2011年1月31日月曜日

バラ色の心




末期癌でも、半身不随でも、信仰は勝利だ。イエス様の癒しを信じるならば、心はバラ色。ユーモアが芽生えて、今日もジョークが冴えわたる。


 


「癌の人ガンで雁をガンガン撃っている」





主の癒し




きょう未明、突然、喉が痛くなって咳き込んだ。10分後に、遅ればせながらイエス様の癒しに期待して祈った。「イエス様の癒しを信じます」。


僕には癒しの瞬間が判かった。カーテンを捲るように、痛みが消え去った。咳も出なくなった。





2011年1月29日土曜日

サンデー・ブランチ




リッツカールトンのサンデー・ブランチは、ラスベガスのホテルのバフェイよりも美味しい。


ゴージャスなダイニングで食べる、サンデー・ブランチは、バフェイ形式の食べ放題、シャンパン飲み放題。


基本はフランス料理。趣向を凝らした料理の数々が豪奢(ごうしゃ)絢爛。種類の多さに驚く、特にチーズとスイーツ。


 





2011年1月28日金曜日

焦燥(しょうそう)




熟し切った鉱石の体臭が


小麦色の肌から匂う


 


肉感的な


灼熱の裸体から流れる


脂汗を舐めると


カミソリを眼球に突き刺した


 


テーブルの上に置かれた


葡萄酒 仔牛の肉 フランスパン


 


もう時間がない





カラオケ




僕は日本で1回、アメリカで2回死にかけた事がある。或ることで苦悩していた僕は、二十代半ばで自殺を企てた。三日三晩、昏睡状態が続いた。発見が早かったために、一命を取り留めた。自殺間際に『焦燥』という詩を書いた。


アメリカへ渡って、鮨屋でアジのにぎりを食べた。帰宅してからジンマシンが出てきた。あまりにも酷いので、病院のエマージェンシーへ向かった。注射液の量が多かったために、意識不明に陥った。医療ミスである。電子心臓マッサージで助かった。


2008年の秋、ストロークで倒れて意識不明。検査の結果、脳、リンパ、甲状腺、肺から癌細胞が検出された。ステージ4、末期癌であった。


僕は医師の宣告ステージ4(末期癌)と聞いた折に、ステージへ上がって、4曲カラオケで歌うのかなと思った。


 





春眠暁を覚えず




退院して来てから、ひたすら眠り続ける日々が続く。体の調子いたって良い、ただ眠いだけだ。知らず知らずのうちに、気疲れをしたんであろうか。LAの気候は温暖。それとも、春眠暁を覚えずかなぁ。


 


今月は大事を取って、教会には行けない。二月に教会へ行くのが楽しみだ。





2011年1月27日木曜日

蔵書




2008年の春に、現在の家に引っ越しをして来た。荷物も多く体調もすぐれなかったので、蔵書の整理は後回しにした。


蔵書はダンボールに入れて、ストレッジに積み上げてある。そうこうしているうちに、病に倒れしまった。


現在、蔵書の整理をしょうと思っても、体が不自由で何もできない。文献を味読して解析しなければ、論文は書けない。思案の日々が続く。


先ず、日本語で書いた原稿を英訳する。日本語で書いたとしても、間違えがあるのに、英語で書くとなると尚更である。僕はUCバークレイの文学者の教授に、間違えがあるか、表現がおかしくないかを確かめてもらう。健常な折には、教授とよくやり取りをしたものである。


僕の蔵書の半分は、実家の倉庫に眠っている。一同に揃わないと、これもまたストレスだ。一度、船便で分厚い専門書を数十冊、日本から送ってもらった。送料を知って驚いた。15万円もする。


とりあえず、『詩の見方と詩の評論集』をまとめ上げないとならない。健常な時でさえ、後4年はかかる。通算10年。


これも闘いである。めげずに論文を書くことに、専念をしたい。





奇遇




通りを歩いていたら、強面のお兄さんに言いがかりを付けられた。


青年は負けまいと、つい口走ってしまった。


「こう見えても、ぼくは…… 」  そう言ってから、指を鳴らした。


「お花は未生流、お茶は裏千家だぞ!」


「それが、どないした、どアホ!」


強面のお兄さんは、青年の下へ近寄って来た。


「そりゃ奇遇やね。わしも未生流と裏千家や! これからお稽古に行くところ」





新世界総本店の『だるま』




大阪の新世界には、子供の頃に通天閣を見学に、叔父と一緒に行ったきりだ。それ以来、新世界には一切目もくれなかった。


理由は治安が悪いことと、ガラが悪いこと。新世界の周辺には往時、昼間から酒を飲んで、酔っ払いのホームレスが大勢いた。


近くに飛田遊郭があり天王寺公園も、夜になると娼婦が客を引き始める。釜ヶ崎(あいりん地区)も近隣にある。ロサンジェルスに例えると、サウス・セントラル地区である。


大阪に帰ることができれば、一番に行ってみたいところが新世界。現在は治安も良くなったし、観光客も訪れるようになった。


目的は新世界名物、串カツと土手焼きが食べたいから、しかも、新世界総本店の『だるま』で、


串カツと土手焼きが食べたい。


 


 


 


 


 


 





2011年1月21日金曜日

こどもの国




こども こども こども


ここは こどもの国


 


おとなも こども


だれもが こども


 


ここは みんなの みんなの


こどもの国


 


ケーキのお城


夢 そよかぜ


青い空から お菓子がふるよ


山につもった 雪アイスクリーム


 


こどもの国は 光の国


お花がぱららん ほほえみぷるるん


鳥たちうたい 胸おどる


 


光のまわたに いだかれて


わたしは わたしは


星屑(ほしくず)リバーをかけめぐる


 


