今から凡そ55年前にもなるが、僕が生まれた家には、一階とニ階に水洗トイレが二つあった。現在でも珍しいのではないのかと思う。
僕が5歳の頃に台所のリモデルをした。これがモダンで評判を呼んで、インテリア専門の雑誌に、写真を掲載された。
庭には大きな池があり、燈篭が何個も配してある。座敷から眺める景観は、花鳥風月を愛でるのには、申し分のない所だ。
また、応接間からの窓外の眺めは、洋花を巧みに植え込んで、何処か泰西の国にでも居る様な気持にさせてくれる。
僕の家は、夕刻になれば日本舞踊のけいこ場として、沢山のお弟子さんが訪れる。月に一度、東京から志賀山流の日舞の先生が来られる。そして、三日続けてお稽古に励む。
三人いた姉たちも、それから東映の女優さんも二人いた。そんなわけで、若い女性が昼から夕方にかけて、15人ばかりいた。従って、小学生の僕は黒一点であった。
夜には父が清元のけいこをする。やはり東京から梅寿太夫先生が来られる。けいこが終われば、酒を酌み交わす。そんなこんなんで、随分とにぎやかであった。
「生家には思い出ずくし万華鏡」
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