2011年3月26日土曜日

詩の見かた ― 病跡学に即して ―




中村稔は、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』は、「理想主義の敗北が、詩人にもたらした結果である。この作品に彼の敗北感、挫折感を認めることは、『春と修羅』第三集以降の多くの作品を読んできた読者にとって容易なはずである」。と解説している。(『日本の詩歌』中公文庫)


卓越した芸術家の生涯と、創造の全体像を捉えて、内面にまで深く入り込んでいって、心理学的に考察していく学問のことを病跡学(パトグラフィー)という。


病跡学の研究者で、精神科医の福島章さんに補足してもらうと、伝記作者は人間心理の正常な面を洞察して解釈をするが、病跡学では精神の高みから肉体の深み、異常ないし病的な側面も含めて、さらには心理機制から無意識の内部まで考察される。


宮沢賢治の性格と病を、多くの病跡学者は分裂性気質に位置付けている。仔細は賢治の性質を詳しく考証することによって、「熱中性、執着性、凝り性、几帳面、強い責任感、周囲の者に対する細やかな配慮、対人敏感性」を持っていることが分かった。


そこで、病跡学の文献を分析しながら、文学的観点からの考察を交えて、賢治の作品を閲読していくと、中村稔の解釈が誤謬を犯していることに気付かされる。冒頭の些か抽象的な文章に於いて、中村稔は明晰に賢治の敗北と挫折感を認めている。


即ち、文脈に潜んでいる賢治の「狂気」が、中村稔には全く読みきれていないのである。「狂気」が創造に益し、「創造」が賢治に治癒作用を誘発させたのであるが、賢治が手帳に十一月三日と前書きをして記した、言わば走り書きのメモが『雨ニモマケズ』の「詩」となって結実している。また、賢治はこの時点で、少なくとも勝利者となるべくスタート地点に立っていた。


福島章の言葉を借用するならば、「賢治は自分の中にやはり巨大な一匹のデーモンを飼育し続けていくことになる」。この「狂気」こそが、賢治の創作意欲を掻き立てて、世俗的には敗北者ではあったが、創造に寄与した紛れも無い事実を看過してはならない。


次に紹介する詩は、草野心平の『ぐりまの死』


ぐりまは子供に釣られてたたきつけられて死んだ


取りのこされたるりだは


菫の花をとって


ぐりまの口にさした


(後略)


 


「[ぐりま]、[るりだ]というのは、作者が二匹の蛙につけた仮の名前である。もちろん死んだ[ぐりま]の口に、[るりだ]が菫の花をさしてやるなどということはあり得ない。その辺に菫が咲いていたのだろう」(後略)(解説・伊藤新吉)。


稀に見る粗暴で夢のかけらも無い詩の解説である。「あり得ないこと」は、読者に於いては興醒めするほど周知していることである。詩人には、或いは詩の中では「それ」が可能なのである。


また、伊藤新吉は、「その辺に」菫が咲いていたの「だろう」と、菫の存在を蔑ろにしているが、これこそが心平の意図するところの可能性を十分に秘めている。書き手の気持ちと一体にならない詩の解説ほど、無味乾燥なものはない。


サルトルはボードレールの詩的才能が、二十五歳の時に停止したことを指摘した。それ以降のボードレールの試みは同じことの繰り返しであったことを、「ボードレールの失敗」として位置付けた。


病跡学者の見解に於いても精神分析医の立場からでは、意見が分かれてしまう。その中の一人であるラフォルグは『ボードレールの敗北』を上梓している。 


精神科医の梶谷哲男はボードレールの廃頽について、「この世俗的敗北が、創造的に寄与した点を見落としている」と論じているが、宮沢賢治と同様に大いに共鳴するところである。


元来、「天才と狂気」の係わりを追究して行くことが、病跡学の重要なテーマであったが、現代に於いては「創作と狂気」の関係を深く追究することが、パトグラフィーの枢要な目的となっている。


我が国の近代文学に於いて、無頼派の技巧的、耽美的、或いは反俗的な作風を、「悪魔主義」と呼んだが、未だかつて日本の文壇では、狂気を分析する為の病跡学の考証を、文学作品の解読に積極的に役立てようとする評論活動が遅滞しているようだ。


 


新井雅之





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