こどもの国は よろこびの世界


みんな みんな おおよろこび


 


だいじな ひとりご ありがとう


あつき涙を


希望と愛よ


 


おとなも こども


だれもが こども


 


ここは みんなの みんなの


こどもの国


 


新井雅之


(2007年3月24日/Joyのために書いた朗読詩)


 





灰汁(あく)は悪ではない




テレビに出演している料理の先生は大勢いるが、そんな中で、グッチ裕三さんのトークと料理に好感が持てる。第一にお喋りが面白いこと、次に料理の勉強になる。


グッチ裕三さんから教わった簡単レシピに、豚の三枚肉(厚さ6~8ミリ)に、酒、牡蠣油を塗って、フライパンで焼くだけ。これが滅法美味いのだ。


僕はこれに刻んだネギを乗せて、タバスコを振りかけて食べる。これさえあればご飯が進む。


かつて土井勝さんは、料理の基本は「灰汁を十分に取り除くことです」と、おっしゃたが、料理の種類によっては、灰汁を3分の1程度残した方が、味にコクが出る場合がある。


和食は基本的に、灰汁は十分に取った方が良い。西洋料理などは種類によっては、灰汁はコクを出す源になる。


必ずしも灰汁は悪ではない。





『やっこ蛸』




大阪にたこ焼き屋は至る所にあるが、町内で、おっちゃん、おばちゃんのやっているたこ焼き屋が、一番美味しいと思う。


昔ながらの、ソースと素朴な味がする。『やっこ蛸』はその典型である。たこ焼きは正に、大阪のソウル・フードだ。


大阪市西区千代崎1-27-6  06―4393―1151  定休日―月曜





2011年1月20日木曜日

祈りのリクエスト




21日(金)午前中に入院します。特殊な治療を施しまので、PCは持ち込めません。従ってブログの記事が書けません。暫くお休みします。ごめんなさい。


皆様に祈りのリクエストがございます。僕の癌が癒されますように、ストロークも癒されますように。それから昨日、急に腕と背中が痛くなりました。これらも合わせてお祈りください。宜しくお願いします。アーメン


 


「主にありて兄弟姉妹祈りの輪」





ニューヨーク




男は少年に問うた。


「将来の夢は」


「ニューヨークへ行きたい」


「で、どうするの」


「大金持ちになりたい」


「仕事は何するの」


少年は考えてから、


「先ずは皿洗い」


「数年後にはアメリカか」


男は頭(かぶり)を返した。


「小父さん待って、僕はニューヨークに行きたいのです」


男は怪訝な顔をして応えた。


「アメリカのニューヨークへ」


「5丁目のレストラン、ニョーヨークに」


 





病気




吉田兼好が著した鎌倉時代の随筆、『徒然草』の第117段には、友とするにはふさわしくないものが7つあると説かれている。


その中の一つに「病なく身強き人」を挙げているが、おおよそ兼好法師は、健康な者には、病弱の者に対する同情の念が欠けているとでも言いたかったのであろう。


ヒルティの『幸福論』第3巻(正木 正訳)に、「病気」に関する記述がある。


「幸福は健康がなければ生じないというのであれば、悲しいことであろう。だがそれは真実ではない。不幸な病人があると同様に、幸福な病人もあるのである。病気と幸福は絶対的に対立させるものではない」


「病気もまた幸福であり得るのであって、健康な日には起らなかったものが、一段と高い人生観への浄化剤ともなり、血路ともなることが出来るのである」


わたしは、聖者と仰がれたヒルティの、この味わい深い一文が好きだ。また、近代フランスの人道主義者で作家のロマン・ロランは、病気はためになることが多いと喝破している。なぜならば、肉体を痛めつけることによって、魂を解放して浄化するからだ。一度も病気をしたことのない者は、十分に自己を知っているとはいえない。


わたしは傷を持っている


でも、その傷のところから


あなたのやさしさがしみてくる


(星野富弘)


 


不慮の事故から此の方、首から下の自由を奪われてしまった星野さんは、この試練を通して、真の慈しみと出会ったのである。


 





2011年1月19日水曜日

癌(がん)




私は24時間営業中の薬局を知っています


「癌にも癒しの花が咲く」が売れ筋です


「病も定休日から」も人気があります


「死ぬのも独り病気も独り」は全く売れません


 


「春爛漫」をつけたら売り上げが倍増しました


「春爛漫 癌にも癒しの花が咲く」


私は24時間営業中の末期癌です





冬桜




今日、病院から連絡が入った。明日のアポの時間が変更になった。採血するだけである。その後で、看護師と21日の入院ついて話し合う。まだまだ闘病生活は続く。


 


「闘病記イエスを愛し冬桜」





ラーメンの傑作




僕が数年前に帰国した際に、奈良に住んでいる甥に、ラーメンを食べに連れて行ってもらった。道頓堀(大阪)に開業当時は、僅か9席でスタート。その名も『神座』(かむくら)だ。


ラーメンはスープが命。ひとくちスープを飲むと、コクのきいた癖のない味であっさりと仕上っている。ラーメンに絡んだスープを味わうと、これがまた、絶妙な風味と豪奢(ごうしゃ)な味が、口の中に旨味のメロディーを奏でてくれる。スープ、ラーメン、チャーシューの、まろやかで研ぎ澄まされたオラトリオがたまんない。


たかがラーメン、されどラーメン。これはラーメンの傑作である。餃子も後を引く味。


 





