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2011年8月21日日曜日

暴 力




星野監督が中日ドラゴンズの監督をしていた時分に、審判の判定に対して猛烈に抗議したことがあった。結局、聞き入れてもらえなかったために、星野監督は激怒のあまり審判に暴行を働いた。


その審判は肋骨を骨折して入院する羽目となったが、ことの一部始終を見ていた観戦者の二人が、提訴したことから問題は更に大きくなった。 


当時の星野監督は「自分は今までに人に頭を下げたことのない男だ」と、強気の発言を呈していたが、紛争に至らないように球団が早急に根回しを計ったために、暴行事件はいつの間にか闇の中へ葬られてしまった。


多分、球団側は、内密に多額の示談金を審判に払ったものと思われる。


もし、同じようなことが大リーグで起こったならば、その監督は球界から永久追放されるだろう。裁判に至っては、禁固刑の評決が下される可能性が十分にある。そもそも審判に向かって手をあげるだけでも大騒ぎとなる大リーグで、肋骨を骨折させるなどとは尋常ではない。


野茂やイチローそして松井の活躍は、日本の野球がメジャーでも十分通用することを証明してくれた。だが、暴力に対してあまりにも寛容すぎる日本球界の体質は、世界の目には野蛮な行為を黙認する組織であると映るであろう。


選手同士の殴り合いはメジャーでも見られるが、情けないことに日本のプロ野球界では、相手が体の大きい腕っ節の強そうな外人選手であれば、日本人選手の大半は逃げ出してしまう。


自分よりも弱い者には暴力を振るい、強い者からは逃げ出してしまう。これでは野球を観戦している青少年に、健全なイメージが伝わらない。


スポーツマンは紳士であれ!





テナーサックス




スタン・ゲッツのテナーサックスを聴きながら、この稿を書いている。スタン・ゲッツのプレイは、調子が悪い時に吹けばハチャメチャだけど、調子が良好の時に吹くサックスが、天才的な才能を発揮する。


スタン・ゲッツと言えば、アストラット・ジルベルトと組んでの、ボサノバが有名だ。スタン・ゲッツのテナーサックスは、いつ聴いてもメローなサウンドである。果物に例えると食べごろだ。


ジョー・ヘンダーソン(日本ではジョーヘンの愛称で親しまれている)とスタン・ゲッツは気がよく合った。ともにテナーサックスを吹く二人は、とても気難しい。


教えてくれたのは、ジョー・ヘンダーソンのガールフレンド、マリコさん。僕が若い頃によく聴いていたテナー・マンは、この二人以外にレスター・ヤング、ズート・シムス、ハンク・モブレー、セルダン・パウエル、ジョニー・グリフィンetc。


僕もテナーサックスを吹く。酔いしれてないと名演は期待できない。





キャロル・キング




高校一年の秋、ある日、クラスメイトが囁いた。


「サイモンとガーファンクルの、『明日に架ける橋』を聴いていたら、自然と涙がこぼれた」


僕は心の中で思った。「キャロル・キングの『君の友達』方が、哀調を帯びて、慰めと共に不思議な元気を貰える」


あれから40年弱、僕はいまだにキャロル・キングの『You’ve Got a Friend』を聴く。最近よく聴くのは、キャロル・キングと三人の友達で歌うライブ。


サイモンとガーファンクルも良いが、キャロル・キングの方が、もっといい。僕はその様に思う。





キング・オブ・ベスト




僕の人生は失敗の連続であった。原因は分かっている。油断、怠慢、努力せず。


50十代半ばでストロークになって、おまけに末期癌。闘病生活が続く毎日だ。一日中家にいるので、時間がたっぷりある。僕は考える。あの失敗がなかたら、更に大きな失敗をしていただろう。


僕が成功していたら、謙遜を装い、傲慢な人間になっていただろう。失敗もベスト、病気もベスト、落選もベスト。


 アメリカへ渡って、イエス様と巡り会えたのだから、これはキング・オブ・ベスト。イエス様にベストの道を導いただく。これほどベストな物はない。


御心のままに導いてください。イエス様。


 


