2010年10月31日日曜日

パンク




サンタモニカ大通りをドライブしている時、突然車が傾いた。直ぐにパンクだと分かった。右の道へ入って、住宅街で車を止めた。タイヤを確認していると、


「大丈夫ですか」と、声をかけられた。こんなところに日本人が、後ろを振り返ると黒人の女性が立っていた。


「私の家は直ぐそこよ、トリプルAが来るまでコーヒーでもいかが」


「それにしても、日本語がお上手ですね」


「私、日本に住んでいました」


パンクが直って別れ際に、女は名刺を差し出した。その名刺には女優とだけ書いてある。僕も名刺を渡した。


時が流れて、女から電話が掛って来た。すしバーで会うことにした。


「私の彼、日本にいるの。今度日本に帰る時があったら、彼に渡してほしい物があるわ」


暫くして女とまた会った。


「彼に渡してほしい物は、人形よ」


目の前にビニール製の人形があった。


僕は週末に日本へ帰る用事があった。


「彼は空港で待っているわ、その場で渡してくれれば結構です」


日本に帰る前日の晩、スーツケースの中から人形を取りだした。ビニール製の人形は、硬いが首の所が取れる。気のせいか人形が重く感じる。人形を振ってみた。中でかすかなに音が聞こえる。首の所から開けてみようかと躊躇したが、思いとどまった。


人形は手荷物にした。空港でチェクインを済ませて、出発ロビーで時間をつぶした。人形の事が気になる。思い切って人形の首の所を開けてみる。


ビニールの袋に入った白い粉が出てきた。まさか、コカイン。指の先へ付けて舐めてみた。


間違いなくコカインである。危うく運び屋にされるところであった。僕はコカインをゴミ箱へ捨てた。


女と眼があった。女は空港に来ていたのだ。女は逃げるようにしてその場から立ち去った。


 





Joy




親は無くとも子は育つとは、よく言ったものである。僕が病気をしてから、ジョイのめんどうを見てやれなくなった。


学校の送り迎えから、宿題、遊び、塾。時には学校の帰り道に、公園に寄って遊んだこともしばしばあった。学校が終わってから、デズニーランドへも何度か行った。


夜になれば、近所の鮨屋に食べに行った。ジョイはその鮨屋のアイドルだった。ある時、ジョイに「おとうさん、病気なってごめんね」って言った。すると、ジョイから「おとうさん、謝らなくてもいいよ。おとうさんは、何にも悪いことしていないのだから」


今日も、ジョイは元気だ。ジョイの元気な姿を見ていると、何だか元気が湧いてくる。学校への送りは、近所の牧師がやってくれる。迎は家庭教師がしてくださる。


全てを主に委ねて、何にも心配することはない。





2010年10月30日土曜日

お願いがあります




全世界のクリスチァンの方々に、お願いがあります。


私のために、執り成しの祈りを行ってくだい。


私は右半身不随と言語障害と末期癌です。


イエス様お癒しください。





Joy 2




家庭教師を付けたお陰で、ジョイの成績はクラスで一番だ。来年の春ごろまでには、ピアノのレッスンを再開させるつもりでいる。


土曜日の日本語学校へも通っていますが、今、ジョイは、空手を習い始めました。ジョイの才能は水泳にあると、僕は見ました。家人も同調しました。近い将来、スイミング・スクールに通わしたいと思っている。


教会でも、学校でも、ジョイの評判は高い。礼儀正しい、優しい、聖書を暗唱している。この文章を書いてみて、親ばかチャンリンだと思いました。


ジョイを見ていると、闘病生活を忘れてしまいそうだ。





心




小川の川辺に白い花が咲いている


その傍らに 白い心のあなたが座っている


何と美しい姿なのだろう


僕が近づくと すべてが仄暗くなる


僕の心の中に 突然垂れ込める否定的な思い


どうして ぼくはパウロのように


弱い時にこそ強くなれないのでしょうか


主よ


主よ どうか僕の灰色の心を


純白の渚で満たしてください


 


2001-7-29        新井雅之





秋の夢




今日は通院の日。それにしても美味い物が食べたいなー。一日中美味い物を食べる事を考えている。病人の風上にも置けない。


食べづらいと、日々ぼやいているのに、まさかこのような状況になるとは、夢にも思わなかった。病院の帰りに何ぞ美味い物でも、食べに行くか。


闘病生活をしていると、美味い物が食べたくなる。ここで一句


「闘病にご馳走並ぶ秋の夢」





ポエトリー




十三年前の春に、初めてパリヘ赴いた。


朝から夜遅くまで仕事に拘束された出張であったが、一日だけの非番を利用して、私はモンパルナス墓地に埋葬されているボードレールの墓に、真っ先に詣でたのである。


昼前になって小雨が降りだしたが、知己がホテルまで車で迎えに来てくれたので、ミラボー橋まで案内してもらった。かねてからパリヘ行くことがあった ら、この橋の上に立って、ギィヨーム・アポリネールの詩『ミラボー橋』を音読しようと決めていたのだ。生憎パリの空は灰色の影を落としていたが、念願が 叶った私はパーッと欣快になった。


以来、私は度々パリの街を訪れるようになった。ボードレールが『悪の花』を執筆したセーヌ河畔のホテルで、『現代フランス詩論』を読み、モンマルト ルの丘のホテルでは、トリスタン・ツァラの詩集を読みあさり、モンパルナスのカフェではジャン・コクトーの詩についてペンを走らせた。


ビクトル・ユーゴやマラメル、ヴァレリーにランボー、そしてアンリ・ミショーらの詩人の偉業が、今でもパリの街中に色濃く漂っている。これほど詩人の匂いに満ちていている繁華な街路は、世界中どこを歩いても辿り着かないだろう。


さて、詩は英語でポエム(poem)とポエトリー(poetry)に分かれる。前者は個々の詩作品である概念(固体概念・単独概念)を指し、後者は詩の本質である概念の内包である。


日本語には「詩」という単一的な言葉しかない。従ってポエムとポエトリーを同義的に捉えてしまう傾向がある。ポエムは「詩」と訳していただいて差し 支えはないが、明治の初めに外山正一らの提言で始まった『新体詩』を、ポエトリーと正式に訳すことによって、自由詩の抽象性を定義付けすることは出来な かったのだろうか、と考える。


明治十五年に出版された『新体詩抄』の序文には、以下のように謳われている。「この書に載する所は詩にあらず、歌にあらず、しかも之を詩というは泰西のポエトリーという語、即ち歌と詩を総称する名にあるのみ。古よりのいわゆる詩にあらざるなり」


私はポエム「詩」に対して、ポエトリーを「新体詩」あるいは「自由詩」と解するように心掛けている。


新井雅之



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© 2010 Masayuki Arai


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