料理は俺に任せろ




小学生の頃、家庭科の時間に教わった小吹き芋を、家庭で最初に作ったのが僕の料理の始まりであった。


病気になる前は、かなり凝った料理を作っていた。ダッチオーブンを使って、ロースト・チキンやブイヤベースも、僕の十八番(おはこ)である。


庭でバーベキュー・パーティーもやったし、ベランダでお好み焼きも焼いた。食材の買い付けと、料理は僕の仕事であった。


時間が無くて困ったら、湯豆腐か冷や奴にする。容器から出して直ぐに食べるのではなく、豆腐を水につけて、大さじ一杯の酒を入れてから、冷蔵庫で半日から一日寝かす。こうしておくと豆腐の味が引き立つ。


カレーを作る時は、合挽き肉を入れる。多めのタマネギがキツネ色になるまで炒める。にんにくをたっぷり入れる。リンゴをすりおろした物を多めに入れる。仕上げはカレーパウダーと醤油を少々。


我が家のボルシチは、シチュー用の肉を使う。キャベツ、ジャガイモ、ニンジン、ベーコンを入れて、透明なスープ仕立て。その代わりコクと旨味が綯い交ぜになって、滋味豊かな味に出来上がる。


キンピラごぼうは、灰汁(あく)抜きしたごぼうに、酒、みりん、砂糖、鷹の爪、はちみつ、牡蠣油、醤油、XO醤を入れて、最初は煮込む感覚で後は炒める。


キンピラごぼうさえあれば、他におかずなど要らない。ご飯が進むのである。料理は俺に任せろ。





ベツレヘムの星




 


新井雅之


新井 歓喜 ジョイ(詩の朗読)


 


星が流れた


ベツレヘムの夜空に


 


星は


東のみ空で


大きく 大きく光り輝いた


 


ハレルヤ


ハレルヤ


永遠(とわ)の愛


私のこころに 星がふる


 


ハレルヤ


ハレルヤ


永遠(とわ)に喜べ


私のこころに 星が舞う


 


おお ベツレヘムの歓喜


 


私のこころに


星おどる


私のこころに


星わらう


 


きょうも たおやぐ


ベツレヘムの星


Forever


私のこころに ……





後味の良い餃子




地下鉄御堂筋線(大阪)、江坂駅の近くに、中華料理店『眠宝』がある。餃子の皮は自家製で、麺棒の短い細い棒で円く平らにして仕上げていく。


暖簾には、「餃子とは 性つく 運つく 女つく」と書いてある通り、名物は餃子。僕が日本にいた際に、雑誌に紹介記事を書いた。もちろん餃子は激うまだ。


伝説の黒いチャーハンもキュウリの漬物も激うまだ。餃子は瑞々しくて、後味の良い餃子に仕上がっている。


大阪府吹田市垂水町1-53-3  06-6384-6327  定休日-第1、2、3水曜日





2011年1月18日火曜日

別離




John ColtraneとJohnny Hartmanのサックスと歌を聴いていたら、プーシキンの詩を思い出した。


野末にのこる遅咲きの花は


あでやかな初花よりも愛(めず)らしく


はかない夢のよすがともなる


人の別れのときも


あまい出会いのときよりもふかく


こころにのこることもある


 


この詩の題は忘れました。


「会うは別れのはじめなり」とは、元々は仏教の言葉で『会者定離』(えしゃじょうり)と言う。時代には関係なく洋の東西を問わず、人間は出会う時の喜びよも、別離の傷心の方が深かいようだ。


谷崎潤一郎は書いている。「だれしも別離は悲しいものにきまっている。それは相手が何者であろうとも、別離ということ自身のうちに悲しみがあるのである」(『蓼喰う虫』より)


唐詩選の五言絶句の中に『人生足別離』の一句がある。これを「サヨナラダケガ人生ダ」と、和訳したのは井伏鱒二である。恬淡(てんたん)とした響きではあるが、中々味わい深い名訳である。僕はこの一句に、たいそう心が惹かれるのだ。





少女




黄色い煙


オレンジの夜


時間の無い自由


嘔吐する朝に


カーテンに隠された宝石


 


少女はシャワーを 一生涯浴びない


 


時計のピロウと人形


紅い海


希望な憂鬱


どこまでも続く長い道


 


少女の未来は


果たしてシャワーを浴びて


生き抜くのだろうか


 


それとも 赤い死を選ぶのだろうか





串カツとオムライス




僕が高校から大学にかけて、足繁く通い詰めた洋食屋に、大阪心斎橋の『明治軒』がある。串カツとオムライスが美味しい。串カツとオムライスのセットメニューもある。


オムライスへのこだわりは、ホームページに書かれている。オムライスが癖になるほど美味い。他にも沢山の和風洋食の種類がある。





2011年1月16日日曜日

イエスの恵み




僕が、あまりお金が無いのも、神様からの祝福なかもしれない。僕が金持ちになると、罪を犯してしまう。傲慢と言う罪だ。


神様は僕の病気を、一気に治してくれない。感謝の気持ちが芽生えるように、徐々に癒してくださる。神様に愛されて、僕は幸せだ。


 


「愛されて癒されてイエスの恵み」





教えてください




姉からのメール「お節料理がつかないです」


今年の正月は、母はお節料理を作らないで、楽しみにしていたのに、JALショピングの手違いで、僕が送ったお節料理が届かなかった。


代わりに、さつま揚げ詰め合わせと、タラバ、ズワイ蟹、食べ比べセットを昨日送った。


僕が日本にいた頃の、お節料理を思い出した。母はお節料理に煮豚を作る。何故かわからない。


我が家の習慣であろうか。


お節料理の中で、僕が好きな物は、ボウダラとカズノコ。正月の酒の肴で一番好きなのがナマコ、大根おろしを入れずにポン酢で食べる。


次にナマコとコノワタの親子あえ。コノワタを多めに入れる。酢橘を絞って食す。


それから、寒ブリの刺身。薬味はアサツキ、一味唐辛子。たまり醤油をつけて食べる。カラスミがあればなお良い。網であぶって、手でちぎって食べる。カラスミを包丁で切ると味が落ちるからだ。食べる時に添える大根は不要。


