2010年12月4日土曜日

スカッと爽やか




食事制限の一部を伝える。海で獲れるものは一切だめ。即ち、魚介類、海藻。海で獲れた加工食品、カマボコ、ちくわ、たらこ、干物も駄目だ。


調味料は胡椒だけは良い。はちみつも良い。ニンニクも良い。飲み物は乳製品が駄目。以外と思うけれど、コカ・コーラは許可が下りた。


コークを飲めるのは救い。スカッと爽やかコカ・コーラ。





2010年12月3日金曜日

鮨屋のかんぱち




ロサンジェルスで、リイーズナブルかつ美味い鮨屋が『かんぱち』だ。ここ店の板前は、日本より召集されている。銀座の『かんぱち』の姉妹店である。


場所はガーデナ。アーテジアとノーマンディーのコーナー、ゲイトウェイ・プラザにある。ネタの大半は築地から空輸で仕入れられる。ビバリーヒルズの鮨屋で同じものを食べたら、値段が三倍はする。


カウンターに座れば、僕は最初に酒の肴を注文する。特製いかの塩辛、なれそれ(アナゴの稚魚)の空揚げ、生湯葉の刺身。


僕が好きな鮨ネタは、春であれば子持ちの蝦蛄(しゃこ)、鯛、さよりetc。それから、しんこ、かんぱち、ひらまさ、トロ、あなご、赤貝のひも、青柳、貝柱へと続く。赤貝の肝は、後ですましにして飲む。


最後の閉めは鉄砲、かんぴょう巻きに山葵を入れて巻いたもの。僕が腹いっぱい食べて、飲んで150ドル。ネタよし、味よし、値段よし。




鮨屋のかんぱち
1425 W. Artesia Blvd. #27
Gardena, CA 90248
TEL: 310–515–1391





2010年12月2日木曜日

ダックハウス




LAのダウンタウンから、車で東へ15分行った所にモントレーパークの街がある。この街にあるのが、北京ダックの専門店、その名を『ダックハウス』と言う。


LAの殆どの中華料理店が、饅頭の様なBanを使う広東風。『ダックハウス』は、薄い皮で巻く北京スタイル。


僕は小人数で行くので、北京ダックとスープしかオーダーをしない。スープはシーフード蟹肉入り冬瓜スープ。お腹がすいたら、シェフ・スペシャル・チャーハンを注文する。


北京ダックの身は瑞々しく、皮はこの上なくパリっと仕上がっている。病みつきなること受け合い。


珍しい美味なるメニューが沢山あるので、レストランのホームページで、下地をつけて行くとよい。





本




以前にも書いたが、闘病生活に入って本を読まなくなった。目が疲れるのだ。インターネットであれば、文字が拡大できる。本は、そのような訳にはいかない。虫眼鏡を片手に読むが、限度がある。


大病して更に集中力が無くなった。食事制限も影響しているのか分からない。





白い時




愛する人よ


いとおしい子よ


壊れた愛よ


ぼくは 今


さびしくて


さびしくて


たまらない


 


まだ見たことがない


白の白い世界には


真実だけが存在している


 


この上なく柔らかい


白い白の時空には


愛のさざなみが


ぼくのすべてを白よりも白くする


 


ああ


白き愛を感じる時なのか


祈れる白い世界


白い時よ


 





加川文一の散文を読んで── 文一が標榜している「具躰」をどのように解明すればよいのか ──




加川文一は人生が面白いように、人間が面白いように、また、生活が面白いように詩は面白い。と、随筆集『置時計』のなかで綴っている。そして文一は、面白いとは、ものの具躰にふれて心を動かされた時の、こころの状態である。と釈義している。


文一は詩作に興じる時の心得として、具躰というものを非常に尊重していたようである。詩は一見抽象的であるが、優れた詩の特徴は、美の具躰を追求して止まないと断じている。而して文一は、美の追求には凡そ二つの道があるようだと述べている。即ち、一つは知性によるものであり、もう一つは感性によるものであると道破した。


文一は物事の本質を捉えることによって、具躰の叫びと真実の在り方を突き止めようとしていたのであるが、文一が主張している「具躰」というものについて、私は些か合点が行かないのである。


具躰とは、即ち抽象の対義語となる具象のことであるが、例えば、文一が活躍していた二十世紀半ばのリアリズム(自然主義)は、極美であるとか真実の写実を追求するだけでは、創造性を欠落させていると思われた。


従って本来の「具躰」というものは、対象となるモティーフやテーマを思惟活動によって解体分析しながら、その本質をつかむための抽象行為を行なわなければならない。そしてさらに、抽象化された表現を損壊しながら、もう一度、具象性を注入するのである。端的に言えば、具象→抽象→再具象の手法によって、より深みのある創造が表白されるのである。


