛


 


 


 





2011年3月27日日曜日

親と子のコミュニケーションとしての「詩」




子供たちの詩を読んでいると、今までにまったく体験した事のない異次元の感応に、触発されることがある。この発見と驚きは、新しい感性との出会いであり、諸手を上げて歓喜する瞬間でもある。


福島県郡山市で、月刊児童詩誌『青い窓』を主宰している全盲の詩人佐藤浩さんは、著書『さけぶ子、つぶやく子』の序文の中で、日常の子供たちの叫び声を代弁して、周囲の大人たちに警鐘を鳴らしている。


「子供にとっての自然は、昆虫や野鳥が飛び交う生命と触れ合う遊び場です。公害や自


然破壊が問題になる以前に、子供たちは詩の中で、緑が食べられてしまうと叫んでいるのです」。


 


子供たちの詩の中には、彼らのつぶやきと叫び声が揺らいでいる。すっかり世俗化してしまった大人たちの感受性とは周波数が異なるので、子供たちの切実な「声」が大人たちには全く届かない。


 


日頃、子供たちが敏感に感じ取っている小さな出来事や、ものの見方や考え方を、文章に託して訴えることによって、子供の心情が発散されて、なおかつ感情が整えられて浄化されて行く。自分の思いを文章で表現することによって、治癒作用が誘発されるので、精神的緊張感や負担が癒されるのである。


 


日記を付けてみることや、走り書きで済ませることでも良いのだが、「詩」という凝縮された言葉の表現に置き換えてみることによって、思考力が自ずと高められてゆき、周囲の者や自然に対する思い遣りが育まれる。


 


佐藤浩さんは「子供は野の花が咲き昆虫の住む場所を土と見、大人は土地と捉えるのです」と解説している。大人はどうも現実的なものの捉え方しか出来ないようであるが、親と子供のコミュニケーションを図る手段の一つとして、「詩」を活用することを提唱したい。


 


週に一度或いは月に一度で良いから、親と子が互に詩を書きあって、交換して読むことを続けるのである。すると日常の会話だけでは気づかなかったことや、子供の好奇心に満ちた深い眼と、無限の可能性を秘めている斬新な発想に、必ず活路を見いだすことがある。


 


親も一緒になって詩を書けば、子供は親の詩を読んで益々心が解放されるので、一段と際立った自分の世界を創造していく。嬉しい時であれ、悲しい時であれ、そして閉口する時でさえ、親と子の間に芽生えた「詩話」によって、何時しか親として詩を書き始めた自分自身にも、好転の兆しが現われ始めることに気づくのである。


 


このようなことから、親子で詩を綴るという使命を持つことは、愛される存在によく似ている。アメリカの現代詩人デルモア・シュワ-ツは、愛されることと、詩を書くように心が惹かれることはよく結びつけられると述べているが、シュワーツの論文『現代詩人の使命』によれば、人間は善の権力と同様に悪の権力にも心惹かれるものであるからだ。


 


私が児童詩に興味を持つようになったのは二十四年前、足立巻一さんとの出会いにあった。足立さんは竹中郁さんや坂本遼さんらと子供の詩の運動を進めて、『きりん』編集に貢献された詩人であった。ロサンゼルスには藤田礼仁さんが主宰している『青い窓』U.S.A.があり、不定期に児童詩誌が発行されている。また、九月にはサンフランシスコとロサンゼルスで、『星野富弘花の詩画展』が開催される。星野さんの描いた詩画を通して、親子で詩作をするための好機として、星野さんの作品を鑑賞しながら、親と子のコミュニケーションの絆を固く結んでいって欲しい。


 


詩精神とは物事の確信へ直入するスピリットであって、あらゆる事柄に対する柔軟な洞察力である。ロシアの文豪トルストイは、「詩によってのみ解決できるような謎がいたるところに横たわっている」と道破した。


 


私たちは詩人の魂ではなく、温和な母親の、或いは父親の眼差しを持って子供たちと触れ合い、共に喜び悲しみながら、愛されていることの深い意義を十分に分かち合えればと思う。