日系のマーケットで、コノワタとクサヤの瓶詰を売っていたのに、最近はトンと見かけない。どなたか売っているストーアーを教えてください。


 


 





浪速の味、うどん




道頓堀の『今井』の「きつねうどん」の味は、大阪に帰って来たなと思わせる味。僕はいつも決まって二つ注文する。もうひとつが「鴨とじうどん」。


「きざみうどん」は、藤山寛美さんが好物のうどん。リーガ・ロイヤル・ホテルと、ニユー・オータニ・ホテル大阪にもある。浪速の味、うどんの『今井』ダシは、コクがあって、まろやかで、上品な風味と旨味が口の中へと広がる。





That’s great




闘病生活を毎日続けていても、嬉しいことがあった。きょう、ジョイのクラスで7つのテストがあった。


7つとも100点を取ったのは、ジョイ一人だけであった。思わずハイタッチ ”That’s great”!


それからハグをした。


僕は呟いた。「Daddyに似て頭の良いこと!」傍らにいた江美子が、莞爾(かんじ)として微笑んだ。





祈ってみたい




日本の経済はバブル崩壊後、奈落の底へ落ちるかの勢いで、留まることを知らない。正に日本は危機的状況だ。


菅再改造内閣に期待する一方で、与謝野氏が入閣したものの如何なものか? 菅首相の話によれば、囲碁仲間だそうである。内閣は仲良しクラブと揶揄する者が出て来て当然だ。


1月15日付の朝日新聞の天声人語で知ったが、与謝野氏は祖母に与謝野晶子をもつ。祖母は詩人として名を揚げた。


与謝野馨氏は政治家として、最後のご奉公に、政治手腕を発揮し祖母同様に、名声を期待しつつ…… 祈ってみたい。





独り ─ 実話 ─




ジョイが四歳のころに、俳句を暗記させいた


今晩の句は尾崎放哉の


「咳をしても独り」


夜 ジョイの寝室へ様子を見に行くと


ジョイがつぶやいた


「指をしゃぶっても独り」





2011年1月15日土曜日

ともに喜び




パリのモンマルトルの丘の上に、芸術家が集まって自分の描いた絵を売っている。僕はここで一人の画家の絵を購入した。


購入する時、その画家は目を丸くして、本当ですかと言わんばかりに喜びをあらわにした。レストランの軒先で梱包してくれた。


レストランの人は、相好を崩して自分のことのように喜んだ。傍にいた画家たちもみんな喜んだ。パリの芸術家はみな家族だ。僕は「ともに喜び、ともに悲しむ」と言う聖書の一句を思い出した。何だか羨ましく思えてきた。


僕が購入した油彩からイメージを膨らませて、『セーヌ』と言う一篇の詩を作った。僕はモンマルトルの夕陽(せきよう)が、いつまでも続くように思えてならかった。





セーヌ




セーヌ河はたゆたうと流れて


どこまで沈みゆくのか


 


ぼくが見たセーヌは


真冬の明るいパリの街を


清涼な大気の眼で幾重にも描かれていた


春のようにまめやかしく


夏のように颯爽と外(おもて)に飛び出したくなるような


秋の静寂がジュルリー 愁いがプシュリー


星くずを降らしている


 


セーヌはパリを愛した


パリの街もセーヌを愛した


パリに住む人々も


パリの街を訪れた男も女も


そして


ぼくのような流浪(さすらい)人でさえ


パリに魅せられて


セーヌにたゆたうと流れて 沈んで


心を奪われる


 


モンマルトルの丘の絵描きたちも また


たゆたうとセーヌに流れて沈んでいく


きょうもパリの空の下で


エトランゼの夢を描きながら 歌いながら


 





2011年1月14日金曜日

困ったものである




江美子は家(うち)にいる時も外にいる時も、終始、微笑みを絶やさない。ジョイも同じである。僕ときたら、外面が良くて家面が悪い。困ったものである。


聖書には「いつも喜んでいなさい」と書いてある。僕は家で苦虫をつぶした様な顔をしている。時々、江美子に注意される。


ジョイと江美子は明るい。僕は暗い。ジョイと江美子は根に持たない。僕は根に持つ。我ながら困ったものである。


ジョイと江美子は、嫌な事は直ぐに忘れてしまう。僕はいつまでも尾を引く。つくづく僕の性格が嫌になる。困ったものである。


 


 





2011年1月13日木曜日

江美子と共に




カテゴリーに癌闘病記と記しているが、日常の生活に於いては、ストロークの方が大変だ。末期癌と言われて久しいが、僕の癌は痛みも無く副作用も無い。


ストロークで右半身が麻痺状態。右脚は65%動く、右腕も15%動く、右手は3%しか動かない。


スーパーへ時々買い物に連れて行ってもらう。店内を30分歩くのが限度だ。椅子に座って休むと、再び歩くことが出来る。右半身が重いのだ。


江美子が暇な時、マッサージをやってくれる。江美子と共に、イエス様の癒しに祈る日々が続く。





死滅




オンコロジーの治療から8日目。肺炎を起こしていた僕は、ようやく咳と血痰が止まった。ローアイオダイン・ダイエットをやって3ヶ月経つ。


1月21日入院をして、僕は隔離される。面会謝絶、ガラス越しなら良い。放射能を浴びて、癌細胞を一気に死滅させる。





幸せ至福・ふぐ料理




大阪には美味しくて、安いレストランが沢山ある。20数年前に帰国した際、兄は僕にてっちりを食べに連れっていってくれた。兄は僕のふぐ好きは知っていた。僕はてっちりを7人前お代わりした。その食べっぷりを見て兄は驚いた。


