2011年4月22日金曜日

みどり色の蛇




みどり色の蛇


大手拓次


 


仮面のいただきをこえて


そのうねうねしたからだをのばしてはふ


みどり色のふとい蛇よ、


その腹には春の情感のうろこが


らんらんと金にもえている。


みどり色の蛇よ、


ねんばりしたその執着を路ばたにうえながら、


ひとあし ひとあし


春の肌にはひつていく。


うれひに満ちた春の肌は


あらゆる芬香にゆたゆたと波をうつている。


みどり色の蛇よ、


白い柩のゆめをすてて、


かなしみにあふれた春のまぶたへ


つよい恋をおくれ、


そのみどりのからだがやぶれるまで。


みどり色の蛇よ、


いんいんとなる恋のうづまく瞳は


かぎりなく美の生立(おひたち)をときしめす。


その歯で咬め、


その舌で刺せ、


その光ある尾で打て、


その腹で紅金の焰を焚け、


春のまるまるした肌へ


永遠を産む毒液をそそぎこめ。


みどり色の蛇よ、


そしてお前も


春とともに死の前にひざまづけ。


 


 


大手拓次は、大正期に活躍した詩人であるが、四十六歳(昭和九年)で歿するまで、一冊も詩集を上梓しなかった。


翌年、処女詩集『藍色の墓』を自費出版。編集を逸見 亨が担当。序文に北原白秋。跋文に萩原朔太郎が寄稿した。 


大正期の詩人は、定職には就かないで、自由無頼な起臥(きが)を過ごしていたが、拓次は東京ライオン歯磨本舗の広告部に勤める忠実なサラリーマンであった。


原 子朗は、拓次の口語象徴詩の手法はボードレール『悪の華』へのフランス語による惑溺(わくでき)であった。と述べている。


『みどり色の蛇』を閲読してみると、ボードレールからの影響を色濃く受けていることが理解できる。従って病弱であった拓次は、生と死の交錯する妖しくて幻想的な世界に、自らのイマジネーションを昇華させる以前に、ボードレールの『悪の華』を徹底的に瞠目(どうもく)していたのである。


やがて拓次は今まで培ってきた抒情的妄想を劫火の中へと葬り、フランス象徴詩を道標として開花させた。


その代表作品の一つである『みどり色の蛇』は、真にみごとな詩であると思う。





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