「試練なり病気失敗主の恵み」





ラスベガス




ラスベガスに行くと、僕はアラジンのバフェイをよく利用する。ベラージオ、パリ、リオ、バリーズ等、バフェイの有名な所はみな制覇した。でも、値段が高いから美味しくて当たり前。


アラジンのバフェイはベラージオの半額、味も劣らない。違うのは種類の多さだけ。アラジンのバフェイでは、僕はサラダ1回、スモークサーモン2回、プライムリブ3回を取りに行く。健康な時分には、僕は大食漢なのである。


常宿はサーカスサーカス。安い、綺麗、子供づれには最適、遊園地付き。家人はラスベガスへは、車で行きたくないという。僕が病気になってから、家人が一人で運転しなければならないからだ。


ラスベガスには30年間の間に、40回ほど行っているだろか。プライベートで行ったのは数回。後は、日本からのお客さんの案内係である。


ラスベガスへ行っても、僕は、ギャンブルは一切やらない。ショーも見飽きた。プールで泳いで、バフェイで食べるだけ。


健康な折には、ラスベガスに到着すると、真っ先にホテルのバーへ直行した。ロングドライブを癒すボッカマティニーをあおった。


 ラスベガスのダウンタウンのホテルには、バフェイが無かったように思う。その代わり格安の定食が食べられる。先ず、アペタイザーにベイシュリンプ。メインはロブスターとステーキ。


今度、ラスベガスに行けるのは、何時の事やら。ラスベガス教会にも一度お礼に伺いたい。力強く歩けたら、すらすらと喋ることが出来たら、僕は一人でラスベガスに行きたい。


最後に、一句「ラスベガスネバダの大地そぞろ寒」


新井雅之


 


 





2011年6月18日土曜日

コーヒー




アメリカでは訪問客に飲み物をサーブする前に、コーヒーにするか、それともソフトドリンクか、相手の嗜好を確かめてくれるので有り難い。


日本では、相手の好みなどお構いなしに、コーヒーや日本茶が運ばれてくる。僕はコーヒーが飲めないので、コーヒーを勧められると苦痛である。いつまでも飲まないでいると、「冷めないうちにどうぞ」、「さあ、ご遠慮なさらないで」、会話の合間にコーヒーを勧められる。 


以前、相手に悪いと思って、おもいきってコーヒーを流し込んだことがある。すると、てきめんに気分が悪くなって嘔吐してしまった。


コーヒーアレルギーの僕でも、美味しくいただけるコーヒーがビバーリーヒルズにあった。それは、かつてロデオドライブで一世を風靡したフレッド・ヘイマンというブティック内で、顧客を待遇する為にサーブされていたオレンジ・カプチーノである。その風味ときたら、目から鱗が落ちる味わいであった。


コーヒーは酒や煙草と同様に、健康を害う嗜好品であるとみなされているが、コーヒーを多く飲むフィンランド、スウェーデン、ノルウェー、スイスなどの長寿国では、日本と殆んど同じ濃さのコーヒーを、一日に一人当たり三杯飲んでいる計算になる。これは日本人の約3倍にあたる量である。


巷では、様々な生活習慣病にコーヒーが良いとされる研究報告が次々に発表されている。糖尿病、胆石、高血圧、動脈硬化、さらには癌予防にも、コーヒーの効能があるらしい。


晩酌を欠かさない高血圧症の男性28人を対象に、毎日コーヒーを3杯以上飲んでもらった結果、4週間後には上の血圧が10から15下がり、コーヒーを飲むのをやめると、血圧は徐々に元の数値に戻ったというデータもある。


コーヒーがそんなに身体に良いのであれば、きっとダイエットにも効果があるのではないかと思い調べてみると、コーヒーに含まれているカフェインには、脂肪抑制効果があることを世界中の研究者がこぞって証明していた。