大阪は千日前に、天然のトラふぐが廉価で食べられる所がある。屋号は『勇吉』。てっちりと白子の塩焼きとてっさが食べられたら、僕は幸せ至福・ふぐ料理。





2011年1月12日水曜日

変わった女性




アメリカで知り合った日本女性に、離婚を繰り返し再婚する度に、子供を一人産んだ女性がいた。子供は5人、母は同じでもみんな父親が違う。

白人、黒人、ヒスパニック、中東系、日本人、父親の人種は様々だ。この女性は飲食店の経営者。ダウンタウンの西はずれに、店を構えていた。

往時、僕はよく食事に赴いた。バブルの前で、日本の駐在員が頻繁に出入りしいていた。僕は、彼女をモデルに小説を書いた。

酒が強く、だみ声で、ギャンブル狂の、一風変わった女性であった。





2011年1月11日火曜日

十字路




すべてが狂いはじめた


ことごとく混乱する


ねこそぎ蝕まれていく


ご主人様のお戯れに


ぶよぶよぶよ


うずうずうず


あんふるああんふる


おれは今


諧謔の十字路で


ちま


ちま


ちま


ちま


ちま


ちま


血迷っている





2011年1月10日月曜日

レタスちゃんごめんネ




ごめんネ レタス


まだ怒っているのか


無理もないよな


・・・・・・


本当にごめん


四ヶ月間も食べなかったからなぁ


・・・・・・


でも


だから


謝っているじゃないか


そんなにすねるなよ


ぼくが悪かった


日本の国は誘惑が多いからなぁ


つい


その


もういいじゃないか


ぼくだってつらかったんだ


日本に長く滞在しすぎたよ


もう 二度とこんなことはしないよ


だから


許しておくれ


レタス


さあ 機嫌を直して


いつものレタスでいておくれ


ねぇレタス こっちを向いてごらん


レタス・・・


レタスってば


カリフォルニアのレタスちゃん


今晩おもいっきり食べてやるからね


君を食べて 食べて 食べまくってやる


朝まで食って 食って レタスを寝かすものか


南カリフォルニアのキュートなレタス


レタスちゃん、ごめんね


水が弾ける新鮮なカリフォルニアのレタス


 


1-8-11





きゅう




お兄ちゃんは放課後に野球


お姉ちゃんは今春、中学2年生に進級


おじいちゃんは毎朝体操をして深呼吸


おばあちゃんは毎晩お灸


お父さんは来月から昇給


弟はそろばんが3級


お母さんは妹を出産して産休


ぼくは英語が得意です。サンキュー





Julie Cox 2




きょう病院で、Julie Coxさんと話をした。年齢は47歳、子供は男の子ばかり5人いる。長男は伝道師、夫は消防士。


家族に僕の証し見せたら、「お母さんと一緒と言われたわ」とJulie Coxさん。今では看護師のJulie Coxさんの励ましが、僕の心の支えとなっている。


帰り際に、家族の写真を頂いた。





「超」




昭和八年(一九三三)前後、日本語が非常に乱れていた。


映画の宣伝に「超大作」がしきりに使われた。それをまねて、三越、松屋、松坂屋、高島屋が「超特価」と言い出した。「超」の使い方に識者が批判した。もちろん「超満員」もいけない。


これは「日本語シンポジウム」(一九九八)での、井上ひさしさんの講演の一部である。


筆者が最初に出会った「超」は、昭和三十年代の夢の「超特急」。後の東海道新幹線「ひかり号」のことである。


以来、「超人」、「超心理学」、「超現実主義」、「超能力」など、身近に「超」が氾濫していた。


ついこないだ、十代の若者を中心に「超」が流行った。「超むかつく」、「超忙しい」、「超面白い」、「チョベリグ」(超ベリーグッド)


日本語が非常に乱れていた昭和八年から、三十一年後に発行された『広辞苑』(第二版)には、「―満員」を「超」の例文として掲載している。


第五版になると「―忙しい」、「―愉快」に例文が替わり、「―自然」がなくなった。これらの例文は、若い世代の流行り言葉の延長線上にある。


九十年代後半には、日本から飛び火して、台湾でも「超可愛」といった書き方が流行り出したそうである。


乱れているのは言葉だけではない。社会のあらゆる秩序と、人間の心の中が掻き乱れている。心が平安であれば言葉は乱れない。造語や言葉遊びから生まれる新語は、想像力に満ちていて、優しくて美しい。


国民的辞書を編むということは、これからの世代に媚びることではなく、識者としての十分な検討と見識のある内容を示すことであると思う。


 





CARROWS




プライムリブと言えば、ビバリーヒルズの『ローリーズ』。ところがコーヒーショップ『キャローズ』で食べたプライムリブが結構美味かった。


週末だけのメニューで、金曜と土曜日は午後4時から、日曜日は午前11時からサーブしてくれる。レギュラーのプライムリブと、チャブロイラーで焼いたブラック・エンド・プライムリブの二種類がある。


味は『ローリーズ』にはかなわないが、値段は二分の一弱。





2011年1月9日日曜日

Julie Cox




明日からまた通院が始まる。体の調子はすこぶる良い。明日はラジエーション治療。


看護師のJulie Cox(エンジェル)と会って、親交を深めたい。





志賀直哉と市原先生




6月24日の聖日礼拝で、市原信生師の説教を敬聴しながら、私は何時になく強く感じ入るものを察していた。


私はよく牧師の説教を聴きながら、牧師が語るセンテンスの組み立て方を基にして、引用の手段や、解題法、描写力、間の取り方から抑揚まで、メッセージの内容を概評しながら、牧師を小説家に譬えてみる妙な癖がある。


