僕が日本にいた頃、収集癖があった。電車の切符、駅弁の包装紙と容器、時刻表、古銭、メダル、骨董品、ぐい呑み、書籍、パイプ、喫茶店のマッチ、鉄道グッズ、Gパン、レコード。
そのなかで、最も多く収集したのが書籍であった。往時の僕の部屋は二階にあった。あんまり本が大量にあるので、床が抜けると父から苦情がでた。
一階の部屋を書庫として使わせてもらったので、一件落着。殆どの本が文学に関する書籍である。その数8000冊。専門書であるから分厚くて重い。
食事の際と、歩く時以外は本を読み続けた。食事の時も本を読む者がいるが、僕は食事を楽しみたいから、本を読むことを中断する。
僕の特技は速読術、雑誌、新聞も含めて月に400冊あまりの本を読む。今、最盛期の本を読むスピードと比較して、20分の1にスピードが落ちた。
往時は古本屋と、図書館に入り浸りの日々が続いた。僕の当時の職業は、文芸雑誌の編集者。ジャズを聴きながら、酒をあおり執筆したものだ。
古き良き時代であった。
2011年6月22日水曜日
酒と執筆と読書の日々
2011年6月20日月曜日
Pizza
場所は、ロサンジェルスのベバリー・ブルバード。ピザの美味しいレストラン『Terroni』(テローニ)。
僕は、かつてピザは食べなかった。江美子とジョイが好きなものだから、ピザ・ハットによく通った。
どこかに美味しいピザは、ないものだろうかと僕は探し始めた。ピザ好きの朋友が教えてくれたのがテローニ。
土曜日の午後テローニへ、家族3人で赴きました。
テローニのバーテンダーが口走った。ピザ・ハット、ドミノ・ピザはアメリカンスタイル。ここテローニは本場(イタリア)の味。薄生地のクリスピーピザが美味しい。
写真は生ハムとモッツァレアチーズのピザ。Santo Stefano Pizza 15.95ドル。
Terroni
7605 Beverly Blvd. Los Angeles, CA 90036
tel. 323-954-0300
2011年6月19日日曜日
2011年6月18日土曜日
コーヒー
アメリカでは訪問客に飲み物をサーブする前に、コーヒーにするか、それともソフトドリンクか、相手の嗜好を確かめてくれるので有り難い。
日本では、相手の好みなどお構いなしに、コーヒーや日本茶が運ばれてくる。僕はコーヒーが飲めないので、コーヒーを勧められると苦痛である。いつまでも飲まないでいると、「冷めないうちにどうぞ」、「さあ、ご遠慮なさらないで」、会話の合間にコーヒーを勧められる。
以前、相手に悪いと思って、おもいきってコーヒーを流し込んだことがある。すると、てきめんに気分が悪くなって嘔吐してしまった。
コーヒーアレルギーの僕でも、美味しくいただけるコーヒーがビバーリーヒルズにあった。それは、かつてロデオドライブで一世を風靡したフレッド・ヘイマンというブティック内で、顧客を待遇する為にサーブされていたオレンジ・カプチーノである。その風味ときたら、目から鱗が落ちる味わいであった。
コーヒーは酒や煙草と同様に、健康を害う嗜好品であるとみなされているが、コーヒーを多く飲むフィンランド、スウェーデン、ノルウェー、スイスなどの長寿国では、日本と殆んど同じ濃さのコーヒーを、一日に一人当たり三杯飲んでいる計算になる。これは日本人の約3倍にあたる量である。
巷では、様々な生活習慣病にコーヒーが良いとされる研究報告が次々に発表されている。糖尿病、胆石、高血圧、動脈硬化、さらには癌予防にも、コーヒーの効能があるらしい。
晩酌を欠かさない高血圧症の男性28人を対象に、毎日コーヒーを3杯以上飲んでもらった結果、4週間後には上の血圧が10から15下がり、コーヒーを飲むのをやめると、血圧は徐々に元の数値に戻ったというデータもある。
コーヒーがそんなに身体に良いのであれば、きっとダイエットにも効果があるのではないかと思い調べてみると、コーヒーに含まれているカフェインには、脂肪抑制効果があることを世界中の研究者がこぞって証明していた。
それでは、まず、味の薄いコーヒーから飲み始めてみることにするか。いつか、憧れのブルーマウンテンも飲んでみたい。
野ばら
野ばら
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ/小塩 節 訳
