2011年5月4日水曜日

大ショック




江美子の従妹の子供が、日本語学園共同システムのスピーチ・コンテストに出場するという。僕たちファミリーはリトル東京にある、会場となっている禅宗寺を訪れた。


スピーチ・コンテストに参加する生徒は約55人いた。僕は病気になる以前に、審査員を務めた事がある。コンテストは4時間近くもかかった。惜しくも従妹の子供ジャキーは、入賞を逃がした。日本語を勉強し始めてから8ヶ月、ジャキーは非常に優秀な子供で、16歳の時に大学に入学した。


僕はジャキーと約束をした。メールで日本語を教えると。


帰りにみんなと一緒に、18年振りに『こけこっこ』(カテゴリー食、参照)で焼き鳥を食べた。味が落ちた、美味しくない、僕は大ショックだった。もう、二度と行くまいと決心した。





2011年5月2日月曜日

ドナルド・キーン




日本文学研究者のドナルド・キーンさん88歳が、東日本大震災をきっかけに、日本に永住(帰化)されることが、このほど決まった。独身を通してしてきたキーンさんは、「私は日本という女性と結婚した」。彼は日本の国をこよなく愛しているのだ。


僕はドナルド・キーン先生の『太宰治論』に、異論を唱えて四半世紀が経つ。旧ラッパを吹くひつじ『太宰治』参照。


日本文学の碩学を前にして、まことに僭越な発言をして来たものだ。僕は未だに僕の見解が正しいと、一徹に信じている。





詩集/『時』/中尾照代




中尾照代さんが、この春に詩集を上梓された。詩集は二部構成になっており、読み応えのある詩が約二百二十篇収録されている。装丁は限りなく瀟洒にまとめられていて、表紙と見返しに配されている浅緑の色調は、著者の控えめな心情を彷彿とさせてくれる。


本詩集は私家版であるが、目次も奥付も附帯されていない。どうやら目次は作者の意向で、最初から省略するつもりでいたらしい。


そのようなことはさて置き、数々の詩篇がテーマに応じて躍動しているので、読者を惹きつける魅力を十分に秘めている。また、詩を一篇、二篇と読み進めていくうちに、それぞれの作品が、バラエティー溢れる独自の手法で描かれていることに気づかされる。


今、中尾照代さんは詩集『時』を携えて、現代詩壇へ清新な息吹を投げかけられた。


他者を「愛すること」。この深みのある愛の原点を座右の銘に、中尾照代さんは昨日も、今日も、そして明日も、詩を愛する如く、牧師夫人として世界中の人々に慈しみの手を差し伸べられている。このような彼女の真摯な姿勢から、詩集『時』は生まれたのである。


 


 


手 紙


 


いさんで開けたら


その中に


きれいに並んだたくさんの虫がいて


それが次第に


棘のついた棍棒になり


氷石になり


毒針になって


私に飛びかかって来た


 


その怪物はみるみる巨大化して


私の胸をめった打ちにし


私の頭をズタズタにして


地面にたたきつけた


もう立ち上がれないほどに


 


親しい者から贈られた


紙切れの中にいた


恐ろしい怪物


 


 


 


キュウリ


 


噛じるキューリよ


おゆるしください


 


体のためでも


舌のためでもなく


ただ胸のにがさを


なだめるために


 


涙をふりかけ


噛じるキューリよ


私の非礼をおゆるし下さい


腹に着くまで忍んで下さい


 


 


 


犬


深刻な顔をして


一人道を急ぐ犬に出会った


難事にぶつかった時の


人間の顔つきそっくりだった


 


どうしたの


どこへ行くの


思わず振り返って声をかけたが


犬はどんどん行ってしまった


 


そうだよなあ


人生にはいろいろあるんだよなぁ


見上げた空の


顔色が少し悪かった





2011年5月1日日曜日

祈りのリクエスト




江美子のために祈ってください。彼女は午後8時から翌朝の8時まで12時間、星を戴いて毎晩仕事にいそしみます。特に週末は疲れて帰って来ます。


従いまして、教会には殆どいけません。僕が闘病者でなかったら、江美子の仕事量が三分の一に軽減されます。


ハレルヤ、くっそう、ハレルヤ、くっそう、歯を食いしばり、イエス様と共に歩む毎日が続く。


 





天国




僕よりも何百倍もの信仰があっても、イエス様に癒されもせず殉教していく者がいる。


僕は甘い。永遠の命、天国を見上げて生きようではないか!





罪人




イエス様の癒しを信じていても、時たま焦りが生じる。一生、右半身不随だったらどうしょう。


中々受け入れがたい現実。


元気なうちはいいが、歳をとったらどうすれば良いのか分からない。


苦悩を心に秘めて、生きて行くしかない。


受け入れたくない現実。僕は弱い。


僕は、ものすごくひ弱な罪人だ。





ジャワ・カレー




小学生の頃、今は亡き父と二人で、大阪から京阪電車に乗って、京都の神社仏閣巡りをするのが楽しみだった。


毎回、京都で夕食を済ませてから帰阪することになっていたので、父はよく、四条川原町にあったカレー料理の専門店『ジャワ』に僕を連れて行ってくれた。


このレストランにはカレーライスのフルコース・メニューがあって、前菜とスープの次に魚料理がサーブされる。その後で、いよいよメインのカレーライスの登場となる。


コースは四段階あって、父はいつも下から二番目の八百円のコースを注文した。僕はカレーといえばインドだと思っていたので、ジャワ・カレーといわれてもしっくりこなかった。


だが、それ以来、父と一緒に何回かこのレストランに通うようになった。それは言うまでもなく、『ジャワ』のカレーの味にすっかり魅了されてしまったからだ。最初に食べたカレーがあまりにも旨かったので、ぼくは本当に頬っぺたが落ちてしまうのではないかと心配したぐらいである。


それから何年か経って、ハウス・ジャワカレーのCMがテレビに流れるようになった。京都の『ジャワ』とはすっかり疎遠になってしまっていたが、今度は母が、家庭でジャワ・カレーを作るようになった。母が作るジャワ・カレーの中身は、入念に炒めた狐色の玉葱をふんだんに使い、カレー用の肉の代わりに、挽肉がどっさりと入っている。


だしの良く効いた和風ジャワ・カレーは、とっておきのおふくろの味なのである。