例えば市原先生の説教は、小説家でいうならば志賀直哉である。凛と筋が通っていて、実にリアルであるからだ。昂る事を好まず森羅万象を謙遜の眼で凝視しながら、相克を超越したたおやかな美しさは、まるで御使いたちが降らせた秋さぶの驟雨(しゅうう)のように、何時までも私の魂に響くのである。


 私は礼拝後に、その旨を市原先生にお伝えしたのであるが、市原先生はきょとんとして、怪訝な表情に染まってしまった。私は間髪を容れずに、


「志賀直哉は小説の神様です」


と伝えた。そうすると市原先生は、まるで子供のように相好を崩された。


文学に親しんでいた若い時分、私は志賀直哉が大の苦手であった。というよりも、直哉の小説を濫読しては酷評していたのである。即ち私は、白樺派に属していた作家たちを忌み嫌っていたのである。しかも、その徒党のなかで、格別な嫌悪感を私に漂わせていたのが志賀直哉の小説であった。


渡米後も、私はジャーナリストの知人や日米比較文学を専攻している学生たちと、文芸時評を語り合いながら、たまさか志賀直哉の小説をこき下ろしていた。


ところが四十路に入って間もなくしてから、私は白樺派の文学に言及する評論を執筆するために、志賀直哉の小説を再び味読したのである。その時わたしは、目からうろこが落ちるとは、こうゆうことなのか、と合点したのである。


今日まで私は、どうして直哉の文体の美しさに、気づかなかったのだろうかと深く省察した。取分け『城の崎にて』を読み返した折には、私はすっかり直哉の文章に魅了されてしまった。これこそが、胸を熱く打つ文章芸術の感動だ。直哉の小説は秋さぶの驟雨のように、何時までも私の魂を揺さぶっていた。


志賀直哉は、自分に最も影響を与えた尊敬する人物として、武者小路実篤と内村鑑三を挙げている。人道主義・理想主義を標榜する白樺派にあって、謹厳実直であった直哉は、この二人の師匠からキリストの教えと、文学の礎を伝授されたのである。


ところで、少し話は逸脱するが、現代のキリスト者は、どうして武者小路実篤や内村鑑三の著書を読まなくなってしまったのであろうか。キリスト教関連の出版社は、新しい本を次から次へと発行することばかり考えないで、近代の名著を現代訳に改めて、どんどん再出版してほしい。けれども、採算が合わないということであれば、おそらく、もはやそれまでなのだろう。


市原先生はかかりつけの医師から、「あなたは病気のデパートですね」と告げられたそうだが、病の床に臥した2002年の呻吟は、金輪際体験したくない程の千辛万苦であったという。


人間、誰もが心身ともに健康で、平穏無事な生涯を過ごしたいと願望している。だが、病気はためになることが数多である。と喝破したのはロマン・ロランというフランスの作家だ。なぜならば、肉体をいためつけることによって、魂を解放して浄めるからだという。従って、一度も病気をしたことがない者は、十分に自己を知り尽くしていない。


市原先生は礼拝のメッセージで、カール・ヒルティの『眠られぬ夜のために』から、珠玉の一文を引用されていたが、私はヒルティの『幸福論』から「病気」に言及している記述で、感銘を受けた箇所を紹介したい。


「幸福は健康がなければ生じないというのであれば、悲しいことであろう。だがそれは真実ではない。不幸な病人があると同様に、幸福な病人もあるのである。病気と幸福とは、絶対に対立せるものではない」(幸福論・第三巻/正木 正訳)


志賀直哉は17歳の折に内村鑑三を訪ねてから、約7年に及んでその門人となったが、なまぬるいキリスト教徒として終始した。以前にも書いたが、直哉を始めとする近代の文学者たちが、キリスト教を享受した一因は、西欧浪漫主義に対する憧憬に過ぎないのである。その根底には文学者特有の懐疑精神が旺盛なために、ことごとく福音信仰から遠ざかっていった。


だが、信仰は勝利なのである。病気のデパートである市原先生が、力強く拝読された聖書の御言葉(イザヤ書/40:28~31)が、真夏日に忽然と姿を現した樹氷のように、私の心のなかで無数の閃光を放っていた。


「しかし主を待ち望むものは新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」


 





祈る日々




病状も落ち着き、ようやく正常に戻った。後は1月21日の入院まで体調を整えるだけ。僕は退院してからよく眠る。食欲もある。祈る日々が続く……





ビバリーヒルズ




アメリカに来て2年が経った時、僕はビバリーヒルズの、お屋敷にホームステイすることにした。


オニール夫人は優しくて、品性を感じさせる綺麗な方だ。毎晩料理を作るオニール夫人の、僕は助手だった。


週末になると、知人を呼んでパーティーが始まる。ここは僕の料理の腕の見せ所。日本料理の定番である、すき焼きと天ぷらを作れば、みんなが大喜びする。


ある晩、ミスター・オニールは、酒に酔って帰宅した。オニール夫人は留守である。ミスター・オニールは、僕を呼びつけた。


酒に酔った勢いで、僕に昔話を聞かせた。「何がマイウェイだ。三日間も待たせやがって」。後になって分かったことであるが、ミスター・オニールは元映画のカメラマンであった。代表作に『風と共に去りぬ』がある。


ミスター・オニールは、映画の撮影の際、すでに大スターであったフランク・シナトラが、時間にルーズで、撮影隊が何十人も待ちぼうけを食らったことに、未だに根に持っているらしい。


オニール邸から車で5分の所にシナトラ邸がある。ビバリーヒルズには、芸能人が数多く住んでいる。オニール邸の迎え側は、ジャズ・シンガーのエラ・フッツジェラルドが住んでいた。


