2011年4月14日木曜日

メランコリーによせて




おまえからのがれて


ぼくはぶどう酒と友らのもとへ走った


おまえの暗い目つきがこわかったから


恋の思いにゆすられ楽器の音をきいて


不孝者のぼくはおまえを忘れたのだ


 


けれどもおまえは


だまってぼくのあとについてきて


ぼくがやけに飲みちらす酒のなかにいた


うちつづく愛の夜のむし暑さのなかにもいた


ぼくがおまえにあびせかけた


あざけりのなかにまでいたのだ


 


いま おまえは


さすらいの旅からかえってきた


このぼくのへとへとに疲れたからだを


さわやかにすがすがしくしてくれる


この頭をおまえのひざに抱いてくれる


ぼくのすべての惑いは


おまえにもどるための手だてだったのだ


 


 


メランコリーによせて


ヘルマン・ヘッセ/石丸静雄 訳


 


十四歳の時、神経衰弱に陥り、自殺を図って失敗に終わったヘッセは、マウルブロンの神学校の寄宿舎から脱走して、僅か半年で退学してしまった。


「詩人になるか、さもなければどんなものにもなりたくない」と言う、美しくも至純な観念を抱いて労働者となったヘッセは、その頃から独学で文学の勉強に取り組んだ。


その後、二度の離婚を体験したヘッセであるが、最初の妻の精神病悪化と、二度目の妻からは変人扱いされた為に心労が絶えなかった。幸いにも三度目の結婚によって、ヘッセは安定した家庭を迎えることができた。


詩を鑑賞するにあたって、作者の生涯を十分に咀嚼していると非常に理解しやすい。それだけではない、詩人の生い立ちや性格、或いは病歴に至るまで知り尽くしていると、解読が容易になってくる。


ヘッセの性質は内向的な分裂質の性格が基本となり、壮年期に鬱病から来る不安神経症に陥っている。『メランコリーによせて』は、寛解してから四十代に書かれた詩であると思われる。


翻訳を手掛けた石丸静雄は「ヘッセはその病気に罹って、楽しんでいる。メランコリーのない日は、一日一日があじきなかった」と鑑賞している。


私はヘッセの詩も、石丸の訳と解説も、実に見事だと思っている。ヘッセは自己の二元性の相剋に苦しみながら、精神病院に入院してユングの診断を受けている。だが、善と悪の二つの魂に対する苦悩は、古くから文学者や哲学者の永遠のテーマとして今日まで受け継がれている。


例えば新約聖書の『ローマ人への手紙』に於いて、パウロの二重性の煩悶が描かれているが、ドストエフスキーやゲーテ、夏目漱石らも、自我の二つの魂について苦悶している作品がある。


それでは次に、僭越ながら私が書いた『不安』を主題にした詩の、後半部分を紹介させていただく。


 


不安感がなくなれば


なおさら不安になる


 


俺は死ぬまで不安


死んでからも不安


 


俺は祈りはじめた


パラダイスで


安心して不安にすごしたい


不安に


 


この詩の前半では、一刻も早く不安感から解放されて、自由になりたいと叫んでいるのであるが、やがて不安は掛け替えのない友となり、行く末に不安は、安らぎの礎となってしまう。石丸静雄の解題が、そのままこの『不安』に適応してしまうのである。私はこの手法をヘルマン・ヘッセからではなく、アンリ・ミショーから習得している。


さて、不具で孤独のヘッセではあったが、やがてメランコリーは彼にとって心のよりどころとなり、憂鬱者の内面のゆとりを暗示させていた。


 


 


 


 





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