 


新井雅之


 


 





てんかん




丘の上の収容所には


ブルースを感じさせる


不協和音の少年がいた


 


迂遠冗長の少年は


塗炭の苦しみに喘ぎながら


破壊と創造を繰り返すのは


もう 疲れたと言ったために


保護衣を着せられて


独房に放り込まれた


 


魔界に魅入られたかのように


絶叫する少年を


看護人が鉄格子の間から


面白半分に竹槍で突くと


一瞬蛮声を上げ


総身が硬直したかと思うと


全身を〈がくんがくん〉震わせる痙攣が


数十秒つづいた


やがて少年は深い眠りについた


 


丘の上の収容所には


ブルースを感じさせる


不協和音の少年がいた


 


まわりくどいが


几帳面で筋骨型の


動きが遅く鈍い少年だった


ささいなことで苛立ち


激怒する少年だった





2011年3月26日土曜日

憐憫(れんびん)




米女子プロ・バスケット選手、キャビー・ポンデクスター選手は、日本の大震災は真珠湾攻撃に対する報いであると、ツイッターに書きこんでいる。


反論をする者に対して、おまえはジャプか? と言い返したそうである。


ポンデクスター選手は黒人である。米国社会にあって黒人は差別されて来た。心に痛みが判らないのでしょうか。


有名になって、挙句の果ては傲り昂り。僕はポンデクスター選手に、憐憫の情を感じた。





詩の見かた ― 病跡学に即して ―




中村稔は、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』は、「理想主義の敗北が、詩人にもたらした結果である。この作品に彼の敗北感、挫折感を認めることは、『春と修羅』第三集以降の多くの作品を読んできた読者にとって容易なはずである」。と解説している。(『日本の詩歌』中公文庫)


卓越した芸術家の生涯と、創造の全体像を捉えて、内面にまで深く入り込んでいって、心理学的に考察していく学問のことを病跡学(パトグラフィー)という。


病跡学の研究者で、精神科医の福島章さんに補足してもらうと、伝記作者は人間心理の正常な面を洞察して解釈をするが、病跡学では精神の高みから肉体の深み、異常ないし病的な側面も含めて、さらには心理機制から無意識の内部まで考察される。


宮沢賢治の性格と病を、多くの病跡学者は分裂性気質に位置付けている。仔細は賢治の性質を詳しく考証することによって、「熱中性、執着性、凝り性、几帳面、強い責任感、周囲の者に対する細やかな配慮、対人敏感性」を持っていることが分かった。


そこで、病跡学の文献を分析しながら、文学的観点からの考察を交えて、賢治の作品を閲読していくと、中村稔の解釈が誤謬を犯していることに気付かされる。冒頭の些か抽象的な文章に於いて、中村稔は明晰に賢治の敗北と挫折感を認めている。


即ち、文脈に潜んでいる賢治の「狂気」が、中村稔には全く読みきれていないのである。「狂気」が創造に益し、「創造」が賢治に治癒作用を誘発させたのであるが、賢治が手帳に十一月三日と前書きをして記した、言わば走り書きのメモが『雨ニモマケズ』の「詩」となって結実している。また、賢治はこの時点で、少なくとも勝利者となるべくスタート地点に立っていた。


福島章の言葉を借用するならば、「賢治は自分の中にやはり巨大な一匹のデーモンを飼育し続けていくことになる」。この「狂気」こそが、賢治の創作意欲を掻き立てて、世俗的には敗北者ではあったが、創造に寄与した紛れも無い事実を看過してはならない。


次に紹介する詩は、草野心平の『ぐりまの死』


ぐりまは子供に釣られてたたきつけられて死んだ


取りのこされたるりだは


菫の花をとって


ぐりまの口にさした


(後略)


 


「[ぐりま]、[るりだ]というのは、作者が二匹の蛙につけた仮の名前である。もちろん死んだ[ぐりま]の口に、[るりだ]が菫の花をさしてやるなどということはあり得ない。その辺に菫が咲いていたのだろう」(後略)(解説・伊藤新吉)。