北の方へ数百メートル歩くと、ロバート・ワーグナー邸がある。その隣に旧マリリン・モンロー邸がある。


オニール夫妻が、旅行に出掛けて一ヶ月間も留守にした折に、知人を呼んで庭でバーベキュー・パーティーをした。真夏だったのでプールで泳いだりもした。


今から28年、遠い思い出となった。


 





2011年1月8日土曜日

ラジオが友の時




僕が中学2年の時、登校拒否をした。その折に、深夜放送を初めてラジオで聞いた。文化放送の『走れ歌謡曲』であった。


しだいと『走れ歌謡曲』の前にやっている、ABC『ヤングリクエスト』も聞くようになった。コークとポテトチップを食べながら聴いている。


朝の5時ごろになって、『ルーテル・アワー』が終わった頃に眠る。


たまには早く寝る時もある。そんな時には、『ジェット・ストリーム』を子守歌代わりにして眠る。





冬尽くすまでに




僕が常に一番食べたいものは? 秋ナスのぬか漬け。随分長いこと味わっていない。


秋ナスは嫁に食わすなと言うのは、姑の親切な心なのか、意地悪な心か? 秋ナスは灰汁(あく)がすごく強い。体に毒だ。嫁の体を気遣かう説と、単なる意地悪説に分かれる。


冬野菜の代表格は、白菜と大根。冬になると甘みが増してきて、お漬物に、鍋料理に最高。こちら(アメリカ)で生活をしていると、日本の野菜にあこがれる。僕は関西で育ったので、京野菜の味が忘れられない。聖護院大根、キュウリ、賀茂ナス、東寺カブ。


僕が日本に暮らしていた頃、冬になれば母が丸大根の田楽を作ってくれた。味噌だれに、長葱を刻んだものを大根の上に乗せて食べる。好みに応じて、一味か七味を振りかける。


我が家では、野菜のクリーム・シチューを、野菜をふんだんに入れて作る。娘も家人も好物だ。


来年の三月までに、大根とこんにゃくの田楽を、夕餉の献立にしてみたい。


「田楽を食べたし冬尽くすまでに」





祈り




目をとじて祈るとき


ときめき やすらぎ シャルラルル


喜びあふれる シャルラルル


わたしは感謝の思いで、祈ります。


 


父よ、母よ、ありがとう。


家族の祈り シャルラルル


イエス様と シャルラルル


わたしはとても幸せ、祈ります。


 


 


(詩朗読 新井 歓喜 ジョイ)


新井雅之 作





雀百まで踊り忘れず




公文(トーレンス)の、西尾誠一郎先生の講演会に出席して学ばされた。


音読に最適な言語は漢字であり、更に仮名が交じっている日本語は、脳を刺激する上で世界最上と言われている。


これらのことを証明する一つとして、脳障害児の治療と幼児の才能開発で、世界的に権威のあるグレン・ドーマン博士が、世界中から集まってくる脳障害児に対して、漢字を用いた治療方法をいち早く取り入れている。


声を出して本を読むことは枢要である。但し絵本でも童話でも、闇雲に子供に本を与えるのではなく、まず親が十分に書籍の内容を吟味してから、良書のみを子供に与えるように心がけてほしい。


この図書の選択は非常に大切なことであるから、怠らないで慎重に取り組んでいただきたい。


例えば同じタイトルの絵本でも、表現が軽率であるものや、て・に・お・はなど、文章が不適切な場合がある。また、翻訳された童話になると、これらの不備は数多である。


散文中心の音読もよいが、日本には短歌や俳句といった素晴らしい定型詩が存在する。韻文は子供たちの感性と想像力を育み、集中力を高めてくれる。


教育に於いて最も肝要なことは、読み聞かせと音読、そして簡単な計算である。特に音読と計算は、老齢にいたるまで継続することによって、脳の前頭葉を活性化してくれるという。


近年では、痴呆症を予防するために、あるいは緩和させるための治療方法としても脚光を浴びている。


幼い時分に身についた習慣は、老年になっても退歩することがない。「雀百まで踊り忘れず」





2011年1月7日金曜日

エンジェル




昨年の大晦日に、喀血して入院をした。元日の朝、目を覚ますと僕のベッドの傍らに、看護師が立っていた。開口一番、看護師は囁いた「あなたと同じ所に傷があるのです。」


彼女と僕は、左側の耳元から首筋にかけて喉元まで、25センチの傷がある。看護師が言うのには、私も長いこと看護師をやっているけれど、私と全く同じ場所に傷があるのは初めてだ。


彼女は7年前に、僕は3ヶ月前に手術をした。しかも、執刀医が同じである。「あなたはクリスチャンですか?」と、彼女は僕に聞いた。僕が「イエス」と答えると、彼女は感激のあまり涙を流して僕のために祈ってくれた。「私のためにも祈ってくれますか?」。僕たちは手を握って共に祈った。


僕は「あなたはエンジェルですね」


「いいえ、私はエンジェルではありません。あなたが(私にとって)エンジェルです」


神様は心の不安な時に、エンジェルを送って慰めてくれる。生涯忘れることのできない新年を迎えることができました。


 





快適な病室




アメリカ人の患者は、文句が多い。僕は静かだ。苦情を一切言わないから、ドクターとナースが僕をほめてくれる。


病室は全員個室である。バス、トイレ付き、ベッドの脇にソファーが置いてある。ホテルみたいな広い部屋だ。


メニューが置いてあって、朝、昼、晩、好きな物を、都合のよい時間に備え付けの電話で、ルーム・サービスができる。


City of Hope(病院)のロビーは吹き抜けになっていて、2階にもロビーがある。コンシェルジュもいる。正にホテルの様な病院だ。





会席




大阪の北浜に、由緒ある料亭『花外楼』がある。女将の徳光正子さんはクリスチャン。近鉄阿倍野店なら気軽に利用できる。


ひと月ごとに変わる、自選会席が人気。本格的な会席が楽しむことができる。一日30個限定のお弁当、『花小箱』も人気がある。 


 







