2010年11月2日火曜日




日本にいた頃、秋の季節が一番好きだった。高校生のとき「秋の日のビヨロンのため息に、身にしみてひたぶるに……」を、よく口ずさんだものだ。


どうして秋が好きかと言うと、街全体が色濃く哀調を帯びるのが好きであった。自然も哀愁を漂わせている。金木犀の香りをかぐ度に、僕は、たちまち燃える秋へと誘われる。


今、マイルス・デービスとキャノンボール・アダレイの『枯葉』を聴いている。ここLAでは秋の気配すら全く感じない。東部に行くとダイナミックな紅葉が迫って来る。


秋の句を詠ませたら、天才的な俳人がいる。「秋深き隣は何をする人ぞ」(芭蕉)。春の句を詠ませたら、名人なのが与謝蕪村。秋の句は俳聖、松尾芭蕉だ。


僕は日本の詩人(文人)で尊敬している人が三人いる。松尾芭蕉、正岡子規、それから樋口一葉である。海外では、シャルル・ボードレール、エドガー・アラン・ポー、オスカー・ワイルドだ。


パリに赴く事があれば、真っ先にモンパルナス墓地に埋葬されてある、ボードレール墓に詣でる。パリと言えば美食の都。晩秋のパリの、シテ島あたりを散策してみたい。


晩秋から冬にかけて、牡蠣のシーズンである。ブロン産の牡蠣にレモンを絞って、チューと食べてみたい。「牡蠣食えば鐘が鳴るなりノートルダム」


病気をしてからは、フランスへは御無沙汰致している。ブイャーベースにプレサレにスモークサーモンを食べたいよーォ。


旧ラッパに書いたが、僕はフランスに、文学修業エスカルゴの細道を行脚する計画を立てた。


結局、家人からお許しをもらえなかったので没になった。


家人が言うのには、遊び、道楽、食べ歩きだという。当たっているだけに、にくい。カリフォルリニアもようやく秋らしくなってきた。


今晩の夕食は、松茸ご飯と松茸のお吸い物、ここで一句。


「菊薫る松茸香り秋の膳」


新井雅之





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