それでは、まず、味の薄いコーヒーから飲み始めてみることにするか。いつか、憧れのブルーマウンテンも飲んでみたい。





2011年6月17日金曜日

タワー・オブ・パワー




高校生の時分、僕はブラス・ロックにのめり込んでいた。最もはまったのはシカゴ。実力ではBSTとタワー・オブ・パワーの方が上だが、一番人気があったのは、日本でもアメリカでもシカゴ。


アメリカに移住してからも、シカゴのヒット曲が絶えなかった。シカゴの曲をシィーナ(新ラッパを吹くひつじ、セーブ・マネー参照)と一緒に口ずさんだ。


アダルト・スクールの先生ジェーンとは、タワー・オブ・パワーの曲を一緒に聴きながら、ダンスを踊った。


或る夏の日こと、サンタモニカでジェーンと邂逅(かいこう)した。ジェーンの方から呼びかけてきたのだ。僕はその時、正しくジェーンのことを考えていたから、僕はこの偶然に仰天してしまった。


しばらくジェーンと一緒に過ごした。サンタモニカ・ピアーの前のマクドナルドで、一緒にビック・マックを食べた時、ジェーンのウオークマンから、タワー・オブ・パワーの曲が♪~♪♪はじき出ていた。


 






2011年6月16日木曜日

病気前




僕は病気になる以前は、育メンだった。江美子が夜の仕事なので、ジョイの世話をしなければならかった。


ジョイの首が据わった頃に、机の脇のブランコに乗せて、PCの前に座り連日執筆をしたものである。


ジョイは大人しくしていてくれるので、仕事がはかどった。往時は1ヶ月に15本の連載を抱えていたので、締め切りに追われる日々が続いた。 


それにしても、便利な世の中になったものである。日本でもニューヨークでも、Eメールで原稿が送れる。毎日新聞に連載していた『ジョイの子育て奮闘記』は、好評を博した。


エッセイ、詩、コラム、文芸評論、児童文学まで執筆をした。また、詩の投稿欄、文芸賞の選考委員まで担当していた。助勢となったのはサプリメント。3日間、連続で徹夜しても平気だった。


時には締め切りぎりぎりまで、筆が進まないこともある。自分を追い詰めることによって、一瞬にして書けるこがある。


最近、昔の文学仲間と連絡を取り合っている。そろそろ文芸誌に、執筆しようかなと思っている。





2011年6月11日土曜日




♪ 雨、雨、降れ、降れ、母さんが、蛇の目でお迎えうれしいな……


「蛇の目って何? 」


一緒に歌った後で、ジョイから問われた。無理もない。僕が子供の時分でさえ、蛇の目は一般的ではなかった。それでも、地方へ赴くと番傘を見掛けることがあった


きょう、6月11日は入梅。当地、南カリフォルニアでは、10月の末頃まで雨は一滴も降らない。日本列島はこれから約1ヶ月間、黒南風(くろはえ)の雨期を迎える。


山陰地方など、年間を通して降雨量の多い地域では、「弁当忘れても、傘忘れるな」と言われる程、雨傘は日常生活に欠かせない。


英国紳士のシンボルは雨傘であるが、カリフォルニアの人々は雨傘には無頓着である。多少の雨が降っても、めったに傘をさして歩いたりはしない。


雨の多い国で育った日本人は、雨が降ってくると条件反射的に、雨に濡れないようにしようとする。井上陽水さんの『傘がない』という曲の歌詞を読むと、急いで知人に会いに行かなければならないというのに、「♪ 問題は今日の雨、傘がない…… 」。よっぽど雨に濡れるのが難儀だと見える。


ジーン・ケリーは傘を投げ出して、土砂降りの雨の中で愉快に歌って踊った。ハリウッド映画『雨に唄えば』は、憂鬱な雨を愉しく表現させる為の手段として用いた。


傘のルーツをひもといてみると、雨傘よりも、日傘の方が最初に考案されていた。古代オリエントが発祥の地で、ローマ時代になってから雨傘が普及した。その後、18世紀の中ごろになると、鋼鉄製のこうもり傘の原型が出来上がった。


