2011年5月23日月曜日

便所掃除





 


便所掃除


浜口国雄


 


扉をあけます。


頭のしんまでくさくなります。


まともに見ることが出来ません。


神経までしびれる悲しいよごしかたです。


澄んだ夜明けの空気もくさくします。


掃除がいっぺんにいやになります。


むかつくようなババ糞がかけてあります。


 


どうして落着いてくれないのでしょう。


けつの穴でも曲がっているのでしょう。


それともよっぽどあわてたのでしょう。


おこったところで美しくなりません。


美しくするのが僕らの務めです。


美しい世の中もこんな所から出発するのでしょう。


 


くちびるを噛みしめ、戸のさんに足をかけます。


静かに水を流します。


ババ糞に、おそるおそる箒をあてます。


ポトン、ポトン、便壺に落ちます。


ガス弾が、鼻の頭で破裂したほど、苦しい空気が発散します。


心臓、爪の先までくさくします。


落とすたびに糞がはね上がって弱ります。


 


かわいた糞はなかなかとれません。


たわしに砂をつけます。


手を突き入れて磨きます。


汚水が顔にかかります。


くちびるにもつきます。


そんなことにかまっていられません。


ゴリゴリ美しくするのが目的です。


その手でエロ文、ぬりつけた糞も落します。


大きな性器も落します。


 


朝風が壺から顔をなぜ上げます。


心も糞になれて来ます。


水を流します。


心に、しみた臭みを流すほど、流します。


雑巾でふきます。


キンカクシのウラまで丁寧にふきます。


社会悪をふきとる思いで、力いっぱいふきます。


 


もう一度水をかけます。


雑巾で仕上げをいたします。


クレゾール液をまきます。


白い乳液から新鮮な一瞬が流れます。


静かな、うれしい気持ですわってみます。


朝の光が便器に反射します。


クレゾール液が、糞壷の中から、七色の光で照らしています。


 


便所を美しくする娘は、


美しい子供をうむ、といった母を思い出します。


僕は男です。


美しい妻に会えるかも知れません。


 



 


八年ほど前にも、他紙でこの詩を紹介したことがある。この臭くて汚い、顔をしかめたくなる様な詩は、岩波新書の『詩の中にめざめる日本』(真壁仁篇)に収録されている。


浜口国雄は、往時、金沢車掌区に勤務する労働者であった。一九五五年、『便所掃除』は第五回、国鉄(現JR)詩人賞を受賞している。


浜口は便所掃除を始めるにあたって、神経が麻痺するほどの尾籠(びろう)な有様を見て、気が腐る思いになった。けれども、自ら与えられた任務を「美しい世の中もこんな所から出発する」と達観させている。


そこには、生真面目で純真な青年像がうかがえる。孤軍奮闘しながら便所掃除の過程を克明に描いたこの作品は、六連目の「静かなうれしい気持ちですわってみる」充足感によって、この詩を超越した、真壁仁の言う「倫理と英知がひらめいている」。


最後の連は、ともすれば浮かれ気味になる場合が多いが、読後感が爽やかで巧みな結びとなっている。冒頭で汚い詩であると書いたが、とんでもない、無類に美しい詩なのである。





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