2011年2月20日日曜日

「パン」について考える




2008年の父の日に、サン・ペドロのポート・オ・コールへ家族三人で赴いた。観光地とあってポート・オ・コール一帯は、かなりの人出で賑わっていた。


雑踏の中で、私たちはハーバーに面した、少しばかりかしこまった瀟洒なレストランを見つけた。店内は天井が高くて品性に満ち、外辺の喧騒を忘れてしまうほど従容としていた。


テーブルに案内されてから、私たちは一通りメニューに目を通した。しばらくしてから、私は料理の質問を若いウエイターにぶつけた。しかし、残念なことに係のウエイターは、あまりにも料理の知識に乏しく、私たちをがっかりとさせてしまった。


次に、リーダー格のウエイターが、私たちのテーブルにやって来て、係のウエイターの代わりに、オーダーを伺おうとするのだが、私たちはウエイターの意に介しない横柄な態度に、辟易としてしまった。


いうなれば私たちは、レストランの風格に釣られてしまった、まな板の上の鯉である。こうなれば出てくる料理に期待をかけるだけだ。そもそもアメリカのレストランで、旨いものを食べようなどとは毛頭考えていない。料理の味は「アメリカの基準」に応じていれば、それで十分である。


ご多分に洩れず、最初にサーブされたビスクは、イカの塩辛が裸足で逃げ出してしまうほど塩気が強いので返品した。次に出てきたのは、強烈にかたい肉料理、辛うじてシーフードだけは及第点に滑り込んだしだい。


お陰で、父の日の団欒がぎくしゃくとしてしまったが、家族三人で、レストランで過ごせたことは感謝なことであった。


今、私は感謝と書いたが、ウエイターの接客態度やレストランの姿勢については、憤慨に堪えないのだ。おそらくこの私も、ウエイターと同年代の生意気な盛りであったならば、「こんなまずいものが食えるか!」と、まくし立てて、プイっと、レストランを出て行ってしまったことであろう。


美味しい料理は、人と人の潤滑油となる。料理がおいしければ、つい話がはずみ、連帯感が生じて幸せな気分が芽生える。


そのことをいち早く誰よりも周知していたのは、イエス・キリストである。イエス様は事あるごとに民衆や弟子たちと、食事を共にしました。そして、その食卓で語られるイエスのたとえや教えは、社会的、宗教的に分裂した人々の、心のよりどころとなった。


巷では、数年前から「食育」について、議論されるようになってきた。この「食育」という言葉を最初につかった人物は、明治時代の薬剤監、石塚左玄である。石塚は自著の中で、「体育智育才育は、即ち食育なり」と、書き記している。


「食育」とは、食事に関する知識を学び、栄養のバランスを自分で組み立てられるようになるための取り組みだ。


イエスは語っている「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」(マタイ4:4)


もはや解説の必要はないと思うが、逆説的に捉えると、神の言葉も必要であるが、同等にパンも必要なのである。けれども悪魔に試みられたイエスは、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。やがてイエスを試みようと、悪魔がイエスに言った。「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」


その後も、悪魔の試みは続くのであるが、生きていくためには、パンも必要であるが、場合によっては、肉の糧よりも断食する方が得策であると、イエスが説いているようにも解釈できる。


日本国際飢餓対策機構によると、一年間に一千万人の人々が、飢えが原因で命を失っている。しかし、皮肉なことに、アメリカ、日本などの先進国では、飽食に明け暮れている。


悪魔の策略は非常に巧妙である。なぜならば、人間の弱さを熟知しているからだ。まず、悪魔は、「御霊の実」(ガラテヤ5:22)のしんがりに位置している「自制」心を、人間から奪い取ることに懸命である。


多忙な現代人のために考案された、大量生産加工食品やファースト・フード、そして清涼飲料水やスナック類は、自制する力を失った人間にとって、もはや聖霊の宮を汚す産物となってしまっている。


現在、アメリカに於ける成人の7割近くが、過体重もしくは肥満であるそうだ。ジョンズ・ホプキンス大学の研究チームによると、2015年には、成人の7.5割が過体重、4.1割が肥満になると警鐘を鳴らしている。


アメリカ人は日本人と比較して、食に関する知識があまりにも希薄である。即ち「食育」というものに対して無関心なのだ。


神の言葉は、教会へつながり、聖書を通して学ぶことができる。しからば、日々の肉の糧となる「パン」については如何なものか?


アメリカでは、近い将来、死因のトップが「肥満」になるとのデータがある。従って、まずはアメリカの諸教会が、「食育」に真剣に取り組んで、その魁となって、全米に意識改革をもたらしてほしい。





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