ロサンゼルスで生活を続けていると、多少の雨如きでは、傘の世話にはならなくなった。雨期になると、月形半平太張りに「濡れて参ろう」ということになる。しかしながら、傘の必要性を感じる場合も稀にある。


思い立ったが吉日。きょうから、自動車のトランクに折りたたみの傘を忍ばせておこう。本日(6月11日)は『傘の日』なり。


 





2011年6月10日金曜日




あっという間に1日が終わる。1週間が過ぎる。季節が変わる。そして1年が経過している。


年齢をつみ重ねるごとに、時の経つのが速いと感じるのは、人生というものが分かってきたからだと、泰西の或る偉人が語っていた。


分かったという意味は、人生を悟ったということではない。生きていくことに慣れきってしまって、感性がにぶっているだけだ。いや、そのような考え方は適正ではない。今朝、時の流れについて自問自答している自分がいた。


ロサンゼルスの街角で、時計を探すのは容易ではない。レストランへ入っても、ショッピングセンターを歩いていても、時刻を知らせる公共の時計が目に入らない。時折、ビルの塔などに大きな時計が掲げられてあるが、そのほとんどの時計が故障している。たとえ動いていても正確な時刻は期待できない。


超過密ダイヤにもかかわらず、JRの発着時刻は実に正確である。この正確さには、訪日した外国人が舌を巻くらしい。日本の標準時間を刻んでいるのは、セジウム原子時計だ。3000年から30万年の間に、わずか1秒の誤差しか生じない超高性能。1888(明治21)年、世界の標準時間に合わせて、日本標準時が設定された。


元来、人間の本能には、時を予測する能力が備わっている。翌朝6時に起きるつもりで目覚まし時計を合わせて眠ると、目覚ましが鳴る寸前に目を覚ますことがある。摩訶不思議だ。


先日、読書中に、「間もなく正午だな」と感じて書斎の時計に目を向けると、五分前であった。腹時計が時刻を告げてくれたのである。


きょう、6月10日は『時の記念日』。ジャネーの法則によると、50歳の人間の1年は、10歳の少年と比較すると、5分の1の速さに感じると言う。





2011年6月4日土曜日

チェリーの味




僕が14歳の頃、大阪警察病院の神経科に入院していた時のこと。同じく患者で3歳年上の女性と、意気投合して行動を共にした。


夜、病院の屋上へ二人で足を運んだ翌朝、婦長さんに注意を促された。夜、男女が二人だけで屋上に赴くと、何か如何わしいことでもやっているのではないかと誤解されかねない。


14歳の僕は、大人って厭らしいことを考えるものだと憤慨した。二人は外出も自由にできる。病院の向かいにある喫茶店にも時々出向いた。看護婦さんに、二人が行動を共にしていないか悟られない様に、どちらかが時間をずらせて病棟に戻る。


ある晩、二人で屋上へと向かった。夜景を眺めているうちに、どちらからともなく寄り添った。彼女の愁いを含んだ瞳が僕を見つめている。彼女の瘦躯が僕の胸に収まった時、彼女は優しく瞼を閉じた。ああ、長いまつ毛が麗しい。


ファースト・キスは、レモンの味がすると聞いていたけれど、僕は甘くて酸っぱい、チェリーの味がした。





2011年6月3日金曜日

道楽




アメリカのフランス料理レストランは、僕の舌を満足させてくれない。趣向を凝らした盛り付けだけが豪奢(ごうしゃ)である。味の方は少しばかり不味だ。


日本ではフランス料理の超高級店に行けば、それなりに美味しい。だが、目の玉が飛び出るほど高い。


フランス料理は本場に限る。名の通った三ツ星レストランではなくとも、ブラッスリーでも僕の舌を満足させてくれる。


かつて僕がフランスへ頻繁に行っていた頃、モンパルナス駅の近くに男性が二人きりで、切り盛りしている食堂を見つけた。路地を入ったところで分かりにくい。そんな場末の食堂でさえ、舌鼓を連打した。