次に、知性と感性についての問題であるが、前文に記しているように、文一は美の追求には凡そ二つの道があると述べているが、その二つが知性と感性である。文一は前もって凡そと断りを入れているが、私は美の具躰を追求しながら、詩を吟じる上で不可欠なものの一つに、形而下に属しているかも知れないが、「直観」(インスピレーション)というものをもう一つ付け加えておきたい。


文一はまた、難解な詩のことを独り善がりの安易を示していて、詩とは凡そ縁の遠いものである。と強く非難している。比して表面解りやすい詩こそが、読者を深淵の前に立たせるのであると喝破するのであった。


文一の詩の定義は、畢竟するに具躰を追求することによって、より明解な詩が描けるが、抽象は難解であって、晦渋な詩は本質的にはたわいのないものであり、芸術とは無縁であると言うのである。


どうやら文一には具躰のなかの抽象、あるいは具象から抽象、そして再具象の観念が把握されていなかったようである。


同じく『置時計』(随筆集)のなかの一節で、文一は「知性」の概念を明らかに曲解している箇所がある。文一は「知性」の究極は超現実であると説いている。文一が言わんとしている超現実の意味が、今一つ良く理解できないのであるが、それがシュールレアリズム(超現実主義)であるとすれば、謬見も甚だしい。


文一は師と仰ぐウヰンタースの初期の作品にふれて、詩人とはかくあるべきものであると断言しているが、私はその一句を読んでみて戸惑いを隠せなかったのである。


 


吾は眼をもたず


吾が一撃は狂はず


 


ウヰンタースの詩の一句は、言わば文一の座右の銘である。けれども「吾が眼をもたず」という言辞の意味は、「具躰」を否定することである。また、眼をもたずして一撃に狂いがないということは、「知性」をも打ち消していることになる。


文一はホイットマンやエマーソン、そしてポーやブレイクといった米国及び英語圏の詩人の作品を主に味読していたようであるが、ボードレールやリルケ、そしてヴェルレーヌやランボーなど、欧州のデカダンスの詩人たちによる作品からは、殆どといってよいほど影響は受けなかった。情報の乏しかった往時の時代背景や、翻訳書の寡少な時世において、十四歳でカリフォルニアに渡ってきた文一においては、英語圏の、取り分け米国の詩人たちに深く興味を抱いたに違いない。


また、具躰をしっかりと捉える文一の詩業は、イェイツに私淑していたからこそ継承できた術なのであろう。このように考えると、文一の散文のなかで遭遇する詩論的境遇は、文一の周辺ではかなりヒップであったのかもしれない。


文一の詩を読み、しみじみと味わってみる限り、日常の何でもない具躰をしっかりと捉えていて、淡々と媚びながら読者を惹きつけているのである。この一種のメソッドこそが、一度捉えた具躰を凝縮したり、破壊した後に、観念的な普遍の眼でつかまえておいてから、再び具象の仕事に入って行くのである。この表現方法には、文一自身も気づくことはなかったのであるが、詩人、加川文一は、無意識のうちに自我の前に、人工的に緻密な「霧」(眼力)を投げていたのである。この「霧」こそが、具躰を超越している概念であり、具躰を凝視するための抽象であった。


従って文一が否んだ思弁的洞察は、詩作の段階で瞬時に反芻されてしまい、詩人の魂は鋭く、美の「具躰」の追求へと移行していくのである。





2010年12月1日水曜日

犬




いろはかるたには『江戸かるた』と『上方かるた』の二種類がある。


『江戸かるた』の「い」は、「犬も歩けば棒にあたる」


『上方かるた』の「い」は、「一寸先は暗(やみ)」


『江戸かるた』の「い」の図柄は、棒に当たった犬が痛々しい顔をして、


キャンと鳴いている。


「犬も歩けば棒に当たる」とは、でしゃばるから禍に遭う。または反対の、


出歩いていて意外な幸運に出くわすこともあるの意味。その時の状況に応じて


使い分けていたが、近年では積極的に行動すれば道は開ける。と言った


意味で使われることが多い。


 


 


クイズ


(その1)


馬の耳に念仏、猫に小判、猫に石仏、牛に経文、豚に真珠、


これらの意味は「値打ちの解らないこと」である。


次の四角の中に文字を入れて俚諺を作りなさい。 犬に□□


 


(その2)


柴イヌと読むのか、柴ケンと読むべきか? 犬種によって呼び方が違う。


イヌとケンの区別をしなさい。


 


柴犬、土佐犬、秋田犬、北海道犬、紀州犬、樺太(カラフト)犬


 


 


【答え】


(その1)犬に論語


 


(その2)イヌ・・・柴犬、秋田犬、土佐犬


ケン・・・北海道犬、紀州犬、樺太犬


* 例外もあるが、基準として日本産犬種は「イヌ」、外国産犬種は「ケン」