2011年6月10日金曜日




あっという間に1日が終わる。1週間が過ぎる。季節が変わる。そして1年が経過している。


年齢をつみ重ねるごとに、時の経つのが速いと感じるのは、人生というものが分かってきたからだと、泰西の或る偉人が語っていた。


分かったという意味は、人生を悟ったということではない。生きていくことに慣れきってしまって、感性がにぶっているだけだ。いや、そのような考え方は適正ではない。今朝、時の流れについて自問自答している自分がいた。


ロサンゼルスの街角で、時計を探すのは容易ではない。レストランへ入っても、ショッピングセンターを歩いていても、時刻を知らせる公共の時計が目に入らない。時折、ビルの塔などに大きな時計が掲げられてあるが、そのほとんどの時計が故障している。たとえ動いていても正確な時刻は期待できない。


超過密ダイヤにもかかわらず、JRの発着時刻は実に正確である。この正確さには、訪日した外国人が舌を巻くらしい。日本の標準時間を刻んでいるのは、セジウム原子時計だ。3000年から30万年の間に、わずか1秒の誤差しか生じない超高性能。1888(明治21)年、世界の標準時間に合わせて、日本標準時が設定された。


元来、人間の本能には、時を予測する能力が備わっている。翌朝6時に起きるつもりで目覚まし時計を合わせて眠ると、目覚ましが鳴る寸前に目を覚ますことがある。摩訶不思議だ。


先日、読書中に、「間もなく正午だな」と感じて書斎の時計に目を向けると、五分前であった。腹時計が時刻を告げてくれたのである。


きょう、6月10日は『時の記念日』。ジャネーの法則によると、50歳の人間の1年は、10歳の少年と比較すると、5分の1の速さに感じると言う。





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