2011年8月21日日曜日

暴 力




星野監督が中日ドラゴンズの監督をしていた時分に、審判の判定に対して猛烈に抗議したことがあった。結局、聞き入れてもらえなかったために、星野監督は激怒のあまり審判に暴行を働いた。


その審判は肋骨を骨折して入院する羽目となったが、ことの一部始終を見ていた観戦者の二人が、提訴したことから問題は更に大きくなった。 


当時の星野監督は「自分は今までに人に頭を下げたことのない男だ」と、強気の発言を呈していたが、紛争に至らないように球団が早急に根回しを計ったために、暴行事件はいつの間にか闇の中へ葬られてしまった。


多分、球団側は、内密に多額の示談金を審判に払ったものと思われる。


もし、同じようなことが大リーグで起こったならば、その監督は球界から永久追放されるだろう。裁判に至っては、禁固刑の評決が下される可能性が十分にある。そもそも審判に向かって手をあげるだけでも大騒ぎとなる大リーグで、肋骨を骨折させるなどとは尋常ではない。


野茂やイチローそして松井の活躍は、日本の野球がメジャーでも十分通用することを証明してくれた。だが、暴力に対してあまりにも寛容すぎる日本球界の体質は、世界の目には野蛮な行為を黙認する組織であると映るであろう。


選手同士の殴り合いはメジャーでも見られるが、情けないことに日本のプロ野球界では、相手が体の大きい腕っ節の強そうな外人選手であれば、日本人選手の大半は逃げ出してしまう。


自分よりも弱い者には暴力を振るい、強い者からは逃げ出してしまう。これでは野球を観戦している青少年に、健全なイメージが伝わらない。


スポーツマンは紳士であれ!





テナーサックス




スタン・ゲッツのテナーサックスを聴きながら、この稿を書いている。スタン・ゲッツのプレイは、調子が悪い時に吹けばハチャメチャだけど、調子が良好の時に吹くサックスが、天才的な才能を発揮する。


スタン・ゲッツと言えば、アストラット・ジルベルトと組んでの、ボサノバが有名だ。スタン・ゲッツのテナーサックスは、いつ聴いてもメローなサウンドである。果物に例えると食べごろだ。


ジョー・ヘンダーソン(日本ではジョーヘンの愛称で親しまれている)とスタン・ゲッツは気がよく合った。ともにテナーサックスを吹く二人は、とても気難しい。


教えてくれたのは、ジョー・ヘンダーソンのガールフレンド、マリコさん。僕が若い頃によく聴いていたテナー・マンは、この二人以外にレスター・ヤング、ズート・シムス、ハンク・モブレー、セルダン・パウエル、ジョニー・グリフィンetc。


僕もテナーサックスを吹く。酔いしれてないと名演は期待できない。





My Little One / 愛しいわが子へ 新井雅之




愛する妻がいてJoyがいる


三人だけの小さな世界


幸福のさざなみが



ぼくの胸底に打ち寄せる


 


食卓を囲んで


目を閉じて


静かに三人で祈ると


こころが一つになる


感謝の思いが溢れてくる


 


ぼくは弱い


キリストがぼくを強くしてくださる


ぼくが喜びにひたっていたら


江美子もJoyもすこぶる元気だ


互に愛しあうことを忘れない


 


神様はわたしたちを選ばれた


逆境には知恵と力を


順境には謙遜を


大いなる確信は希望


何事でもやってのける勇気


 


愛しいJoyよ


父がいる


母がいる


イエスの愛に包まれて


さあ 恐れずに


黄金の人生を歩め





肝が美味しいことを、肝に銘じた




今から二十四五年前、初めて鮨屋でカワハギの肝のにぎりを食べた時、その味に度肝を抜かれた。美味しいことを超越していた。


以来、カワハギの薄作りに(カワハギの)肝醤油をつけて食べることを覚えた。アンコウの肝とは比較にならない味だ。


フランスはリヨンのレストランで、トゥルヌド・ステーキの上に、ソテーしたフォアグラとトリュフを乗せて、食べた時の感奮と類似していた。


僕は、肝が美味しいことを、肝に銘じた。





お祈り有り難うございました




皆様、お祈り有り難うございました。心から感謝申し上げます。皆様のお祈りのお陰で、無事退院することができました。主を賛美し褒め称えます。ハレルヤ!