安価で美味いから、僕がパリ滞在中は、食堂『マリア』を贔屓(ひいき)にした。パリは至る所に、安価で美味しい食堂がある。


パリには美味しい惣菜店も充実している。帆立て貝のテリーヌとフォアグラのテリーヌを買って、パンとチーズとワインがあれば、安ホテルでディナーを楽しむことができる。


また、パリの総菜店のスモークサーモンは、度肝を抜かれるほど最高に美味しい。毎回LAに持ち帰ることにしている。


僕がフランスに出向くのは、敬愛するシャルル・ボードレール先生の研究が目的。ホテル・ソルボヌに投宿して、ソルボヌ大学の図書館に通う。モンパルナス墓地には、幾度も通った。ボードレール先生の墓の前で、何枚も写真を撮った。ボードレーヌの研究をしても、お金にはならない。早い話が道楽である。


僕が日本にいた頃は、文学極道であった。極道から道楽へ出世をしたものだ。同じようなものか?





2011年6月1日水曜日

『花亀』




90年代初頭、リトル東京のホンダ・プラザに、天ぷら屋『花亀』があった。主人の職人は無口で計算高くない、商売が不得手な人物であった。女将さんは奇人である。


そんな二人が、店を切り盛りしているのだから、ご多分にもれず不協和音が轟く。店には何時も5歳の娘がいて、客から客へと戯れる。客は笑顔で対応するも、本心は迷惑だ。メニューには娘の写真が貼り付けてある。


天ぷらの味は、日本の天ぷら屋以上に美味しい。聞くところによると、東京の有名天ぷら店、一見さんお断りの店で修業したとか。


天ぷら油は、サラダ・オイルにゴマ油を少し入れて使う。関西では綿実油だけで揚げる。その方が美味しいと大将に告げると、2週間ぐらい経ってから、日本から綿実油を取り寄せたと、『花亀』の大将は僕に報告をした。


刺身定食もある。これがまた鮨屋の刺身よりも美味い。リーズナブルで佳味とくれば、繁昌しても、よさそうなものだが、店の雰囲気が悪くて何時行っても閑古鳥。


最後の常連は僕一人になった。2年余りで店をたたんだが、負債を抱えるも家族3人で、2週間イギリスで夢のバカンス。


それにしても、『花亀』の天ぷらは、超美味かった。今でも江美子と語り草になっている。





2011年5月30日月曜日




フランスへ江美子と一緒に旅行に行った際に、パリ在住の畏友に、お薦めの観光地を訊ねた。即座に友は、モンサンミッシェルと答えた。


海に忽然と姿を現わす小さな島に、高くそびえたつ教会は、下から見上げるとあまりにも巨大で感奮すると言われて、レンヌを目指してTGVに乗った。レヌンから更にバスで1時間半、いよいよ世界遺産のモンサンミッシェルだ。


僕はツアーの仕事を長きにわたりやって来た。グランドキャニオンも幾度か赴いた。で、モンサンミッシェルを見る前に、グランドキャニオンことを想像していたら、モンサンミッシェルを見た途端に、拍子抜けしてしまった。拍子抜けしてしまったのは、僕が想像を膨らましすぎたからだ。 


確かに、モンサンミッシェルは素晴らしい。僕たちは隣の村、ポントルソンのホテルで投宿することにした。早速、田舎のお惣菜屋さんを訪ねてみた。老婆が容器持参で買い物に来ている。ニシンのオイル漬けを買っていた。容器持参だなんて、日本の田舎とどこか似通っている。