2011年1月5日水曜日

シャーリー




ツトムはシャーリーと二人で、鮨バーに赴いた。ツトムはシャーリーをからかってやろうと思った。


「日本ではイクラのことをハマチ(How much)、ハマチ(How much)のことをイクラって言うのを知っていた?」


「馬鹿にしないでよ、そんなこと知っているわ」


シャーリーは話を続けた。


「蝦蛄(しゃこ)のことはガレージ、ヒラメの縁側はベランダ、赤貝のひもはコード、醤油はバイオレット、わさびはティヤー」


ツトムは驚いた。


「こう見えても私は鮨通よ! 鮨めしに関しては結構うるさいですぞ。だって、私の名前はシャーリー・シルバー。日本語で言うと銀シャリ」


最後にシャーリーは板前に告げた。


「ガンをください」


 


※のり巻きのことを鉄砲と言う。


 


 





山本山




僕が日本にいた頃、上から読んでも山本山、下から読んでも山本山のテレビ・コマーシャルは有名だった。


上から読んでも、下から読んでも長い言葉はあるのかなぁ。「新幹線沿線監視」と言うのはどうだろう。「しんかんせんえんせんかんし」。





2011年1月4日火曜日

江美子に任せられない料理




僕は半身不随になっても、料理に対して執着がある。料理によっては、江美子には任されないものがある。その一つにクラム・チャウダーがある。


作り方はいたって簡単、用意する物は缶詰のクラムと冷凍の小貝柱、ニンジン、ジャガイモ、クリームシチューの素、牡蠣油、ミルク、酒。


先ず、冷凍の小貝柱に酒を振りかけておく、次にサイコロ状に切ったニンジンとジャガイモを、オリーブ・オイルで炒める。


あらかじめ熱しておいたミルク1.5リットルの中に、クラムの缶詰めを汁ごと入れる。次に、ニンジンとジャガイモ、小貝柱、牡蠣油小さじ一杯、最後にクリームシチューの素を加えて、20分間弱火で煮込んだら出来上がり。クルトンを入れて、パセリを振りかけて、さあ、召し上がれ。


次に、ステーキ。スライスしたニンニクをあらかじめ、オリーブ・オイル炒めておく。塩胡椒をしたステーキを、良く熱したフライパンの上に、オリーブ・オイルを敷いて強火で焼く。


ステーキに焦げ目をじゃかん付けて裏返す。この要領で片面も焼く、後は弱火にして2、3分経ったら、再び強火にして鍋肌に醤油を小々垂らして、ステーキを醤油に絡めて、ステーキの上にニンニクを乗せて、ミディヤムレアーのステーキが完成。


ステーキを焼いた調味料の残っているフライパンで、マッシュルームをスライスしてソテーする。ステーキの付け合わせに持って来い。


僕の料理の助手を務めるのは江美子。江美子がいなければ、なすすべもない僕である。





プレスリーのアメージング・グレイス




22年前、アメリカに帰る飛行機の中で、音楽を聴いている途中でナレーションが流れた。アメリカの国歌を替えるとしたら、どの曲を選びますか?


アメリカの国民に対して、そのような統計が取られたという。第2位がキャロル・キングの『You’ve Got a Friend』。そして、第1位は『Amazing Grace』。







ダジャレ




昨年の大晦日の晩に、突然喀血をした。口から溢れ出る血が鼻の方に逆流し来て、鼻からも血がしたたり落ちた。一瞬、死ぬかと思った。早急に、病院の救急センターへ直行した。


車の中で江美子が僕に問うた。


「血の色はどんな色、鮮血ですか?」


「そんなことを言っている場合じゃない。病院へ急ぐのが先決(鮮血)だ。」


「あなたは、喀血したってダジャレが出るのね」


主の癒しを信じていたら、何も恐れることは無い。心のゆとりがダジャレに導いたのだろう。


僕は、つくづくクリスチャンになって良かったなと思った。





2011年1月1日土曜日

オードトアレ




僕が外出する時、必ずと言ってよいほどオードトアレを付けて出掛ける。僕が使うオードトアレは、『ビ・ジャン』と『フレッド・ヘイマン』。もう、20年余り愛用している。


ビバリーヒルズのロデオ・ドライブにあった『フレッド・ヘイマン』が、いつしか無くなった。暫くは、デパートで『フレッド・ヘイマン』のオードトアレが売られていたが、やがて製造中止になった。


その折に、『シャネル』では男性用のオードトアレが新発売となった。『エゴイスト』である。僕は、昼は『ビ・ジャン』、夜は『エゴイスト』に使い分けている。


そして、もう一つは、二種類のオードトアレをブレンドして、世界に一つしかない僕のオリジナルのオードトアレ。オードトアレの名前と、ブレンドの割合は秘密。その名も『アメリカン・ドリーマー』、夜眠る時に振りかける。





カレーライス




35年前に、大阪は南にカレーライスの美味しいレストランがあると聞き、友と二人で赴いた。


店に入ると、正面に『虎は死んで皮を遺す。織田作死んでカレーを遺す』と、書いた紙をうやうやしく額に入れて張り付けてある。


織田作之助は、ある小説でこの店のカレーライスを描写している。いわば、織田作によって、この店のカレーは有名になった。


カレーライスを食べ終わって、友は紙ナプキンに、なんやら書いているではないか。僕はそれを見て笑った。


「虎は死んで皮を遺す。織田作死んでカレーを遺す。客はまずくてカレーを残す」





とどかない




叫びがとどかない


祈りがとどかない


戦争が終わらない


広島の声が世界にとどかない