稀に見る粗暴で夢のかけらも無い詩の解説である。「あり得ないこと」は、読者に於いては興醒めするほど周知していることである。詩人には、或いは詩の中では「それ」が可能なのである。


また、伊藤新吉は、「その辺に」菫が咲いていたの「だろう」と、菫の存在を蔑ろにしているが、これこそが心平の意図するところの可能性を十分に秘めている。書き手の気持ちと一体にならない詩の解説ほど、無味乾燥なものはない。


サルトルはボードレールの詩的才能が、二十五歳の時に停止したことを指摘した。それ以降のボードレールの試みは同じことの繰り返しであったことを、「ボードレールの失敗」として位置付けた。


病跡学者の見解に於いても精神分析医の立場からでは、意見が分かれてしまう。その中の一人であるラフォルグは『ボードレールの敗北』を上梓している。 


精神科医の梶谷哲男はボードレールの廃頽について、「この世俗的敗北が、創造的に寄与した点を見落としている」と論じているが、宮沢賢治と同様に大いに共鳴するところである。


元来、「天才と狂気」の係わりを追究して行くことが、病跡学の重要なテーマであったが、現代に於いては「創作と狂気」の関係を深く追究することが、パトグラフィーの枢要な目的となっている。


我が国の近代文学に於いて、無頼派の技巧的、耽美的、或いは反俗的な作風を、「悪魔主義」と呼んだが、未だかつて日本の文壇では、狂気を分析する為の病跡学の考証を、文学作品の解読に積極的に役立てようとする評論活動が遅滞しているようだ。


 


新井雅之





来る日も来る日も100点




来る日も来る日も、ジョイが学校のテストで100点をとってくる。今日は3つのテストがあった。


3つとも100点をとったのは、クラスでジョイ一人だけ。僕に似て頭が良い。☺ ahahahah





2011年3月24日木曜日




のなかには△も×も入る


のなかにもも△も×も入る


△のなかにも×も入る


しかし×のなかには、なにも入らない


さあ 立ち上がろう


窓をひらけ


おもてに飛び出そう


イエスを信じて


祈って 賛美して 悔い改めると


×は△にもにもにもなれる


古いものは 過ぎ去った


今から君は 光り輝く ◎(二重丸)


胸躍る◎の歓喜





2011年3月23日水曜日

座右の銘




忍耐する心に、詩歌が生まれて


花が咲き、実を結び、愛を育む。


絶世の人間は、謙遜にして忍耐を怠らず、努力し続ける。





愛しい




今 途方もなく悲しんでいる人々は


イエス様に愛されて 抱きしめられている





悲しみ




昔 悲しんだ人


今 悲しみにひたっている人


将来 悲しむ人よ


 


悲しみは突然やってくる


 


悲しくて


悲しくて


やり切れない時


 


あなたは神の声を聞くであろう


悲しんでいる者は幸いであると


 





2011年3月22日火曜日

ランディー




ここしばらくの数日間、朝食を食べてランディーをとることにしている。ブランチは朝と昼食を兼用、ランディーは昼と夕食が兼用。


ランディーは午後4から5時の間にとる。一日二食は、体の調子が非常に良い。





幼子のように




考えることのできない人間は


神様に愛される


 


考えることのできる人間は


神様に愛されるのに 選ばれる


 


ただ 信ぜよ


素直に信じる


幼子のように





2011年3月21日月曜日

江美子の励まし




食事が終わって洗い物は僕の仕事だ。最初は左腕だけで出来るかと思ったけれど、工夫次第で出来るものである。


料理も時々作る。切干大根、ヒジキ、ハヤシライス、炊き込みご飯、そば、うどん。ダシはインスタントじゃない。昆布と鰹でダシをとって、酒とみりんと醤油で味を調える。


江美子の励ましに支えられて、「右手も必ず動くようになるよ」。イエス様の癒しを信じて歩もう。





フィッシュ・アンド・チップス




数々あるメニューの中で、僕はフィッシュ・アンド・チップスしか食べた事がない。『キングス・ヘッド』のフィッシュ・アンド・チップスは、衣がクリスピーで中身の白身魚(たら)は、瑞々しくて甘みを含みホクホクとしている。


