2010年10月27日水曜日

地 獄




子供の頃に和歌山県の小さなお寺で、住職の説法を聴いたことがある。本堂の壁には、地獄の恐ろしい責め苦のようすを描いた『地獄変相』の絵が掲げられてあり、住職はその絵に指を差して、生前に罪を犯した者は地獄行きになると説いていた。


地獄の総称である『奈落』とは、サンスクリット語(梵語)のナラカの音訳であるが、特筆すべきことは、本来、地獄の観念は仏教には存在していなかった。説教を施す上で悪人を改心させるためには、「奈落の底に陥るぞ」といった威迫のある戒めが必要であった。そこで仏教は『地獄』の観念をヒンズー教から採り入れたのである。


ヒンズー教では地獄の入り口に死者の世界があって、閻魔(エンマ)がこの世界を支配している。死者はこの世界で生前の行為を審議されて、諸説によれば何百とある地獄(ナラカ)へ振り分けられる。


俗に言う「地獄極楽はこの世にあり」とは、善悪の行いの裁きは、生きているうちにはっきりとあらわれるという意味である。極楽の楽しみは現在が幸せであること、地獄の苦しみは幸福であったことである。


新井雅之


 


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© 2010 Masayuki Arai


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