鎖の付いた光彩
白い手で蠱惑(こわく)するときめき
朝もやの悪戯
ペパーミントの幻想
もう それだけで
僕自身
十分なんだ
アメリカ人の教会を借りて、在米日本人のための伝道集会が開催された。企画をしたのは、日本人クリスチャンの若者たち。
若者はステージで聖歌の曲を演奏して賛美する。聖書の拝読、証し、説教ありで、伝道集会は成功裏に終わった。
クリスチャンは見られている。ノンクリスチャンはクリスチャンに期待されている。
先ず、品性を持って笑顔で誠実に生きることだ。クリスチャン全員が微笑んで、明るく生きるならば、それだけで伝道になる。
伝道集会を開いた若者のクリスチャンは集会終了後、教会の掃除と諸々の後かたづけを怠った。教会の牧師は頭(かぶり)を横に振った。
若者は顰蹙(ひんしゅく)を買うことになった。神様を伝えても、これでは証しにならない。
何べんも言うようやけど、大阪には安くて旨いもんが、ぎょうさんおまっせ! ホルモン焼きと言えば大阪、『ホルモン本舗』西中島店は、安価で珍しいホルモンの宝庫や!
塩アキレス、塩コリコリ、オッパイ、コブクロ、カズノミ、マシュマロ(フク)、メニューの一部
七輪で豪快に焼くホルモンは、よだれが出るよ! ホルモン・ナンバーワンの『ホルモン本舗』。
東京にもあるでぇ。
大阪市淀川区西中島3‐19‐2 三ツ矢ビル1階 06‐6307‐8929 無休
焼き肉チェーン店『焼肉酒家えびす』で、ユッケを食べた人が食中毒で死亡した。恐ろしい話だ。人ごとではない。
僕も年に何回か、焼き肉のレストランに赴く。カルビ、テッチャン、ユッケ、生レバーを毎回注文する。
自宅の近所の焼き肉屋、PCHの『たまえん』。たまにコリア・タウンまで足を延ばす。
この度の事件で、ユッケは「トリミング」を施してからサーブされることが分かった。今まで、僕は知らなかった。
『牛角』では、あらかじめユッケは熱処理を施している。これも知らなかった。これから夏にかけて、食中毒の季節を迎える。
調理人は、衛生管理を怠っては絶対にならない。
松阪の駅前で、焼き肉(ホルモン焼)食べたいよーっ!!!
勝利
「負けるが勝ち」
年齢を重ねるごとに
この言葉の意味が
重みを帯びてきた
負け惜しみではなく
自分の心を解放することによって
相手の心までもが変わってくる
「負けるが勝ち」
謙遜は神様に愛される
最良の近道だと思う
夢
裸一貫で渡米して
富と名声を手に入れることが
アメリカン・ドリーム
けれども
時として夢は
落とし穴だらけの
自滅の道でもある
マザー・テレサの信条は
「なくても与える」
より少なく持てば
その分 より多く与えられる
より多く持とうとすれば
より少なく与えることしかできない
真実の夢には
力強い愛が見える
自制
ジャン・コクトーは語った
「金持ちになった貧乏人は
贅沢な貧しさをひけらかすであろう」
聖書は伝えている
「わたしの恵みは
あなたに対して十分である」
ソルジェニ-ツィンの21世紀論の一つは
「真の精神的満足は
何かを手に入れることではなく
それを拒否することによってのみ得られるのである」
アメリカ人は週末になるとスーパーに、一週間分の食料を買い出しにやって来る。大きなショッピング・カートには、缶詰、冷凍食品、清涼飲料水が山と積まれている。不健康な食品ばかりを買い込む。客も従業員もみんな肥満体。
アメリカ人は老若男女を問わず、甘い物が好きだ。これでは子供の頃から、生活習慣病に罹ってあたりまえだ。
即刻、食育に一石を投じたのは、ミシェル・オバマ大統領夫人。アメリカの未来を担って立つ子供たちが、ジャンク・フードの餌食になっているという。(『「パン」について考える』参照)
経済大国なのに、食文化は貧困だ。アメリカのスイーツは強烈に甘い。着色料をふんだんに使う。国民を病気に陥れる。
今、ミシェル・オバマの提案に、真剣に耳を傾ける時が来た。
2005年の秋、リトル東京のど真ん中に、重さ一・七トンの詩碑が建立された。大理石に刻まれている詩文は、加川文一(一九八一年、歿)の『海は光れり』(一九四一年、作)。
僕の目には、この艶やかな岩石のモニュメントが、『鉄柵』や『南加文芸』で活躍していた猛者(つわもの)たちの、友誼に厚い証としての金字塔に見える。
この『海は光れり』という詩は、冒頭の加川夫人の短歌も含めて、近代抒情詩の、そして移民文学の傑作である。
「きょうも海は光れり」。この脈々たる希望の精神は、文一の妻に対する限りない包容力の表明である。文一の絶唱は、これからリトル東京に憩う人々の、心のよりどころとなるに違いない。
除幕式では、『南加文芸』の同人であった山中真知子さんが、詩の朗読に入る前に、天国にいる加川文一に届けとばかりに、「加川文一、あなたの詩碑が建ちました。あなたが暮らしていた日本人街に建ちました…… 」切々と語る口調が、真に感動的であった。
『南加文芸』は不滅である。そして、この地に文学を愛好する者が、数多くいることを認識させられた。
夕べ、僕は独りで、色無き風のなかに佇み、文一の詩碑と対峙しながら、詩文を音読してみた。
妻よ
今日も海は光れり
人の住む陸を抱きて
するどく海は光れり
結びで感極まった僕の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
『詩碑仰ぐ一掬の涙秋深し』