僕は30年来の『キングス・ヘッド』のフィッシュ・アンド・チップスのファンである。本場、イギリスに勝るとも劣らない味。


僕は数多くのレストランで、フィッシュ・アンド・チップスを食べたが、『キングス・ヘッド』に勝る所は皆無である。


サンタモニカへお出掛けの際は、『キングス・ヘッド』に行こう。





2011年3月20日日曜日

イエス様のように




本日、ジョイの現地校の校長先生とミーティグをして来た。5年生になったら、公立校に転校させようと思っている。


理由の一つに、プライベートは月謝が高い。アメリカのパブリックは無料だ。因みにジョイ学校の月謝は600ドル。


校長先生曰く、ジョイがスマートで優しいから、わが校に12年生まで在籍してほしい。結局、奨学金が出ることになった。


僕の医療費も無料。ジョイのプライベートの学費も無料。アメリカは寛大で懐が深い。イエス様のように。





2011年3月19日土曜日

気合を入れて食べてみたい




カテゴリー食『究極の極細素麺』を読んだ姉から、利尻昆布と本枯れ鰹をセットにして、三輪の手延べ素麺を、奈良より我が家に届いた。


弟思いの姉に感謝するしだい。カラフルな素麺に、子供のころ食べた素麺を思い出した。気合を入れて食べてみたい。


今度は何を送って貰おうかな? カラスミにしよっと!





2011年3月18日金曜日

美味しいラーメンのパイオニア




阿倍野(大阪)の地下街に、1968年に開店した『古潭』(こたん)は、美味しいラーメンのパイオニア的存在。


往時、ラーメンは一種類、とんこつ醤油だったかなぁ… カウンターに座ったら、自動的にラーメンが出てくる。


昼時になると、列ができるほどに美味しい。今ではメニューが増えて、餃子と餃子ラーメンもある。





2011年3月17日木曜日




僕には優しさが足らなかった


あの時 友に優しくしとけば良かった


優しくあれ あらゆる人に


優しい心を持てば 僕自身 救われる


 


優しい言葉


優しい笑顔


みんなが幸せになれる


 


イエス様は この上なく優しい光を放つ





2011年3月15日火曜日

提案




僕が病院に入院している時、皆から御見舞金を頂いた。大震災に遭った人々への、海外からの義援金を、1ドル200円にならないだろうか。せめて1ドル100円にしてください。





2011年3月14日月曜日

リバイバル




東北地方に大地震が急襲した


我が故国に 母なる大地に


大津波が押し寄せる


 


海外にいる僕たちは テレビの映像に唖然とした


イエス様に祈って 祈って 祈るだけ


 


死亡 行方不明者何万人 原発の放射能漏れ


神の御加護がありますようにと祈って 祈って 祈り続けた


 


問題が山積みの 日本列島


聖霊に祈って 祈って 祈るだけだ


 


日本が犠牲になって 世界は一つになれたような気がする


未曾有の艱難辛苦に遭遇して 日本には必ずリバイバルがやって来る


 


僕も病苦と闘って 神様の慈愛を知らされた


がんばれ日本 僕もがんばる


がんばれ東北 僕もがんばる


 


イエス様の愛は 限りなく続くと信じて


 


 


(大震災で亡くなられた人の、ご冥福を心よりお祈りします)





Pray




 


神に祈れ


イエスに祈れ


聖霊に祈れ


Pray for Japan


 





2011年3月13日日曜日

余は満足じゃ!