明日は移動日、モンパルナスへ帰って再びTGVに乗る。目指すは食通の街リヨン、お目当ては言わずと知れた三ツ星レストラン、ポール・ボキューズ。


初日の夜は、場末のブラッスリーで舌鼓。二日目のディナーは、ダーク・スーツに着替えて、ポール・ボキューズに、いざ出陣。





2011年5月29日日曜日

ホテル・カリフォルニア




27、8年前に、ダウンタウンの西外れ、6thストリートに、カリフォルニア・ホテルがあった。


僕は自動車で、ホテルの前を通るたびに気になっていた。これがイーグルスのホテル・カリフォルニアか? 小さくてみすぼらしい。


サンセット・ストリップのタワーレコードに立ち寄って、イーグルスのホテル・カリフォルニアのレコード・ジャケットを確認した。見た事のない建物が、ジャケットの写真として使われていた。


5、6年の後、僕はツアーの仕事を始めた。観光客を連れて、毎日ビバリーヒルズへ赴いた。或る時、僕は気がついた。レコードのジャケットは、目の前にあるビバリーヒルズ・ホテルだ。


それ以来、観光客に「ビバリーヒルズ・ホテルは、イーグルスのホテル・カリフォルニアのレコード・ジャケットに使われております」と説明をした。


 





2011年5月28日土曜日

テレビ・ジャパン




『NHK俳句』と『俳句王国』をテレビ・ジャパンで毎回観ている。勉強になること数多だ。番組は午前3時半に始まる。不便極まりない時間帯。昼ぐらいに再放送をやってくれることを望む。


今、この記事を書いていて気付いた。タイマーをしかけて録画という方法もある。なぜ気付かなかったのだろう。


『サラリーマンNEO』は全く面白くない。観ていて腹が立つ。昔の『ゲバゲバ90分』の方が、はるかに面白い。


好きな番組は『金曜バライティー』、『生活笑百科』、『美の壺』、『ためしてガッテン』、『世界ふれあい街歩き』、『アンパンマン』。





2011年5月26日木曜日

お茶の話




♪ 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る・・・


 茶摘みの時節は産地によって異なるが、東海地方では八十八夜前後の、四月下旬から五月下旬にかけて行われる。


「一番茶 摘みて畑小屋 水もなし」(石川桂郎)。四月下旬に芽摘みしたものを一番茶と呼ぶが、その味わいは格別で最上だ。


日本からの来客が次から次へと訪れると、わが家の台所の棚は、たちまち各地の日本茶で溢れてしまう。その代わりと言っては何であるが、賓客を主要観光地へ案内するのは慣れたもので、お茶の子さいさいである。


「お茶の子」とは、茶菓子の意であるらしい。お茶を飲みながらであれば、菓子類がいくらでも腹に入ることから、何の苦もなく簡単にやってのける様子を表している。


その後に、俗謡の「のんこさいさい」という囃子詞を結びつけて、テンポのある語調が広まった。


チャイナタウンにある行きつけのレストランで食事をする際に、必ず注文するのがプーアールに菊の花をブレンドしたコッポウ茶。夜は仕上げに、特製のザーサイでお茶漬けをするのが習慣になっている。


ひところ味わったお茶漬けで、忘れられないものが幾つかある。温かいご飯の上に、トンカツを載せたカツ茶漬け、岩屋(淡路島)で食べた鯛茶漬け、うなぎの蒲焼をのせたウナ茶、極め付きはクサヤのお茶漬け。


「駿河路や はなたちばなも 茶のにをひ」(松尾芭蕉)


五月には、初摘み新茶が市場に並ぶ。新芽がふくらみはじめ、これから一気に成長しようとする短期間に、黒いネットをかぶせて育てたお茶を、かぶせ茶という。二次加工を一切施さない「あら茶」のままの「かぶせ煎茶」の滋味は、「これぞ、究極の、至福の一服!」、唸ること受け合いである。(詳細:www.obubu.com





2011年5月23日月曜日

従妹の家で




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江美子の従妹のハズバンドは、スペイン系アメリカ人。料理が得意、食通でもある。従妹の家に行くと、美味しいワインとご馳走で持て成してくれる。食後にはシガーもでる。


トニーと僕とは気心が知れ合う仲だ。ベルギーに旅行に行った折に、江美子と一緒にレストランでパエリアを食べた。そのことをトニーに告げると、「ベルギーでパエリア?」怪訝な顔をされた。


