2010年11月25日木曜日

困ったものだ





心理学の本を読むと、人間は周囲の環境から影響を受けて行動に出る。と要約されてあった。


例えば若い時分に結婚をして、子育てに四苦八苦するよりも、晩婚である方が、生まれてくる子供にとって、より良い生活環境が望めるという。


その理由は、経済的にもゆとりが出てきた、人生経験を積んだ両親の方が思惟的であるからだ。


このように人格は、DNAから受け継がれて形成されるものではなく、四囲の外界によって確立されていくらしい。「三つ子の魂百まで」というが、乳幼児期に体得した習慣は、終生忘れることはないのだろう。


幼いうちに習わしておきたいことの一つに、読書の習慣がある。読み聞かせと、詩や物語などの銘記は極めて肝要であると思う。ストーリーや活字を追うことだけに専念せずに、文脈の間隙をじっくりと読ませるように心がけることだ。これこそが情操教育なのである。


先ごろ、トルストイの童話集を買い求めたが、解説のところを読んでみて、些かがっかりとさせられた。児童文学を研究している大学教授が、トルストイの文学は人間愛に基づく人道主義に貫かれている。と語っていたからである。


人間愛に基づく文学作品をひと言で表現する場合に、人道主義が貫かれているというのは、あまりにも概念的で表象的ではない。この場合は少なくとも平等な相愛、もしくは博愛主義が望ましい。


少なくともと前置きをしているのは、例えば汎愛主義であると解説書に明記されていたとしても、完璧な解説には至らないからである。


『人は何によって生きるか』、『イワンのばか』、『パンのかけらと小悪魔』など、トルストイの一連の文芸作品には、キリストの愛が色濃く貫かれているのだ。と断言しなければ、的確な評釈として認めるわけにはいかない。


毎月、第四土曜日は『こどもの本の日』。昨今の絵本や童話を閲覧していると、不完全な文意に度々遭遇する。困ったものだ。





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