大阪には、安くて旨いもんが、ぎょうさんありまっせ! この度、ご紹介するのは、『粋・焼肉 鶴兆』なんばCITY店。「牛とろにぎり」と「特選厚切タン」がめっちゃ美味しい。


天然の天日塩と秘伝のタレが、焼き肉の味を引き立てる。僕はいつでも、「上ミノ」と「とろてちゃん」を注文する。


食通を唸らせる焼肉屋、『鶴兆』に余は満足じゃ!


大阪市中央区難波5‐1‐60 なんばcity本館1階   06‐6644‐2935   不定休





2011年3月12日土曜日

和食・えん




日本に帰国をして、美味しくてリーズナブルな、純和食が食べたいと迷ったならば、東京、横浜、名古屋、大阪に店舗がある『和食・えん』にどうぞ。


和食モダンを基本にした料理の数々は、宴会コース4200円から、単品メニューも豊富。落ち着いた雰囲気とオープンキッチン。本格的な和食料理が満喫できる。


詳しくはホームページを見てね !





2011年3月11日金曜日

ホームレスの詩人




日本へ主張の際、大阪駅のガード下でツネコさんと出会った。ハワイ生まれのツネコさんは、日本に来られて、詳しい経緯は知らないがホームレスになった。


ガード下では日々の食費代を稼ぐために、歌集を売っておられる。僕も一冊購入をした。ツネコさんの詩は愉快だ。「服はパリス バックはシャネル 靴はイタリー 時計はスイス 中身はジャパン 頭は空っぽ」


ツネコさんは、マスコミの目にとまり歌集を出版。印税を元に、釜ヶ先に三畳のアパートを借りて、住み始めた。


アメリカ人のホームレスに、詩を書いて売っている人がいるだろうか。





そして感謝!




今日、教会の婦人会の方々から、お弁当が届いた。カードには、「主は彼を、その病の床でささえられる。あなたは彼のやむ時、その病をことごとくいやされる。」詩篇41:3


ご馳走様、そして感謝!





2011年3月10日木曜日

ロシアの豚まん




ロシア料理のレストラン『バラライカ』(神戸)は、その昔、神戸在住の画家、小松益喜さんと共に訪れた。以前にも、僕は2度ばかり赴いている。


『バラライカ』では、僕はボルシとピロシキ以外、何にも食べた事がない。小松さんはピロシキを頼む時に、「ロシアの豚まんをください」と、おっしゃた。


『バラライカ』で、小松益喜画伯と過ごした思い出は、僕は一生涯忘れないだろう。





2011年3月9日水曜日

元気だ




今月は、殆ど通院がない。外気は肌寒い。運動がてらに、家の前を何回も歩いた。ゲート・コミュニティーだから静かだ。別に変ったことわなし、僕は今日も元気だ。


 





お洒落なステーキ




アメリカを代表する料理はステーキ。LAのダウンタウンあるステーキ・ハウス『The Palm』


ここのステーキ・ハウスで、僕がオーダーするのは決まっている。先ずは、ロブスター・ビスク。ステーキはラム・リブ・チョプ、又は骨付きリブ・アイ・ステーキ。


アメリカを彷彿とさせてくれる、お洒落なステーキ。





2011年3月7日月曜日

イエス様に感謝!




ニューポート・ビーチは、僕がかつて一番住みたかった所。二番目がラグナニゲ―ル。ロサンジェルスから車で南へ一時間。一時はアメリカで最も不動産の高い所だと言われた。


手が届かないから、ロサンジェルスから車で北東に45分の所にある、サウザンド・オークスに家を買った。


庭からは、サンタモニカ国立公園の山々が見える。海抜は高くて大気は澄んでいた。ビーチへ15分。車で15分以内所に、ゴルフ・コースが6ヶ所もある。僕は満足だった。


話は変わるが、ミションビエホに従妹の家がある。ジョイは一週間ほど泊っている。同じ年ごろの娘が二人いる。去年の大晦日の日に、ジョイを迎えに行った。


帰りにコーヒーショプによって、食事をしていくことになった。案内されて席に座ったとたん、僕は喀血をした。


直ちに病院へ急行した。4日間入院をして、検査と肺の洗浄をした。イエス様への祈りと、イエス様の癒しが良く効いた。イエス様に感謝!


