風 景 ─ 純銀もざいく ─
山村暮鳥
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしゃべり
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな
ひたすらに「いちめんのなのはな」を連ねながら、状況が更に鮮明に浮かび上がるように、それぞれの連で一行の写実が挿入されている。この技巧は単なる風景の描出ではなく、最後の連で作者の心情を印象付けるための役割を果たしている。
客観的に眺めた、長閑な、一面の菜の花畑が目の前に広がっている。そして空には、病める昼の月がある。この「やめるはひるのつき」であるが、実は隠喩であって、傷心の暮鳥自身のことを示している。
この麗らかな風景と、病み疲れている暮鳥との対比を、「いちめんのなのはな」は小波のように連なって詩全体を表白する。そして暮鳥の病める魂を無窮の春陽の中に閉じ込めてしまったのである。
山村暮鳥は貧しい家庭に育ち、明治三十五年(一九〇二)、十九歳の時に洗礼を受けている。翌年には神学校に入学して、卒業後はカソリックの伝道師となって活躍するが、病身ゆえに、四十一歳の折りに急性腸炎をおこして永眠した。
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