野辺に咲く
あかいばら
朝日のような美しさ
少年は見るなり駈けよって
うっとり眺めておりました
あかい野ばら
野辺に咲くばら
「さあ 折るよ
あかい野ばら」
「刺してあげるわ
わたしのことを忘れぬように
ただ折られたりはしませんわ」
あかい野ばら
野辺に咲くばら
でも少年は むごくも折ってしまった
あかい野ばらを
ばらはふせいで 刺したけれども
嘆きも叫びもむだでした
やっぱり折られてしまった
あかい野ばら
野辺に咲く ああ あかいばら
世界中の人々に愛されて、親しまれてきた『野ばら』は、わが国では近藤朔風の訳詞(♪ 童は見たり 野中のばら・・・ )とシューベルトの作曲で有名である。
二十一歳のゲーテ(少年)は、牧師の娘フリーデリーケ(野ばら)に一目惚れする。貴族の出身で金持の少年は、自分が欲しいものは何でも手に入れなければ気がすまなかった。泣き叫び抵抗する純真無垢な乙女は、少年の一方的な熱情に翻弄されながら、とうとう少年の愛を受け入れてしまったのである。
後にゲーテは、フリーデリーケとの出会いの印象を、自伝『詩と真実』の中で、「片田舎の天空に、たまらなく愛らしい星が立ち昇った」と、述懐している。
詩の鑑賞はこれで終わりであるが、当然、往時の二人の関係には続きがあった。片田舎で会っていた時分のフリーデリーケは、この上なく清純で愛らしかった。けれども、都会の社交界においては、フリーデリーケの姿が、ゲーテの目には不粋に映っていた。
恋多き詩人は、非情にもフリーデリーケを捨ててしまった。心に深く傷を負ったフリーデリーケは、リボン作りで生計を立てながら生涯を独身で貫いた。
しばらくしてゲーテは、今度は婚約者のいるシャルロッテ・ブッフを熱愛し始めた。この片恋の顛末を描いた『若きウェルテルの悩み』は、世界中で大反響を巻き起すことになる。また、晩年のゲーテは、七十代半ばになって十七歳の少女に求婚している。
ゲーテは幾多の恋に明け暮れながらも、生涯にわたってフリーデリーケとの経緯について、良心の呵責を抱いていた。その懺悔の念は『ファウスト』を始め、主要作品の貴重なモティーフとなって表現されている。
2011年6月17日金曜日
タワー・オブ・パワー
高校生の時分、僕はブラス・ロックにのめり込んでいた。最もはまったのはシカゴ。実力ではBSTとタワー・オブ・パワーの方が上だが、一番人気があったのは、日本でもアメリカでもシカゴ。
アメリカに移住してからも、シカゴのヒット曲が絶えなかった。シカゴの曲をシィーナ(新ラッパを吹くひつじ、セーブ・マネー参照)と一緒に口ずさんだ。
アダルト・スクールの先生ジェーンとは、タワー・オブ・パワーの曲を一緒に聴きながら、ダンスを踊った。
或る夏の日こと、サンタモニカでジェーンと邂逅(かいこう)した。ジェーンの方から呼びかけてきたのだ。僕はその時、正しくジェーンのことを考えていたから、僕はこの偶然に仰天してしまった。
しばらくジェーンと一緒に過ごした。サンタモニカ・ピアーの前のマクドナルドで、一緒にビック・マックを食べた時、ジェーンのウオークマンから、タワー・オブ・パワーの曲が♪~♪♪はじき出ていた。
2011年6月16日木曜日
病気前
僕は病気になる以前は、育メンだった。江美子が夜の仕事なので、ジョイの世話をしなければならかった。
ジョイの首が据わった頃に、机の脇のブランコに乗せて、PCの前に座り連日執筆をしたものである。
ジョイは大人しくしていてくれるので、仕事がはかどった。往時は1ヶ月に15本の連載を抱えていたので、締め切りに追われる日々が続いた。
それにしても、便利な世の中になったものである。日本でもニューヨークでも、Eメールで原稿が送れる。毎日新聞に連載していた『ジョイの子育て奮闘記』は、好評を博した。
エッセイ、詩、コラム、文芸評論、児童文学まで執筆をした。また、詩の投稿欄、文芸賞の選考委員まで担当していた。助勢となったのはサプリメント。3日間、連続で徹夜しても平気だった。
時には締め切りぎりぎりまで、筆が進まないこともある。自分を追い詰めることによって、一瞬にして書けるこがある。
最近、昔の文学仲間と連絡を取り合っている。そろそろ文芸誌に、執筆しようかなと思っている。