この度の治療は簡単に説明すると、僕の体を被爆させることによって、癌細胞を死滅させることにあります。


病室は放射能が漏れないように、コーティングがされていました。5人のドクターが特別な装備姿で、一錠のカプセルを金属製の分厚い箱に入れて表れました。


ドクターは僕にカプセルを渡す前に、汗が多量に出るのと、喉が渇くと告げました。4時間は水を飲んではいけません。4時間後には水を大量に飲んでください。僕は4時間が勝負だなと悟った。


これで治療は終わった。後は僕の体内から放射能が消えるまで、水を大量に飲むことである。尿によって放出されるのだ。それまでの3日間は隔離される。





悔やまれる




27年来のホームドクターを信頼しきっていたので、僕の間違えでした。体の調子が悪いと感じたら、直ぐに大きな病院へ行って精密検査を行うべきだった。


当時、僕には健康保険が無かった。大きな要因はこれだ。今更ながら悔やまれる。





忘れられない味




35年前に味わった忘れられない料理がある。旧琵琶湖ホテルのダイニング食べた、蒪菜(じゅんさい)入り冷製スープ。和食とフランス料理の見事な融合だ。


何の料理か覚えていないが、ビーフ・スープの煮凍りを、料理の上にあしらった滋味豊かな副食。これも忘れられない味だ。全体の料理の味も、和の心と西欧味付けが見事に綯い交ぜになっている。往時、シェフをしていた方と会ってみたい。


旧琵琶湖ホテルは、西洋建築でありながら瓦屋根にして、天井の高い倭國(わこく)の風情を感じさせてくれる。


僕が独身の時、足繁く通った大阪曽根崎のお好み焼き屋、『ゆかり』も忘れられない味だ。友達と二人で行けば、ミックスお好み焼きと、焼きそばをシェーアして頂いた。


両親を連れて行ったこともある。父母は牡蠣(かき)の入ったお好み焼きが好きだった。当時は冬限定。


 





キャロル・キング




高校一年の秋、ある日、クラスメイトが囁いた。


「サイモンとガーファンクルの、『明日に架ける橋』を聴いていたら、自然と涙がこぼれた」


僕は心の中で思った。「キャロル・キングの『君の友達』方が、哀調を帯びて、慰めと共に不思議な元気を貰える」


あれから40年弱、僕はいまだにキャロル・キングの『You’ve Got a Friend』を聴く。最近よく聴くのは、キャロル・キングと三人の友達で歌うライブ。


サイモンとガーファンクルも良いが、キャロル・キングの方が、もっといい。僕はその様に思う。





鼻の絵




トーマスは、美しい花々の絵を描くのが得意であった。トーマスの絵は、日に日に評判を呼んだ。あっと言う間に、トーマスの評判が全国へと広まった。今や売れっ子の画家である。


トーマスは花の絵を描き続けて、もう30年余りになる。マンネリ化が進み、スランプに陥った。3年間も沈黙が続いた後に、発表された絵画を観て画壇は驚いた。


ハナはハナでも、女性の鼻ばかりを描いて、次々に発表するではないか。世間の声は鼻はだ迷惑。世の中の鼻息を窺う、そして鼻にかける。益々世間に対して鼻を利かしては媚びている。そして、鼻を高くする。最後に後援者の鼻毛を抜く(相手を見くびって、だましたり出し抜いたりすること)。





キング・オブ・ベスト




僕の人生は失敗の連続であった。原因は分かっている。油断、怠慢、努力せず。


50十代半ばでストロークになって、おまけに末期癌。闘病生活が続く毎日だ。一日中家にいるので、時間がたっぷりある。僕は考える。あの失敗がなかたら、更に大きな失敗をしていただろう。


僕が成功していたら、謙遜を装い、傲慢な人間になっていただろう。失敗もベスト、病気もベスト、落選もベスト。


 アメリカへ渡って、イエス様と巡り会えたのだから、これはキング・オブ・ベスト。イエス様にベストの道を導いただく。これほどベストな物はない。


御心のままに導いてください。イエス様。


 


「試練なり病気失敗主の恵み」





堪える




食事制限を始めてから今日で一ヶ月、堪える。


後、二ヶ月。


献立がほぼ毎日同じ、やり切れない。


ドクターの言うことは、聞かないといけない。


だけど、堪える。


堪えるの二乗、いや、三乗かな。





ポントルソン




ノルマンディー地方の


小さな村の


フランスの


石畳の


教会の


夜道の


路線バスの


小さなホテルのロビー


踏み切りと鉄路の


目抜き通りの


土塊の


ムッシューの


館の


霧雨の


奇跡のスィーツの


森閑


至上の純朴


ポントルソンの


 