 


 





エレガントな旨味




アメリカで最も美味しいレストランは、中華料理。二番目はイタリアン。ハモサ・ビーチにある瀟洒なレストラン。


イタリヤ料理の『La Sosta Enoteca』。パスタとイタリアン・チーズが、看板メニュー。


イタリヤのワイン飲んで、イタリアン・チーズをつまめば、気分はイタリアン。ワインとチーズが、エレガントな旨味をかもしだす。


 





2011年3月6日日曜日

UC




私の兄はUCLAで教授をしています。


私の兄もUCCでコーヒーを作っています。





狸狸亭(ポンポコテイ)




鉄板焼きとお好み焼きの専門店が、上六(大阪)にある。その名も『狸狸亭・小橋店』


僕のお薦めは、狸狸スペシャル焼、ハイカラ焼、ミックス・モダン焼、ミックス焼そば。


和風モダンな店内は、綺麗で落ち着く。味は折り紙つき。一度行ってみると、その味に感激する。


大阪市天王寺区小橋町13‐9   06‐6765‐8955   JR鶴橋駅から徒歩6分





2011年3月5日土曜日

mole sauceが奏でる絶好の味




サンタモニカに『ラレス・レストラン』と言う、洒落た落ち着いた雰囲気の、メキシコ料理のレストランを見つけた。店内は高級感が溢れている。


高級感とは裏腹に、ドリンク込みでメイン料理が一つで15ドル前後。チョコレート色をしたソースmole sauceが、チキンとビーフ料理によく合う。mole sauceが奏でる絶好の味だ。


珍しい料理が多いので、ウェイターに何でも質問をしょう。親切に答えてくれる。


 


Lares Restaurant


2909 Pico Blvd Santa Monica, CA 90405     310-829-4559    無休8:00am~1:00am





少女と




ぶち汚れた巨大な虚像の翳で


手招いていた誰かを見るために


ぼくは


いま


少女の隣に立っている


 


 


1982・4・11(イースター)受洗記年





ブイブイと言わしめた




僕が若い頃、小料理屋のカウンターの前に座って、オーナーの板前と差しで勝負したものである。当時の僕は、頭は角刈りにしていた。おまけに色白だ。それ故に同業者と間違えられる。


煮物を立て続けに注文をすると、同業者と思い警戒される。先ず、カウンターに座って、おしぼりが出たところで、おもむろに立ち上がって、板前に聞こえるように、うがいをしてくると言って、トイレの中へ消える。


板前と勝負する際、さりげない威厳と風格が必要である。家にいる時は、イメージ・トレーニングに余念がない。料理の知識はさらぬ様子でちらつかす。タバコは絶対禁物だ。


これで全戦全勝、二度ばかり負けた事もある。一人は60代の割烹の板前で、二人目が70代の鮨職人。共に店のオーナーであった。僕の問答に対して、板前は明確な答え持ってくる。僕には歯が立たなかった。惨敗いである。


悔しい思いを、街の場末の鮨屋でブイブイと言わしめた。


 


 





大阪のB級グルメ




究極のB級グルメ、天丼、かつ丼専門店『味べい』。安価で、ボリュームがあって、美味い。


一度行ってみなはれ、その味に驚くこと受け合い。


 


うどんもある。僕は『味べい』のカレーうどんが好きだ。丼物も美味しい。なんてたって安い。


大阪のB級グルメ『味べい』に乾杯!