美味しかったとトニーに報告をしたら、「本場(スペイン)のパエリアはもっと美味しいよ」と返事が返って来た。なるほど、外人が韓国に赴いて、鮨が美味かったよと、言うようなものか。


フランス在住のJTBに勤める知人が推奨してくれた。パリから夜行バスに乗り、スペインに行くと美味しい蛸(タコ)が食べられるという。早速、行動を開始した。


蛸も美味だが、鰯(イワシ)の塩焼きがこれまた美味い。お隣のポルトガルも鰯の塩焼きが名物だ。日本では名物とはいかないにしても、昔ながらの素朴な料理。


写真は鰯の塩焼き、フレンチ・フライが添えてあるからには、ファースト・フード。野菜もサイドに付いている。鰯にレモンを絞ってから食べると美味しい。


トニーの希望で、僕は京都たるげんの桶に入れた湯豆腐を持参した。ダシは特製、たるげんの桶は炭火で温めるように施されている。


この日は(5年前)、シガーとコニヤックで締めくくった。





2011年5月20日金曜日

ハンバーガー




このほど、ウィスコンシン州に住む、ドン・ゴースクさんは、マクドナルドのビッグ・マックを1日2回、39年間食べ続けた。その数25000個。


アメリカ人の半数以上は、ハンバーガーを1日1回は食べる。アラバマに住んでいる知人は、ロサンジェルスに遊びに来た際、ランチにチーズバーガー。僕がディナーは何が食べたいと促すと、チーズバーガー。


或るアメリカ人が語った。ハンバーガーは、栄養のバランスが配慮されている食べ物。これは昔の話、オールド・ファションのハンバーガーは、レタス、トマト、オニオンが入てる。最近のハンバーガーは、野菜の量が少ない。


因みにバンズの上部がクラウン、下部がヒールと言う。





2011年5月18日水曜日




詩を書けば誰でも詩人である。僕も詩を書くので、周囲の者からは詩人として紹介されることがしばしばある。しかし、未だかつて自ら詩人であると名のったことはない。それは詩人に対する深い畏敬と、高貴な詩の世界へのあこがれがあるからだ。


僕の書く文章は水に浮かぶカワウソの戯れに過ぎない。彷徨のエトランゼ気取りで、少しささくれていたい気持ちが、いつも細波(さざなみ)のように僕の胸底に打ち寄せ、時として砂漠の砂を噛む思いで現実を呪う。多分、多重とか虚像とか、そして光とか宇宙といった限りなく屈折する相剋に、僕は迷い込んでしまったのだ。


黄昏に、牧歌的たたずまいの小径を歩いていて、馥郁と漂う木犀の香りにつつみ込まれた瞬間、ふと、素直な自分に充足と安らぎを覚えるのだが、詩を書くことは、僕にとってはその瞬間をいつまでも継続させる純白であり、解放ですらある。


そして本当の自由とは神(God)の御前に跪き、頭(こうべ)を垂れて自分の罪を悔い改めることから始まるように、僕の詩業もまた、つねに新しく生まれ変わることから出発する。そして新しい第一歩にはにかみと狂気を携えて、僕は、僕自身を、僕自身は、僕を模索し始める。


旧ソビエトの亡命詩人ヨセフ・ブロッキーが若いころ、「詩は教えられるといったものではなく、神様から来ると思う」と語った。最近つとに思うのだが、詩を書くことは、神から与えられた仕事であると考え始めている。換言すれば、「詩人の声は単なる人間の記録に留まるだけではなく、人間が耐え、勝利するのを助ける柱の一つとなること」。このフォークナーの詩人の義務に起因する。


T・Sエリオットが、ボード・レールからの衣鉢を、明瞭な倫理的また神学的な基準をもって吟味した上で、世界中の詩人たちに伝達したように、僕もまた、デカダンスの奥義に翻弄されることなく、常識や人間の知識と理性にあって小さくも大きな傲慢に屈せず、のべつ謙虚な態度で文学と対峙していたい。