 


森閑


 





ラスベガス




ラスベガスに行くと、僕はアラジンのバフェイをよく利用する。ベラージオ、パリ、リオ、バリーズ等、バフェイの有名な所はみな制覇した。でも、値段が高いから美味しくて当たり前。


アラジンのバフェイはベラージオの半額、味も劣らない。違うのは種類の多さだけ。アラジンのバフェイでは、僕はサラダ1回、スモークサーモン2回、プライムリブ3回を取りに行く。健康な時分には、僕は大食漢なのである。


常宿はサーカスサーカス。安い、綺麗、子供づれには最適、遊園地付き。家人はラスベガスへは、車で行きたくないという。僕が病気になってから、家人が一人で運転しなければならないからだ。


ラスベガスには30年間の間に、40回ほど行っているだろか。プライベートで行ったのは数回。後は、日本からのお客さんの案内係である。


ラスベガスへ行っても、僕は、ギャンブルは一切やらない。ショーも見飽きた。プールで泳いで、バフェイで食べるだけ。


健康な折には、ラスベガスに到着すると、真っ先にホテルのバーへ直行した。ロングドライブを癒すボッカマティニーをあおった。


 ラスベガスのダウンタウンのホテルには、バフェイが無かったように思う。その代わり格安の定食が食べられる。先ず、アペタイザーにベイシュリンプ。メインはロブスターとステーキ。


今度、ラスベガスに行けるのは、何時の事やら。ラスベガス教会にも一度お礼に伺いたい。力強く歩けたら、すらすらと喋ることが出来たら、僕は一人でラスベガスに行きたい。


最後に、一句「ラスベガスネバダの大地そぞろ寒」


新井雅之


 


 





主のもとへ




術後、眠っている間に、タンと唾液が咽頭に流れ込んできて、明け方に咳き込む。

食事の際に食べ物が、器官に入りかけて咳き込む事がしばしばある。手術前にはそのような症状が出てこなかった。


おまけに食べづらい。飲み込みにくい。涎が出る。まだまだ試練は続く……


「秋の暮飛んで行きたい主のもとへ」


 





眠る男




来る日も来る日も、男は眠り続けている ……


一日24時間の内の、3時間ほど男は起きる。一日の日課は食事をして仕事をするだけだ。だが、仕事をする時間は、少なくとも6時間から10時間もある。


実は、男には奇妙な特技があった。眠っている間に仕事をするのである。男の職業は小説家。眠っている間にストーリーを考える。組み立てる。推敲をする。起きたら、ひたすら書くだけである。


3時間ほどしか起きていられないから、遊びには行けない。原稿料と印税が貯まるばかり。男には趣味があった。B級グルメである。毎日出前を取っては食べる。


男には身の周りをお世話してくれるお手伝いさんいる。洗濯に掃除etc。原稿料は、お手伝いさんの給料とB級グルメでほとんどが消えていく。


ある日、男は消えた。行方不明ではない。死んだのでもない。異次元に移り住んだのだ。男はしまったと思った。男が移り住んだ17次元では、一日が十万時間ある。男はたかが3時間ほどしか起きていられない。


男はひたすら眠り続ける。眠っている間中、小説のストーリーが何本も完成する。3時間では書く時間足りない。男は17次元の主に直訴した。主からは、


「3時間も起きてはならない。死んでもいけない。ただひたすらに眠り続けろ」と言われた。


眠る男は、今日も眠り続ける。945億年も眠り続けている。その間、完成した小説は770億冊。書く時間を奪われた男は、17次元の主からかの呪いが解けるまで、永遠に眠り続けるだけ。


新井雅之


 


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© 2010 Masayuki Arai


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生きる




赤よりもはるかに赤い


燃えるような漆黒の赤いバラ


ブラックよりもはるかに黒い


戦慄する緋のコーヒー


 


俺は27時64分前に目覚めて


仕事をする


狂ったように


 


大きなカラスが血を吐くように


狂ったように


仕事をする


 


俺は病に蝕まれて片端になっても


黒い血を吐き


狂ったように


狂ったように


紅く 生きる


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切断

昨日、母が乳癌で亡くなった。

後を追うようにして、姉も乳癌で死んだ。

年が明けて、もう一人の姉も乳癌で逝った。


今度は、私の番だ。

海外在住の、妹の夫から電話が掛って来た。

妹は今朝、乳癌で息を引き取ったらしい。


私はいたたまれなくなって、病院へ駆け込んだ。

そして、両乳房を切断してもらった。


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