2011年3月4日金曜日

春近し




この分だと、来週の日曜日あたりに、教会に行けるかもわからない。お陰様で僕は元気だ。食欲もある。よく眠れる。LAの気候は暖かだ。


 


「春近し花を見たくて散歩する」





肉汁がほとばしるステーキ




2%も満たないUSDAプライム・ビーフを使用。1600度のブロイラーで焼き上げたステーキは、肉汁と旨味を閉じ込める。外側だけ焼けたステーキは、余熱で中までレアーからウェルダンまで焼き上げる。


ステーキを一口噛んだ瞬間、口の中に肉汁がほとばしる。ステーキの風味と旨味が、口の中を満艦飾にする。


数々の賞に輝く『555 East American Steak House』へ、一度足を運んでください。肉汁と好味を閉じ込めたステーキが、とにかく美味しい。


 


ロサンジェルス郊外、ロングビーチに存する。


 


555 East Ocean Blvd., Long Beach, CA 90802       562-437-0626     年中無休


 


 





2011年3月3日木曜日




江美子を花にたとえると、ヒマワリかハイビスカス。ジョイはコスモスとスミレ。僕は季節の花に囲まれて、イエス様の愛の花に触れて幸せだ。





安くて美味しい『白楽天』




アメリカで最も美味しいレストランは、中華料理のレストラン。日本と比較すると、日本の中華料理レストランは、量が少ない、値段が高い。


阪急三番街(大阪)の『白楽天』は、梅田の一等地にあって、安くて美味しい。新阪急ホテル直営だから、清潔で安心。


僕が大阪に帰って、中華料理が食べたい時に、『白楽天』を利用する。北京料理独特の、料理全体が薄味で、まろやかなコクがある。


 





2011年3月2日水曜日

出会い




僕は若い頃に、無頼派にあこがれた。太宰治、坂口安吾、織田作之助。作品よりも、これらの作家の生きざまに傾倒した。


少し前の時代の、井伏鱒二、永井荷風、谷崎潤一郎は作品も、生きざまも惚れぬいていた。


僕が日本で物書きを志している時、夜と昼がひっくり返ってしまった。酒びたりの日々が続く、不摂生の毎日を過ごした。


居酒屋で付けが多くなり、僕は店の厨房で働く羽目になった。近所の市場でも泊りがけで、守衛をしたこともある。夜にやることがないので、物を書いた。


ある晩、守衛室に酔っ払いがやって来て、わめき散らした。どこかで見覚えのある顔、中学の時の英語の先生だ。


「卒業生の新井です」


目を丸くして、まじまじと僕の顔を先生は見詰めた。ばつが悪くなったのか、先生は無言でその場を立ち去った。


それから月が流れて、半年余り経ったであろうか、地下鉄の新大阪駅で先生とばったり出会った。


「あの時は、すまんかったのう。どゃ、その辺りで一杯?」


僕と先生は縄暖簾をくぐった。


教え子と再婚をして、6年前の春、先生は亡くなった。安らかな眠りについたという。あの時の出会いがなかったら、30年間のつきあいは無かっただろう。


 





浪速の味が味わいたい




「♪ 包丁一本さらしに巻いて」。法善寺横丁は大阪の風情を色濃く伝える地。この一角に老舗の小料理屋、『正弁丹吾亭』(しょうべんたんごてい)が存する。


浪速の味が味わいたい折に、立ち寄るとよい。季節感あふれる盛り付けは、食材の顔色が伝わってくる。


煮物と刺身が絶品。僕が食した限り、白身の刺身は、塩氷でしめて冷蔵庫に寝かしてから、調理されている。マグロは究極の血抜きを施されていた。





2011年3月1日火曜日

茜茶屋




『茜茶屋』は、日本の洋食屋の味を彷彿とさせてくれる。僕がいつもオーダーするのは、洋食セット。ハンバーグ、トンカツにサラダとスープが付く。


サラダはいつも新鮮で、瑞々しい。特製ドレシングが味を引き立てる。ポタージュは薄味だが、コクがあって美味しい。


激辛カレーもYoshioさん曰く美味しい。詳しくはYoshio Journalをみてね。


 


1610 W. Redondo Beach Blvd Gardena CA 90247     310-768-3939     定休日・月曜





夕焼け




早く教会へ行って、信徒の皆さんとお会いしたい。三月に入ったら教会に行けるかもしれない。


時間の経つのは早い。今日も西の空に夕焼けが、黄昏に染まる黄臚染(こうろぜん)